姉妹、猫殺しと対決する 後編8
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茜が案内されたのは十二畳程度の部屋だった。天蓋付きのベットなんてものを生で始めて見る。床も壁も勉強机も磨き上げられていて、本棚には一度も開かれたことが無いようにピカピカの百科事典がずらりと並んでいる。
『金持ちの子供の部屋』というのをアタマに思い浮かべたのがそのまま具現化したような場所だった。だがステレオタイプ過ぎて人間の気配というものがほとんどない。着せ替え人形が住む小奇麗な部屋のようだというのが茜の印象だ。
そうした印象からただ一つ浮いているのは棚に置かれた水槽で、中には縁日にいるような安い金魚が二匹、お互いの尻尾を追うように泳いでいた。
「使用人でボクの世話役の長者原という女性がいてね。彼女がいつも掃除をしている。父さんが見に来た時に少しでも散らかっていたりしたら彼女は職を失う羽目になるからね。ボクは長者原のことを嫌ってはいないから、彼女が安心するまで掃除してもらっている。この部屋を自分の所有物と思っている訳でもないから、勝手に触られても困るようなことは何もない」
「その長者原さんの姿が見えないけれど」胡桃は言った。
「買い物に出ている。というか出るように言った。君が来るというから。そこで素直に従ってくれることがボクが彼女を嫌わない理由でもある」
「おまえの世話係は勅使河原という名前だった記憶があるけれど」
「勅使河原はクビになった。姉さんからの尋問というか拷問に耐えられずにボクの居場所を吐いたからね。お陰でボクは姉に拉致監禁されて一週間ほど地下にいた」
話が見えない。
「愛情を注いでくれる狂人に世話されるのが良いか、正常であっても愛情のない人間に世話をされるのが良いか、微妙なところだね。一人で生きていくことができればこんなジレンマはなくなるんだが、ボクは発達障害で高校にも行けないくらいだから。自信はないんだよ。たまに思い描くのは、素敵な王子様が現れてここから出してくれることだけれど……君は素敵なガールフレンドを見付けてしまったようだし」
「あいにくだったね。だが世の中にはおまえのような奴を手助けする団体がいくらでもあるだろ。そこに助けを求める手伝いくらいならしてやっても良いけど」
「こんな綺麗なマンションの部屋に住んで衣食足りてる大病院の娘が助けを求めて、取り合ってくれるとは思えないな。反抗期だと思われて終わりだよ」
「あなたらどういうご関係ですか?」茜は勝手にベッドを占拠して身体を伸ばしながら言う。女なら一度くらいこういうところでお姫様みたいな服着て寝てみたいもんだ。「こんなキューティな元カノがいただなんて話は聞いていないですけどね」
「虹川はボクの元クラスメイトだと言う話はしたよね? それだけだよ」
「にしちゃ親しそうですけど」
「中学三年生の頃」虹川妹は口を開く。「胡桃はボクのクラスの級長でね。養護学級の生徒で不登校がちだったボクの世話を焼く係だった」
「あなた級長なんて柄ですか?」茜は言った。
「押し付けられたんだよ」胡桃は肩を竦める。「虹川のことだって教師に良いように使われていただけさ。いつも彼女の部屋で妙な禅問答に付き合わされたもんだよ。まあまあ楽しかったけど。ボクにしちゃまっとうに友人関係を築いていたと言えるんじゃあないのかな?」
女子の友達なんてできるキャラクターじゃないと思っていたらそういうことか。こいつにはこいつの中学時代があって、人間関係があったのだろう。茜は自分の中学時代を思い浮かべようとして、父親への反抗期で恥を積み重ねたことを思い出して苦笑いした。それはそれで大事な時間だったとは思うが、あえて頭に思い浮かべていたいかというと別問題だ。
「それで本題だ」虹川妹は勉強机の椅子に腰かけながら言った。無表情な視線を虚空に向けるその姿は意思を持たない人形めいて見える。「君たちはいったい何のためにボクを訪ねたのかな?」
「おまえの姉さんと会わせてほしい」胡桃は言う。「できるかな?」
「断る」虹川妹は即答する。「ボクがあの人と関わりを持つことは許されていない。しかし、どうして君が姉さんと会う必要があるのかは興味があるね」
「ボクの友達が……正確にはそこの彼女の友達なんだけれど」胡桃は茜の方を指し示しながら言う。「その友達が今偉い目にあっていてね。街の動物殺しの犯人だという疑いを近所の人たちから持たれているんだ。それを晴らしたい」
「それがどうして姉さんに会うことに繋がるんだい?」
「説明するよ」
胡桃は西浦姉妹のこと、彼女らが経験したことを話した。虹川妹は無表情にそれを聞いていて、最後に小さく頷くと、胡桃に尋ねた。
「それで、君が助けようとしているその双子姉妹、名前はなんていうのかな?」
「必要かい? 西浦だよ。西浦紫子さんと緑子さんだ。とても仲が良くて……」
