エピローグ−2
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国土を縦断する鉄道。その最北端の始発地点となる駅のプラットホームには、すでに黒い車体の蒸気機関車が発車の時を待っていた。
ここは寄宿学校から一番近い駅で、長期休暇の時期になれば帰省の学生たちもこの駅を利用する。
だが、今日ユージンが学校から馬車で二時間掛けてこの駅にやってきたのは帰省が理由ではない。
ホームの大屋根の下では、これから長旅に出るらしい大荷物を持った旅人や、それを見送る家族や友人たちの姿でごった返している。
彼らと同じように、ユージンも今日は旅人の見送りに来ているのだ。
「うわあ、すごいね!」
ユージンの隣に立つその旅人は、黒光りする蒸気機関車を見上げ、子供のように明るい声を上げた。
手足ばかりが長い、やせぎすの男だ。一抱えほどのトランクを片手に下げた旅装姿で、黒のフロックコートに、黒のベスト、黒いタイを身に着けていて、黒の山高帽から覗く髪も、染めたように真っ黒だ。
「……おい」
「ああ、ごめん。うち、帰省には汽車を使わなかったから、こんな近くで見るの初めてで」
ユージンが硬い声で呼ばわると、その意味をわかっているのかわかっていないのか、彼は左手で山高帽を脱ぐ。
すると、帽子に縫い付けていた黒いつけ毛が一緒に外れ、中から見慣れた金の髪がこぼれ出した。
「ミハル」
「大丈夫、ここではこういう髪の人間だって珍しくないよ。学校みたいに自分の身分をひけらかしたい人たちばかりじゃないからね」
そう言って、ミハルが頬に掛かる髪を掻き上げると、ずたずたに引きちぎられた耳たぶが覗く。出血や腫れはすでに収まっているが、それでも見るだに痛々しい。けれど、本人はまるで勲章のように誇らしげだ。
いや、彼にとっては確かに勲章なのかもしれない。こんな風に暴力で自分のあり方を否定されてもなお、彼は自分の意志を押し通したのだから。
あの日以来消息を絶ったとされているミハル・ハルパスだが、実際はあの日からずっと、寮のユージンの部屋に身を潜めていた。騒動のどさくさに紛れてユージンの部屋に転がり込んだミハルは、時にベッドの影に張り付き、時にクローゼットに潜り込みながら、次なる逃亡への算段をつけていたのだ。
「まったく、いつバレるかずっとひやひやしっぱなしだったぞ」
「でもほら、みんなに内緒で小鳥を飼ってるみたいで楽しかっただろ?」
「んなわけあるか。じゃあお前は、あの天使を匿ってて楽しかったって言うのかよ」
「まあ、僕は鳥、好きだから。翼を傷めた小鳥も、翼を傷めた天使も同じようなものさ」
へらへらと笑ってみせるミハルに、ユージンは嘆息する。
かつてこいつはユージンのことを「変わってしまった」と詰ったものだが、こいつだって泣き虫の可愛い少年だった頃に比べれば、相当たちが悪くなった。
苦い顔のユージンに、ミハルはやっぱり可愛げのない悪い顔をした。
「それに、無茶をしたのは君だって同じだろ。『天使と天国に渡った男』の噂と一緒に僕のところにも聞こえてきたよ。『軍人たちの足止めをした悪魔』の噂」
「それはっ……」
思わず口ごもるユージン。ミハルが白々しい声で続ける。
「なんでも魔法陣で封じられていた塔の入り口を解呪して、逆に下から軍人たちが上がってくる地下通路の入り口を魔法で閉じちゃったとか。軍の管理している建物を封じる魔法陣を解呪してしまうなんて、その人物はよっぽど優秀な魔法の使い手なんだろう。でもね、不思議なことに、軍人たちは確かにその人物の顔を見たはずなのに、その人物の正体は未だにわかってないらしいよ。……まあ、魔術体化の魔法陣を使っていたなら、魔法で顔が変わってしまって、人相なんてわからないかもしれないね」
そう言ってミハルが視線を向けたユージンの頬には、不完全な魔法陣を発動させた代償である火傷のような痕がうっすらと残っていた。
「わかってるよ。ダンタリオン家の跡継ぎとして、ふさわしくないことをしたってことは。……それでも俺は、間違った選択をしたとは思ってない」
観念したようにユージンが短い黒髪をがりがりと掻く。そんなユージンにミハルは少し笑い、それからふいに真面目な顔をした。
「別に、僕は君の選択を否定するつもりじゃないんだ。僕がまだここで息をしていられるのは、落下してくる僕を君が魔法で救ってくれたからにほかならないしね。おかげで、約束も守れた。
――ただ、僕みたいな次男とはもう身分が違ってしまった君が、立場を危うくしてまで僕を助けに来てくれたことを、嬉しいと思うと同時に悪いと思ってしまう」
それきり、どちらともなく黙りこむ。
ユージンは行き交う人々の喧騒の声を聞きながら、いろいろなことを考えていた。
先に切り出したのは、ユージンだった。
「……ミハルは、これからどうするんだ?」
「僕は、南部のとある小さな村に行く。すごい田舎らしいんだけど、その分人の目も届きにくい場所だそうだ。そこで『飛行機』とか言う、魔法を動力源とした空飛ぶ機械の研究をしている人たちがいるらしくてね。そこに下働きとして参加させてもらえるよう、お願いしたんだ」
さらりと告げるミハルに、ユージンは思わず顔をしかめた。
「……『魔法で動く空飛ぶ機械』? 大丈夫なやつか、それ?」
「だから、人の目が届きにくいところでやってるんだろ」
ミハルはあくまでけろりと言う。
