4-9:協力者たち
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体が痛い。熱い。頭が割れる。悲鳴を上げようとした口の中にずるりと入り込んでくるものがあった。息ができない。吐こうとしても次から次へと入り込もうとしてくるので、徐々に息ができなくなり、意識が消えていく。
やめて。何を。誰。違う。お前。痛い。寒い。苦しい。やめろ。助けて、助けてラング、アル。
助けて。
息が、できない。
パキン、と高い音がして、一瞬息ができた、だから叫んだ。
――離れろ!
「――離れよ!」
パァッ、と明るい光が一瞬弾け、蠢いていた黒い何かが離れた。その隙に誰かが体を拾い上げ、抱きかかえてくれた。全身が焼けるように熱かった。支えてくれている手のひらが冷たくて心地よくて、思わず全身を預けてしまった。薄っすらと開いた視界では、白い衣を身に纏った水色の髪の男が、ランタンを吊り下げた白い蛇のような杖を手に光を放ち、黒いものを遠ざけていた。
佇まいが、声が、荘厳だった。あぁ、この人は紛うことなく神なのだと思った。
ぶわりと広がった衣、強く眩い輝きに黒い何かたちが焼けた痛みを訴えるような声を上げながら遠ざかり、地面が露わになった。ここにも底があるのだとぼんやり思っているところに聞き覚えのある声がした。
「小僧!」
「ペリエヴァッテ・ヴァーレクス! こちらだ! 足よこい、来い! さぁ光を目指してくるがよい!」
目が腫れぼったい、しっかりと開けない。黒いものを斬り裂きながら駆け寄ってきたのがヴァーレクスであることを確認していれば、次いで蹄の音がした。
「誘い手の青年よ、無事か!」
これは、もしかして、牡鹿か? 声が出ない。まるで酷い火傷のようにべったりと喉が貼り付いていて、息が苦しい。
「よいか! 問うな! 時間がない! 牡鹿、トルトンテよ! その背に我らを乗せ、闇を駆けるのだ! ペリエヴァッテ・ヴァーレクス! その剣で我らを守るのだ! ツカサが死んでしまう!」
舌打ちの音がして自身を運んでいる人ごと抱えられる感覚があった。ぐんと何かに乗った揺れに体がぐらつく。
「時の死神様、しかし、どちらへ!」
「輝け、導け、灯の欠片、迷いし命を掻き分けて、我が名において進む道を照らすがよい! 光よ!」
よく見えないが、眩しかった。死神の持つランタンを吊り下げた蛇の杖が再び掲げられ、牡鹿の前に差し出されたようだった。駆け出す蹄の音がした。示された方へ全力で駆けていく揺れに体が零れそうになった。ぎゅうっと誰かが抱きしめて、服の中に入れてくれた。
「案ずるな、こういう時のために貯めておいた力だ。なぁに、心配は要らんさ」
そっと優しく撫でられて、それが心地よくて手を伸ばしたつもりだった。腕が重くて上がらず、意識が遠くなっていく。眠っていなさい、と声を掛けられ、その言葉に従い意識を手放した。
――目を覚ました時、ぼんやりとした白い空が見えた。誰かが近くで話しているのはわかり、その声の主を探した。
「――これが小僧だと? 冗談だろう」
「冗談ではないさ。理の女神がその身を呈してツカサの魂を守ったのだ。まさか、あのようなことをしでかされるとはな」
「これをどうしろというのだ」
「守るのだ。そうでなくては、汝もまた望む未来には辿り着けぬ。ペリエヴァッテ・ヴァーレクス、誰よりも悲惨な未来を迎えるのは君なのだぞ」
うるさいなぁ、何の話、と声を出したつもりだった。ぷるん、ぺちょりと体が揺れ、ぎょっとした。随分地面が近い。後ろを振り返ればツヤツヤの明るい茶色の毛皮、鼻先を寄せられてその巨大さに驚いたが、背中を預けていたのは牡鹿だった。
「時の死神様、誘い手が目を覚ましました」
「ツカサ、気分はどうだ」
体が熱くて、だるくて、重い、と言葉にしようとして、ぷるん、と体が震えた。覗き込んでくる水色の髪に藍色の瞳の男、セルクスがしゃがみ込み、膝をついてなお下を見ていることに嫌な予感がした。そうっと手を持ち上げてみた。指もなく、肌色でもなく、糸くずを集めたようなへろへろの腕。これは精神世界であった理の女神の姿だった。
え? 嘘でしょ?
