姉妹、同窓生と会う 2
チャットルームで私生活の愚痴言ってたら日付変わりました。
ミスした次の日に同じミスするやつな。うん。わかりました、はい、言い訳の余地ないのでひたすら卑屈に説教聞きますよ。ええ店長? はあん。
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一年生怪物左腕才藤正大の在籍する県立××高校はいわゆる中堅上位の公立進学校である。『勉強得意だけど得意すぎない』くらいの中学生が狙うところで、文武でいうと文の方に比較的力を入れている。茜の実家に近いこともあり、中学時代は父親に良くここを勧められた。結局は一人暮らしをする為にやや遠くの名門私立に行ったけれども。
とにかくそんな高校の野球部を甲子園準決勝にまで導いたのだから、やはり才藤の実力は確かであったと言える。才藤は今や校内は愚か地域住民全体にとってのヒーローで、その人気ぶりはグラウンドのフェンスに群がる野次馬の人数にも表れていた。女子が多すぎだ。
「才藤投手に一目会いたいだなんて、茜さんにそんな一面があるとは思わなかったな」と苦笑するのは連れて来た胡桃である。
「人をミーハー呼ばわりしないでいただけます? 私はあくまでも将来ジャイアンツのエースになるべき男の心意気を確かめに来ただけなんですよ」
「いやいや才藤投手にはきっとベイスターズに来てもらわないと」と胡桃。こいつは割と熱心なベイスターズファンだ。「ジャイアンツは先発足りてるでしょ? エースもそこそこ若いしさ。それより問題は打線だ。一、二番を打つ選手が心もとないし、四番五番もベテランだ。大卒あたりで即戦力級の野手を取ることをお勧めするね」
こいつとは意外とこういう話ができる。女装で動画配信してオタトークするような人物だが、スポーツに興味がないという訳でもないらしい。小学校時代地元のチームで捕手をやっていたのがひそやかに自慢なのだそうだ。
さて。茜は仁王立ちしてグラウンドを遠巻きに見詰めた。
才藤は今グラウンド外周を走り込むジャガイモ頭の軍団に溶け込んでいる。そんなのを眺めても大して面白くはない。茜が求めているのは才藤のピッチングなのであって、才藤自身ではないのだ。精々ランニング時の姿勢の良さからサボっていないのが見て取れる程度である。
いずれ投球練習が行われるだろうから是非ともそれを見物したいのだが、それにはマウンドの見やすい位置のフェンスに群がっている有象無象の女子共が邪魔だ。
「あれに混ざるのは愚衆の一員になったという気がしますね」と茜。
「目的を同じくする人達なんだ。おとなしく混ざったらどう?」と胡桃。
「あいつらは才藤投手のベビーフェイスに興味津々なだけで、OPSの意味も知らないような糞にわか共でしょう? 男性ファンがいないのが良い証拠ですよ。純粋に野球選手としての彼に興味ある私が割を食うなんてなんとまあ理不尽な。蹴散らしてくれましょうか?」
「少女漫画のヒール役みたいな所業だな……」と胡桃。
「こういう時は自分だけの特等席を探すに限ります。どっか見晴らしの良い屋上か何か……」
などときょろきょろと視線を飛ばすと、校舎から出て来る二人組の女子に注視した。
土曜日だと言うのにブレザーを着こんでいる。補習にでも来た帰りだろうか。片方はひょろっとした印象の身体つきと柔らかく色素の強い長髪の娘で、もう片方はトランジスタグラマーな体格でメガネをかけていて髪形は茶黒いセミロングだ。
一見しただけでは軽い既視感程度しか感じない。しかし二人が胸元に付けている『緋口』『紺本』と描かれた名札を見た時に確信した。こいつらだ。
「やあやあどうも!」
茜は思わず片手を振り上げて二人組に近づいた。胡桃が後ろを意味も分からず付いてくる。
「いやぁ大きくなりましたねぇ」緋口の顎に手の甲を当て、紺本の頭に手のひらを置いた。それから両者を撫でまわす。「いやぁひーちゃん大人っぽい顔付きに。髪のお手入れもばっちりですねぇモテるんじゃないですか? こんちゃんなんてまあ大きなおっぱいですこと。背は低いのに私よりあるんじゃないですか? 昔はただのふとっちょだったのにまぁ悩殺ボディになりましたねぇ」
