姉妹、悪巧みに加担する 4
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「なんちゅうたあええんやろうな?」文江の関節を極める胡桃を見ながら、紫子は眉を顰めて言った。「優男ぶったとこあるよな、胡桃さん」
「でも強いねぇ」緑子は感心した様子だ。「男の子って頼もしいね」
「お姉ちゃんもあんくらい強かったらなあ」
「力の強い人がその強さを使って誰かを守るのより、力の強い訳じゃない人がそれでもどうにか人を守ろうとすることの方が、より多くの勇気を必要とすると思うよ」緑子は言った。「お姉ちゃんはすごく勇気のある人だよ」
「お姉ちゃん、実は結構ビビりやで?」紫子は苦笑する。小学五年生のケンちゃんに怯えるくらいなのだから、結構とかいうもんじゃない。
「怖くて痛くても、それを克服して戦えるのがすごいんだよ」緑子は言う。「わたしは知ってるからね。お姉ちゃんは世界で一番勇気があるんだ」
健気な言葉が胸に染み入る。それは信頼を表現してくれる言葉だった。紫子が十六年かけて積み重ねた信頼をふとした会話の中で表現してくれているのだ。
一人で生きることに困難を抱える緑子に、紫子が与えてやらねばならないのは安心と信用だ。自分が強く献身的な姉でいることでそれは果たされるのだ。紫子は全身のどこを見ても取り柄など一つもないポンコツの姉だから、人一倍の勇気と愛情を持ってそれを成し遂げていかねばならない。
「なーんの話ぃ?」
そんな姉妹のやり取りに、首を突っ込んでくる少女がいた。朱梨だ。
「あんたには関係ないわ」紫子は妹の体を抱いて後ずさる。「友達がやられとるで? そっち気にしたりや」
「文江は良い友達だよ。感謝もしてる。けど今心配することじゃない」朱梨はけだるげに言った。「ねえあんた、緑子っていうの? さっきからおどおどしてるけどさ……お姉ちゃんお姉ちゃん言いながら後ろ隠れてばっかりで、それ、いつまで続けるつもり?」
「あ? ふざけんな! この子はあんたみたいな卑劣な奴がバカにしてえぇ人間ちゃうわ! 何も知らん癖して!」
「何も知らないのはあんたも一緒」朱梨は首を振る。「緑子ってんでしょあんた。知ってるよ。文江が愚痴言ってたからね。コンクリのブロックで文江のこと殴ったんでしょ? 根性あるー」
「そ、そそ、それが……」緑子はおどおどとしている。「お、お友達に、けけ、けがをさせたことなら、す、すいませ……」
「それを許すのはわたしじゃない。自分の身を守るための謝罪なんていらない」
「さっきからなんやねんあんたは!」紫子は吠える。「何が言いたいねん!」
「紫子お姉ちゃぁん、あんたさぁ、いつか裏切られるよ?」朱梨は頬に笑みを浮かべた。冷たいな光を宿した瞳で相手を見詰め、唇の端を持ち上げるばかりの陰湿な笑みだったが、単なる嘲笑ではなくどこか本気で憂えるような気配も漂っていた。「そいつは、絶対いつかあんたを裏切る」
「アホちゃう?」紫子は一笑した。「んな訳あっかだ」
「わたしのお姉ちゃんも同じこと思ってたと思うんだよねー」朱梨は無感情な瞳を虚空へと注ぐ。「わたしも同じことを思ってた。この人のことをわたしは一生好きだろうって。でも違うんだ。それは絶対に絶対に違うんだ。だからね、かわいそうに思えてくる。あんたたちみたいな姉妹を見てると」
「話にならんな」紫子は肩をすくめた。「緑子、こんな奴もう相手せんとこ」
口先ではそういいつつも紫子は内心のどこかしらでむずむずとした感触も覚えていた。もちろん緑子が自分から離れていくと思っているわけではない。妹はそんなそぶりを全く見せない。ただ万が一、億が一、そういうことが起きた時に自分の心がどれだけ八つ裂きにされるのかということを想像してしまうだけだ。そして想像してしまうということはすなわち、自分が緑子に感じている信頼の中に、一抹の淀みが混在していることの裏返しなのではないだろうか?
