姉妹、猫殺しと対決する 後編3
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町に動物の死骸が出現し始めた。
姉妹の住むアパートもその被害にあった。もともとこのアパートの敷地内には猫が多く出現する。獲物が多いだけでなく、アパートの背後の狭いスペースに回れば建物と石垣に視界を阻まれ周囲から死角であり、しばしば犯人はアパート内で調達した猫をその場で殺害して立ち去るといった犯行に及ぶようだった。
喉から尻にかけてナイフで切り裂かれ、中の臓物を一つ一つ丁寧に引っ張り出して並べたてられた三毛猫の死骸が、敷地内に駐車されていた車の上で見付かったのは今日の午後のこと。持ち主であるハイカワさんが車の前で棒立ちになっているのを、銭湯に向かう途中の姉妹が声をかけたのだ。
「……残酷やな」紫子は顔色を悪くして言った。「なんでこんなアホなことを」
『自己けんじよっきゅうのはつろ』ハイカワさんは手帳を取り出すと、姉妹の前にボールペンで書きなぐるような文字でそう書いた。
『ざんこくにやればちゅう目される』
『ちゅうもくしてしまう人がいる』
『かなしんだり、おこったり、おもしろがったり、見ている人は自分にとってきもちのいいかんじょうを己の中に生み出す』
『どれだけざんこくだったかを人々に伝えることでお金をもうけるマスコミもいる』
『人々ははんこうがおきるのをのぞんでいる。だからはん人はねこを殺す』
「そういう考え方もできるかもしれんけど、ホンマに悪いんはたった一人、実際に猫を殺したバカ野郎やろ?」紫子は腕を組んで言った。
ハイカワさんはメモをしまい、長い髪を揺らしながら首を傾げた。『それはまったくもって、そのとおりなのだけれどね』と言っているように、緑子には見えた。
ハイカワさんは車の中からビニール袋を取り出すと、猫の死骸やぶちまけられた内臓を素手で掴んでその中にぶち込んだ。『仕事で急ぐからお願いね』というような表情を浮かべ、緑子にそのビニールを手渡す。
「分かったよハイカワさん。埋めて置くからね」
ハイカワさんは親指を突き出して頷いた。『頼むわよ』
血まみれの肉片塗れの車体を平然と走らせる隣人を見送り、紫子はげんなりした顔で緑子の持つビニール袋に視線をやる。
「……あいつ。押し付けやがった」
「わたし達に埋葬させてくれたんじゃないかな? その為にビニールに入れてくれた。わたし達がいなかったら、あの人は多分、死体を地面に捨ててそれでおしまいにすると思う。ハイカワさん、猫は好きだけど、死体を埋めるとか手を合わせるとか、そういうことはやらないもんね」
「あーそういう人やっちゅうことは分かるんやなおまえも。なんかそういうんオカルトで切って捨てそうあの人。ものの見方とかごっついシビアなんよ。死んでしもうたら死体に何したったって一緒やいうこと、分かっとるんやろうな」
紫子は難しそうな表情でビニールを見詰める。
「まあでも、もし万が一タマシイとかそういうんがあるとしたら、……ないやろうけどでももし万が一、あるんやとしたら、こいつもこんなグチャグチャのままビニールの中は嫌やろ。一応、埋めといたろうや。な?」
「うん。お姉ちゃん」緑子は頷いて、笑った。紫子はこうしたバランス感覚を持っている。死んでしまえば何の意味もなくなることを理解しつつも、哀れな姿を晒し続ける亡骸に感情移入する心も持っていて、それらを自分の中でとても自然に両立させているのだ。
肉袋を二人で持って、柔らかい土を探す為に歩き始めた姉妹を、すれ違った若い女が腰を抜かしそうに後退る。
アパートの敷地内、建物の裏にコンクリートで塗装されていない場所がある。昔誰かが植えただろう木が一本だけ生えていて、薬を飲み忘れると緑子はこれのしゃべり声をたまに聴く。
木の麓に、黒い帽子が一つ落ちていた。
姉妹は顔を見合わせた。恐る恐るそれを手に取ったのは紫子の方で、見覚えのあるそれを姉は穴が空く程じっと見つめていた。猫の死骸を見てからというものアタマの中にちらつきつつも声に出さないでいたその名前を、初めて口に出したのは姉妹同時だった。