両手が黒い糸くずのより合わせ、きょろきょろすれば皆が大きくて世界が高い。あぁ、これは悪い夢だ。ツカサはぺちょりと体を倒して意識を手放した。
――次に目を覚ませば空はまだ白かった。あぁ、昼かな、と思い、変な夢を見ていたことをラングとアルに伝えようと身を起こし、周囲を見渡した。片角の牡鹿のきゅるんとした目が近くて驚き、変な声を上げた。出したかった声ではなく、ピッ、と音の鳴る玩具を握り締めた時のようなものだった。
再び時の死神、セルクスがそうっと覗き込んできて、微笑を浮かべたままツカサを両手で持ち上げ、座り直した。
「おはよう、そろそろ受け止められたかね?」
受け止められるわけなくない? これ、どういうこと?
声に出せず、身振り手振り、混乱していることをぷるぷるしながら訴えれば、セルクスは小さく笑った。
「いや、すまない、笑っている場合ではないな。一先ず状況の説明を先にしようと思うがどうだね」
うん、お願い。
疲れて眉間を押さえるような動作をしたはずが、糸くずの手では上手くできなかった。
シュンに引きずられるようにして黒い命の溜まり場に落ちた後、ツカサの体は器を求める黒い命たちに蹂躙されたらしい。我先にと温かい肉の内を目指し、奪おうとする奴らがいて、それに抗っていた。元々ツカサの肉体や四肢にその欠片を忍ばせて奪うことを虎視眈々と狙っていたシュンの欠片が主導権を得る寸前、一瞬の隙をついてツカサの内に居た者たちが反旗を翻した。
理の女神はその肉体をツカサの受け皿に。
時の死神はここまで蓄えていた力を顕現させ、飛び込んできた火を杖にして闇を払った。
牡鹿は足となり、先導する明かりの先を斬り裂く剣となったのはヴァーレクス。
そうして難を逃れ、今に至るのだという。
「ツカサの肉体自体は黒い欠片そのものであるシュンが奪ったので、その時点で温かい肉ではなくなる。それ以上の蹂躙は受けなかったはずだ。探ったところ、それは水面に浮いて、ラングやアルに回収されたようだ」
俺の体、取り返さないと! ラングとアルが一緒にいるって、危ないでしょ!
「そう急くな。いや、確かに急がねばならぬのだがね。今こうしているのは友を待っているからなのだ」
どういうこと? と問いたくて首を傾げたが、ぷに、と少し折れただけだった。セルクスはツカサの言いたいことがわかるらしく、にこりと微笑んでぷにぷにの頭を指先で撫でてきた。振動でぷるぷるする。
「理の女神がその肉体を貸してくれている。だが、それは君の体ではない。少しだけ馴染むのに時間も掛かるだろう。もっと大きな君の【体】であればその倍の時間も掛かるだろう、猶予は多少ある。……今はまだ眠っていなさい。私も、もう一人に説明する時間が欲しいのでね」
セルクスの藍色の視線を追えば、木に寄り掛かった髭面の男が居た。ツカサが向いたのがわかったのだろう、ぬらりとこちらに近寄ってきて、セルクスの横に膝をつくと訝しげに覗き込んできた。
「……随分と様変わりしたものだ」
うるさい!
