姉妹、不思議に国に迷い込む 1
今回はかなり異色かもしれません。
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昔々あるところにとても仲の良い十六歳の姉妹が住んでいた。姉の名前は西浦紫子、妹の名前は西浦緑子といって、山の麓の小さな小屋で助け合って暮らしていた。
『昔々あるところ』と言っておきながら、『山の麓の小さな小屋』と結構具体的な住所が示されるのも妙な感じもするが、それは定型文という奴である。童話というものは『昔々あるところに』と初めておかないとしっくりこないのだから仕方がない。とにかく読者諸君に理解しておいていただきたいことは、時代はあくまで『昔々』であって我々の良く知る現代ではなく、舞台は『あるところ』であって姉妹がいつも生活している二階建て貧乏ボロアパートではないということだ。
童話の登場人物の多くは何らかの生計を立てる手段を持っていることが示唆される。『おじいさんは山へ芝刈りに……』というフレーズが代表的であろう。姉妹もその例に漏れることはない。妹を養う為に心身に鞭を打って働きに出なくてはならないのは『昔々あるところ』であっても同様であり、よって紫子はその日も斧を持って山へ芝刈りに出かけた。
そうなると緑子は片足を引きずりながら川へ洗濯に出かけつつ姉の帰りを待つのが自然だろう。桃を拾うことはない代わりに姉妹の衣類を綺麗にし終え、掃除や飯炊き、売りに行くための編み物などを甲斐甲斐しくこなしている内に、日が暮れてあたりが真っ暗になってしまった。
姉、紫子は家に帰ってこなかった。
こうなると緑子は不安になって来る。ここでは『昔々あるところ』であり現代日本ではないので携帯電話で連絡を取ることもできない。思わず暗闇の中姉を探しに行こうとしたが、何の灯かりもない山の中を脚の悪い自分一人で出掛けるのは自殺行為である。極めて賢明な判断として、緑子は一晩を悶々と過ごした翌朝に姉を探しに出かけることにした。
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童話というものは世の中に数多く存在するが、漠然と『昔話』と『おとぎ話』の二つに分類できるような気が緑子にはしている。というのもそれは姉妹が大昔に所持していた数冊の絵本が、当時発売されていた『昔話シリーズ』と『おとぎ話シリーズ』のナンバリングのいくつかだったからだ。そしてそのいずれもが『昔々あるところに』で始まっていた。
『昔々あるところに』というとどちらかというと『日本昔話』というイメージが強い。しかし実際にはその定型的冒頭文の便利さ足るや、シンデレラや白雪姫といった西洋ファンタジー色のある物語の翻案者も節操なく取り入れる程である。よって、『昔々あるところに』で始まったこの物語も、必ずしも日本昔話的な内容な訳ではない。緑子の服装一つを取ってみても、『不思議の国のアリス』的な可愛らしい西洋風子供服だった。山へ芝刈りに出かけようが川へ洗濯に出かけようが、ここは西洋的おとぎ話的世界観なのだ。
なので、山に入った緑子が、ティンカーベルのような装いの三対六枚の翼を持った妖精に話しかけられたとしても、それは世界観的に何一つおかしなことではなかった。
「こんにちはお嬢さん」妖精はにこやかな表情で緑子に声をかけた。「私は森の精。あなたは?」
「緑子です。お姉ちゃんの妹です」緑子は妙な自己紹介をした。「失礼します」
「ちょっと待ちなさい」森の精とやらは透明な翼をはためかせながら緑子に追いすがった。「なに? あなた。なんで私を無視しようとするの?」
「む、無視しようとなんて……」緑子は身震いする。「い、今その、お姉ちゃんを探しているので、急いでいるので……」
「私は森の精よ? 本当にお姉さんを早く見つけたいのであれば、まずは私を味方に付けることを考えるべきなのではなくって?」
