第二十二話 暗躍する者
ガルスの中心区域はネスト化の痕跡も根強く、原型を留めている建物は少ない。しかしここ、ガルス・パレスホテルは奇跡的にもほとんど損壊を免れていた。
ガルス・パレスホテルは規模こそ小さいものの、荘厳な外観からは風格が漂い、ここがガルスを代表する高級ホテルであることを示していた。
目的の場所であることを確認したギンとクロウは、ガラスの割れた扉を押し開け、中へと足を踏み入れる。
内部はさすがにそのままというわけにはいかなかった様子で、いたるところ魔属の暴れた跡が残っていた。幸運にも難を逃れた美術品やシャンデリアと、破壊されてもなお美しさを失わない内装の端々から事件前までの豪華絢爛さを伺わせていた。
「魔属の気配は無さそうだ。さて、まずはアーネストの部屋がどこかを調べるとするか」
「はっ!馬鹿め!急がば突っ込めということわざを知らないな?!オレ様はそんな面倒なことはしねぇ。片っ端からしらみつぶしに調べてやる!」
言うが早いか、クロウは吹き抜けの階段を騒々しく駆け上がると、目に付いた部屋を端から開け放っていく。
「馬鹿はお前だ。急がば回れだろ。それに、百室以上ある部屋を調べて回る方が面倒だろうに」
呟きは当然ながらクロウの耳には届かず、ギンは呆れのため息をつくとフロントのカウンターを抜け、その奥の事務室に入る。
幸い、目的のものはすぐに見つかる。宿泊記録帳と書かれたファイルを手に取り、ページを開く。
アーネストがガルスでミッションを開始した日時はレンから聞いていたので、その前後の日付に宿泊したページをめくる。
「……1003号室か。スイートルームとは羨ましいな。同じ勇者なのに、クラスが違うだけでこうも扱いが変わるものなのか?」
ギンは丁寧にファイルを元あった場所に戻すと、フロントを後にする。
当然エレベーターは動いていないため、非常階段を行く。一〇階までノンストップで上りきっても息一つ切らすことなく、そのまま順番に部屋番号を確認していく。
そして、目的の1003号室を目の前にして彼はひたとその足を止める。
部屋の扉が開いている。それだけならば不思議ではないが、ギンの鋭敏な感覚は、その室内に気配があることを察知していた。
魔属、ではない。中にいるのは、間違いなく人間だ。
するりと音もなく身を滑り込ませて侵入。廊下の先にある半開きのドアからそっと中の様子を伺う。そこは数部屋分の広さを有するリビングルーム。ガラス張りの窓の向こうにはバルコニーと、ガルスのビル群が覗ける。
人の気配は、更に奥。リビングルームと繋がっているダイニングルームにて、一人の人間の姿があった。
数は一人。後ろ姿から見る体格からして男。そして、見ればその男は軍服を着ていた。目出し帽を打っており、その顔をは伺いしれない。
(軍人か……)
納得しかけたギンだが、まだ危険区域であるこの場所で、単独で行動を取るのは不自然だ。
(場所が場所だ。無人であることをいい事に火事場泥棒を働く不埒者か?)
