第二十話 ミーケーリリル族
第二十話 ミーケーリリル族
ガーフシャールは農家の次男、三十一才のミクギスと同じく農家の三男、スルスに指示を出しながら麦芽汁を麻袋で濾しながら樽に詰めていく。
麦は芽が出て麦芽になると糖分が増す。麦芽を乾燥させて煮て、糖分の含んだ麦芽汁を発酵させるとエールになる。煮るときにホップという植物を加えるとビールになる。乾燥に泥炭を使い、蒸溜して数年樽で貯蔵するとウィスキーになる。
黒いエールであるが、麦芽の一割ほどを焦がして混ぜると出来上がると、記憶の引き出しを引っ張り出して対応した。
ガーフシャール達が仕込んでいるのは最も簡単にできるエールである。発酵に必要な酵母は手持ちのエールを混ぜる事にする。
「ガーフシャールの旦那、明日には飲めるんですかね」
ミクギスは待ちきれないようである。五樽に詰め込むことが出来た。冷えた後に手持ちのエールを混ぜる。あとは村長の倉庫で半年間発酵させる。
「半年後です。半年後にみんなで飲みましょう。じゃあ今日の作業費、大銅貨一枚です」
二人に大銅貨を渡すとほくほく顔で受け取った。十日間作業したので、銀貨一枚づつ渡したのだが、残念ながら使う場所が無いのだ。市の設置が急務だと、ガーフシャールは強く感じるのだった。
「出来たの?」
「あ、リーゼロッテ様。五樽に貯蔵しましたよ。半年後を楽しみにしていてください」
「持ってきたエールも無くなったし、楽しみね。機織りの材料も無いし、エールの材料も無いし弟が帰って来るまでする事が無いわね・・・」
辺境伯領に行っているデルーグリとミシェリはまだ帰って来ないようなので、リーゼロッテはのんびりしようかと思っていた。田舎の空気が良いのか、ガーフシャールはあっと言う間に村に馴染み、仕事の無い人間を引っ張ってきてエールを醸造させた。リーゼロッテはガーフシャールの馴染む力に驚いている。それよりも、戦病が段々と癒やされているようで安堵している。
「リーゼロッテ様! リーゼロッテ様はこちらですか!」
村長が血相を変えて倉庫に入ってきた。
「どうしました村長?」
「ミーケーリリルの奴らが、領主に会わせろと息巻いています!」
「ミーケーリリル?」
ガーフシャールは聞いたことの無い単語に聞き返してしまう。
「山の麓に住む野蛮な奴らです。馬に乗って放牧して暮らす野蛮人です」
「放牧民がいるんだ・・・会いましょう。リーゼロッテ様、行きますよ。領民に加えてしまいましょう。加えるというか、領民ですよね」
「え? ちょっと! この土地はもともとミーケーリリルの土地と聞いたことがあるわ・・・」
リーゼロッテはどんどんと進んで行くガーフシャールに遅れないように慌てて追いつく。門に待ち受けていたのは、顔に隈取りとしか言いようの無い化粧をして、毛皮を纏い、槍を持つ異様な騎馬四騎と空荷の馬四頭であった。一騎が空荷の馬一騎を引き連れている。交代用の馬だろう。
「く・・・何者?」
リーゼロッテは余りの異様さに驚いているようだが、ガーフシャールは世界中には多様な民族がいる事を知っているので、特に問題は無い。問題は言葉が通じるかだ。
王国の人は概ね白人である。イタリア系の風貌だ。ミーケーリリルは黒髪黒目の人種で、ウェールズ人に見えた。黒髪黒目と日本人みたいで、少し安堵する。
リーゼロッテとガーフシャールが現れるとミーケーリリル族は緊張した面持ちとなる。騎乗なのは変わらない。ガーフシャールは後ろでちょっととか、駄目よ、と言っているリーゼロッテを無視してどんどんと近づき、馬の頭を撫でる。撫でられた馬は表情を変えず、主命を待っている。
「良い馬ですね・・・我らの馬より大きい・・・しかもよく調教されている。凄いですね」
「なんだコゾウ? この馬がわかるのか?」
一番の年長者、四人のリーダー風の男がガーフシャールに答える。
「見たところ力が強そうだけど速いんですか?」
「無論だ。ワシ等の馬は速さでは負けん」
「わかりました。空荷の馬二頭、金貨十枚で買いましょう。継続して売って頂けるとありがたいです。辺境伯の街に行けば食料や酒を買えますよ。本当は四頭引き取りたいですが、あいにく領主のグレルアリ騎士爵が不在なため、二頭で勘弁していただきたく」
