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姉妹、猫殺しと対決する 後編5

 ◇


 下校時、アタマに無数の釘を打ち込まれた猫が学校傍の路地に放置されていたのが騒ぎになった。生徒達は可愛そうとか気持ち悪いとかいう声を発しながら、スマートホンのカメラのシャッターを切っている。

 もう何匹目だろう。胡桃は昨日見たネットのニュースサイトの記事を思い出す。近頃の猫の虐殺死体の出現頻度は常軌を逸していた。一日一匹というペースは超えて久しい。十数キロ離れた場所にほぼ同時刻に殺されたであろう猫が二つ同時に出現したりする当たり、動物虐待を趣味とするクレイジーはおそらく一人ではないようだった。

 「ちょっとあなたら邪魔ですよ、どいてくださいな」

 人垣の方から声が聞こえた。訓練されたリポーターのように良く通るその声に、胡桃はぎょっとする。東条茜だ。

 茜は死骸に群がるハエを追い払うように生徒達を蹴散らすと、血まみれの脳症塗れの猫の頭部を掴み持ち上げた。それから釘を一本猫の頭部から引っこ抜く。

 野次馬の女性生徒達はわざとらしい悲鳴を発した。やだぁ、とあからさまに嫌悪するような声を出す女生徒の一人に、茜は笑みを浮かべつつ血まみれの釘を放り投げる。女生徒が本気の悲鳴を発して逃げ出すと、茜はおもしろがるように引っこ抜いた釘を撒き始めた。たまらず人垣は蜘蛛の子を散らすように掃けていく

 「ちょっとちょっと茜さん」胡桃はそんな茜の前に駆けて行った。「何やってんのさ?」

 「おもしろそうな事件ですからね。私なりに興味を抱いているのですよ」言いながら、茜は猫の頭部から一本ずつ釘を抜いて行く。なんでそんなことをするのかと一瞬悩み、茜のその手付きにいたわりが込められていることを感じとり、胡桃は表情を崩した。

 「何ですかその面は」

 「いや、埋葬でもしてやるつもりなのかなと思って」

 「私はこの猫氏に対して同情的な気持ちを持っていますが、しかし埋葬のような宗教的行為に意味や必要性は感じませんね。生命というのは生きて動いていてこそ価値があるのであり、死んだ者に何をしたって無意味です」

 「じゃあなんで釘を抜いてやってるのさ」

 「犯人は猫の頭に釘を打ったスプラッタホラー的オプジェクトの作成を試みたのでしょう。世間をあっと言わせたいのでしょうね。しかし生命を弄ぶその根性が気に入りません。嫌がらせに警察やマスコミが見る前に釘を抜いておいてやろうと思ったわけです。犯人悔しがりますよ。良い気味です」

 「この犯人を好きになれないのには同意するけど、でも茜さんって、僕の弁当に生きたままの昆虫を混入したことあったよね? 生命を尊ぶ気持ちが足りていないのは、君も人のこと言えないんじゃないのかな?」

 「見てください胡桃さん」茜は都合の悪いことは無視して指を指し示した。「例のマークですよ」

 猫の死骸の落ちていた近くの壁に、悪趣味にも猫の血液で描かれたお日様マークが描かれていた。渦巻き模様を直線で囲んだ、子供が描くような太陽マークだ。

 ここ最近街で起きている連続動物殺傷事件の特徴として、太陽のマークが犯行現場に高確率で残されているというものがある。この猫がそうだったように、死骸や現場に群がり撮影する人間は後を絶たず、あまつさえそれがネットにアップされたりするので、いわゆる犯行声明の一種として認識されているのだ。

 「犯人はおそらく複数犯、少なくとも三人以上と言われてますよね。猫を殺し、死骸に何らかの細工を施した上で、お日様マークを現場に刻んで去っていく……。私の認識では動物の虐殺行為はマイノリティの遊びなのですが、良くも人数が集まったものですよね」

