マタギvs初めての射撃訓練
手紙の続きがないことを確認したボクは、手紙をあいてむぼっくすに仕舞い、これからしなければならないことを頭の中で整理した。
手紙にあった、魔法はまださっぱり理解出来ないけど、昨日、おおきなイノシシを仕留めた方法について、再現できるようにしておかなければならない。
昨日あの後持っていた銃をよく調べてみたけど、弾丸は入ってないし、発射出来るような構造にはなっていない。つまり、猟銃免許を持たないボクが、じっちゃの形見を持ち歩けるようにと改造したままの状態だった。
一体あのとき、銃から出たのは何だったのだろう。
魔力を凝縮して、弾のように発射するとか手紙には書いてあったけど、何のことかさっぱり分からない。けど、鉈や鎌で、昨日のような尋常ではないサイズのイノシシに立ち向かうのは常識的ではない。
いずれにしても、あんなのが普通に生息して襲って来る場所に居る以上、反撃の方法が必要であることは間違いなかった。
それに、どこかの森の中で、自分が居る場所も分からない。
遭難したときには、動かずに体力の消耗を極力減らして捜索を待つのが鉄則だけど、自分を探している人が居るとは思えない。
そうすると、まずやらなければならないことは、今居るところがどこかは分からないけど、人の住んでいる場所へたどり着くこと、そのためにまず、何よりも水を確保しないとならない。
遭難時の3の法則というのがある。酸素がなければ人は3分で、水がなければ3日で、食べるものがなければ3週間で死ぬというものだ。
幸い、今普通に呼吸は出来ている。食料は・・・おにぎりはともかく、昨日のイノシシは食べられることが分かったし、幸いにして尋常ではない大きさのため、しばらく食料に不足はない。
そうすると何よりもまず、水を確保することが大切になってくる。
木々の生い茂る森であるからには、どこかに植物の生長に必要な水が十分存在していることは確かだろう。昨日あいてむぼっくすに入っていた水筒2つに、水が入っていたが、森を抜けて人里にたどり着くまで、どれだけの時間がかかるか分からない。
歩き続ける場合に消費する水の量は、その場に留まる場合の何倍にもなる。
身の安全のため、一日も早くこの場を脱出しながらも、水と食料を確保することを当面の目標とする必要がある。
ボクは、おそるおそる小屋の外へ出てみる。
玄関を出ると光につつまれ、昨日居た森の中に居て、側に、殺気まで自分が居た家とは思えないほど小さなマタギ小屋がある。
頭の中ではまだ理解が追いつかないけど。
シラカミが「わふう」と吠えた後、ボクの服の裾を加えて引っ張りだした。
どうやら、そっちの方向へ迎えとアピールしているような気がする。
それでも、まずは、今居るところから出来るだけ情報を得ようと、ボクは辺りを見回してみる。
生えている木は、ブナでないのはもちろん、コメツガやオオシラビソのような寒冷地の標高の高いところに生える針葉樹でもない。
初めてみる種類の木で、自分はやはりしら枚山地の森の中に居るわけではないのだ、ということだけ理解せざるを得なかった。
ここが北半球か南半球かも分からないので、日が当たる方角が南であるという保証はない。
切り株の年輪の向きから、日照が長い方角は分かる。けど、その方角が森の出口であるという保証がないので、この場合方角を知ることにあまり大きな意味がない。
大事なのは、森で迷う人は、知らず知らずに、同じところを歩き回っていることにある。遭難の大きな理由であるルンデワンダリングh、マタギとしての修行を初めてすぐに教えてもらう基礎的な知識だ。
ボクはコンパスを取り出すと、まずは水平において、針が一定方向を示すのかを確認する。場所によって、針の示す方向がその都度変わってしまう、つまり磁極以外の理由で針が動いてしまうのであれば、コンパスの方向を頼りにするのはかえって危険だからである。
