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姉妹、猫殺しと対決する 後編2

 日本勝ったね。エースも四番もしっかり仕事をしたな。

 欲をいうなら、山田の復調を大会中に見届けたいところだ。菊池もたいした選手だがやはりセカンドがホームランを打てるというのが今の日本の長点。彼がセカンドを守れていればスタメンをいじって秋山や内川といった好打者を加えられるからな。打線により一層厚みが出るというものだ。

 ×


 姉の休日は緑子にとって待ち遠しい。それが診察とかで外出しなくちゃいけない日であっても、一人でいるよりずっと良かった。

 紫子のアルバイト中一人で部屋の中に取り残されていることは結構なストレスであり、また抱えている疾患と向き合う上でも良い状態とは言えなかった。一人でいる間にパニックに陥ることは大いに危険であり、実際そうなったことも一度や二度ではなく、その度に姉や周囲に迷惑をかけることになる。姉が出かけてから戻るまでの時間、正気を保ち続けることは緑子にとって毎日の闘いでもあった。

 施設時代は今では考えられない程の大量の薬を服用し、命を削りながら症状を抑え込んでいた。そうしないと姉と一緒にいられなかったから。養護施設で緑子を担当した青沼という職員が、『緑子を真人間に戻す為』強い薬を大量に飲ませることを好んだのは好都合だった。

 だが施設を出て新しく掛かった医者に服用状況を伝えると、医者は眉を顰めて首を横に振った。家族として付き添った紫子の目を見ながら、『こんな狂気の沙汰は二度とやめさせろ』と戒めるように言った。その時に紫子が浮かべた、頭を殴られたような表情は今でも覚えている。

 そんな訳で、緑子は今現在かなり薬を減らした治療をしていた。それで何とかなっているということは医者が合っていたということかもしれない。少なくとも、紫子はある程度その医者を信頼して妹を任せていたし、緑子自身その先生のことは嫌ってはいなかった。会うと緊張はしたけれど。

 だから……その老いた医者が引退して、次に担当になった医者を姉妹がどうしても信頼できず、結果病院まで変えることになったのは残念なことだった。

 「みどりこー。これから行くビョーインな、この辺でいっちゃんでかいとこやねん」自転車をこぎながら、紫子は言い聞かせるような優しい口調で言った。「せやからな、多分、良いお医者さんがおるで。期待しようや」

 「うん。お姉ちゃん」緑子は姉の身体に抱き着いて言う。「わたし、がんばるからね」

 「前のあの若い奴みたいにいい加減やったら、ウチが蹴り飛ばすで」

 病院の前に自転車を停める。問診票を描いて少し待つと、診察室に通された。

 虹川姉がいた。

 「御掛けくださぁい」にっこりと笑う白衣姿の虹川姉。緑子はまずはその美貌に目を奪われて、それから姉の方に視線をやった。紫子はぎょっとした表情で固まっている。

 「あらぁ? あなた達……どこかで会ったような……?」虹川姉はしばし首を傾げていて、それからふと閃いたように柏手を打った。「わー! あの時財布を拾ってくださった西浦さん! すごいなぁ偶然だなぁ。あたしこう見えてお医者さんなんですよぉ。えへへへぇ」

 それから虹川姉はとうとう傍の看護師が宥めるまで一人ではしゃいでいて、それから興奮冷めやらぬ様子で身を乗り出すと、姉妹をそれぞれ指差して言った。

 「というか、西浦さん、どうしてお二人いらっしゃるんですか? 分身の術?」

 「……ウチら双子やねん。『姉』の欄にウチの名前なかったか?」紫子はとてもとても不安そうな顔で言った。

 「あらー。双子ちゃんなんですね。本当にこんなに似てるんだぁすごいなぁ」虹川姉はなんだか嬉しそうだ。「……あ、でもちょっと違い見つけましたよ。あのですねぇ、眉毛の角度なんですがお姉さんの方がちょっとだけ鋭角で……」

