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善悪と、僕と、彼女たち  作者: 砂鳥 えいち
1章 花壇荒らし
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第8話 彼女のこと

 宮代が指定してきた喫茶店は以前、槇角先輩のことを調査した時に立ち寄った喫茶店だった。

 僕は何だか嫌な予感を感じつつも、宮代の到着する時間よりも早く来てしまったようで、店内に宮代の姿はなかった。遅い時間に来たら来たで彼女はいつものように怒るだろうし、これはこれで正解だったのかもしれない。

 僕はホットコーヒーを注文し、宮代が来るくるのを待った。


「もうすぐ着く」


 というメールが携帯に入って、僕はにわかに緊張し始める。

 カランコロン、という軽い鐘の音が鳴り、店内に客が訪れる――宮代このえだ。

 僕が手を挙げると彼女もすぐ気がついて、僕の前のソファに座った。すぐさま店員に「ホットティー」と注文して、僕に向き直る。

「ごめんね、急に呼びだして」

「いや、そんなことないよ」

 おや、と僕は思う。

 いつも宮代は僕に対して苛々したような様子で突っかかってくる。それが、今日に限って落ち着いた雰囲気をまとっていて、突っかかってくる様子がないのだ。だが、僕にとってはその静けさが逆に怖い。

「でも、如月抜きで話しって何なの?」

 単刀直入に気になることを訊く。

「あんまり如月さんには…聞かれたくない話だから。プライベートなことだと…思うから」

 宮代は居心地が悪そうに、歯切れ悪く答える。

 まさか宮代が如月が花壇荒らしの犯人だと気付いた様子ではなさそうだったが、話はそんなことよりも深刻な感じだ。

 そこで店員が宮代の注文したホットティーを持ってくる。彼女はそれにミルクと砂糖を多めに入れて一口飲んだ。

 僕は不審に思いながらもコーヒーに口をつけ、彼女が何を言うのか口火を切るのを待つ。話があるのは彼女のほうなのだ。


「――優子、元気にしてる?」


 思いもしない言葉だった。

 一瞬、思考が止まる。

 僕は再度、口をつけようとしていたコーヒーを皿に下ろし、混乱する頭を必死に抑えつけようとした。

 ユウコ、ゲンキニシテル?

 そう彼女は言ったのだ。

 僕は落ち着きを取り戻し、宮代の言った言葉をゆっくりと咀嚼するように理解する。その言葉は、僕の中で不快感を湧きあがらせた。が、口には出さなかった。まずはどうして彼女が優子のことを知っているのか訊かなければならない。

「…どうして優子のことを?」

「彼女、陸上部だったでしょ?ほら、私も陸上部じゃん」

 ああ、そうか。

 考えてみるまでもない。宮代のことは優子から聞いていたのだ。同じ部活である優子と宮代の仲が良かったとしても不思議ではない。

「そうだったんだ…知らなかった…っていうか気付かなかったな。まさか、宮代と優子が知り合いだったなんて」

「知り合いっていうか、友達だったよ。よく話もしてた」

「そうだったんだ」

 僕は宮代が何の話をしたいのか理解して、窮屈な思いがした。優子と友達だったというのならば、僕と優子が付き合っていたということも知っているのだろう。如月抜きで優子の話をしたい、ということか。