ボクは、シラカミが引っ張っていこうとする方向を向いて自分の体の正面にコンパスを構え、針の向いている方向をコンパスの北に合わせる。
これで、直進できなくなっても、コンパスの針に向かって進行することで同じ方角に向かって進むことが出来る。
この森が深くても、一方向に向かって歩き続ければいつかは森を抜けることは出来るだろう。
後は、シラカミが確信をもって進みたい方向があるのであれば、それを信じるしかない。
ボクは昨日貨幣を仕舞うように、マタギ小屋をあいてむぼっくすに収納するイメージを浮かべると目の前のマタギ小屋がすーっと吸い込まれるように消えた。念のためあいてむぼっくすの中から取り出すイメージを頭に思い描くと、その中にはマタギ小屋も含まれていた。うん、理屈は全く理解できないけど、収納出来ているらしい。
ボクはシラカミが服を引っ張る方向へと歩き出した。
シラカミは満足そうに、しっぽを揺らしながらボクの前を歩く。
まるでついて来いと言っているみたいだ。
森はほとんど平らで、坂道を上ることも下ることもなかった。
どうやら山の中腹にいるというのではなさそうだった。
それでも、昨日のように、いつ、どこで獣と遭遇するか分からないので、ボクは手に山野草を採取するときに使う鎌をもちながら歩いた。
通りすがらに食べられる野草があれば取りながら行こうと考えたのだ。猟銃は、よく使い方が分からないし、とっさの時に使える自信もない。さすがに素手で何かが出来る訳ではないし、ないよりはマシかと思い鎌を手にすることにしたのだった。鉈もあるけど、鎌のほうがなんとなく強そうな気がした。
森の中は、誰かが踏み歩いて登山道になったような場所がなく、木々の間を張り出す根っこに気をつけながら縫うように歩いて行く感じだった。
ソールのついた地下足袋は、こうした悪路を歩くときにも安定して歩けるので、疲れにくい。
シラカミの足取りはまったく変わることなく、速度もずっと一定だった。
それにしても、今の季節はどうなったのだろう。シラカミが熊に襲われていたのは晩秋で、もう雪も降ろうかという季節だった。あと1週間もすれば誕生日になって20才になり、猟銃免許も取ることが出来る年齢になずはずだった。
けど、今、この場所が標高がどのくらいなのかも分からないが、肌寒くはない。それほど暑い訳でもないが、少なくとも冬ということはなさそうだ。
見たことのない植物ばかりで、ここがどこなのかという手がかりにすらならない。
生えている木々も何かの広葉樹ということ以外は分からない。紅葉していないので、秋から冬に向かっている訳ではなさそうだ。
シラカミに先導されながらも、時々コンパスの針の向きを確認する。どうやら進行方向はずっと同じようだ。目的を持って歩いているように見える。
時々、休憩を入れ、水筒の水をシラカミと少しずつ飲む。
二人分の水の量としては、水筒2つは心許ない。水場にたどり着く前に水がなくなってしまわないだろうか。
ボクは、少しずつ心の中にわき上がって来る不安をかき消すように、シラカミを抱き寄せて頭を撫でながら、「ドコに行こうとしているの?」と尋ねてみる。
シラカミは「わふ?」と首をかしげて、ボクの頬を舐めた。
「心配しなくていいよ」そう言っているように思えた。
休憩を挟みながら6時間くらい歩いただろうか。シラカミが歩く方向に明らかに木々が途切れて、明るく光が差し込む場所が見えた。
もしかして森の出口にたどり着いたのだろうか。
はやる気持ちを抑えて、シラカミの後に続いて、光り輝くその場所にたどり着いた。
そこは、森の中にエアポケットのように木々がそこだけ生えるのを裂けたように開けて空間だった。光に照らされてきらきら光る泉が僕たちの目の前にあった。
ボクは、力が抜けるように、その場にへたっと座り込んでしまう。
とりあえず、飲み水は確保出来たと、少しほっとする。
泉の周りには、小さな動物が水を飲みに集まっていた。