 「そんなんはえぇから」紫子は苛立ちを孕ませた表情で言う。「この子! この子ウチの妹。受診しに来たんや話聞いたって? 言うとくけど大事な妹預けるんやからしっかりしてくれんと困るぞホンマに」

 「はいはいお任せください」にっこりと笑い、虹川姉は請け負った。「ではどうぞ御掛けになって。お二人とも立ちっぱなしは疲れますよぅ」

 この女性のことは知っていた。中学の頃の友達のお姉さんだし、免許証の写真で顔も知っている。写真で見た時から美人さんだと思っていたけれど、実際に会うとそれ以上だ。化粧っ気がないのに何もかもが綺麗で、驚く程上品な笑い方をする。

 「昨日はどのくらい寝られました?」目一杯お医者さんっぽいことを言おうって感じの表情で、虹川姉は切り出した。

 「ぜ、全然……」緑子は一人でそう答えられた。怖かったら姉に間に入ってもらうつもりでいたのだが、どういう訳かこの女性には警戒心を感じない。

 「そうですか。寝れることってどのくらいあります?」

 「三日に一度くらい……ずっと起きてると気が遠くなる時があって、それで」

 「良く見ると目にクマができちゃってますね。とっても可愛らしい顔をされてるので、あんまり目立たないですけれど……。『紫子さん』、お化粧とかしない感じなのに、すごくお肌が綺麗。十六歳ですかー、若いのって羨ましいなぁあたしなんか今年でとうとう三十で……」

 「……それ治療に関係ある話なん?」紫子はちょっと不安そうに言った。「あと、こいつ緑子。紫子はウチ」

 「あ、すいません。間違えました」虹川姉は顔をしかめる。「それで紫子さん、じゃなくて緑子さん、だっけ? え? どっちだっけ? ごめんなさいちょっとこんがらがっちゃって。ねぇ土田さん、どっちがどっちだったっけ?」

 「……患者さんが緑子さん、お姉さんが紫子さんです」虹川姉より年上そうな看護師の女性は表情が引きつるのをこらえるような顔でつぶやいた。

 これまでに出会ってきた、どのお医者さんとも違う感じの人だった。なんというか、お医者さんなのにお医者さんって感じが全然しなくて、会話の内容も緑子の容態というよりは世間話みたいな感じだった。どう治療の役に立つのかは全く分からないが、しかし自分の病気の話をさせられるのはストレスなので、それは少し助かってもいる。

 虹川姉は色々な話題を広く浅く緑子に振り続ける内、料理の話題ならある程度答えられることを見抜いたようだ。虹川姉は小学校の時給食のエビフライに挟まっているしその葉っぱがどうしても許せなかった話を枕にこんな話を緑子に振った。

 「それでわたし、いっそ自分でエビフライ作ろうと思って家の調理室に勝手に入ったんです。でも油の中でぶくぶく言ってるエビを見てると眠くなっちゃって、建物一つ焦がしちゃって新聞に載ったんですよね。緑子さんもそういうことってないです?」

 大丈夫かこの女、的な表情の姉を横目に、緑子は素直に答える。

 「……何かしてる時、眠くなる時は、あります。料理とか」

 「そうですよね。不眠症と言っても人間には眠る必要があるんですから、夜寝れてない分ふとした時に眠くなりますよね」

 「……はい。その、危ない、ですか?」火を使う時とかたまに意識が遠のくと、身の危険を感じて腰が抜けることもある。だから料理なんかは姉がいる時にしかしたくない。

 「大丈夫ですよ。きちんとお薬を飲んでれば。寝れない時はお薬で寝ちゃいましょう、無理はいけません」

 「……薬は、極力減らそうって前の先生と、姉と、話し合ってて。それで、漢方で調整してもらったりとか……」

 「偉いです。けど生活に支障が出るのはもっとダメですよぅ」

 「でも……どうすれば……」

 「新薬があるのです。とても良い成分。これ本当にすごくてですね、あたしも知った時びっくりしたんですけどね、ちょっと説明させてください本当すごいんです!」

 処方の為の説明なのに堅苦しい雰囲気はまるでなく、飼っているペットの自慢でもするかのように虹川姉は話し始めた。気が付けば専門的な説明の書かれた資料を手渡され、虹川姉と一緒にそれを読まされていて、飲んでも良いかなという気持ちになるまで、その内容を理解させられてしまった。

