姉妹、同窓生と会う 3
〇
アルバイトから帰宅した紫子は、自宅の扉の前に立つ二人の女子高生の姿を目にした。
一人は面白がるようにチャイムを連打していて、もう一人は腕を組んで溜息を吐くように下を向いている。紫子は訝しみながらそれらに近づき、チャイムを鳴らしている方の女の胸倉をつかみ上げる。
「誰やあんたら?」
扉の前に立ってチャイムを激しく鳴らすという行動は中の緑子にとって恐ろしい威圧にほかならず、そういうことをする相手が紫子にとって愉快なはずもない。二人を交互に睨みつける。
「ちょ、ちょっと……」チャイムを連打していた方の女は怯えた顔で両手を晒した。「あ、あなたどっちですか? ぼくを覚えていらっしゃらない?」
「知らん。何の用や? 何を思うてんなにチャイム鳴らしまくる必要あるねん? 中で妹が怯えるやろ? ふざっけんなケーサツ呼ぶぞ?」
「時の流れは無常よね」もう一人の女が紫子に近づいて髪を払った。「そこのバカは自業自得だけれど、私まで警察の厄介になるのはごめんだわ」
落ち着き払ったその態度に、紫子は眉根を寄せた。
「誰やあんた?」
「緋口よ。緋口英子。あなたの小学校時代のお友達」
「あ?」紫子は今度は目を丸くする。良く見れば面影がある。そうだ、妹を別格とすれば一番の好意を感じていたかつての親友は、確かにこんな目鼻立ちをしていたのだ。多少の成長と変化こそあれ、間違いなく目の前にいるのは緋口だった。言われてみればそうとしか思えない。
「え? ひーちゃん? 嘘やろ? なんでこんなとこにおるん?」
「あんたがここに住んでいるからよ。住所は東条さんから教わったわ」
「あの野郎……勝手に教えたんか」紫子は歯噛みする。「余計な事しやがって」
「あら。私達がここに来ることは不本意?」緋口は表情に不快さを滲ませる。「あんたが私達にここに来てほしくないならそれは仕方がないけれど、だとしても今のは失言よね。あんた達に好意を持ってここへ来た私達への配慮が足りていないわ」
つんと澄ました表情で責め立てられて、紫子は猛烈な既視感を覚えてあたふたとする。そうだ、自分はこの友人が機嫌を損ねることが嫌いだった。軽率な紫子が緋口に対して何らかの失策を犯すと、緋口は理路整然とした態度で不満を露わにする。口喧嘩をしてもまず勝てないし、手を出したりすればこちらがみじめになる。だからいつも緑子にとりなしてもらって助けてもらっていたのだ。
「ご、ごめんってひーちゃん。今のは他人の住所勝手に教えるあかねちゃんに怒っただけなんや」
「東条さんにも考えがあったのだと思うわ。あんたが納得するかどうかはともかくね」
「そ、それにひーちゃんも。人の家来るんやったら、先に知らせといてくれや。あかねちゃんに住所聞いたんやったら、あかねちゃん通して先に連絡するくらいしてもええやろ?」
「あら? 昔はアポを取らずに遊びに誘っても緑子と二人で出て来てくれたのに」
「昔と今はちゃうやろ? あんたは知らんやろうけどこっちやって色々あったねん。ほらウチ喋り方昔とちゃうやろ? 妹やってちょっと普通の状態と違うてやな……」
「確かにお互い変化も成長もしたでしょうね。それについては後で話したいものだわ。あんたと旧交を温め直すことは私にとって望むところよ。私、紫子のことは友達としてとても好きだったの」
「緑子のことは?」
「好きよ」
「だったらチャイム連打するこの女を止めろや」紫子は胸倉をつかみっぱなしの女に視線をやる。「つかこいつ誰? まさかとは思うけど、こんちゃん?」
「ところがどっこい紺本です。紺本霧香」紺本は引き攣った表情で両手をぱくぱくと開閉させる。「恥ずかしながら」
「マジか! 痩せたなー」紫子は紺本の胸倉から手を離す。「なあ? あんた昔っから緑子のことイジるん好きやったけんども、でも今あの子はちょっとデリケートなんや。そうでなくとも本気で嫌がるようなことはせんといてって昔からいようやろ? チャイム鳴らしまくるんはやりすぎ、中で怯えとんとちゃうか?」