無益だと思いつつもそんな風なことを考えてしまう自分自身を紫子は抱え込んでいた。それは一人でいる時頭の中が自由になると紫子を苛め抜くことがある。家に帰って妹を抱きしめていると消えていく感覚ではあるのだが、それでもつらくて苦しくて仕方がないのだ。
「ずっと裏切らないよ」
はっきりとした声が聞こえた。
外敵となる相手を前にしている時とは思えない程の、しなやかな勇気に満ち溢れた宣言だった。緑子は朱梨の顔をしっかりと見つめ、青空を指さして血のように赤いと喚く狂人に真実を告げるかのような口調で、確かな確信を持って口にした。
「絶対に、わたしは、お姉ちゃんと一緒にいるよ」
「はい嘘ついた」朱梨は壮絶な笑みを浮かべる。「かわいそうだねー紫子お姉ちゃん。しょーがない。わたしが暴いたげるよ、そいつの本性」
「何を言って……」
紫子は息を飲みこむ。
朱梨が手を突っ込んだポケットから取り出したのは、折り畳み式の鋭利なナイフだった。
◇
「てめ、てめこら、離せ胡桃!」文江は身をよじり暴れ続けていた。「大声出すよ! 『オタクにワイセツなことされてるーっ』って訴えるよ?」
「正直に打ち明けると、君のような背が高くて威勢の良い女性は僕のタイプだ。けれどやはり茜さんには負けるかな? そしてその茜さんは僕と交際してくれている。となると、君に猥褻する理由がどうにも見当たらないんだよ」胡桃は腕から手は離さずに言う。「だから決して『とてもすべすべとしていて触り心地の良い腕だ』なんてことは思っていない」
「キッショ! キッショキッショキッショ!」文江はでかい声で喚く。心底から口にしている様子だった。「東条! あんた、良いの? こんな奴が恋人で!?」
「やだ……ちょっと格好いい」茜は赤くした頬に両手を添えていた。
「どういうことなの……」文江は身を引いた。
「こう見えて頑丈で壊れにくいので、私には合っているのです」茜は胡桃の肩に手を置いて言う。「北野妹さんとのポケ〇ンバトルは私の勝利のようです。胡桃くん、あなたは本当に頼りになりますよ」
「こんなオタクに戦わして自分は高見の見物かおらぁっ!」この期に及んで文江は吠える。「あんたが直々に相手しなよ東条! これは女の闘いだろ? カレシに相手さすとか……恥ずかしくねぇのかよ!」
「オタクとかバカにしてた相手に軽くあしらわれておいて……吠えますねあなた。まあ良いでしょう」茜は息を吐く。「胡桃くん、離してあげなさい。私が直々に相手します」
「良いけれど、それだといったん僕が相手する意味ってどのくらいあったんだろう……」苦笑する胡桃。
「女子にバカにされてるてめぇを気遣って恋人の為に戦う機会をやったんだよ! 分かれよ!」
文江は言った。なるほどそういう狙いもあったのかもしれない。意外な人物に教えられるものだ。
胡桃は文江から手を放す。「ん、あんがと。あんたには参った」と文江に言われ、胡桃はちょっとだけ目の前の少女への認識を改めた。素直なところもある。
「よっしゃ! 行くよ東条! 手加減しないからね」
「どこからでもかかってきなさい」
「おらぁっ!」
掴みかかる文江の両手を、応じる茜が握り返す。壮絶なにらみ合いと力比べが始まった。
茜の身長は166センチで細身であり体格では文江に若干劣るが、どこから湧いてくるのかその腕力は女ゴリラだ。しかし文江も負けてはおらず、腰を落として息がかかる程の距離まで顔を近付けて気迫を浴びせながら押し返そうとしている。
楽しそうに表情を軋ませつつも瞳には凶悪な光を宿す茜、獣のような純粋で不器用な闘志を発散させる文江。女同士の壮絶なメンチの切りあいに、胡桃は気おくれするものを感じて後ずさった。
その時だった。
「やめてっ!」金切り声のようだった。「やめてっ! お姉ちゃんを離して!」
三者の視線が声のした方を向いた。胡桃は身を硬直させ、文江はぽかんとした表情を浮かべ、茜はそんな文江のことを突き飛ばして声の方へにじり寄った。
