姉妹、悪巧みに加担する 2
◇
『昼休みにスーパーの裏地に来てください』
などというメッセージが胡桃のスマートホンに表示される。『了解』と返しておく。
あの時教室から出ていった茜を追いかけるかどうか胡桃は少し迷ったが、心配するような女性ではないという考えから放っておくことにした。あの人があの程度のことで少しでもへこむとは胡桃には思えないし、へこんでいたとしても胡桃の助けを必要とするはずがない。そういう気高い女性だからこそ胡桃は惚れたのだ。よって茜が教室を出ていったっきり授業に出てこなかったとしても、胡桃は特に心配をしていなかった。
だがこうして向こうから命令をしてくれるのなら話は別だ。胡桃は子分らしさを発揮し、自らの昼食よりも優先して茜の指定した場所へ向かった。
茜が『スーパーの浦地』と呼んでいるそのスペースは、高校の近くにあるスーパーマーケット裏の金網とどぶ川の間にある。スーパーと金網の間には数十センチのスペースしかなく、どぶ川の向こうは廃工場の建物だ。ほとんど人も通らないので隠れて何かするにはもってこいである。
女王蜂がいるものと思ってそのスペースへとやって来た胡桃を迎えたのは、大きなポリタンクを一生懸命に持ち上げようとしている可愛らしい双子姉妹の姿だった。
「お、お姉ちゃん。お姉ちゃん無理しないで。わたしだって手伝うから」と緑子。
「こ、こんな重たいもん脚悪いおまえが持ったら体どっかめぐわ。ふつうに歩いてさえ膝だの腰だのいわすんやけん……」と紫子。「そなけどウチでもこれはちょうきついわ……。でも引き受けてもたしなぁ、どないしょどないしょ……」
「あのー」胡桃はおずおずと姉妹に声をかける。「茜さんに言われてここに来たんだが、何か心当たりとかはあるかな?」
姉妹はぽかんとした顔をこちらに向けた。それから表情を見合わせて、目線と表情だけで何やら交信を行うと、頷きあってからこちらに視線を向けた。
「「胡桃さん、これ持って」」
声を合わせた双子姉妹に、胡桃は黙ってうなずいたのだった。
◇
20キロのポリタンクは胡桃でも持ち運ぶのに苦労する代物であり、華奢な姉妹が持ち上げられなかったのも頷ける。
「ウチら、これあかねちゃんの高校まで運ばなあかんかったねん」と自転車を押しながら紫子。「あかねちゃんに頼まれとってな。どうせアホな悪戯に巻き込むんやろうけど、あの人ウチらとか胡桃さんくらいしか友達おらへんし、恩もあるけんな。断らんかったんや」
「すっごい変なこと頼まれたよねぇ」と紫子の押す自転車にまたがりながら緑子。「こんなの、いったい何に使うんだろう……?」
「いったい何が入ってるの、このポリタンク」胡桃は気になっていたことを尋ねた。
「いや、それはちょっと言えん」と紫子。「あかねちゃんはウチらに言うたねん。『誰に聞かれても、自分たちのしていることについて人に話してはいけませんよ』ってな。そなけん胡桃さんに悪いけど、中身については、ちょっと言えん」
自分も茜軍団の一員で共犯者なのだから問題ないと胡桃は思うのだが、紫子にそうした柔軟さは備わっていない。彼女には誰かの言葉や何かの文面を額面通りに受け取って頑なに守ろうとする性質がある。さもなければ完全に無視するかのどちらかだ。私生活においてそうした極端な性質を補っているのは妹の緑子なのだが、今は姉に従って穏やかに黙秘を貫いている。緑子は基本的に姉に忠実だ。
双子は力を合わせてもポリタンクを持ち運べていなかったから、おそらくこの中身はスーパーの裏地で満タンにされたものなのだろう。自転車でスーパーにやって来てポリタンクとその中身を購入し、中身をポリタンクに入れたというシナリオだと胡桃は推測した。
彼女らを手伝えばそれで良いのかと確認するメッセージを茜に送ったところ、『そのまま校舎の裏まで運んでください』という指示があった。