二人組は対照的な反応を示した。緋口の方は警戒心丸出しで眉を顰めてこちらを睨みつけ、紺本の方はいぶかしそうにしながらも目線を外して一歩引いた。
「どちら様ですか?」緋口が声を発する。普通の音量で喋っているだけで良く通る声だった。「昔の知り合いでしょうか? だとすればごめんなさい。なかなか思い出せなくて」
「あらあら寂しいですねぇ」茜は言いながら腕を組む。「東条茜です。思い出しましたか?」
「東条茜さん?」緋口は眉を顰めた。「ごめんなさい。あまり記憶力の良い方ではなくって」
「小学生の頃仲良かった例の双子に、そんな名前の上級生の友達がいた気がします」紺本が言った。幼い子供を演じるアニメ声優のような媚びを孕んだ声音だった。「ぼくらと直接親しい訳ではなかったですが、名前だけは耳に残ってます。ほら、『あかねちゃん』って呼ばれてた」
自分のことを『ぼく』と呼ぶ癖も変な丁寧語を用いるのも昔のままか。誰にでも敬語って慣れれば最強だと茜は思っているが、こいつはまた違った信念でこの喋り方をしていてそれは昔から変わっていない。変わっているのは外見で、昔はカエルを思わせる太った頬とふくよかなお腹周りをしていたが、乳と尻を残して程良いところまで脂肪が落ちている。一念発起してダイエットでもしたのだろうか?
「ああ……あの人」緋口が引き攣った表情を浮かべた。「担任教師に授業前の礼をするのを嫌がって、授業中ずっと廊下に立ってた変な不良」
「そんなことしてたのかい?」胡桃は目を丸くした。「結構突っ張ってるね」
小六の時の担任教師がどうしても気に入らず、礼を拒否したところ『だったら授業を受けさせない』と言われたので廊下に立ってたのだ。こちらに礼をしない権利があるなら、向こうにも茜に授業を受けさせる義務はないという理解できる道理である。向こうも生徒も使って煽ったり嘲ったりして茜を負かそうとしたものの、何時間でも何日でも黙って腕を組み続けているととうとう礼を免除された。通信簿は酷いことになったけれども。
「今思い出しました。お久しぶりです東条さん」緋口はあからさまな作り笑いでアタマを下げた。「何の用でしょう? もしかして才藤くんを見に来たの? ああいえただの推測です。グラウンドをずっと眺めていたものですからそうじゃないかなって」
「そのとおりです。ピッチング練習はいつ頃始まるのかご存知です?」
「知りません、野球部にあまり興味がなくて。東条さんは野球が好きなのですか? それとも興味があるのは才藤くんの方かしら? だとすればごめんなさいね。彼とはあまり親しくないので、あなたを紹介してあげることはできなさそう」
慇懃無礼な言い回しも昔のままか。偉そうなのは茜も人のことを言えないが、こいつの尊大さには見下しと皮肉のエッセンスが強い。丁寧だが気取った感じがするのだ。
「自分のことは自分で紹介するので大丈夫ですよ」茜は言った。
「あらそう? でも彼を篭絡するのは難しそう。彼ね、小学生の頃からずっと思い続けている女の子がいるの。彼女に振り向いてもらう為に野球をがんばっているんです。東条さんはとてもお綺麗だけれど、割って入るとなると一筋縄ではいかないかもしれませんね」
「プレイボーイという訳でもないんですね。なかなか好感度が高い」
「この話をするとたいていの女性は才藤くんへの好意を強めるんです。一途なのって素敵ですよね。でも本当の話なのよ」
「別に彼にホの字な訳ではないですよ」茜はそろそろ苛立って言った。「私は彼のボールをホームランしに来たのです。ドラフト一位クラスのボールとやらを粉砕すればさぞかし気持ちが良いことでしょう。今日の為に百五十キロ出るバッセンで練習もしてきました。抜かりはありません。あなたに心配されることは何もありませんよ」
「あら変わってますね」緋口は目を丸くした。「運動神経良さそうですものね。これも推測ですけれど」