「おっと」朱梨は嘲るような視線を送る。「動かない方がいいよ、東条。動いたらこいつのこと殺すから」
朱梨の左腕は紫子の細い体に巻き付き、ナイフを持った右腕は首筋に突きつけられていた。紫子は混乱する瞳で息を荒げさせながらジタバタともがいていて、緑子は真っ青な表情でその場で両膝をついている。
「北野朱梨!」茜は珍しく言葉を荒げさせる。「その子に何かしたら私はあなたを殺すぞ? 何のつもりだ?」
「あんたが一番嫌がりそうなのこれだと思ってねー」朱梨はけだるげな表情で言う。「友達少ないもんねぇあんた。大事な子分ちゃん達を助けたくても助けられないのってどんな気分? まあ、こんなよわっちぃの連れてるあんたの判断ミスだよ」
「朱梨……あんた、最初っからそのつもりであたしを東条にぶつけたって訳?」文江は友人を見詰める。その瞳には悲しみがあった。「あたしは囮だったのか……」
「ごめんねぇ、文江」朱梨は視線をそらした。
「どうすれば良い? 私が土下座でもすれば良いのか?」茜は眉を顰めて腕を組む。そして忸怩たる表情で言う。「友達を見捨てては矜持も糞もない。私の負けだ。なんでもする。それで勘弁して欲しい」
「勝ち負けとかどうでも良い。大した価値がない。わたしがしたいのはあんたへの嫌がらせ」朱梨は据わった瞳で茜を見すくめてから、緑子の方を見やる。「土下座なんかで許したら台無しじゃん? それに、わたしが今一番ムカついてんのはそいつだし」
両膝を付いた緑子に視線が集中する。その表情は青白く、あらゆる光を失った瞳でただがくがくと震えていた。今にも狂乱しそうなのを、心を閉ざすことでどうにか堪えているという様子だった。
「あんたさ。ずっとお姉ちゃんと一緒にいるんだっけ? 何があっても裏切らないんだって?」朱梨はにやにやとした表情で口にする。「試してあげる。あんたにその覚悟があるかどうか」
「放せ! 放せぇえ!」紫子はそう言って身を捩る。こちらはこちらで半狂乱だった。表情は真っ青で瞳には焦燥と恐怖があった。「あかねちゃん! 緑子のこと連れて逃げてや! この女ちょっとおかしいよぅ! その子のこと早う逃がして! 逃がして……逃がしてやぁああ!」
「うっさいよさっきから」朱梨はそう言って紫子を締め上げる。「そいつの取り得って何だろう? ろくなものはなさそうだけれど、見たところ、うん、器量だけは良いよね」
言いながら、朱梨はナイフを持ったままの手を自分のポケットにあてがい、もう一本の折り畳みナイフを取り出す。地面にいったん落としたそれを、緑子の方へ向けて蹴り飛ばした。
からからと転がったナイフが緑子の前へ到達する。怯えた視線がナイフに向けて注がれた。
「あんたの『女』を奪ってやろう」朱梨は無感情な声音で言う。「顔に傷をつける? ……っていうのはちょっとセンスないよね。そうだ。自分のマンコぶっ壊してよ。そのナイフ、かなり長いからさ、自分の子宮ぶち抜いて子供産めなくしちゃいな? お姉ちゃんとずっといるんなら、そんなの必要ないもんね」
「何を言って……」胡桃は言う。「北野さん、自分の言っていることが分かってる? そんなことできる訳がないし、できたとしてもそれは君の為にならないんだ。少年院で済むかどうかも分からないよ?」
「外野が余計なこと言ったらこのガキんちょ死ぬよ?」朱梨は苦悶の表情の紫子を、ナイフの先でちょんちょんとつつく。「わたしさぁ。分かんないんだよね。何でみんながみんな、自分の身の上とか将来とか生命とか、そういうつまらないものの為に必死になれるのか。分かんないんだよね。この世の森羅万象に意味なんてないと思うし、だからわたし、自分がどうなろうと知ったこっちゃあないよ。ただそいつのことはムカつく。それだけ」