「胡桃さん、なんか知っとるん?」紫子は首を傾げて胡桃に問うた。「あかねちゃんが何を企んどるんかとか」
「知らないな。君らも知らされていないのかい?」と胡桃。
「知らん。なんか悪い予感する」紫子は言う。「なあ緑子」
「そうだねぇ。あの人がわたし達にお願い事して理由を言わない時って、何かものすごく真剣な時なんだよね。何かあったのかな……?」
そう言って緑子は姉の握りしめるサドルに肘をつき、悩まし気に頬杖をつく。紫子はそんな妹に極力衝撃を与えないようにそっと自転車を押し進めていた。馬にまたがったお姫様と手綱を握る王子様のような光景だ。姉の方は特に自覚はなさそうだが、妹の方は表情に少し愉悦を滲ませている。さしずめ自分は荷物持ちの召使いといったところだろうか。
「今朝、茜さんがクラスメイトと喧嘩になりかけるということがあったんだ」胡桃は一つ心当たりを口にした。「茜さんに非はないし、良く堪えたと思うんだけれどね。ただ、何かよからぬことを考える余地は十分にあると思う。そのね……」
胡桃が今朝教室で起きた事件について話し終えると、紫子は憤慨した様子で、緑子は同情的な表情でそれぞれに反応を示した。
「ボケカスやなその女っ!」と紫子。
「あかねちゃん、かわいそう……」と緑子。
「それあかねちゃん負けてへんで。何一つあかねちゃんに非はないんやから。相手が卑劣なだけの話やわだ」
「そうだねえ。あの子は本当に良く我慢したよ」
「せやせや! うんと偉い!」
「それで……あの子はどうしたの?」
「教室を出て行ってしまって、それっきり授業にも出てこない」と胡桃。「きっと報復を考えているんだろう。このポリタンクの中身がどう絡んでくるのかというところじゃないかな?」
「胡桃さん、追いかけなんだん?」と紫子。「あの人、胡桃さんのことはホンマに好きやねんで?」
「好意を感じてくれていることは嬉しいけれども、しかし彼女が僕なんかの慰めを必要とするとは思えないな。自分の力でいくらでも反撃や報復を実行できる女の子だよ。僕はその為の使いっ走りに徹するくらいで十分なのさ」
姉妹は顔を見合わせた。
「そなけど……学校でのあかねちゃんの味方はあんたなんでないん?」と紫子。
「そうだね。だからこのポリタンクを用意する係だって僕が務めても良いくらいだった」
「……なんか仕事盗ってすまんな」
「いやいや、もとより彼女は、本来なら人の助けなんて必要としないだろうしね。僕らのことだって、ただ便利だから使っているんだろうしさ」胡桃は微笑む。「いったいどうするつもりなのか、ちょっと楽しみではあるね。あの人は自分の尊厳を傷つける相手には絶対に容赦しない。そういう気高いところが僕は好きなんだよね」
「……おもしろがっとるん?」と低い声で紫子。
「へ?」
「あ、いや、すまん」紫子は眉を顰めて謝罪した。「あの人は今、たぶん、すごい悔しい気持ちなんやと思うよ? あの人たいてい一人ぼっちやん? 悔しくてつらくて嫌でも、そういう気持ちを慰めてくれる人がおらんから、そなから、自分一人の力で報復をして戦わんとあかんようになってしもとるんちゃうかなって、ウチは時々思うんよな? 胡桃さんはどう思う?」
据わった瞳で胡桃に訥々と語る紫子。胡桃はなんだかぞっとするものを感じる。
しゃべり口調は穏やかに勤めているが、紫子の内心に強い苛立ちがあることは見て取れた。その苛立ちが自分の方へ向けられているのだということも。可愛らしい顔に似合わず彼女が強い癇癪を持っていることを胡桃は聞いている。それでもこんな小さな女の子を前にしているにも関わらず強く動揺してしまう自分自身に、胡桃は驚いていた。