「それにこの蒸気機関車だってさ、蒸気っていう魔力ともエネルギーとも呼べるもので、ピストンっていう魔法陣とも回路とも言えるものを動かして動力を得ている、魔法とも機械とも付かない正体の曖昧なものじゃないか。魔法を使うための魔法陣も、機械を動かすための回路も、大元は同じものなんだから、それを名前で区別しようとするなんて、そもそもナンセンスなんだよ」
きっぱりと言い切られ、ユージンは二の句が継げなくなる。
確かに大元が同じ、二つの世界の魔法と機械――そして、天使と悪魔なんて、所詮似たり寄ったりのものなのかもしれない。
「でもお前、本当にそんなところでやっていけるのかよ。もう貴族のご子息様として扱ってもらうわけには行かないんだぞ」
「どうかな。自慢じゃないけど、雑用なんてしたことないからね、僕。あー、肉体労働だとしたら自信ないなあ」
ミハルは自嘲気味に笑ってから、ふと遠くへ視線を投げる。
「だけど、なんだかやっと自由になれたような気分なんだ。これでもう僕は、きっとどこへだっていける」
そう言う彼の横顔は、初めて彼の家の屋敷で出会った時の泣いてばかりの頃とも、寄宿学校で劣等生として好き勝手をしながら、そのくせどこか鬱屈した表情ばかりしていた頃とも違う。
彼は閉じ込められていた殻から、ようやく抜けだしたのだ。
殻を破った彼の姿は、彼の望む鳥の姿とは少し違っていたかもしれないが、彼はその二本の足で、どこにだって行ける。
彼の本当の人生は、今これから真に始まるのだろう。
それはユージンにとって、少しだけ羨ましいことだった。
「……なあ、もしも。もしもお前も、俺も、貴族の子なんかに生まれなかったら、もっと別の人生があったのかな」
ついそんな言葉をこぼすユージンを、ミハルはちらりと横目で見た。
「さあね」
ミハルはあくまでそっけなく答える。
そして何やらためらうような間を置いた後、ぽつりぽつりと語り始めた。
「……でもね、僕は鳥にはなれなかったけど、僕が僕じゃなかったら、きっと君にもアンジェリカにも出会えてなかった。
だから僕は、僕が僕でよかったと思うよ。だからこそ僕は僕のまま、もう少し地べたで足掻いてみることにしたんだ」
「……えっと」
思わず言葉を詰まらせるユージンに、ミハルが微笑む。
「君は?」
ミハルに促され、ユージンは自分の中の言葉を懸命に整理した。
そして、今回の一件で新たにした自分の決意を再確認するように言う。
「俺はこれから、貴族という立場を利用して、天国との関係が今とは変わっていくように訴え掛けていこうと思ってるんだ。天国との関係が良くなって、天国と地獄を、天使と悪魔の分け隔てなく行き来できるようになったら――そして、いずれはこんな対立めいた名前なんて取っ払ってしまえたら、きっとお前も追われる身ではなくなるだろう。
多分、この計画は多くの人から強い反発を受けることになると思う。ダンタリオン家の名前が悪く言われることも。……でも、これが俺の選んだ道なんだ。俺が選ぶのはいつだって、俺が俺に生まれて、俺として生きて来た中で導き出された、俺が最も正しいと思う道だ。
だから俺の選んだ行動に、お前が『悪い』だなんて思う筋合いなんて、これっぽっちもないんだよ」
そう言い切ってユージンは不敵に笑った。
言葉を詰まらせるのは、今度はミハルの番だ。
「……そうか、それが君の、僕に見せたい景色ってわけか……!」
「お前が約束を守ってくれたんだ。今度は俺が約束を守る番だろ?」
「……ああもう、なんだよ。本当、君たちはさあ……」
そう言うミハルの顔は、照れているようにも、泣き出しそうにも見えた。
彼はそんな顔を懸命に取り繕って、ぶっきらぼうな声で嘯く。
「まあ、楽しみにしておくよ。……でも、それってきっと難しいことだと思うな。だって、前の戦争から五十年経っても世の中は結局この調子だ。ひょっとしたら、僕が『飛行機』とやらを完成させて、人々がそれに乗って空に浮かぶ大陸へ行くことを夢見るようになる方がよっぽど早いんじゃないかな?」
「言っとけ。すぐだよ。だからそれまで、ちゃんと生きてろ」
ユージンが言い返すと同時に、ピィ――と甲高い汽笛の音が響いた。発車の時刻だ。
「じゃあ、僕、そろそろ行くね」
「ああ、元気で」
そうやって微笑むミハルに笑い返すと、なんだかユージンも子供の頃のように屈託なく笑えた気がした。
瞬間、
「――あ、見つけた!」
ミハルが歓声にも似た声を上げた。
同時にカシャッ、と聞き慣れない音が響き、魔法を発動させた瞬間にも似た閃光が迸る。
閃光が去った後、こちらをみつめるミハルの両手には、覗き穴のついた台形の箱が抱えられていた。さっきからトランクと一緒に手に提げていた謎のガラクタだ。
ユージンは目を瞬かせて尋ねた。
「……何だよ、それ、機械か?」
「うん。アンジェリカに言われたんだ。最後の一枚だから、本当に大事なものや、忘れたくない瞬間を撮れって。
……だから、これにした」
ミハルが言うと同時に、箱の下の方から四角い紙片が吐き出されてくる。
それを確認して、彼は満足気に頷いた。
「うん、いい写真だ」
ミハルの言うことはユージンにはまったく理解できなかったが、妙に嬉しそうに笑うミハルに、ユージンも釣られたようにもう一度笑う。
「ミハル、またな」
「うん、ユージン。――また、いつか、必ず」
決して短くないだろう別れに対する挨拶にしてはややそっけないが、まあ、いいのだ。
瞳に同じ色を映した俺たちの道は、またいつか必ず交わるに違いないから。