狂気にも二種類ある。胡桃は思った。一つは紫子や緑子が抱えるような、自らの精神のバランスを欠くことで我を失い取り乱すというたぐいの狂気。もう一つは、確固たる自我を保ったままで、ぞっとするほど冷静に、研ぎ澄まされた悪意を突きつける青い炎のような狂気だ。
「緑子! 緑子そんな奴の言うこと聞くことあらへんで!」紫子は引きつった表情で言った。「お姉ちゃんの言うこと聞いて! あかねちゃんと一緒に逃げるんや! なあ!」
緑子は表情を失ったまま、静かにナイフを拾い上げる。そしてよろよろと立ち上がると、褪せた紙切れのような笑みを紫子に対して注いだ。
「安心してお姉ちゃん。ちゃんと助けるからね」緑子は言いながらスカートをたくし上げる。その瞳には虚空しか備わっていなかったが、声は優しかった。「大切なお姉ちゃんだもん」
「緑子! やめぇや、緑子!」
「でもねぇお姉ちゃん、本当は望みどおりなんでしょう?」
紫子から表情が消えた。何を言われているのかわからないという顔だった。
緑子はけらけらと笑い出す。甲高いが柔らかな、それでいて、気の狂った人間にしか出せない底抜けに明るい大笑いだった。耳をふさぎたい程痛々しいのに、どうしようもなく目が離せなくなるような、そんな笑い方だった。
「あんたはね、怖いんだ。いつだって。わたしがいなくなることが。怖いんだ」緑子はそう言って下着を脱ぎ捨てる。「わたしが消えていくことが。裏切ることが。でもこれで一つ安心できるんでしょ? わたしに子供ができなくなったら、わたしをわたしの子供に取られることはなくなるんだもん。それはやっぱり……あんたはうれしいんでしょう?」
「緑子……緑子!」紫子は心底の悲しみを秘めた表情で叫ぶ。「止めろ! 誰か止めろ! ウチは死んでもえぇ! 止めろ!」
緑子はくすくす笑う。握った左手は小さな唇にあてがわれ、もう片方の手はナイフを握ったままスカートのすそを掴み、下半身をむき出しにさせていた。ぞっとするほど可憐な笑みだ。
「わたしお姉ちゃんの為ならそれくらいできるよ? 別に良いと思う。『最初っから、こうした方が平等だったんだし……』」
緑子はナイフの刃を自分の股間にあてがった。その動作には何のためらいも躊躇もなかった。それは単なる破れかぶれではない。覚悟というのも違う。緑子の内側にある絶対零度の狂気が彼女を支配し突き動かしている。どんな苦痛を伴うのだとしても緑子は自らの女性器を確実に破壊せしめるだろうし、そうした自らの行いに何の疑問も覚えないに違いなかった。
「あぐぅっ!」
その時、くぐもったような悲鳴が聞こえた。
絡み合っていた朱梨と紫子の体勢がほどけた。
見れば朱梨は太ももから血を流しており、良くある黄色いカッターナイフが深く突き立っている。
いつの間にか開放された紫子が決死の表情で妹の方ににじり寄る。驚いた様子の緑子に飛びついた紫子は、ナイフを強引に奪い取って放り投げてから、妹の体を羽交い絞めにした。
「ひ……、ひ、ひひ」朱梨が膝をついて血を流す太ももに手をやっている。その体は折り曲げられ、表情はうかがえない。「ひひひひっ」
折り重なる姉妹。紫子の下敷きで虚ろな表情を浮かべる緑子が、姉の頬に手をやってにっこり微笑んだ。
「ありがとうお姉ちゃん。あなたはいつだって何をしたってわたしを助けようとしてくれるね。あなたのことを、わたしは一生大好きだよ」
「アホう……。アホぅ緑子。ごめんな……」紫子は深く瞼を閉じて、妹の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。「ごめんなごめんな……」
緑子はえへへと微笑んで姉のことを抱きしめ返した。その表情には強い愉悦が見てとれた。世界中すべての子供が欲しがるぬいぐるみを手に入れた子供なら、こんな笑い方をするんじゃなかろうか。
紫子が何を謝っているのか、緑子がどうしてこんな笑みを浮かべるのか。姉妹の間で何が起きているのか、胡桃にはとうてい理解できなかった。