昨日遭遇した禍々しい雰囲気ではなく、僕たちに気を留めることもなく、思い思いに水を飲んでいる。
僕たちも泉の淵にたどり着くと、シラカミはそのまま水を飲み出した。
ボクは手を重ねて水を掬ってみる。手の中には澄んだ水が上から注ぎ込む日の光を反射して輝いている。
しばらく見つめていたら、頭の中に文字が浮かぶ。
「狂獣の森の泉のわき水」
森の降る雨が、地下の魔晶石の層によって濾過され、魔素を多く含有する天然水。
魔力容量の低い者が多量に飲用すると体に変調を来すが、シローとシラカミは問題ない。
よく分からないけど、ミネラル豊富、みたいなニュアンスで魔素が多量に含まれてますとか。
飲めるようなので、そのまま口に充てて、喉に流し込む。
何度も掬っては飲みを繰り返し、落ち着いたところで、水筒にも補充する。
すると、今度は水筒について、頭の中に文字が浮かびだした。
「マタギの水筒」
もとはステンレス合金で製造されていたが、この世界に転移する時に、ステンレスが存在しないため、アストラが聖金に作り替えた。希少高価な金属のため、盗賊のみならず、王侯貴族に至るまで何が何でも手に入れようとする国宝級金属、戦争の原因にもなるので、カモフラージュのため、外側を木の皮で巻いてある。さらに、水筒の中には、空間魔術が施され、最後に汲んだ水場と空間をつなげることで、無尽蔵に水を取り出すことが出来る伝説的魔導具
・・・一体何やってんだ、あの神様
ところどころで破壊力抜群の爆弾を落として回っているようなんだが。
目の前にあるものは仕方ない。便利じゃない訳じゃないので、使うけどていうか、ボクの愛用の水筒をまんま返してもらえないかな。
ステンレスがないからって、そのアダマンなんとかという金属にすることはないんじゃないか。戦争の原因とか怖すぎる。
水場にたどり着いて落ち着いたところで、遅めのお昼ご飯にして、今日はここを野営地とすることにした。
まあ、野営地といっても、ほぼ家をそのまま持ってくるんだが。
収納からマタギ小屋を取り出すイメージと共に、泉のある広場の端っこに小屋が現れた。
泉で水を飲んでいた動物たちは、一瞬驚いたように、動きが止まったものの、すぐに気にもせずに、水を飲み続けていた。
日が沈むまではまだ少し時間があるので、ボクは、手紙に書いてあった銃の撃ち方について、調べることにした。
この世界では魔法が使えるが、ボクは攻撃の方法としての魔法は、銃から魔力を凝縮して発射する方法しか出来ないということ、そもそも魔法を使うということが全く理解出来てないので、何のことなのかが分からない手探りの状況であった。
とりあえず、ボクは猟銃を構えて、動物のいる泉とは反対方向の岩に向けて引き金を引いてみた。
ところが、何の変化も起こらなかった。銃が使えるとか魔力がとか、手紙に書いてあることは全く分からない。
ただ、少し気になったのは、引き金を引いたとき、指先が少し熱くなったような気がした。
それが意味のあることなのかどうなのかが全く分からないが、今度は銃を構えたまま、引き金に指を掛けた状態で、岩の真ん中の色が少し変わったところに照準を合わせ、引き金を引いてみた。
「ぽふっ」
気の抜けた音がしただけで、銃から何かが発射されることはなかった。
昨日は確かに弾が出て、イノシシを一発で仕留めた。
何らかの理由で今は銃が発射出来ないけど、必ず方法はあるはずだった。
昨日出来たことが今日できないのは何故だろう。
ボクは、もう一度銃を構えると、昨日のことを思い出そうとした。
昨日はなぜ、イノシシに向けて銃を発射することが出来たのか、何が違うのか。
一つずつ何があったかを思い出そうとするが、昨日はとっさの出来事で、シラカミが襲われたところから後のことは思い出そうとしても、目の前に鋭い牙が迫ってきて夢中で銃を付きだしたことしか思い出せない。
引き金は引いたのだろうか?
