第十八話:クライスル誘拐事件
イリアは、杖と魔法の鞄とナイフだけ持って宿を出た。
下町は、オールダン横丁のあたりだ。
商人が多く住む区画を上町と呼ぶのに対し、庶民の住む区画は下町と呼ばれている。
特に買い物の用もないので、オールダン横丁には入らず、下町をぶらつく。
庶民の生活の気配があり、行き交う人は少なく、閑散としている。
「ちょいといいかのう」
家の前を箒で掃いている婦人がいたので、イリアは声をかけた。
「おや、見ない顔だね。私に何か用さね?」
「エレーナという人物を尋ねてきたんじゃ。東の森で薬草集めをしている時に知り合うての。下町に来たらよろしくと言われとる」
「エレーナ……ああ、あの娘の知り合いかね。それなら、ここを真っすぐ進んだ突き当りを右、4軒目の家だよ」
「礼を言うのじゃ」
言われた通りに道を進み、突き当りの路地を右に曲がる。
4軒目の家の前に立つと、思い切ってドアをノックした。
「エレーナ、いるかのう。わしじゃ、イリアじゃ」
返事がない。暫く待つが、誰も戸口にでなかった。
(留守かのう。仕方がない)
留守なら出ないのも納得だ。イリアは来た道を戻って、宿に向かおうとした。
すると、通りの向こうから歩いてくる、見知った影に気づく。
亜麻色の髪、鳶色のチュニック、白い前掛け。
エレーナだった。籠を持ち、ゆったりと歩いてくる。
オールダン横丁の方角からだ。買い物帰りかもしれなかった。
イリアが声をかけるべく駆け寄ろうとした、その時だった。
路地裏からぬっと黒い影が飛び出し、またたく間にエレーナの口をふさいで手を押さえると、そのまま路地裏に引き込んでしまったのだ。
籠が地面に落ち、乾いた音を立てる。
(なんと、拐かしか?!)
イリアは誘拐の現場を目撃し、このまま放っておくわけにはいかないと思った。
魔力の波を辿り、エレーナの恐怖、焦燥、諦念の感情を追いかける。
黒い影が消えた路地裏にたどり着くと、気配を辿って、入り組んだ道を足早に進んでいく。
着いたのは、オールダン横丁を越えた先にある、一つの倉庫だった。
倉庫は、とある商会の持ち物だった。
中は薄暗く、差し込む光に照らされた埃が不気味に煌めいている。
拐かされたエレーナは、その倉庫の中――木箱が積まれ、荷物の影になったところに連れてこられていた。
「エレーナ、待っていた」
男が、狼狽するエレーナに声をかけた。
歳の頃は20代半ば。黒髪に無精髭を生やし、庶民のものより仕立ての良い衣服に身を包んでいる。
木箱に座り、落ち着かない態度で脚を揺らしていた。
「ギーシュ……」
エレーナは絶望にも似た顔をした。
東の森でエレーナを襲ったのは、この黒髪の男だった。
「だめじゃないか……俺の言うことを聞かないからこうなるんだ」
ギーシュはどんな表情をしているか分からない。
エレーナは2人の黒装束の男に拘束されていた。振りほどくこともできずに身を捩っている。
「あの時現れたやつは誰だ? 俺に正直に話せ」
エレーナの口をふさいでいた男が、隣の男に目配せし、口の拘束を解いた。
「……知らないわ」
「知らないはずがあるか。なんであの場所にいたんだ?」
「ただ、通りすがった冒険者だって……」
「本当だろうな、お前が雇った護衛じゃないだろうな?」
ギーシュは疑心暗鬼だった。
エレーナに執着する男だったが、エレーナの周りにいる人物にも敏感だった。
「だって……あなた、街から私の後を付けて――」
「うるさい! こっちは気が立っているんだ、言葉に気をつけないと――」
ギーシュは立ち上がると、足早にエレーナに歩み寄った。
その顔を見下ろすように睨みつけると、平手打ちをする。