 「ネット上だと動物虐待の話題を専門に扱う掲示板まであるくらいだ。それも結構な人数が出入りしているみたいだよ。覗いてみたけど、そこではこのお日様マークの犯人達は神のように祭り上げられていた。死骸の写真も良くアップされていて、新しいのが来る度お祭り騒ぎさ」

 「そうなると犯人達のモチベーションも上がろうものですね」

 「クルミン☆ミナミンの僕には正直気持ちは分かっちゃうな。取り柄のない人間が目立つには奇行染みた真似をするしかないからね」

 「HAHAHAこの人達と言いあなたと言い友達がいないんでしょうねぇ」

 「お日様マークは集団なんだから君よりは友達がいるはずさ」

 「私にだって友達くらいいますよ」

 「僕は家来じゃなかったかな?」

 「今日もこれから遊びに行きます。アポは取りませんがきっと私のことを受け入れてくれるでしょう。えぇそれはもう、大親友ですからね。あなたも来ますか?」

 「あの双子のところかな?」茜の友達と言えばそれしかいない。

 西浦紫子・緑子の姉妹は茜の幼馴染だ。小学生みたいな顔と身体つきをしている可愛らしい双子の少女。二人とも気の優しい性格をしていて、アクの強い茜のこともなんだかんだ受け入れてやっている。

 妹の緑子がクルミン☆ミナミンを気に入ってくれているのもあって、胡桃もあの二人とは交流を持っている。姉の紫子からは相変わらず『友達の友達』として扱われるが、嫌われている訳ではないらしい。自分が付いて行っても不快に思われないというのは自信過剰ではないはずだ。

 「君の行くところなら付いて行くよ」胡桃は答える。

 「殊勝な心がけです」茜は気を良くした。「グロテスクなものを見せられて気分を害していたところです。友人と心休まる時間を過ごすのが良いでしょうね」

 釘を抜き終えた猫の死骸を茜はその場に放り出した。埋葬まではしてやらないらしいが、釘を抜いてやっただけでもまだ善意のある方か。

 それから手も洗っていないまま首の後ろに腕を回して歩き出す。血まみれの手はまるで茜が殺した後のようだ。茜は自分の身体の汚れをあまり気にしない。

 いつも乗り回している原付はなく、生活指導の教師に登下校での使用を注意されてからというもの、大人しく歩いて学校に来ている。きちんと怒れば結構言うこと聞くのよ……とは、級長として彼女に世話を焼く茶園という女生徒から受けたアドバイスだ。

 「茜さん。手くらい拭いとかないと君が殺したと思われるよ?」

 「それで何か不都合あります?」茜は涼しい顔をしている。

 「大ありだと思うけど」

 「では失礼して」茜は胡桃のズボンのケツに自分の両手をこすりつける。「いやぁすいません女子の制服って生地に黒いところないもんですから。その点学生服って良いですねぇだいたい黒だから血くらい付いても何も目立たないですもん。HAHAHA」

 「マジかよこの女」胡桃はセクハラとパワハラを同時にウケながら肩を落とした。


 ◇


 「ふむ?」姉妹の住む貧乏アパートに辿り着いて、茜は眉を顰めた。「なんですか? これは」

 アパートの壁に大きく『猫殺し西浦姉妹』と落書きがされている。スプレーか何かによるものだろう。真っ黒いその文字からは姉妹に対する強い悪意が明確で、茜が眉を顰めるのも当然のことだった。