一生懸命、思い出そうとしたからだろうか、辺りの雰囲気が突然代わり、泉に居た動物たちが蜘蛛の子を散らすように森の中に逃げていったことに気がつかなかった。
隣にいたシラカミが突然地面に頭を付けるように伏せて低いうなり声を上げ、木々の先をにらみ続けた。
反射的に、ボクは猟銃をそちらに向けて構える。シラカミは訓練を受けた猟犬ではないだろうが、その仕草は今までに何度も見てきた、猟犬が獲物の接近に警戒する仕草だった。
うなり声こそなかったものの、マタギとしての本能が、藪の先から迫ってくる重圧を肌身に感じていた。
・・・来る
次の瞬間、藪がガサガサっと揺れ動いたと思ったら、中から黒みを帯びた赤色の何かが飛び出してきた。素早い動きでその正体も分からなかったが、ボクはためらうことなく、銃の引き金を引いていた。
昨日も見た一筋の閃光が銃口から走ったかと思うと目の前に飛び出して来た何かの体に向かって吸い込まれ、それは大きくはじき飛ばされて地面を転がった。
そこにシラカミが飛びかかってのど元に噛み付いたところで、それは息絶えたようだった。
シラカミが、加えたまま戻ってきたところで、それの正体が赤黒いオオカミだったことを知った。
少なくとも見たことがない。日本でオオカミが絶滅したことになっていることを差し引いても、地球の生物ではなかった。
しばらく見つめていると、いつものように頭に文字が浮かんでくる。
自分の知らないところから情報を伝えてくるそれは、目の前の生き物がブラッディウルフだと教えてくれた。
何でも肉は食べられるが、それほど美味しくはないらしい。毛皮と牙と爪はそのどう猛さもあって、滅多に捕獲できないため、希少で高値が付くのだそうだ。
誰が飼うのか、そもそも買ってくれる人にさえ出会ったことがないので、頭に浮かぶ情報に困惑しながらも、死骸のままあいてむぼっくすに収納しておくことにする。
普通に撃てた。
これまで成功した2回はいずれも襲われたときだが、襲われなければ弾が出ないというものではないはずだ。
こちらから先制して攻撃できないとなると、不便どころか、いつかは危険が現実かしてしまいそうだ。
どうやったら自分の意思でコントロール出来るようになるのか。
焦る気持ちをどうにか押さえつけたものの、安心して気が抜けたところに疲れが一気に襲いかかってきたので、小屋に入って休むことにした。
ブラッディウルフに噛み付いて、血だらけになったシラカミを綺麗にしようと、抱きかかえて泉に連れて行く。
「綺麗にしような。」
そうシラカミに語りかけたときに、その出来事が起こった。
シラカミが光に包まれると、毛並みが銀色に光り輝き、汗と土埃にまみれ、返り血がこびりついていたシラカミの体が輝きを増していた。
手紙にあった生活魔法「綺麗にしよう」が発動した瞬間だった。
あまりに驚きすぎて手に抱えていたシラカミを落としそうになったが、なんとか踏みとどまった。
放心状態のまま小屋に入り、その日はそこで休むことにした。
その日の夜も、ジャイアントボアの肉を串に刺して、塩を振って囲炉裏で焼いたものだった。
疲れて横になった途端に寝そうになるのをなんとか踏みとどまり、囲炉裏の火を消したのを確認して、奥の部屋に押し入れから布団を出してその上に倒れ込んだ。
シラカミが真似をして、布団にダイブしてきたので、そのふわふわした毛に顔を埋め、しばらく柔らかい毛並みを堪能していたら、いつの間にか記憶を無くしていた。