「ところでそっちの男の人に質問でぇーす」隣で緋口と茜の応酬を眺めていた紺本が言った。「あなた、魔法少女やってる人じゃないですか?」
紺本に不躾に指をさされた胡桃は、その場でふふと不敵に微笑んでから、腰を落としてピースサインを点に掲げ、ゆっくりと右目の方に持っていた。まさかこいつ。
「……呼ばれて参上!」胡桃はノーメイク&ノーコスチュームのまま横ピースをぶちかました。「呼ばれなくても登場!」胡桃は両足を開いてポーズを取り、あたかもステッキを掲げているかのように左手を突き出した。
「愛と勇気で皆のドキドキ取り戻す! 魔法少女☆クルミン☆ミナミンとはあたしのことだ!」
空気が凍った。緋口は深い軽蔑に満ちた視線を胡桃に注いでいるし、周囲の人々は嘲るような囁き声を残しながら足早に立ち去っていく。
「ああー。イタいですー。やっぱクルミンイタ可愛い」紺本はどこか嬉しそうにそう言った。
「魔法少女は大人が見てイタいくらいがちょうど良いの。魂さえ篭もっていれば、子供はちゃんと喜ぶんだよ☆ キャハ☆」胡桃はそう言って息を吐いて体勢を戻し、手を差し出した。「いつも動画を見て下さって本当にありがとう」
「ファンですよ」紺本はその手を握り締めた。配信者とファンとの美しい交流……と言えるのだろうか?「友達にもたくさん布教してますです」
「そりゃあ嬉しい」
「……あの。あなたいつもあんなことをして配信しているのですか?」緋口は軽蔑に満ちた視線を向けた。「変わったご趣味ですね」
「まあね」胡桃は苦笑した。
「クルミン☆ミナミンはネットじゃジョーシキですよ? 緋口さんはちょっとそういうのに疎すぎます。ぼくなんてノーメイクで男の人の服着てても分かりましたよ。ほくろの位置で特定できるのです。まあ視聴者なら当然ですけどね」と紺本。
「あんたさ」緋口は肩を竦めた。「人の趣味をどうこう言わないけど、そんなのに詳しかったところで何の自慢にもならないわよ」
「どうせ趣味にするならとことん詳しくなりたいものでしょう。知識量を競うのはオタトークの楽しみの一つです。それの何がいけませんか?」
「オタク同士でやりなさいよ。私はそんなこと耳に入れたくもないわ」
「今時ほとんどの若者が漫画やアニメを見ているでしょう? 今やサブカルチャーは立派なカルチャーです。別に興味がないのならそれは当人の自由ですが、しかし自分が詳しくないからって唾棄するのには感心しません。知識があるということは素直に称賛されても良いのでは?」
「望まれてもないのに勝手に詳しくなってそれを褒めろと言われてもね。そんな変な知識付けるくらいなら、もっときちんと人間を磨きなさいな。ちゃんとした人間はそんなものは嗜む程度に留めるものよ」
「それこそ人の勝手でしょう。ぼくやぼくのオタク友達がちゃんとした人間じゃないかのような言いぐさですが?」
「オタクグループで話してるあんたを呼びに行くと、連中いつも私を見て急に黙って目を反らすじゃない? それまでがどんなに盛り上がっててもさ。ああいう閉鎖的で排他的な態度が『きちんとした人間性』で『社会に出て通用する』かというと疑問よね。いわゆるAグループやBグループにもアニメや漫画を愛好している人間はたくさんいるけれど、でも無暗に没頭まではしないわよ?」
「ぼくの友達だって別に受験勉強おろそかにしてる訳じゃありません。オタクイコール現実逃避してるニートで引きこもりでダメ人間などと言う考え方は、レイシストのそれですらあります」
「そんな風に思われていると感じるならそれはただのルサンチマンよ。私も世間もそこまでは言っていないわ」
「軽蔑されているということ自体はひしひしと感じるのですが、これを否定するというのなら欺瞞を疑わねばなりません」
「実際、あんたんとこのグループの女子共は、他のグループの人間に何か言われても碌に受け答えしないし、現実の恋愛から逃げてアニメキャラに恋をしているじゃない? 全員がそうじゃないかもしれないけれど、でも大多数がそうであることは否定しないわよね? もちろんその程度のことで人間性の全てが否定される訳ではないけれど、美点でないことは明らかだと思うわ」