「「これ、虹川くんの」」
髪の毛一本生えていない虹川が、太陽に見下されたくないからと言いながら被っていた黒いハットと、それは間違いなく同じものだった。
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猫の死骸を見ると、頭の中に蘇る思い出は一つだ。
先程のように姉と一緒に猫の死骸を発見し、一緒に埋めて、そこから始まった試練を二人で耐え抜いて、最後の最後に、その猫を殺したのは自分だと友達だと思っていた相手から告げられた。
つらくて苦しくて、最後は悲しさと寂しさで終わっている、それでも大切に心の中にしまっておかなくてはならないような、そんな思い出だ。
虹川梢のことは今でも好きだ。緑子が姉のことを話すのをたくさん聞いてくれた。仲良し姉妹で羨ましいと、あんな素敵なお姉さんを持てている君は幸せだと、何より嬉しい褒め言葉を何度もくれた。
緑子にとって本当に必要なものは姉だけだ。けれど虹川は姉だけが必要な緑子を肯定し必要とした。だから緑子も虹川のことを受け入れられた。一年と半年の時間を一緒に過ごして、失うことがつらいと思う程の存在にまでなっていて、最後の最後傷付けられた心は完全には癒えていない。
会いたいと思う。彼女が猫を殺していたって構わない。虹川が緑子を友達として必要としてくれたことに報いたいと思う。彼女の心の中にある孤独に、姉と二人で向き合いたい。
そんな思いで、緑子は姉に協力してもらいながら、近所で起きている動物殺し事件について調べ始めた。
テレビニュースを可能な限りチェックして録画し、携帯電話で慣れないネットの海を歩き、その内要領を掴んで、有象無象の情報の中から役立つものをノートにまとめていった。
これは虹川が起こした事件なのだろうか。その可能性はあると思う。もしそうだとすれば虹川は今も孤独に苦しんでいる。この広い世界に自分はたった一人きりなのだと叫んでいる。その声に耳を傾けなければならない。駆け寄って『大丈夫?』と声をかけ、疎ましがる言葉を枯れるまで受け止めてから、優しく抱きしめてあげなければいけない。
黒のハットは今も姉妹の部屋にある。もしも虹川がこのアパートの敷地で猫を殺し、ハットを忘れて帰ったのであれば、これを友達に返すのは姉妹の役割だ。
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「緑子。なあ、緑子」
言いながら、ニコニコというよりニヤニヤとした表情で近寄って来るのは、バイトから帰って来た紫子だ。
「なあこの白いカゴの中な、鶏のから揚げ入っとるやろ。取ってみ? なあ、取ってみ?」
メッシュネットでできた六面体のカゴだった。緑子の方に向けられた面だけが上部にスライドする形で空いていて、中には鶏のから揚げが置かれている。
「う、うん」
緑子はそうっと中に手を差し込み、鶏のから揚げを手に取った。途端、ぱちんとゴムの音がしたかと思ったら、上部にスライドしていた一面が降りて来て緑子の腕を挟んだ。痛いとという程ではないが圧迫感を覚える。
「アハハハっ! ひっかかった、ひっかかった」紫子は愉快そうに笑う。
「これは引っかかったとは言わないような……」緑子は苦笑した。
鶏のから揚げは箱の中にある小さな板の上に置かれていて、抑えの役割と果たしている。からあげを手に取ったことで重みが消え、それによりゴムの仕掛けが作動、箱の入口が閉じるというからくりのようだった。
これは動物を捕える罠の一種なのではないか……などと思考する緑子の前で、紫子はあくまでもおかしそうに笑っている。
「いやな。ウチもこれひっかかったねん。誰の悪戯か知らんけどやられたわ」
「え? 誰の悪戯か分からないって……どういうこと? どこにあったの?」