「ん? コゾウ、代官はどうしたのだ?」
「ミーケールトン地方は全てグレルアリ騎士爵の領となりました。半月後に来て頂ければ領主はいるかと」
「そうなのか? しかし我らの土地だぞ・・・どういうことだコゾウ?」
年配の首領らしき男はガーフシャールに凄む。
「うーん、我々も領主の中では最底辺の騎士爵で、全く力がありませんので・・・あ、ご不満は辺境伯に言って頂ければ・・・今から行きますか? 四騎だとちょっと少ないですね。二百騎くらいいないと要求は通りませんよ。いや、せめて二千騎は必要ですね。辺境伯様は1万の兵を動員できるでしょうから、領都を落とすには二千騎あればなんとか」
「ぬ、ぬし等が言えば良いだろう!」
「え? 辺境伯様にとって騎士爵家などゴミですよ。足の小指をぶつけて足が痛くてむしゃくしゃした腹いせに取り潰しにあっても文句は言えないような関係ですから、直接言って頂かないと・・・あ、ヤベ。もしかして辺境伯様かな? リーゼロッテ様、あれはデルーグリ様が戻ってきたんじゃないでしょうか?」
街道に馬の一隊が見える。十騎ほどに増え、荷駄馬車隊も引き連れている。
「ああそうね。弟が戻ってきたわ。人数が多いし、確かに辺境伯様が来たかもしれないわね。私は隊商だと思うけど」
「ではどうぞ。討たれた頸は拾いますので、ご武運を・・・しかし四騎で辺境伯様に要求を飲ませようとは心意気、感服いたします。立派な墓を約束しますよ」
「我らにどうせよと言うのだ! コゾウ!」
「独立は難しいと思って頂かないと。我々は騎馬隊を作りたいんです。継続して馬を我らに売った方がいいと思いますよ? 人が余っているのであれば厩と調教に出して欲しいし、兵に欲しいです。絶対強いですよね。あ、そうそう! 放牧してますよね? 畑を交互に牧草地にするので我らの畑で放牧もして貰いたいですね」
「ぐぬ・・・我らミーケーリリル族は最早百五十人しかおらぬのだ・・・土地は乾いて最早草も生えんのだ・・・我らもここまでか・・・無念・・・」
「え? 我々はミーケーリリル族を受け入れますが? 馬を売ってくれて放牧を畑でやってくれたら独自の生活を認めますよ?」
「金貨十枚だと半年分の食料じゃないかしら? 結構な分量よ。今エールを作っているから、半年後はエールを飲む事が出来るわ」
「え、エール・・・本当だな?! エールが飲めるんだろうな?」
「まあ馬の売り上げと差し繰りになりますよ」
「コゾウ、わかった・・・その条件飲もう。馬は四頭置いていく。厩番に二人使わす。待っておれコゾウ、ガルゴルゴフスだ。とうとうワシの代で王国に頭を垂れるか。税は後で相談させてくれ。我らは麦を持たない。エールを飲ませろよ! 約束だからな!」
ガルゴルゴフスは馬から降りると、ガーフシャールと握手をした。
「わかりました。ガルゴルゴフスさん。俺はリーゼロッテ様の従卒ガーフシャールです。こちらが騎士リーゼロッテ様、領主の姉になります」
「元王宮騎士団リーゼロッテよ。よろしくね・・・うわ、凄い握力よ。相当強いわね、ガルゴさんは」
「ガルゴ・・・まあよい。我らは強いぞ? ところでお前らは馬が必要なのか?」
「そうよ。放牧するのなら村の回りで行えばいいのよ。遠慮することは無いわ。ね、ガーフシャール君」
「そうですね。お願いしたいですね」
将来的には畑になる場所の土が肥える施策であり、是非お願いしたい。
「伯爵が来るのか? では下がっているか」
「隊商も来てる様に見えますね。では金二十枚ですね。お渡しします。隊商と交渉してください」
ガーフシャールは用意していた金貨を手渡そうとする。
「だ、駄目だ。コゾウがやれ。我々は金貨など見たことがないからな!」
こうして領内に住んでいる少数部族、ミーケーリリル族が騎士爵家の統治下に編入された。ある程度斬り合いになるであろうと思っていたリーゼロッテはガーフシャールの巧みな交渉術に息を飲んだ。デルーグリが全権を託す家臣である意味がようやく理解出来たのだった。