「愛あるおふざけです」
「アホか。ウチ様子見て来るけんあんたらここで待っとれ」
緑子の様子を見る為に部屋に入ろうと扉を開けると、玄関で女の子座りしてわが身を抱いている哀れな妹の姿が露わになった。涙に濡れた上目遣いが三者を一瞥する。
「うっわそっくり」緋口はおかしそうに紫子と緑子をそれぞれ指差す。「変わらないわね」
「ちょっと待っとれや」紫子は二人組を部屋の外に締め出して鍵までかけてしまう。そして妹の前で膝を降ろした。
「……大丈夫か緑子? 泣いとるやん」紫子は気遣わし気に言う。
「ご、ごめんねお姉ちゃん。そのね、ひーちゃんとこんちゃんは悪くないの。わたしが悪いの」
「何があったん?」
「二人はわたし達を訪ねて来てくれたの」
「それは分かるよ。それでおまえはどうしたん?」
「ちょっと嬉しくて、だから出ようとしたんだけれど一人で会うの怖くて、どうしても扉が開けられなくて」
「ああー。……まあそうなるか」
緑子の性格だとそうなる。間違いなくそうなる。旧友との思い出を大切にするからこそ、今の彼女らと一人でどう接していいか分からなかったに違いない。だがこのまま居留守を使い続けるのも失礼に当たる。八方塞がりで困り果てたところ、追い打ちをかけるようにして紺本がチャイムを連打したものだから、緑子はその場で座り込んで泣き出してしまったという訳だ。
「……でもこんちゃんが悪いやろ? どう考えても」
「こんちゃんはちょっとふざけただけだよ。わたしが笑って迎え入れてあげられてたら良かったの。……うぅ。ひーちゃん怒ってるかなぁ?」
「ひーちゃん怒らしたら怖いもんなぁ」紫子は眉を顰める。「でもウチが説明しとくけん、大丈夫やで」
「ありがとうお姉ちゃん」
「ほんでどうする緑子?」紫子は妹の両肩に手を置く。「二人とは会う? 会わんとく? 会わんのやったらおまえのことはウチが話しとこうか?」
「……会うよ」緑子は勇気を出した表情で頷いた。「やっぱり会いたい」
小学生だった頃の自分達には確かに静かで幸福な時間があった。それに友人として寄り添っていたのがあの二人なのだ。会いたいと緑子が思うのは当然だし紫子だって会いたい。
それから姉妹揃って扉を開けて緋口紺本のデコボココンビの前に姿を現す。
「ハァイ、緑子」緋口はラフな感じでそう言って片手を上げた。「ひさしぶり。ごめんなさいねいきなり押し掛けたりして」
「おひさしぶりです緑子さん」紺本はニコニコしながら緑子の肩に手をやった。「早速ですが、今季アニメにはどのくらい目を通されましたか? 今後のアニメ史に間違いなく名を遺すであろう怪作『死骸か水か糞』には目を通されました?」
「げ、げ、原作は読んだけど……」緑子は目を白黒させている。「まずその、……ひ、ひさしぶり二人とも。緑子です。出て来られなくてごめんなさい。わたし実はちょっと……今病院とか通ってて、お薬飲んでて……」
「それは中で話しましょう」緋口は落ち着き払っていた。「私達はあんたともう一度友達になりにここへ来たのよ。入れて頂戴?」
緑子は縮こまりながらちょんと頷いた。
〇
重い話や不幸自慢はしないように心掛けながら、紫子は軽く昔話をやり終えた。緋口と紺本は関心を寄せてそれを聞いていた。
「じゃあ今は二人だけで暮らしてるんだ」と緋口。「本当昔から仲良いのね?」
「まあな」紫子はテーブルに頬杖付いて言った。「二人はどうしょるん? 同じ制服着とるっちゅうことは、高校は同じとこいったんか」
「ええ。A高校よ。知ってる?」
「知っとるか緑子?」紫子は自分の隣で座ったまま盆を抱えて控えている妹に視線を向ける。
「……結構偏差値高いんだってね。あと野球部が甲子園に行ったって」緑子は顎に指を添えて語る。「前にテレビでやってたよ。文武両道ですごいんだってね」