「世界は狭いものだ」虹川妹はそこでどういう訳か茜の方を見た。「そうか君か。君が『あかねちゃん』だったか。名前を聞いた時からピンと来てはいたんだ。なるほど彼女らから聞いたとおりの人物だね」
「いったい何を言っているので?」茜は身体を起こした。
「その姉妹はボクにとって昔の知り合いでね。胡桃のいる学校に転校してくる前の中学で一緒だった。同じ養護学級の生徒だったから良く一緒に話をした。君のように級長としての義務感から親しく接してくれたのではなくて、とても自然に仲が良かったんだよ。ありがたいことだ、もう終わったことだけれど」
「あの子らに友達がいたんですか?」茜は首を傾げる。「へえ意外ですね。てっきりお互い以外に気を許す相手などいなかったものだと思い込んでいたのですが。何せ再会した私とすら最初は微妙な感じでしたからね。微妙というか、紫子ちゃんなんかあからさまに避けてきやがったくらいです」
「紫子が君を避けたのは君だったからだ」虹川妹は頬を捻じ曲げ、嘲ったような笑い方をする。「紫子の心には根強いルサンチマンがある。自分は誰からも見捨てられ妹と共に世界から孤立しているのだという空想を抱いているんだな。自分を見捨てた母親や、たらいまわしにもせずにいきなり施設にぶち込んだ親類達、そして自分を救えなかった親しい友人、彼女は全てを憎んでいたのさ。君のこともね」
そう言われ、茜は冷気を浴びたような気持ちになる。今では紫子とも昔のように仲良くやれてはいるが、しかし過去には確かに彼女が自分を憎んでいた時間があったのだ。今も内心ではそうかもしれない。理解していたことのつもりだったが、改めて突きつけられると相当堪えるものがある。
「虹川。紫子さんは茜さんのことを許しているよ。茜さんと紫子さんと緑子さんと三人、親友同士なんだ」胡桃は言った。「人間には限界というものがある。当時十歳の茜さんに何ができたっていうんだよ? そのことを紫子さんも理解しているのさ。だから友達に戻ることができた訳だし……」
「だが彼女の失望が消える訳ではない」虹川はあくまで嘲るような笑みを崩さない。「一度でも裏切られたらその記憶は永遠に消えない」
「虹川」
「当時、彼女らを救えなかったことは一生涯消えないでしょう。彼女らの記憶からも、私自身の記憶からも。だからこそ私は今この瞬間苦しんでいる彼女らを救いたいのです」茜は立ち上がった。「救えなかったらそのことは記憶に残ります。しかし尽力し救ったこともまた記憶に残ります。紫子ちゃんは行動で示すまで何一つ理解しない困った女の子ですが、しかし確かな形で示した友情にはあっさりと応えてくれもします。私はどんな手段を使ってもあなたの姉上を締め上げ知っていることを吐かせるつもりです」
「茜さん。君がどれほどの人物かは知らないが、やめた方が良い」虹川妹は首を横に振った。「姉さんには適わない。あの人は悪魔だ」
「随分な言いようですね」
「ボクは中学の頃五回転校を経験した。姉から逃げる為だ」
虹川妹は他人事のように話し始める。
「ボクらの父親は締め付けの厳しい人でね。次女の上生まれつき頭の悪かったボクはともかく、優秀な姉はそれはもう束縛されたものだったよ。友達ですら父の認めた人間としかなってはならないくらいだった。そうでなくとも四六時中勉強勉強で誰かと遊ぶ時間なんてなかったんだろうが……しかし妹の面倒を見ることは許されていてね。つまり十二歳年下のボクだけがあの人にとって唯一の遊び相手でおもちゃだったという訳さ」
「それがどのようにして、姉上から逃げ回ることにつながるので?」
「まともに友達を作ることも許されず勉強しかしてこなかった人間に、人を愛するやり方なんて分かると思うかい? あの人はいつだってボクのことを傍におきたがり、言うことを聞かせたがり、少しでも自分の考えに背く行動を取れば酷い『お仕置き』を施した。このアタマも」ひょいと、虹川妹は帽子を取って見せた。「小学生の頃、ボクが初めてできた友達の家に遊びに行った時にやられたことでね。相手が男の子だったのも良くなかったかもしれないな。姉曰く『梢ちゃんにはわたし以外のお友達なんていらないんです』ということだ。ボクは涙を流して反省し姉に許しを乞うたが、こうして隔離された今になってみると、その時の自分が洗脳って奴をされていたことが良く分かる」
「ははあ、そんな危険人物とは確かに一緒に住めませんね。それで親がこんなタワマン借りてお姉さんからあなたを匿っていると」
「そういうことになる。しかし姉はやたらと勘が良いからね、五回の転校をしたということは、五回見付かったということを示している。君、首に鎖を付けられて地下室に幽閉された経験なんてないだろう? 父もどうかしているよ。あんな娘を医者にして自分のとこで勤務させてゆくゆくは跡継ぎと考えているんだから。……それから逃げ出さない為のコントローラーとしてボクを使っているんだから」
