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姉妹、兵達を従える 1

がっつり寝てましたすいません。

 〇


 「どうしたのーユウコちゃぁん?」緑子は猫の額ほどの台所で腰を折り、ニコニコとしながら猫なで声で言った。「お腹空いたの? 冷蔵庫にプリンあるから後で食べさせてあげるねー。うん。うん、じゃあテレビ見ててねー。うん」

 「どしたん緑子?」夕食を作る為に台所に立っている妹に、紫子は声をかけた。一人で何をぶつぶつ言っているのかは知らないが、まあおそらく妖精とでも話しているのだろうとは思う。「なんな、そのユウコちゃんって……」

 「えっとねぇ」緑子はニコニコしながら床に手を伸ばし、何か茶黒いものを手の平に乗せて紫子に向けて差し出した。「これがユウコちゃん」

 親指くらいある茶羽ゴキブリが触角を揺らしながら緑子の手を機敏に這いまわっていた。

 「うわぁああああ!」紫子は腰を抜かした。「ギャァアア!」

 「ど、どうしたのお姉ちゃん?」緑子は首を傾げて心配そうに紫子ににじり寄って来る。その手にゴキブリを這わせながら。「お腹痛いの? 大丈夫?」

 「大丈夫はおまえのアタマや!」紫子はあまりの驚愕に言ってはならないことを言った。「おまえなんでゴキブリにユウコちゃんや名前付けてかわいがっとるねん! プリン与えんなテレビ見さすな今すぐティッシュにつまんでポイや!」

 「そんなのかわいそうだよぅお姉ちゃん」緑子は弱った顔をする。「この子はねぇ……わたし達の前世で二人の御姫様だった時、近衛兵団の団長だったユウコ=ディバインガスト=ビスゲイルの生まれ変わりなんだよー。お友達だよ?」

 「なんなその設定……」紫子は口をぱくぱくさせる。「……おまえがなんかよう分からんモンに感情移入する癖があるんは知っとるけど……よりにもよってゴキブリて、ゴキブリておまえ……」

 それから紫子は努めて冷静に緑子から話を聞いた。そのゴキブリと仲良くなった経緯だ。

 台所の一切を取り仕切る緑子としては、不衛生の象徴であるゴキブリなど本来許せない存在だ。よって見るたびに駆除をしてきたのだが、必死に逃げ回るその姿を見ているとなんだか仕留めるのが気の毒になって来た。だが緑子には緑子で譲れない事情がある為台所にいさせるわけにもいかない。そこで緑子は、ゴキブリの長を招集し腰を据えての直談判行うことにしたのだと言う。

 「ごめんちょっと意味わからん」そこまでの話を聞き終えて、紫子は表情を引きつらせた。「……なんやねん、直談判て……」

 台所のシンクで行われた議論はしかし、思わぬ展開へ向かうこととなる。なんとゴキブリの長であるユウコ=ディバインガスト=ビスゲイルは西浦姉妹と思わぬ関係があったのだ! かつて姉妹で統治し支えた帝国(そんなモンがあったとは初耳だが)の近衛兵団の長こそがユウコであったが、魔王アンドーの悪しき変身魔法により醜いゴキブリの姿へと変えられてしまい、それでも主を慕い続けたユウコは部下を引き連れて姉妹の家に辿り着いたのだと言う。なんと美しい主従の物語なのだろうか。

 「そんな健気な子を殺虫剤でシューしちゃかわいそうでしょう?」目を潤ませる緑子。

 「せ、セヤナー」紫子は表情を引きつらせて棒読みで言う。「可愛がったらんとなー。アハハー」

 「分かってくれてよかった!」緑子は表情を明るくする。「わたしの言うこと分かってくれるのお姉ちゃんだけだよ。えへへぇ」

 幻聴を聞いてろくでもないものと会話をするのは緑子の得意技だ。そこから訳の分からない空想を膨らませて信じ込んでしまう。だが下手にそれを否定したり叱ったりすると、本人は信じ込んでしまっているだけに深い孤立感を抱かせて傷心させてしまう。テキトウに付き合ってやってから薬を飲ませて寝かすに限る、というのは緑子の主治医から紫子へのアドバイスである。

 緑子はニコニコしながらユウコちゃんを手の平に乗せて戯れている。真っ白くて小さな手にヘビー級のゴキブリが這っている姿はなんだかいけない感じがした。ゴキブリは華奢な上腕を駆け抜け肘の裏でS字カーブを描いたかと思ったら脇の方へと全力疾走。見ていて気分が悪くなるくらい元気いっぱいだ。

 「くすぐったいくすぐったい」緑子はきゃっきゃと笑っている。「お姉ちゃんもやる? 元はわたしじゃなくてお姉ちゃんの直属の部下だよ?」

 「せえへんわ!」紫子は表情を引きつらせた。「なあおまえ後で手ぇ洗えよ? つかウチが洗ったるわ。脇までキレーにしたる。これちょっとあかん、洒落になってない」

 「いいけどそんなことしたらユウコちゃん傷付かない?」

 「ユ、ユウコちゃんは元人間なんやけん、今の自分の姿があんまり清潔なもんやないということは客観的に理解しとるやろ? ほんでユウコちゃんはおまえの友達なんやけん、おまえが汚い自分の所為でビョーキになったりするんは望まんはずや。せやろ?」

 「そうなの?」緑子はユウコちゃんに声をかける。頼むそうだと言ってくれユウコちゃん。「うん。うん……そうなんだ! 分かったよユウコちゃん。お姉ちゃんのご飯も作るし、いったん降ろして手を洗うね。待っててね」