「野球部がすごいのではなく、才藤投手がすごいのでは?」と紺本。さっきから身体を横たえて床に肘をついている。「彼がいなければウチの野球部などヘボです。ヘボ! 事実彼が入部する前までの野球部は一回戦落ちのチームでした」
「帰宅部で非生産的な活動しかしていないあんたが、例え事実だったとしても、部活で健康な汗を流している彼らをバカにするのは感心できないわね」と緋口。
「学校の部活動が生産的で、自宅で行う趣味が非生産的であるなどというのは、まったくの無根拠だと思われますが」
「私が非生産的と言ったのはあんたに対してであって帰宅部に対してではないわ」
「非生産的なのは才藤を除く野球部員たちにも言えます。プロを目指す訳でもないのに玉遊びなんぞしたところでそれは個人の趣味の領域でしょう」
「少なくとも野球をすれば協調性や体力は磨かれるし、部活動での努力は受験にも良い影響を齎すはずよ。自分が無駄な時間を過ごしていることから目を背けるべきではないわね」
「いいえ無駄ではありません。野球で得られるものをアニメで得られないのと同様に、アニメで得られるものを野球で手に入れることはできません。どちらが優れているという訳ではないのです。単に大人や世間からの受けが良いか悪いかという違いがあるだけでしょう」
「世間体は大事よ。固執するのは良くないことだけれど、まったく気にしないことで失うものがあることは理解すべきね」
「ぼくにだって裸で町を歩かない程度の分別はありますよ」
「一人だけ甲子園の応援サボってラインで陰口叩かれた時、助けてあげたのは誰かしら?」
「助けていただいたことは感謝をします。しかし悪いのはネットリンチを行った連中であって、ぼくが出発バスに乗らなかったのは正当な権利の行使でしかありません」
「せめて『体調不良』くらいの理由をでっちあげておくのが『世間体』ってものよね。『野球とか興味ありませんから』とか公言して憚らなければ敵を作ることは火を見るよりも明らかよ。それによってあんたは窮地に追い込まれたし私にだって迷惑がかかっている」
「かばっていただいたことには友情を感じますが、迷惑がかかったのだと言うその主張はおかしいですね。ぼくは嬉しかったですが、しかし自分から頼んでもいませんから」
「それは仰るとおりね。認めましょう。でもそんな態度を続けているからあんたは味方を失くすんだってことは理解してる? オタグループの連中もそろそろあんたに辟易する頃なんじゃない?」
「でも緋口さんは友達でいてくださるんでしょう?」
「そうだけどあんたは大人になりなさい。ところでこのお茶おいしいわね」
「確かにそうですね」
それから二人揃って緑子の出した温かいお茶をずぞぞーと飲み込む。
「おいしいですね」
「おいしいわね」
紫子は妹と顔を見合わせた。二人のやり取りが小学生の頃と何ら変わりがなかったからだ。脈絡もなく言い合いを始め、両方が満足したらケロりと仲良しに戻る。周囲からは理解もできないような、二人だけのペースというのを確かにこの二人は持っているのだ。
「やっぱり仲良いんだね」緑子が言った。
「大親友です」と紺本が媚びを含んだ声音で言った。
「腐れ縁」ピシャリと緋口が言った。「性格も趣味も得意分野も違うし、共通の友達なんてほとんどいない。でもなんでかこいつと一番距離が近いし、一番良くつるんでる。これってなんでだろうね?」
「積み重ねたものの量ちゃう?」と紫子。
「なにそれ?」
「思い出の数とか交わした言葉の数とか、注ぎ合った愛情の量やとか。他に気の合う人間と巡り合うことがあったとしても、最初っから親友になれる訳とちゃう。そいつとそれまでに積み重ねたものの方が重いんかもしれん」
「年月の重み?」緋口は髪の毛を払う。「まさに『腐れ縁』よね」