乾いた音が鳴り、エレーナの髪が乱れて頬が赤く腫れた。
「もう一度聞く。あの時いたのは、本当にお前の知り合いじゃないんだな?」
「……そうよ、あの時初めて知り合ったの」
「名はなんだ?」
「……」
「答えないか!」
「覚えてないわ、あの時限りだと思ったからっ……」
エレーナは必死に訴えたが、ギーシュは信じない。
やがて己の優位を確信したように、饒舌に語りだす。
「エレーナ、俺はお前が好きだった。妻に欲しいと言っただろう……だが、お前は受け入れてくれなかった」
ギーシュは嘆くような表情を浮かべた後、その顔に獣のような形相を浮かべる。
「あの男とくっつくつもりだったんだろう。おまけに冒険者とつるむなんて……」
「ちがう……」
ギーシュはギラついた目でエレーナの顎に手を当て、ぐいと顔を上げさせた。
「いや……やめて……」
エレーナの目に涙が滲んだ。ギーシュが怖ろしかった。
「お前が悪いんだ。そう、お前が悪いんだぞ……」
ギーシュはどこか言い訳するように、自分の正当性を確かめるように言った。
背を向けて数歩歩くと、またエレーナに振り向く。
ギーシュとエレーナの視線が交錯した。
エレーナの目は怯えていたが、確かにギーシュを拒絶していた。
その視線に、ギーシュは冷徹な目で返す。
まるでエレーナを屈服させれば、自分の誇りを取り戻せるとでも思っているかのように、上位者然として振る舞った。
「まあいいさ。もうお前を帰すつもりはないからな」
「……えっ?」
「聞こえなかったか? おい、もっと奥につれてこい」
「やだっ、やめて……!」
「いいから来るんだ! またぶたれたいのか?!」
エレーナが嫌がって身を捩ると、ギーシュはますます苛立ったように声を荒げる。
黒装束の男たちは、二人がかりでエレーナの体を拘束すると、ますます奥にエレーナを引きずり込もうとした。
「――その辺にしたらどうじゃろうか?」
ふいに、他に誰もいなかったはずの倉庫に、場違いなほど澄んだ声が響いた。
ギーシュはドキリとし、黒装束の2人も、エレーナを突き飛ばしてあたりを見回す。
黒装束の2人は懐から短刀を取り出すと、「誰だ……!」と鋭く誰何した。
イリアだった。イリアは杖を向けながら、4人の前に姿を現す。
杖の先には火の玉が灯り、今にも賊に向けて発射されようとしていた。
「……?!」
「魔術師だ……!」
賊の反応が早い。
イリアはすかさず火の玉の狙いを定め、魔術を発射する。
「ああーーっ!!」
黒装束の男の悲鳴。
同時に、イリアは踏み込み、構えた杖で隣の賊の鳩尾を強かに突く。
体をくの字に曲げてもんどり打つ賊を後目に、火の玉をお見舞いしたもう一人に向き直る。
火傷を負いながら短刀で斬り掛かってきた。
伸びたその腕を、杖で絡め取っていなすと、顎を杖先で打ち抜く。
次々に床に崩れ落ちる賊。
ギーシュは、あまりの事態に唖然としていた。
「エレーナ……」
イリアはエレーナを見た。しゃがみ込んで、両腕を掻き抱いて震えている。
イリアは黒髪の男に向き直ると、いつもは穏やかな眼光を鋭くした。
「お主、わしを探しておったか?」
「……?!」
「わしは冒険者のイリアじゃ。東の森に薬草採取依頼で入ったら、おかしな気配を察してのう。様子を見に行ったら、お主とエレーナがいた。お主、わしに気づいて逃げよった、あの時の男だな?」
「俺を、どうする気だっ……?」
「衛兵に突き出す。お主が誰かは知らぬが、言い訳はそっちでしてくれ」
イリアは、狼狽する黒髪の男を、その辺に転がっていた縄で拘束した。
伸びている2人の賊も拘束し、一緒に転がす。
男たちの呻く声ばかりが、倉庫を満たしていった。