紫子と胡桃の間に小さな両手が差し込まれた。緑子だ。なだめるようにその両手が上下に振られると、たったそれだけで紫子の瞳にくすぶっていた苛立ちが消えた。それから妹の方を見て少し眉を伏せる。『ごめん』という意図があるように、胡桃にも感じられた。
緑子は首を小さく横に振り、母親のような表情で微笑んでから、サドルを握りしめる姉の手をぎゅっと握りしめる。それから胡桃の方を見て、穏やかな口調で話し始めた。
「あかねちゃんね、大昔に、同じようにわたし達に助けを求めたことがあったの。クラスの女の子に報復したいから、あるものを用意してくれって」
「あるものって?」と胡桃。
「両手足がない状態で生まれてきたタレントさんがいるでしょ? あの人が昔書いた本があるんだ。ベストセラーの。それを近所のリサイクルショップを回って買い占めてほしいって」
「え? ど、どうしてそんなことを?」
「当時のあかねちゃんのクラスメイトに、松葉杖の女の子がいたの。その子は階段を上る時にあかねちゃんに介助を求めたんだけど、あかねちゃんは断ったんだって」
「どうして?」
「えっとね……」いいにくそうに緑子。
「そいつ、自分はショーガイシャだからいうこと聞けって傲慢で、お姫様みたいに振舞うとこがあったねん」紫子は話を引き継いた。「自分は他の人と比べて大変やけんや言うて、必要以上の特別扱いを周りに迫ったんや。同じ脚の悪い人間でも謙虚で健気な緑子とは大違いや。あかねちゃんはその女のこと、せやから大嫌いやったんやと」
自分の感情に素直な茜らしい。
「そんでそいつな、介助を断ったあかねちゃんの悪口を周りに広めたんや。助けが必要な時に不親切に冷たくされて自分は傷つきましたって喚いて、あかねちゃんはとんでもなく意地悪で嫌な人だって言って回ったんや。あかねちゃんはみんなから責められて、先生にまで怒られたんや。それが腹立って、報復をしよう思うたんやな」
「それが、何故そのベストセラー本を買い集めることにつながるのさ?」
「ウチらもようわからんまま従ったんよ。そしたらあかねちゃん、ウチらの買い集めた本、教室の学級文庫にずらっと並べたんよ」
「あかねちゃんが言うには……」緑子は目を伏せる。「『脚が悪いどころか両手足がなくてもこんなに立派に生きている人がいるのに、あなたはなんという甘ったれなんだ』というのを、表現したかったんだって」
「それは結構キツいかも」胡桃は身を退いた。「でも大昔って、小学生とかの時だよね? 通じたの?」
「ぜんぜん」と緑子。
「ウチらもようわからんかった」と紫子。
「それで二人でおもしろがって、『変なのー』って笑ってたら」
「あかねちゃん、泣き出したんや」
胡桃はなんだか胸騒ぎがして息を飲みこむ。
「いくら嫌いな相手とはいえ、助けのいる人間のことは助けたるんがホンマかもしれん。そなけど子供やったあかねちゃんが、大嫌いな奴に偉そうに命令されて聞きたぁなかったんはウチは理解できる。そんだけのことで人非人扱いされてつらかったあかねちゃんの気持ちに、もっと寄り添ってあげんとあかんかったんよ」紫子は言った。
「あかねちゃん、自分の報復にわたし達が協力してくれたのが嬉しかったんだって。自分の悔しさを分かってくれてる人がいたみたいで嬉しかったんだって。でも最後に笑われたことで、やっぱり全部は理解してくれてなかったんだって思うと、ちょっとだけ悲しかったんだって。だから泣いちゃったみたいなの」
「え? それで泣いたの? 茜さんが、そんな繊細な……」
「ウチらも驚いた。けんども、あかねちゃんはそれだけ悔しかったんや。悔しくて、その悔しさを全部分かって寄り添ってくれる人が欲しくてたまらなかったんや。あの人が、何も言わんと人に悪戯の協力を頼むんは、そういう時なんよ」と紫子。