 それが自分の症状や希望にズバリ適合した薬だったことに緑子は驚いた。何気ない会話の中でかなりの情報を引き出されていたのだろう。とぼけた個性を打ち出してはいても、その実患者のことを冷静に分析しているのかもしれない。

 あまり薬は飲みたくないし飲ませたくないという姉妹の希望に沿った上で、虹川姉は何が緑子に必要で不要なのかを一緒に考えてくれた。二人三脚で治療を進めて来た姉妹を虹川姉は手放しに褒め、この調子でやって行けば治療のゴールに辿り着けると思いますよと微笑み、診察を終えた。

 「お疲れさまでした。きっと良くなりますよ。こんなに素敵なお姉さんがいるんですから」

 最後にそう言われたことが緑子は嬉しかった。


 ×


 「なぁ緑子」

 自転車置き場で、紫子はとても微妙な顔を緑子に対して浮かべた。

 「あの医者どう思う?」

 「……不思議な人」緑子は答える。「若いのに色んなこと知ってる。前のおじいちゃんと同じかそれ以上に薬のこととか詳しい。話も上手。掴みどころがなくて、アタマもきっと良い。なのになんだか気を抜いちゃう」

 緑子にとって医者というのは恐怖の対象だった。何せ自分のことを知らせなければならないし、相手を信頼して与えられるものを受け入れなければならない。話をするときはいつだって決死の覚悟だった。

 なのに虹川姉のことは怖いと思えない。頼りないとも思えない。どちらも良いことのはずなのに、不思議なもどかしさがある。

 「……医者とかおまえふつうは怖いもんな。怖いはずの相手を怖がれんのが一番怖いのよな?」

 紫子は言った。緑子は目を丸くしてぶんぶん頷いた。それはまさに自分が虹川姉に抱いていたもどかしさの正体だったからだ。

 「医者ってアホにはできん仕事やろ? ほなのにあんなアホみたいな女が医者やっとる。ブっとるんやろな、あのアホみたいな態度は演技なんや」紫子は腕を組む。「完璧全部が演技とかではないは思う。ただなんちゅうか、自分の抜けとるとこ知っとった上で、その抜けとるとこを積極的に人に見せて油断させようみたいな、そういうズルいとこあると思う。悪い人かどうかは分からんけどな」

 緑子以上に緑子の医者について深く考えてくれるその様子が愛おしい。猜疑心は強いがその分人を見る目もきちんとあって、十三歳も年上の人の欺瞞を紫子はしっかりと見抜いている。

 「お姉ちゃん、全然頭良いのにね」緑子は悪意なく言う。「どうして掛け算の筆算で躓くかなぁ」

 「……い、今はその話やめへん?」紫子は冷や汗をかいて言った。「ところで、緑子は実際どう思うあの女?」

 「わたしは良いかなって。話してて怖くなったり逃げ出したくなったりしないし、ちょっと変わってるけどちゃんとしたお医者さんに見えるし、それにこれ以上医者を変えると電車に乗らなくちゃいけなくなるし……」

 「まあ友達になるとかやないしな。医者なんてモンは多かれ少なかれ患者に演技しとるもんや」紫子は腕を組む。「おまえが良ぇなら良ぇよ。ウチも最初あの女が出て来た時はどないしょ思うたけど、あれで意外と頼りになりそうやしな。あの先生で行こうか?」

 「うん」

 それから姉妹は自転車にまたがり、処方された薬を貰って自宅へと戻って行った。

 一つどうでもいい話をすると、茜ちゃんは基本的にはその年の強いチームのファンなのですが、ジャイアンツだけは別腹で負けると不機嫌になるという設定があります。好きな選手は最近だと小林誠司。

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