 「こりゃ酷いね」胡桃は壁の文字に手を当てて言った。「本人たちは知っているのかな? 警察か大家さんに言うべきだろうね」

 「警察や大家の前に私に知らせるべきでしょう」茜は腕を組んだ。「犯人を特定してベロで舐め回す行為だけで消させてやります」

 「そりゃ拷問の域だね。とにかく知っているのかどうか聞いてみよう」

 二階の部屋に付いてインタホンを鳴らす。しばらく警戒するような間があってから、一人の少女が現れた。

 「あー……あかねちゃん」午後四時を過ぎているというのにパジャマを着ていた。「と、胡桃さん」

 「私です。いやぁ紫子ちゃん、大変なことになってますね」双子を一目で見分けられるのは自分達の内茜だけだ。「なんですかあの壁の落書きは? ご存知です?」

 「知っとるわあれくらい」心なしか元気のない声だった。「ちょう悪いけどやな、今、緑子が具合悪くてな。遊びに来てくれたのにすまん。上げられへんねん」

 「なんですか? 具合が悪いというのは……」茜は眉を顰める。

 「良いよ紫子さん、気にしないで。アポなしで押し掛けた僕らが悪いんだし……」

 茜はそんな胡桃を片手で制した。

 視界を防ぐように現れた白い腕に、胡桃は思わず狼狽える。狼狽えているのは紫子もそうだった。茜の表情から澄ました笑みが消えている。感じ取れたのは怒りと不服だった。

 「答えてください。何かあったんですよね?」茜は腕を組んで言った。「あなたはそう見えて規則正しい生活を送るタイプです。アルバイトが休みなのだとしても、この時間にパジャマというのは尋常なことではないですね」

 「あんたにゃ関係ないわ」紫子は言った。「なああかねちゃん、ごめんって。今のあの子ちょっとした弾みで爆発するから、あかねちゃんは刺激が強すぎるんよ。もうちょっと落ち着いたら連絡するけん、そん時遊んでや」

 茜は苛々とした様子だった。「私に話せないことって何です? っていうか紫子ちゃん、自分の腕切ったんですか?」

 茜にそう言われ、胡桃は紫子の白い腕に注目した。左手首に大きな白いガーゼが巻かれている。彼女の腕にリストカットの痕跡があることは知っている。また新たに傷を刻んで、それを手当てしたということなのだろうか。

 「自分で切って妹さんに手当てさせたんですね? どうしてそんなことを?」

 「せやからあんたには関係ないやろ?」紫子の声には邪険にするような響きすらあった。

 「それ結構危ないですよ? 一歩間違えりゃ脈を傷つけて大量出血です。あなた自身は加減分かってやってるつもりなんでしょうけど、妹さんからしたら気が気じゃないはずですよね? 優しいあなたならそのくらい分かっているはずなのに我慢できなかった。いったいどうして? それなりのことがあったはずです」

 「……ちょっと、茜さん」胡桃はたしなめるように言う。「君がこの子達のことを思いやっているのは分かる。でも今無理に聞き出すことじゃあないでしょう? 話したいこととそうでないことは誰しもあるよ。だから……」

 「あなたは黙っていなさい」茜は胡桃を睨みつける。

 「すまんな胡桃さん。えぇで」紫子は溜息を吐いた。「あんたに話してどうにかなることやないんやけどなぁ……。ほなけどそない言うならちょう話すわ。聞いて」

 とうとう聞き出してしまった。紫子がたどたどしく説明するのを茜が根気強く聞いているのを、胡桃は傍で腕を組んでただ見守っていた。

 猫の捕獲機を発見したこと。ある理由から過去の友人がその捕獲機の仕掛け人であることを予想し、その友人に会う為に妹と二人で待ち伏せを行ったこと。だがやって来たのは全く無関係な二人組で、二人ともが結構な危険人物だったこと。妹共々気絶させられ、目が覚めると捕獲機を仕掛けたのが自分達の所為にされていたこと。警察の前で自分達の見たことを説明したが聞き入れられなかったこと。

 自分達が猫を殺した証拠がある訳ではないので、任意の事情聴取以上のことはされていない。しかし、過去に自分達の手で猫を埋葬しているところを住人に見られ勘違いされていたこともあってか、アパートの住人や近隣の人々からは自分達が動物殺しに関わっていると見做されてしまったらしい。疑う人達の中に一人厄介な人物がいて、自分の飼い猫が殺された怒りを姉妹に度々ぶつけて来る。嫌がらせも絶え間なく、あまりにしつこいので一度は殴り合いの喧嘩になった。