 緑子は平気な顔でユウコちゃんをつまみ上げそっと床に降ろしてやる。紫子は立ち上がって洗面台で緑子の腕をミ〇ーズでくまなく綺麗にした。緑子はなんだか上機嫌に笑っていた。

 泡を落としている時にシンクの中を一匹のゴキブリが這いまわっているのを姉妹は発見した。

 「もうちょっと待っててねーユウコちゃん」緑子はニコニコ笑っている。

 「ユ、ユウコちゃん?」ちょっと小さくないか?「なあ緑子、ユウコちゃんってこれと違うて……」

 紫子が床の方へと視線を向けると、先ほど緑子の腕を這いまわっていた方のゴキブリが地面でカサカサやっていた。

 ゴキブリならなんでもユウコちゃんなのか? 割とガバガバだ。緑子は一瞬、目玉を丸くして硬直する。ヤバい余計な指摘をして混乱させてしまったか。

 「間違えちゃった」意外と簡単に認める緑子。「これはユウコちゃんじゃなかったね」

 「そ、そうか」紫子は頷いて、それからふと思いついて言った。「なあ緑子もしかしたらなんやけどな。ひょっとしたらあのゴキブリもユウコちゃんちゃうかもしれへんで? ほらユウコちゃんおまえに元の人間の姿で会いたいやろうから、多分今頃元に戻る為の方法を探してあちこち旅をしよるんや。もうしばらくしたら人間の姿に戻っておまえに会いに来るけん、それまで……」

 「あれは確かにユウコちゃんだよ?」緑子は妙に自信満々に断言する。「それで、そのシンクにいるのはヨシコちゃん!」

 「ヨシコちゃん!?」紫子は目を剥いた。「一匹一匹名前付いとるの!?」

 「ヨシコちゃんは近衛兵団の副団長さんなの。ユウコちゃんの親友なんだよー」緑子はすらすらと設定を語りだす。全部こいつの中では真実なのだから始末に悪い。叱り付けたら済むような並の電波少女ではないのだ、モノホンのジンジャーなのだ。「他にも仲間がいるよ?」

 「ほ、他にも……?」

 「うん! あのねお姉ちゃんこのあたりに近衛兵団の隊員たちが待機しててね、みんな仲良しでね……」

 泡を落とし終えた緑子は、台所の傍に置かれているゴミ箱をどかす。その底には茶黒い楕円形がちりばめられた豆粒のようにひしめいていた。一寸法師でも脚の踏み場がないくらいにびっちりとぎゅうぎゅうに、そういうデザインのタイルみたいに整列しているその生き物は、まごうことなくゴキブリであった。

 「うぎゃあああああああ!」紫子は悲鳴を上げて反対の壁まで逃げた。さもあらん。そしてゴキ〇ェットを手にしてスイッチを全力で押しながらゴキブリ軍団に立ち向かう。「死ねぇえええあああああ!」

 「お、お姉ちゃあん! 何すんのー!」緑子が涙目で姉に縋りつく。「やめてー!」

 「許して緑子―! 許してー! 殺さしてー!」ずるずるに泣きじゃくりながらスプレーを振りかざす紫子。「これはあかん、あかんよー! お姉ちゃんこんなん耐えれんよー! 怖いよーゴキブリやあよー!」

 十月に入って急にゴキブリを見るようになった理由が今分かった。害虫シーズンであるはずの七、八月は妹が丹念にゴキブリを駆除してくれていて繁殖する余地がなく、紫子はあの嫌悪感を催す姿を見ずとも済んだ。それが妹が『近衛兵団のユウコちゃん』とかいう空想に目覚めた所為でお目溢しを受けるようになり、今ではすっかり数を増やし巣をつくってこのザマという訳だ。

 その時、唐突に地面が揺れ始めた。紫子は思わず殺虫剤を地面に取り落とす。

 地震が揺ったということを理解した紫子は妹をその場で抱え込む。たいした揺れではなさそうだったが強くならないとも限らない。緑子は姉の手の中であわあわあわと動揺していた。

 ゴキブリ軍団はその場で気持ち広がってカサカサしていた。真っ黒い塊が色を薄くしながら面積を大きくしている。おぞましい光景だ。

 やがて地震が止む。緑子はがくがくと震え始めた。

 「……来る。こ、これは魔王がやって来る予兆だ……」緑子は怯えた様子で天井を見詰める。

 「ま、魔王……?」紫子はとうとうついて来られない。

 「……魔王アンドー。ユウコちゃん率いる兵団の敵で、大きな八本の脚で兵士達を抱え込んで食べちゃう恐ろしい悪魔なの……」

 ポトリと、天井から落ちて来た黒い影があった。地震の影響でジョロウグモが一匹落下して、ゴキブリの群れの中央に飛び込んだのだ。

 「ま、魔王アンドーだ!」緑子は息を呑みこむ。「ま、負けないでユウコちゃん! みんなで戦えば怖くないよ! 戦って魔王を倒すんだ! そしたら人間の姿に……」

 あちこちカサカサと這いまわっているゴキブリの内、もっともビックサイズな一匹、つまりユウコちゃんが、魔王アンドーこと一般ジョロウグモの至近距離を間抜けにも横切った。そしてあっけなくジョロウグモに捕まった。

 「ユ、ユウコちゃぁあああん!」

 緑子は悲鳴を上げて打ちひしがれる。魔王アンドーに哀れにも捕食される騎士団長、ユウコちゃんのその壮絶な姿に、紫子は思わず目を背けた。キモかったのである。

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