「地獄みたいなご家庭ですね?」
「本当に」虹川妹は肩を竦めた。「分かっただろう? ボクはもうあの人と関わり合いになったりはしないのさ。君達と会わせてやることもできやしない」
「お姉さまの行動を知る上で何か有用な情報はないのですか? 推測でもかまいません。どんな小さなことでもかまいません。私達の友達を助ける協力をしてください」
「猫を殺して現場にお日様マークを残していく一味に、間違いなく姉はいるだろう。主犯かもしれない」虹川妹は言う。「あの人が幼いボクの手を引いてどこに連れて行ったと思う? 近所を歩いて犬だの猫だのの動物を殺して回ったのさ。あの時はあれが姉なりの権威の示し方というか、怯えさせてボクに言うことを聞かせる策なのだと思っていたけれど……今にして思えば違う目的があったような気がして来る」
「それはというと?」
「助けを求めているのさ。自分はこれだけ傷付いていて、壊れていて、だからこんな異常なことをするんだぞと、世間に向けて発信しているのさ。SOSサインさ。自分を止めてくれる……愛してくれる人間を求めているんだね」
「愚かですね」
「あの人は異常だ。このまま放置すればいずれ人を殺すだろう。関わり合いにならない方が良い」
「紫子ちゃん達はどうなるのです? そのような危険人物の仲間だろう二人組に遭遇し、犯行現場を目撃しまったのですよ?」
「君が彼女らのことを本当に思いやっているのであれば、今すぐ引っ越すように勧めるべきだろうね」
「もっといい方法があります」茜はにっと微笑み、ポケットから携帯電話を取り出した。茜のものではない、黒い無骨なデザインのスマートホンだ。「少しお借りしますよ?」
「……!」虹川妹は鉄面皮を少しだけ歪ませる。大きくなった瞳には驚きが見え隠れしていた。「それは、ボクの……」
「ベットの枕元で充電器に刺さってましたよ」茜は画面を開いて指先で操作する。「ロックくらいかけておくべきでしたね。随分とまあ迷惑メールがたまっちゃって。いかがわしいサイトに登録しすぎたようですね。まあ暇そうですしスマホいじってるくらいしか時間つぶしがないのは理解できますが……あら? これあなたの姉上からのメールですね」
「どこから嗅ぎ付けたのかボクのメールアドレス仕入れて送って来るんだ。その度にアドレスを変えるように父からは厳命されている。メールも削除したつもりだった。返せ」
「悪戯メールの山に埋もれて発見できなかったのでしょう。私に見付かったのが運の付きです。返しません」
虹川妹は椅子を立ち上がり茜に向けて手を伸ばす。茜は難なく身を翻してそれを躱し、机や椅子、棚の上などあちこち飛んでは跳ねつつ虹川妹の追跡を躱した。素の運動神経が違い過ぎて勝負にもならない。表情は動かないままだったが茜を追い回す足取りは必死そのもので、こうして相手をしてやってると可愛らしくさえ思えて来る。茜は上機嫌に逃げ回りながらメールを打った。
「ええと……『今すぐ会いたいですお姉さま。場所は××市の××公園、一人で来てください……』こんなところでいいですかね?」
「やめろ。どうするつもりなんだ、いったい」
「あなたの姉上を呼び出して締め上げるのですよ。相手は本物の悪党なのだから何をしたって構うものですか」
「後悔するぞ? あの人に傷一つ付けて見ろ、父が黙っていない。君は間違いなく破滅する」
「リスクは承知です」茜はそう言って虹川妹の携帯電話をポケットに入れた。「これはお借りしますよ?」
「何だってそこまでするんだ?」虹川妹は諦めたように椅子に腰かけた。息が上がっている。「アリがゾウに挑むより酷い。タナトスに魅入られているようにしか見えないな」
「本当にね」言ったのは胡桃だった。二人のやり取りを静観し続け、つまり止めず、終わってから一人肩を竦めていた。「どうしてそんな強引な方法しか思いつかないかな」
「胡桃、君も随分と妙な女と付き合ったもんだ」
「間違いなく妙な女の子だけれど、僕はこの妙な女の子が好きでたまらなくってね。……君には悪いと思っているよ、スマホ、なるべく早く返しに行くから」
「その時は是非紫子と緑子の無事を聞きたいもんさ」虹川妹は溜息を吐いた。「だが彼女らにボクのことは話さないでおくれ」
「なんでまた?」茜は首を傾げる。
「ボクにはあの子達の友達でいる資格がない。だが東条さん、君にはそれがあるようだ。君のことは最初あった時から気に食わないと思い続けているが、その一点は認めてやるさ」
「紫子ちゃん達のことで私に嫉妬しているのなら、あなたの中にも彼女らへの友情は残っているのですよ」
「否定はしない」
「素直になりなさいな」
「バカを言え」
虹川妹はそう言って茜達から視線を外し、棚に置かれた水槽を見た。
「ボクは君のようには自分に胸を張れない。彼女達にボクは必要ない。ボクには思い出があればそれで良い」
その視線は確かに水槽の中の金魚を追いかけていた。
「金魚は二匹で良い」