「だから今は、何も言わずに付き合ってあげよう」緑子は慈母のような顔で微笑む。「うんと話を聞いてあげよう。あの子は上手には言えないだろうけど、いつか少しだけ、少しだけ気持ちを話してくれるから。だから真剣に耳を傾けてあげようね。そして、わたし達は味方だよって伝えてあげるの」
なんてことを話し合いながら高校にたどり着くと、校門の前で茜が仁王立ちして立っていた。アップルティで濡れた制服をそのままにしているところが茜らしい。
「ご苦労です、下僕たちよ」茜は胸を張って口にした。「首尾は上々ですね。あなた達は時間はかけますがとても丁寧に仕事をします」
「そなけど最後胡桃さんがおらなんだらここまで運べれへんかったわ」紫子はそう言って胡桃を手で指し示す。「やっぱ男の人は頼もしいなあ」
「そうだねえ」緑子はにっこり笑う。
「褒めてつかわします」そう言って茜は胡桃からポリタンクをひったくる。そして20キロの水が入っていることなど感じさせない手つきで、空っぽの鞄を持っているかのようにそれを持ち運び始めた。「あとでお礼をしますよ。かかったお金も支払います」
「なんするん?」と紫子。
「動画を撮るつもりなので、その時お見せしますよ」茜は振り向いて人差し指を唇に当てた。「ありがとうございますお二人とも。ではまたあとで」
「ほななー」「またねー」
ニコニコ笑って手を振っている可愛らしい双子姉妹に見送られ、胡桃と茜は並んで校舎へと歩き始める。
茜の顔色を見る。はちきれんばかりの悪戯っ子の笑みが浮かんでいる。
この奥に、姉妹が言っていたような本性が隠されているというのだろうか? 他人の理解を強く求め深く寄り添ってくれることを望み、それでいてそれを口に出せないというような。口に出せないままそれでも味方を欲するあまり、妙な悪戯に人を巻き込むというような、そんな子供みたいな性質を彼女は持っているのだろうか。
「どうしましたか胡桃さん?」茜はそこでしたり顔で胡桃の方を振り向く。「私に見惚れているので?」
「君は美少女だからね」胡桃はいつものようにへらへらと口にして、濡れたままの制服を指示して言った。「どんな報復を見せてくれるのか、ちょっと楽しみだよ。僕に協力できることがあったら、何でも言ってほしい」
「ふむ? あなたのことだから『やりすぎないように』と言って来るのかと思ったのですが……」
「今回のことは僕も腹が立つんだ。だから君が報復を考えているということが頼もしくて仕方がない。当然、全面協力する所存さ」
「HAHAHA良い心がけです」茜は心底から嬉しそうに笑った。「しかし、もうあらかたの準備はできています。これ以上の助けは必要ありません。それに……」
「それに?」
「これを運んできてくれただけでも十分です」茜は腕を組んだ。「私のような無茶苦茶な人間にも、何も言わずに手助けしてくれる相手がいるということは、とても幸福なことです」
「そう言ってもらえるのは嬉しいよ。僕は君に付いて行かせてほしい。でも君は、僕がいなかったらいなかったで、一人で十分やっていけるんだろう?」
「一人で生きていけない人間などいません」茜は言った。「私は私の好きなように生きていきます。誰にも媚びたり諂ったりするつもりはありません。ですが私が私を愛している以上、私の愛する私を認め、愛し、付いて来てくれる人がいることは、大きな喜びなんですよ」
「良く分かったよ」胡桃は言った。「君は本当の意味で気高い女性だ。僕は好きだよ」
茜は自分が自分であることを最優先させる。それによって世間の常識から外れ他人に煙たがられるのだとしても。けれどもそれは決して他人を拒絶している訳ではない。他人を求めていない訳でもない。寂しさや孤独を抱え込んででもありのままの自分でいたいだけなのだ。
「まあ見ていなさい」茜は楽しそうだ。「きっと度肝を抜かれますよ。HAHAHA」