「時間もやし密度も。それに仲良しなんはええことやろ?」
「それは分かってる。こいつとはとても自然にまっさらに友達でいられる。そういう友情は求めて得られるものじゃない。私の貴重な財産」と緋口。「でもベタベタしたってしょうがない。人間同士助け合うことはできるけれど、異なる幸福を目指す以上、最終的には独立独歩だから」
「なんやそれ」
「私、文系志望。こいつは理系に適性がある。だから来年からクラスは別々なのよ」
「小学校一年生から十年間連続だったのですけどね」と紺本。「ぼくは緋口さんと同じクラスになる為に、文系を選んでもいいと言っているんですが」
「あんた数学の全国模試何位よ? 高校だってもっと良いトコ狙えたはずでしょ? パソコンの仕事やりたいんじゃないの? 今はしっかり自分のすべきことをやりなさいな」
「でも寂しくなります」
「だ、大丈夫だよこんちゃん」緑子はあせあせとした口調で言った。「クラス離れたってお友達でしょう? きっと今までと何も変わらずにいられるよ? そうでしょう?」
「おそらく大学は別になるでしょう。社会人になれば猶更会う機会は減ります。そうやって徐々に袂を別っていくのです。寂しいことです」
「今時は電話もネットもあるから……」
「繋がりがあるというなら世界中の誰とでも繋がりはあるのです。でもその中で、物質的な距離が変わってしまうことは、やはり決別なのだと思いますよ」
「そんなことは……」
「紺本の話はもっともよ。いずれ別れは訪れる。家族なんかにはより顕著よね」緋口は意地悪そうに頬を捻じ曲げる。「子供の頃はいつもべったりくっついていても、大人になるにつれちょっとずつ離れなくちゃいけなくなってくる。いずれは住む家も別々になって、異なる家族の一員になるのね」
紫子と緑子は、そこで顔を見合わせた。見合わせずにはいられなかった。
「ねえ紫子。あんたさ、この先どうするの?」と緋口。
「どうとは?」睨むようにして紫子。
「やりたい仕事や叶えたい目標はあるかってこと?」
「今この状態がウチの目指した幸せや」
「それに一生涯、妹を付き合わせるの?」
紫子は胸に冷たい刃を差し込まれたような心地になる。
この友達は昔っからこうなんだ。気まぐれに悪魔のようなことを言って紫子を動揺させる。そしてそれは悪口でも悪意でもないのだ。ある面ではどうしようもない程正しいようなことを言って、こいつは紫子の心を殴りつけて来るのだ。
こいつ自身はちょっとばかりニヒルに振る舞って見せているつもりなんだろうが、しかしやられた方はたまったもんじゃない。こいつの親友が紺本である理由も今なら分かろうものだ。紺本くらい柔軟な自我を持ち強引な屁理屈を弄せるからこそ、緋口の隣にいられるのだ。
「み、緑子とはずっと一緒や。ウチは緑子好きやし、仲良いし。それに緑子なら……」
「私の記憶のままならば、緑子の方がまだ話はできたわよね?」そう言って緋口は緑子の方に視線をやる。「あんたはどうなの? 緑子」
「ど、ど、どうなのって……」緑子は狼狽えている。
「あんたは器量が良い。とびっきりね。それにすごく女の子らしい。妹のような従順さと母親のような優しさを合わせ持ってる。社会的なこととか経済的なこととか除外してシンプルに女として考えた時、これ以上ないくらい魅力的なのよね。だから私の記憶にあるあんたはモテた。無茶苦茶モテた」
「しょ、小学生の頃はそうだったけど……」
「あんたはその気になれば嫁の貰い手なんていくらでもいるわ。あんたの努力に応じてどんな王子様にも見初めてもらえる」緋口は大げさな言い方をしているつもりではなさそうだ。「今はゆっくりその精神病とやらを姉貴に治してもらいなさいな。でもそれが終わって二人とも大人になったら、がんばって良い男を探さなくっちゃ。姉貴も納得して応援してくれるでしょ?」