ギンは判断する。しかし、注意深く見れば装備した銃や身に付けた装備品が正規軍のものと違っているのだが、そういった方面の知識には疎い彼がそれに気付かなかったのも無理からぬ事である。
(大人しく縛に就けばよし。そうでなければ少し痛い目を見てもらってから大佐に引き渡すとするか)
ギンは腰に差した木刀を抜くと、慎重な足取りで、テーブルに向かって何かしている男の背後へと迫る。
「そこで何を――」
ギンが言葉を口にしかけた瞬間、その男は素早く振り返り様に脇の下に吊るした拳銃を抜き放ち、相手が誰かを確認すること無く即座に引き金を引いていた。
相手の唐突な反応以上に、その男の身のこなしにギンは驚いていた。それは先の先を取るべく身構えていたギンが回避せざるを得ないほど素早かったからだ。
並々ならぬ動体視力と健脚を誇るギンは、銃口が向けられる直前に真横に跳び、バーカウンターの影に身を隠した。直後、銃弾が木製の棚に突き刺さった。
打ち損じたことに舌打ちをしたその男は、銃弾の雨をカウンターに叩きつけながら近寄る。ギンはカウンターから飛び出し、キャビネットや柱の影で銃弾を防ぎながら後ろへと後退していく。
だが、それも長くは続かない。二人がけソファーの後ろに隠れたギンは、リビングルームの隅に追い込まれたことに気付き、忌々しげに小さく舌打ちする。
視線を横に向けるとベッドルームの扉が目に入るが、そこに逃げ込めば相手の思うつぼだろう。そこも二部屋以上の広さはあるものの、遮蔽物のない空間で銃撃を何度も躱すのはいかにギンといえど難しい。
(打って出るしかないか)
二刀のうち長刀の方を腰に戻しながら覚悟を決めたギンは、銃弾が途絶えた瞬間、攻勢に転じる。
立ち上がり様、ギンは思い切りソファーを蹴り上げる。かなりの重量があるソファーが宙を舞い、回転しながら男へと迫った。
それを受け止めて身を崩すような愚は犯さない。男は慌てず、バックステップで避ける。
ソファーが床に激突する直前、その下を影が駆け抜ける。男は突然目の前に現れたギンに驚愕した。
ソファーが男の視界を覆ったほんの一瞬の間にギンは脚力を爆発させて肉薄したのだ。
常人離れしたギンのスピードに驚愕しながらも、男はなお冷静であった。
大きく飛び退って間合いを取りつつ瞬時にマグチェンジを行い、ギンに引き金を引く。けん制にばら撒かれる9ミリの銃弾を、ギンは床スレスレの低い姿勢で右に左に障害物を利用して躱す。が、その内の一発がギンの側頭部の表面を抉り、鮮血を噴き出させる。しかし、ギンの足は止まることなく、むしろそれを起爆剤としてより速く大胆に踏み込んでいった。
一気に懐に潜り込まれ、男の攻撃の手が一瞬止まる。それはギンにとって必殺に十分な時間であった。
低い角度から打ち出される力強い一閃は男の高い鼻を潰し、目出し帽に覆われた顔面にめり込む。骨が軋み砕かれた音と手応えは、確実に脳を揺さぶったことを伝えた。
ぐらりと後に体を傾かせ男は仰向けに倒れる、と思われた。
しかし、男の足が動き、倒れる体を支え踏みとどまった。木刀によるダメージで歪んだ顔を、目出し帽の下で凄絶な笑みで眼尻を歪ませたのがわかった。
けっして手加減をしたわけではなく、まして油断していたわけでもない。ギンの一太刀は普通の人間であれば、いかに屈強な相手であっても間違いなく昏倒していただろう。
ただ、この男は普通の人間ではなかった。今も、頭部にダメージを追ったとは思えない動きで銃口をギンに向けていた。
驚愕に呆気にとられていたギンは回避行動を取るも、わずかに遅かった。無情にも引き金が引かれる。
と、次の瞬間、爆発にも似た轟音と衝撃で壁が粉々に吹き飛び、巨大な影が飛び込んでくる。その物体の直撃を受けた男は軽々と吹き飛ばされ、キッチンに激突すると倒れてきたキャビネットの下敷きになる。
何が起こったのかわからなかったギンは、立ち込める粉塵が晴れ、影の正体を見て安堵の息を吐いた。
その影の正体はタックルで壁をぶち破ったクロウだった。
「まさかお前に助けられるとはな。でも今回は正直助かった」