「優子はさ、どうして…その、学校に来なくなっちゃったの?」

「それを聞いて宮代はどうしたいの?」

 僕は逆に訊き返した。

「また学校に来てほしいだ、私は」

「そんなに仲が良かったなんて知らなかったな」

「私、優子とタイム競ってたんだよ?知らなかった?」

「全然、知らなかった…僕と優子が付き合ってたことも知ってたんだ?」

「よく一緒に帰ってたじゃん。優子の練習が終わるまで待ってから帰ることもあったし…見てたよ、私」

「そう、か」

「優子とは別れたんだよね?…どうして?」

「それは、…知ってるだろ、優子は精神的に不安定な状態が続いてるんだ。僕が居てもどうしようもならない」

「そういう時に支えるのが彼氏ってものじゃないの?」

「今日の宮代はすごく落ち着いてるね。なんだか別人みたいだ」

「茶化さないでよ」

 二人の間に、静寂が訪れた。喫茶店に流れる有線のBGMが妙に大きく聞こえる。僕は何と答えればいいのか考えていて、きっと宮代は僕の言葉を待っているに違いなかった。

 きっと宮代は優子のことを心配してくれているのだろう。

「もしかして、僕が優子に酷いことをして、とか考えてた?」

 宮代はとても正義感の強い少女だ。例えば、僕が浮気をしたせいで優子が病んでしまった、などと勘違いしていたのかもしれない。

「うん。そうなのかもしれないな、とも考えたよ」

 真正直な返事に、僕は笑ってしまう。彼女は素直でもある。

「そんなことあるわけないじゃんか」

「そうだよね、ごめん。じゃあ、どうして」

「理由は話さないよ」

 僕は彼女の質問を先回りして答える。

 きっと彼女が理由を知ったところでどうしようも出来ないし、かえって話をややしこくするだけである。そして、何も出来ないのは僕も同じだった。

「じゃあ、優子が学校に来なくなった理由、知ってるんだ?」

「………」

 墓穴を掘る、というのはこういうことを言うんだな、と僕は実感する。

 隠すことなく、彼女に全てを話してしまおうか、とも考えたが、僕はその考えを打ち消した。正義感の強い彼女ならなおさらだ。

「…僕は彼女と喧嘩しちゃって別れたんだよ。それから彼女は彼女で色々あったみたいで、優子は学校に来なくなった。理由は話さない、っていうか、知らないよ」

 下手な嘘だった。だが、ここで取り繕わなければ、僕は彼女がどうして学校に来ないのか知っていると宮代に確信させてしまうことになる。

「本当?」

 宮代は疑いの眼差しで僕を見た。

「うん。知らない。ただ、何かショックなことがあったみたいだよ。それに僕は関係してないし、何しろ別れたあとの出来ごとだから」

 そうだ。僕には何一つ関係のない出来ごとだ。

「私、ちょっとでも優子の力になりたいんだ。優子の家まで行ったんだけど追い返されちゃってさ」

「そんなことまでしてたんだ…」

「だから、思ったんだ。優子がおかしくなったのはアンタが原因なんじゃないか、って。アンタが何かイラついてるから優子に酷いことして、花壇を荒らしたんじゃないか、って」

 そんなことを思われていたのか、と苦笑する。ただ、これで宮代が僕に対してきつい態度を取っていた理由がなんとなく分かった。

「僕は優子に酷いことなんてしてないよ。…そりゃ喧嘩別れだったけどさ。花壇も荒らしてないし」

「うん。如月さんと3人で調査するうちに、アンタはそんなことしてないと思うようになってさ」

「疑いは晴れたんだ?」

「まあ、一応」

「一応かよ」

 はは、と僕は笑う。宮代このえという少女は自分の本心を偽るということを知らない。本当に興味深い少女で、この間調査した南雲会長もそうだったが、宮代も善人なのだ。

「あのね、あたし、もう走れないの」

 それは、準備していた言葉をそっと切りだしたような静かな口調だった。

「走れない?」

「普通だったら放課後とか部活でしょ?行ってないし」

「え、なに、退部したってこと?」

 僕は事情が呑み込めず彼女に質問する。

「ううん、練習中に怪我しちゃってさ。靭帯やっちゃったんだ。だからもう走れないの」

「………マジかよ」

 思っていたよりも重い話だった。そういえば、彼女が部活に参加しているところを最近は見ていない。

 僕は僕で優子のことや花壇荒らしの犯人探しの件で、グランドや高校の敷地内を走る陸上部達に興味がなかったというのもあるが、考えてみれば週末にも練習があるだろう陸上部員である宮代が、花壇荒らしの調査に参加していることはおかしかった。

 そして、僕は最初に彼女に会った時、無神経なことを言ってしまったことを思い出した。――確か、陸上で良い成績を納めているから君のことは知っている、などと言ってしまったのではなかっただろうか。