「誰とでも群れを作れる能力や、オスに上手に腰を振る能力は、必要不可欠なものでこそあれ非常に動物的で程度の低い能力です。人間でなくても備わっています。対して漫画やアニメは文化であり芸術です。どちらかより人間的で高度であるかは一目瞭然ですよね?」
「その人間でなくても備わっているような低次元の能力すらまともでないのが、いわゆるコミュ症のオタク共なんじゃない?」
「そんな程度の低い能力不要だと言いたいのです。二次元があれば生きて行けます。美しき虚構は醜い現実を上回るのです。偉い人にはそれが分からないのです」
「あんたは二次元と結婚できる訳? 自己欺瞞がたどり着く先は堕落と破滅だと決まっているものだわ。大げさなんかじゃない。カタストロフは既に始まっているのよ」
良いコンビである。紺本の屁理屈は主張の体裁を成さないただの喚き声であり、緋口の論調は無暗に批判的で挑発的だ。通常ならそれぞれ封殺されるか沈黙されるかで議論にならないだろう。この二人だからこそ成立している掛け合いなのであり、お互いのペースを理解した上でやり取りを楽しんでいるのだ。
「漫画やアニメは夢を与えるとても素晴らしいものだよ☆」と、そこで何故か胡桃が口を挟んだ。「でも大切なのはそれを見た自分が何を感じてどんな行動をするかということだよ☆ それを見ること自体で何者かになれる訳じゃあないんだ。だからお友達や恋人がいる人は、漫画やアニメと同じくらいそっちも大切にしてあげようね☆ まあクルミンコミュ症ぼっちなんだけどね☆」
胡桃は横ピースで締めた。緋口は軽蔑に満ちた表情で身を退き、紺本はおもしろがっている。
「……そういうあなたは漫画やアニメを見て何をしたの?」と緋口。
「んっとねー。クルミンはぁ……クルミンになったの✩」胡桃はおよそどうしようもないことを言った。
「でもクルミンさん、コミュ症ぼっちとかいう割に女子と一緒に野球なんか見に来てるじゃないですか」紺本は意地悪そうな口調で言った。「どういうご関係で?」
「彼は私のボーイフレンドです」茜は親指で胡桃を指し示す。
「あら。そうでしたの」緋口はどこか値踏みするような視線を胡桃に向ける。「意外です。東条さんはもっと孤高を貫かれている方だと思っていました」
「別に友達くらい前からいましたよ。紫子ちゃんと緑子ちゃん、覚えてない訳じゃないでしょう?」
「彼女たちは小四の時に転校していきました。それっきりあなたは一匹狼だったでしょう? しかしかなりゴタゴタしていたというか、大変な事件があったみたいですよね。私、あの双子とはとても仲が良かったのだけれど、それでも何があって今どうしているか知らないんです。東条さんはご存知ですか?」
「何でも知っています」茜は胸を張った。「私は昔からあの二人とは大親友同士ですからね。月に二回はパジャマパーティしています」
「へえそうなの?」緋口は目を丸くして、それから不満げな表情を浮かべ、爪を噛む。「……あいつら、こっちにも連絡くらい寄越せばいいのに」
「HAHAHA」茜は勝ち誇った表情で哄笑した。気分が良い。「あなた達以上に私の方があの子らと仲が良いということですよ。あなた達が彼女らについて知っていることで私が知らないことは何一つありません。お尻のほくろの位置まで理解していますとも。HAHAHA」
「あらそう。何でも知っていらっしゃるんですね」緋口は溜息を吐いて髪を払った。「ならこれはご存知ですか? 緑子が昔クラスの男子に告白されて、困り果てた挙句走って逃げたという話」
「え? なにそれ知らない」と茜。
「ふうん。なら、その告白の相手というのが……我が校が全国に誇るスーパースターの才藤正大くんだということも初耳ですか」
茜はぽかんとした表情でそのまま硬直する。緋口はくすくすと笑った。
「詳しく話して差し上げます。代わりに、紫子と緑子の居場所を教えてくださいね」