「わたしは」緑子は確信を持った口調で言った。「お姉ちゃんが良いよ」
紫子は顔を上げる。緑子はカラスが黒いということを言ったかのような顔をしている。当たり前のことを当たり前に口にし、当たり前のことを言わせる緋口を怯えながら訝しんでいるような、そんな顔だ。
「お姉ちゃんが良いって?」緋口は呆れたような顔をしている。「何いってんの?」
「わたしが好きなのはお姉ちゃんだよ」緑子は唇を尖らせる。「お姉ちゃんが一番好き。わたし結婚は一番好きな人じゃないとやだな」
「…………」緋口は額に手をやった。「あんた、いくつよ?」
「十六歳だけど……」
「いや姉貴は女だし家族でしょ?」
「結婚はできないよ。それでも一緒にいたい。お姉ちゃんはいさせてくれるよ」
「バカなの?」
「バカじゃないよぅ……」緑子はべそをかく。
「あんたはこんな四畳半にいて良いようなお姫様じゃないのよ」緋口は髪の毛を払いのける。「別に姉貴と生涯のお別れになる訳じゃないの。血は水より濃いんだから離れてたってきちんと姉妹でしょうが。自立するだけよ。いつかは自立しないと紫子に迷惑がかかるでしょ?」
「迷惑…………」緑子はこれには応えたように俯いてしまう。
「心配すな緑子。ウチには一生おまえが必要や」紫子は溜息を吐く。「なあひーちゃん。誰とどんな風に生きるかなんてそいつらの自由やろ?」
「あんたらビアン?」と緋口。
「ちゃうって。家族として愛し合っとるんや」
「だったら緑子が自分の王子様を見付けたなら応援してあげられるわよね?」
「………………」紫子は息を呑みこむ。
「あんたは寂しいかもしれないけれど、それが緑子の幸せなら、あんたは応援しなくちゃいけないわよね?」
答えられない。
紫子は緑子の幸せを心から願っている。しかし決別を受け入れられるかと言われると、絶対に不可能であることも事実だった。
緑子は確かに紫子の半身なのだ。優しさや愛情はいつだって緑子から受け取って来たし、緑子から受け取る以外の優しさや愛情は拒絶して来た。今は少しだけ丸くなったと思ってはいるけれど、それでも緑子に向ける情念だけは特別で代替が効かない。紫子にこれほど一途で献身的な愛情を向けてくれるのは世界中に緑子だけで、その喪失に自分は耐えられない。
緑子は自分を無限大に愛してもくれるし受け入れてもくれる。それは生涯変わらないと思っているしだからこそ幸せなのだ。緑子とは信頼関係がある。
だが万が一億が一、仮定の話として、緑子がもし自分から離れて行こうとしたらどうだろうか? 自分ではなく別のものを求めるようになったらどうだろうか? その時こそ紫子は本当の意味で八つ裂きにされるだろう。そうなった自分を想像して紫子は吐き気を催すような恐怖を感じた。
「ねぇ緋口さん。ちと意地悪がすぎますよ」紺本がたしなめるように言った。「それに、今はそんなこと考えなくてもいいじゃないですか?」
「今だから考える必要があるのよ」くっくと、緋口は笑う。「ねぇ緑子。私達の他に、あんたに会いたいって人がいるんだけれど、会ってくれる?」
「緑子だけ名指しなんか、それ?」紫子は訝しむ。
「ええまあ。あんたにとっても懐かしい名前だろうけど」
「誰やそれ」
「才藤正大。ウチの野球部のエース」
「ああそれ知っとる。あかねちゃんがムッチャ褒めよったわ。でもなんでそんな奴が緑子に?」
「旧姓は藤島だしね。人相変わったしあんたがすぐにピンと来なかったのも無理はないでしょうけど」やれやれと、緋口は肩を竦めた。「『マサくん』って分かる? 覚えてるでしょ? 鼻たれだったアイツが緑子に告白したこと。あいつね、まだその初恋を引きずってんのよ」
「何の話やねん」
「鈍いわね」緋口は溜息を吐いた。「才藤正大ってあんた達の幼馴染よ? 緑子のことが好きで告って断られて後であんたにどつかれてた、あの鼻ったれ」
紫子と緑子は顔を見合わせた。