 紫子はアルバイトをやめた。バイト先にも嫌がらせはあるがそれが理由ではない。緑子が一人でいる時にそいつが家に押し掛けて来てパニックになるということが増えた為だ。傍にいてやらねばならない。切り崩す程度の貯金はあるのでなんとかやれてはいるが、現状が続くようだと厄介だ。

 「……何がつらいって、何もできんのがつらい」紫子はそんなことを茜に漏らした。「あの子が苦しんどるのにウチにできることなんもない。ケーサツとかシヤクショとかにも文句言いまくったけど、あいつらあからさまにあしらいやがる。暴れても怒鳴っても何も解決せん。どうすりゃえぇんや」

 「一人で背負い込むからです」茜は腰に手を当てた。「服着替える気力もないってそれ鬱になりかけてますよ。リストカットなんかしちゃってまあ。どうして私を頼らないのですか?」

 「あかねちゃんがなんかしてくれるん?」

 そう言われ、茜は目を大きくして息を呑みこんだ。絶句している。それから激しい感情を込めた瞳で紫子を睨みつけようとして、思いとどまったように下を向いた。

 胡桃は驚き、そして気付いた。茜は傷付いたのだ。究極的に何があっても飄々としている東条茜が、目の前の華奢そのものの少女によって、これ程分かりやすく傷付いたのだ。

 「あ、いや、ごめん」紫子は茜が傷ついたことに気付いて焦った顔をする。優しい子だ。「いやホンマ、実際どうにもならんのよ。なんとか犯人が捕まって誤解が晴れるまで妹と乗り切ってみるけん、心配せんといて?」

 心配するなという方が無理だと思う。心の病を持つ妹を抱えるこの少女は、近隣住民からの厄介な誤解と激しい嫌がらせに苦しんでいる。現に妹を守る為に職を失ってまで家に引きこもらざるを得なくなっていて、本人も着替える意欲も失って青白い顔を浮かべている。

 引きこもり続けるのにも限度がある。養護施設を出て数か月の十六歳のこの子達にいったいどのくらいの貯金があると言うのか。この状況が続くと明らかに良くない。だが犯人が捕まると言う保証もどこにもない。

 「……ようは誤解が晴れれば良いのです」茜は顔を上げた。「犯人が捕まれば良いのです。警察が捕まえないというなら私がやります。そいつらに洗いざらい吐かせて事件の全貌が解明されれば、あなた達を取り巻く状況は改善するはずです」

 茜はそう言って、瞳に力を入れて紫子の両肩に手を置いた。それから言い聞かせるように話す。

 「お任せください紫子ちゃん。あなた達の敵は私がぶちのめします。さすればあなた達に対する心無いデマも風化して、嫌がらせをしていた数人も泣いて悔い改めあなた達に土下座して謝罪すること間違いなしです。約束します。全て任せてください」

 「あ……アハハっ」紫子は笑った。とびっきりの冗談でも訊いたかのように、腹を抱えて。「アハハハ。アハ。アハハハハっ」

 茜は呆然としていた。その呆然としていることにも気づかないくらい、紫子はけらけらと大笑いしていた。そして目尻に浮かべた笑い泣きの涙を拭いながら、茜に向き直って口を開く。

 「そら頼もしいわ。うん……うん。ありがとうあかねちゃん。そう言ってくれるだけで元気出たで」

 「本気ですよ」

 「変わらんなぁあかねちゃん」紫子はたははと笑った。「その場のノリでナンボでもでかい口利くところ。それがあかねちゃんなりの勇気付けやってのウチ理解しとるで」

 「だから本気だと言っているでしょう?」

 「はいはい。本気やな?」

 紫子は肩を竦める。茜は澄ました笑みを浮かべている。だが胡桃だけは気付いていた。その握った拳が震えていることを。綺麗に伸びた爪にヒビが入るくらい強い力で握られていることを。

 「元気出たっていうのもホンマや。ありがとう」

 「それは良かった」そう微笑んで茜は取り繕った。「ではまた緑子ちゃんの調子が戻ったら」

 「うん。ほなな」紫子は手を振って引っ込んでいく。

 扉が閉じられる音はやけに冷たく響いた。

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