ギンは珍しくクロウに礼を述べるが、当のクロウは「あ、あれ?」と不思議そうにギンと男の方を交互に見やっていた。
「いや、どうやら先を越されちまったみてェだから邪魔してやろうとしたんだが……今のは誰だ?」
「さっきの言葉は全面的に撤回する。この大馬鹿野郎」
言いながら頭痛を覚えた額を押さえる。
またいつもの口論になりかけるが、キッチンから響く物音に二人は同時に目を向ける。そこにはキャビネットを持ち上げながらゆらりと立ち上がる男の姿があった。
状況を把握していないクロウであったが、男の発する狂気じみた殺気を感じ、臨戦態勢に入る。
男は生じた怒りを、萎えぬ闘争心と共に二人にぶつけてくる。男が今だに戦う気であることに、ギンは緊張に身を固くする。
頭部への一太刀に加えてクロウのタックルを食らいながらも尚立ち上がる男に、ギンはこの男の異常性を確信した。
「二対一だ。援軍もじきに来る。大人しく降参しろ」
ハッタリを混じえながらギンはそう投げかけてみる。
それに対し男は、唯一目出し帽に開いた穴から覗く両の目を細めた。
笑っていた。自分の優位を確信し、ギンたちを見下した嘲りの笑みを目出し帽の内に浮かべているのをギンたちはっきりと感じた。
「アァ?何がおかしいんだテメェ?」
クロウは凄むが、男は嘲笑を崩さぬまま答えない。
その男の姿が水面のように揺らめき、急激にその存在が希薄になっていく。やがて男の姿が透けはじめ、まるで空気に溶けてなくなってしまうようにすら見えた。
不可思議な現象に、ギンたちは我が目を疑い、呆気にとられていた。
『フェイクリーダーよりフェイク3。定刻を過ぎている。何があった?』
が、その時、男が装備していた無線機が音声を発する。すると先ほどの揺らめきは唐突に収まり、男は元の像を取り戻す。
先ほどの光景は目の錯覚だったのだろうか?だがそれを確認する術はない。
「こちらフェイク3。現在、不明勢力と交戦中」
油断なく視線を二人に固定したまま男は無線のスイッチを押し、声の主に告げる。
『対象は破壊したか?』
問われた男はちらりと一瞬だけ視線を横に向ける。視線の先にあったものはテーブルの上にあるラップトップパソコン。戦闘前まで男が操作していたものだ。
それを確認すると、男は腕を横に突き出し、拳銃を横に寝かせた状態で引き金を引く。パソコンは銃弾を受け、本体に穴を穿たれながら軽々と部屋の隅へと吹き飛んでいった。
「今、破壊しました」
『ならそこに用はない。至急退避しろ』
「口封じの必要があるかと」
『目標が網にかかった。時間がない。これは命令だ』
食い下がろうとするが「命令」の一言には抗うことができず、わずかな沈黙の後、悔しさを滲ませた口調で「了解」と答え、無線を切る。
「おいおい。まさかこのオレ様がすんなり返すとでも――っ!」
クロウは思わず言葉を呑む。それほどまでに、男の向けた視線は憎悪と屈辱に満ちたものであった。
そしてその視線はただ一点、ギンだけを睨み付けていた。
「この傷の借り、いつか必ず返します」
言葉を残し、男は窓に向かって駆け出していた。
「ヤロウ!逃すか!」
「待てクロウ!」
後を追いかけようとするクロウの目の前に、男は後手で橙黄色の筒を放り投げた。
それを視認すると反射的に飛び退き、物陰に隠れるクロウとギン。投げられた筒――焼夷手榴弾は床を軽く跳ねると爆発し、化学反応で瞬間的に生じた二千度にも達する熱が一瞬にして空気を焼き、周囲の物を燃え上がらせた。
幸い加害半径こそ狭いため、難を逃れた二人であったが、生じた炎は瞬く間に部屋全体へと広がっていった。
「逃げられたか。奴は一体何者なんだ。物盗りではないのは間違いないが……」
「こんな時に冷静ぶってる場合か!早く逃げねぇと、こんがりジューシーなウェルダンクロウ様の出来上がりだ!」
激しく燃え盛る炎はすでに部屋の半分以上に広がっている。クロウは一目散に部屋を後にする。
ふと、ギンは部屋の隅に転がるパソコンを見つける。銃弾に穿たれはいるが、まだ炎の手は届いていなかった。
ギンは駆け抜けざまにそれを拾い上げると、クロウに続いて部屋から脱出する。