文句を返そうとしたが声は出ず、ぷるる、と小刻みに震えるだけだった。体を貸してくれた理の女神が無事かどうかが心配になり、それをセルクスに糸くずの腕で訴えれば、また優しく撫でられた。
「案ずるな。彼女は無事だ。君に体を貸している間は消耗を減らすために眠っている。次に目を覚ました時にはいろいろと話そうではないか。今はもう少し、眠りなさい」
つる、ぷに、つる、ぷに、と体を撫でるセルクスの手が心地よくて、ツカサはとろりと脱力して再び眠りに落ちた。
――眠りに落ちたはずが不思議な場所に居た。星々の輝く精神世界。そこを流れる星々の、白い一本橋のような細い道が少し離れた場所にあった。この先に行かねばならないという気持ちが胸にあり、立ち上がって駆けて行けば、一本橋の入り口で手を振る少女が居た。
実った小麦畑のような見事な金髪は綺麗に編み込まれ、常に風に揺れているかのようだ。海を思わせる鮮やかな青い目。さざ波を打つように深い青と薄い水色とが入れ替わり立ち代わり、引き込まれるような色合いだった。
声はないが腕を引かれ、行こう、と促され、一本橋を二人で駆けだした。
落ちたらどうなるのかなどと考えなかった。星々のきらめきが徐々に減り、ただ走っている一本橋だけが光り輝いて導いてくれる。前を走る少女の肉体は淡い光を放っており、その軌跡を残すように光の粒子がツカサへ降り注ぐ。よく見ていれば少女が走る先にこそ一本橋はできているようだった。
誰かと問うこともなくただ走った。少女が足を止めて下の方を指差した。雑多にものが広がっている、倉庫のような場所だった。見覚えのあるものが多い。もしかしてと声を賭ける前に少女がぴょんと飛び降りたので、慌ててその後を追った。
まるで宝の洞窟に迷い込んだアラビアンナイトの主人公だ。思わず、うわぁ、と見渡してしまい、ワクワクしてしまった。腕を叩かれて我に返り、少女は何かを探し始めた。そういえば腰が軽いな、と思い、こちらも落ち着くものを探し始めた。
武器類はこの辺、とふわりと移動をして、感ずるものを腰に。あれば困らない魔獣避けのランタンも腰に吊るし、呼ばれるようにして豊穣の剣も腰に着けた。それから、彼女はどこに行ったのだろう。黒い命の溜まり場に落ちる寸前、確かにしまったはずなのだ。
少女がぴょんと宝の山を跳んできて、差し出してくれた白銀の杖。よかった、と泣きじゃくるような音にごめんねと言いながら腕に抱き、定位置になった腰の後ろのホルダーに戻した。
少女がまたぴょんと跳ねていき、それを見送ってから振り返った。思い出と必要な道具とガラクタの山。いつか整理整頓をしないとと思いつつ、どこに何があるかわかっているからいいや、と後回しにしたツケが来ていた。
まぁ、でも、わかるし、と言い訳を呟きながらガサゴソとものを退けて大事なもの、という分類を開く。そこにあった【記憶の宝玉】を取り出して一度強く握り締めた。そして【仮初の記憶石】。ラングから貰った【秘伝書】。大事なものがたくさんあった。ここは思い出の宝庫だ。両手に持てなくなったのでひょいとラングがくれたショルダーバッグを手にしてそれらを突っ込んだ。
さらにその横、自己主張激しく鎮座していたジャイアントスネークの皮を手にして小さく笑った。せっかくだ、君も、とショルダーバッグへ突っ込む。
少し思い出に耽っていれば、少女がよっこら革製のショルダーバッグを右に左に掛けて戻ってきた。もし何かあれば使うかも、で道中防具屋などで買い、使っていないものが結構あったのだな、と眉間を揉んだ。空間収納はいくらでも入る、腐らない、ということもあり、結構余計な買い物をしていたことに気づいた。とはいえ、今は活用されているのでよしとしよう。
少女はいろいろ入れたらしく、ショルダーバッグはパンパンになっていた。ぐっと親指を立てた姿に少し笑い、少女の手が開かれて【迷宮の加護】があることに驚いた。どうしてそれを知っているのだろう。尋ねる前に、足元がぐらりと揺れた。
少女に腕を引かれ慌ててきた道を戻る。最後、咄嗟に掴んだものはラングが作ってくれたホットワインが入っているボトルだった。ぴょんぴょん跳んでいく少女の後を追い、一本橋へ戻った。振り返っている暇など無い、走ったところから足場が消えていき、消える速度と自分の足、どちらが速いかの勝負になっていた。
あと少しで元の場所、というところで足場が崩れた。咄嗟に跳んで端を掴むことはできた。少女が鞄を置いて慌てて両腕で引き上げてくれ、どうにか戻れた。星の輝きのない暗闇が、ずぅんと鈍い音を立てて窄まり、そしてぷつんと閉じた。
もう、あの場所へ行くことはできないのだろうなと思い、息切れした体を休めるためにばたりと地面に大の字になった。