「ごめん、なんか無神経なこと言ってたよね、僕」

「え?別にそんなことは言ってないけど。っていうか、今、無神経なこと聞いてるの私のほうだし」

 宮代は気にしていない様子だった。それよりも、自分が優子のことを僕に聞いていることを気にしているようだ。

 僕は胸をなでおろしつつ、この話題をどう収束させようか考える。そうして、すぐに口から出まかせを言うことにした。

「…あのさ…、優子のことを心配してくれるのは嬉しいんだけど、今は本当に誰とも口を聞きたくないらしくて、誰が何を言っても無駄だと思うよ。僕は別れたって言っても彼女のことが心配で何度も連絡してるんだけど、駄目なんだよ」

「そうなの?」

「うん。…これはたぶん、なんだけど、やっぱり陸上部のプレッシャーとかがあったんじゃないかな?タイムが伸び悩んでるって言ってたし…。君にかなわない、とも言ってたからさ」

「そんな、そんなことないよ。それに私はもう走れないんだよ…」

 悲痛な面持ちで、宮代はそう僕に言った。

 宮代は宮代でこんなに重い悩みがあったのだ、と僕は自分の無知を恥じた。てっきり彼女はいつも元気で、いつもイノシシのようにやかましい人間なのかと思っていたのだ。

「だからね、私、勝手なこと言うけど優子には陸上部に戻ってきてまた走ってほしいんだ」

「それは…どうだろう…学校に来たくないみたいだから」

「本当に心辺りとかないの?優子が学校に来たくない理由」

「ああ。ごめん、分からない」

 と、僕は嘘をついた。

 本当は知っている。優子が学校に来ない理由を。

 ただ、それを解決するにはまだ少し時間がかかる。

「今日は、話せてよかったよ。…ありがとう。宮代がそこまで優子の心配してくれてたなんて、元彼として嬉しいよ」

「ううん、なんかこっちもごめん、ずっとわたし、アンタのこと疑ってたから」

「別にいいさ。それよりもさ、それ、やめてくれない?」

 何のこと?という顔をして宮代が僕の顔を見る。

「『アンタ』っていうの。僕、坂井って名前があるからさ」

「あ、そ、そうだよね。わかった、坂井」

「……宮代に坂井って言われるのって新鮮」

「な、なによう!」

 宮代がいつものように怒りだして僕は笑う。こうでなくては宮代このえではない。僕達はそれから花壇荒らしの犯人の話題に移り、誰が怪しいとか誰が怪しくないとかいう話になった。それから三門教諭の私物窃盗犯との関連性なども話した。

「もしかして同一犯の犯行じゃない?だって、こんなに何度も事件が立て続けに起こるなんておかしいわよ」

「花壇荒らしと窃盗に、いったい、何の接点があるんだよ」

「それが分かったら苦労しないわよ」

 全くその通りだった。

「駄目だわ、私たちだけで話してもらちがあかない。やっぱり如月さんと一緒に話しましょ。彼女頭いいからね!」

 と宮代が締めくくり僕達は喫茶店を出た。

「それじゃあまた学校で」

「うん、またね」

 彼女の後ろ姿は小さかった。見送りの心配はないだろう。駅まではすぐそこだ。

 しかし――なんだか僕は心配になって後を追いかけた。

「駅まで送るよ」

「なに、別にいいって。すぐそこじゃん」

「いいから」

「あ、ありがと」

 駅まではの間、僕と宮代はずっと無言だった。話すことがもうない、というのもあるが、宮代はなんだか落ち着かない様子だった。

 駅の改札口まで来て、今度こそ本当に別れの挨拶を言う。

「じゃあね」

「うん」

 駅の雑踏の中に紛れてゆく宮代の姿を、僕は落ち着かない気持ちで見送った。彼女の後ろ姿があまりにも小さかったからだ。

 もし、走れない彼女が暴漢に襲われたらどうなる?

 そんなことさえ考えてしまう。

 不幸はいつ襲ってくるのか分からないのだ。

 優子のように。


 僕は暗い憎しみの炎をもてあまし、鬱屈とした感情を抱きながら帰路につく。


誤字脱字、蛇足が多くて修正に困ります。

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