「は、はあ……」緑子は困った顔をする。「で、でもここは山だし……森の精に頼ってもしょうがないんじゃ……?」
「はあ?」森の精はそう言って緑子の顔の真正面で両手を腰に当てる。身長せいぜい十センチメートルの小さな妖精ではあったが、蜂や虻など刺したり噛んだりしてくる羽虫は嫌いな緑子としては、ふつうに怖かった。
「なに? あんた? 私に文句でもあるの?」
「も、文句とかは……」
「見なさいよ。ここ。木がたくさんあるでしょう? 森っていうのは木がたくさんあるところじゃない? だからここは森で、森の精たる私がいるのもおかしなことではないのよ」
「も、森と山は違うんじゃ……」
「確かにここは山かもしれないわ? でも木がたくさんあるという観点から森でもある。反論できるの?」
「い、いえその……いいです」緑子はほとんど泣きそうに言った。
「いいですって何? 納得はしないけど話し合うのは面倒だからテキトウにあしらっておこうっていう、そういう態度?」
「そ、そういう訳じゃ……」
「そういう訳なんでしょう? こっちは真剣に森の精の尊厳を傷付けられて憤っているのに、あなたはただこちらをあしらうだけの軽薄な態度を取った。そんなことが許されると思うのなら、世の中を舐めていると言わざるを得ないわ」
「あ、あわあわあわ」
「あなた本当は文句があるんでしょう? この場所を森と認めることに癪を感じているんでしょう?」
「だ、だって……山と森は違うし……」
「どう違うというの?」
「ど、どうって……山はこう、高くて、森は平らで……」
「だから! 木がたくさんあるのが森でしょう! ここは山であって同時に森でもあるのよ!」
「うぅ。だ、だから、それでいいですってば……」
「は? なによ『それでいいって』? さっきから聞いていれば、あなた結局自分を守りたいだけでしょう? 人のアイデンティティを踏みにじるような軽薄な発言をしておいて、釈明や謝罪の意思がまったくないじゃない。自分が絡まれるのが嫌だと言う利己的な理由で、ただ追及をかわしたいだけにしか見えないわ。誠意を感じさせないことこの上ないわね。最低だわ。あなた何で生きてるの? 死ねばいいのに」
「う、うわぁああん! うわぁああああん! お姉ちゃあああん。うわぁあああん!」
ギャン泣きである。気の弱い緑子がこれほどネチネチと苛め抜かれれば仕方のない話ではある。その場で膝を追ってさめざめと涙を流し始めた緑子に対し、森の精はふんと勝利の鼻息を鳴らすと、泣きじゃくるそのおでこに強烈なヤクザ・キックを浴びせかけた。可愛らしい妖精らしからぬ一撃であった。
「何泣いてるの? あなた何かあるととりあえず泣いて許してもらって来たタイプ? 何があっても泣いてさえおけば全面的に譲歩してくれた優しい双子の姉でもいたの?」
「うぅうう。うぅ。ひっくひっく……」
「埒があかないわね? あなたお姉さんを助けに来たんでしょう? そんな風に泣いていたら時間だけが過ぎると思うのだけれど。バカじゃない?」
そう言われ、緑子はようやく思い出した。そうだ。自分は最愛の姉を探しにこの山にやって来たのだ。こんな妖精にいじめられている暇はないのだ。
克己心を得た緑子は力強く立ち上がり、絡んでくる妖精にはっきりと告げた。
「ごめんなさい森の精さん。考えを改めます。ここは森でいいと心から思います」
「それじゃあこの先一生涯、この場所が森であるか否かという議論になったら、森であるという主張をしてくれるわよね?」
「も、もちろんいたします」緑子は決意を持って頷いた。
「命がけで?」
「命をかけます」緑子は深い覚悟を持って頷いた。
「よろしい。それで? あなた私に頼まなくちゃいけないことがあるんじゃないの?」
「わたし、ここでお姉ちゃんを探さなくちゃいけないのです。協力してくれませんか?」
「構わないわよ。付いてきなさい」
森の精は翼をはためかせて緑子を先導する。緑子は胸を撫で下ろしつつ、後に続いた。