「うん? アパートの周りの茂みの中。なんか白いカゴあるなーなんやろなー思うたら中に鶏のからあげ入っとるやろ? ラッキー食べよう思うて手ぇつっこんだらバチーン音してな、今のおまえみたいに手ぇ挟まれたんよ。おもろいけんおまえにも見せたろ思うてもってきたんや」
「ひ、拾い食いは、身体に良くないって……」
「いうて鶏のから揚げやで? 落ちとったら食べるやろ、この時間ちょうど腹へるし、しゃーないしゃーない」
「……好物だもんね。材料あるから今夜作ってあげるよ」
緑子は言った。この姉は施設時代喧嘩騒ぎを起こした罰などでしょっちゅう食事を抜かされていて、給食のある時はともかく夏休みなどは本気の飢餓を起こすこともあった経験から、拾い食いという行為に抵抗がない。早く治って欲しい悪癖だ。おいしいものでいつもお腹一杯にしてあげなくちゃ。
「え? ホンマ? やったぁ」紫子は嬉しそうに笑った。「でもこの仕掛け誰が作ったんやろな。ドッキリいうてあかねちゃんあたりが出て来るんか思うたら、周りに誰もおらんし……」
「……ドッキリとかじゃないよ」緑子は言った。眉を顰めて。「これ、猫とか捕まえる罠」
「え? そうなん?」
「うん。からあげって匂いが強いからね。茂みの中に置いておけば猫は反応すると思う。あとはお姉ちゃんがかかったのと一緒。からあげを咥えたら入口が閉じて、閉じ込められるの」
「そんな上手くいくんかな?」
「猫ってアタマ悪いから」緑子は悪意なく言った。
「あれー? 今、お姉ちゃんすごいバカにされたような気がするねんけど……」
「わ、わたしお姉ちゃんのことバカにしたりなんて絶対しないよ」
ちょっと傷ついた顔をしていた紫子だったが、すぐに気を取り直したらしくネットの向かいに腰を下ろす。妹の手を箱から外させてから、神妙な顔で切り出した。
「この箱は猫を捕まえる為の罠なんよな?」
「そうだと思うよ」
「誰が仕掛けたんや? ……やっぱり、近所で起きてる猫殺しの犯人なんかな」紫子は腕を組んで難しそうな顔をする。「猫を追いかけて捕まえるのって大変やもんな。こういう罠に頼るんかもしれん」
「このアパート、ゴミ置き場が汚いから猫がたくさん来るものね。犯人が罠を仕掛ける場所としては妥当じゃないかな。この箱は大家さんを通して警察に届けなくちゃいけないね」
「ジョーシキ的に言うたらそうなんやけど」……紫子は苦い顔をした。「ケーサツ、ぶっちゃけ頼りにならんのよな」
紫子がそう思うのも無理はなかった。アパートの敷地内では何度か猫の死骸が見付かっており、獲物を手に入れやすいスポットとしてマークされていることは誰の目にもはっきりしている。そのことを大家が訴えても、『パトロールを強化する』と答える以上の反応を警察は寄越さない。
「あとウチな、今、街で起きとる猫殺しの犯人、割と真面目に虹川くんちゃうんかと思うとるんよ」
「帽子、敷地の木の前に落ちてたもんね。偶然だとは思えないよ」
「もしもこの罠を仕掛けたんが虹川くんやとしたら……。なあ、緑子。……おまえはやっぱり虹川くんとは会いたいか?」
紫子は確認するように言う。その表情には迷いが浮かんでいた。
「会いたいよ」緑子は優しい声で答えた。「虹川くんは最後にわたし達のことを拒絶して去って行った。でも、それがどのくらい本気だったのか、今でも拒絶しているのか、それは今のわたし達には分からないことだから。だから、会う必要があると思うの」
「おまえが会いたいんなら良ぇよ。ウチも虹川くんのことは今も好きや。ウチらのこと分かってくれとったと思う」紫子はそう言って立ち上がる。「ウチらも、虹川くんのこともうちょっと分かったるべきやったかもしれん。っしゃっ。じゃあ夜になったら待ち伏せるか!」
「わたしも行くよ」緑子は続けて立ち上がる。「おにぎりの夜食とか作っとこう。きっと長くなるよ」
「大作戦やな」紫子は笑った。まるでケーサツの張り込みやな。おもろそうやんけ」
と、いう訳で。その夜姉妹はアパートにやって来る虹川を待ち伏せる為、白いメッシュネットの箱を手に持って部屋を出て、階段を降りて行った。




