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東条茜、魔法少女に振られる 5

 ◇


 本気で殴り合っておいてパンツ晒す程度で恥も糞もない。息を切らす茜の傍で、クルミン☆ミナミンは胡桃南に戻る。元の服装に戻り、座り込んで一息吐くと、茜から声をかけられた。

 「あなた、結局私を殴りませんでしたよね」

 拗ねたみたいな顔だった。胡桃は小さく笑ってから、なるだけ嫌味に聞こえないように言った。

 「流石に殴るのは抵抗があってね。どのみち、僕の習ってたのは組技中心だから、打撃は得意でもないんだよ」

 「髪の毛を掴んだりもしませんでした。女はそれで動きが止まります」

 「それは流石に卑怯」

 「結局手加減してんじゃないですか」

 「君だって金的はともかく、目つぶしと噛み付きは我慢してくれたじゃない?」

 「……まったく。私が下回るなんてあってはならないのに」茜は溜息を吐く。「例え相手が大人の男でも……ライオンでもゴジラでも私が勝たなければいけないのに……」

 「だから降参したのは僕。降参言わせたのは君。勝ったのは君だよ東条さん」胡桃は言った。「君の言う通りだと思う。競技ならともかく本気の喧嘩なら、最後に勝敗を別つのは技術や腕力じゃなくて覚悟や執念さ。そっちは君のが上だったってこと。大丈夫、保証する、例え君の前にライオンやゴジラが現れたって、勝つのは君の方さ」

 「……仰る通り」茜は笑顔になる。「今回は勝ちを譲られましたが、しかしあくまで各上はあなた。改めて拳を磨くことにしますので、また挑戦させてくださいね」

 「それはちょっと……」胡桃は微妙な表情を浮かべた。「もうキンタマ握られるのはごめんだし」

 「なんですか。反応してたくせに」茜はからかうように言う。

 「前も言ったけど僕は君のことが好きなんだ。あんな密着されて股間握られちゃ多少はね? 許してよ」

 「やだ……ちょっと格好いい」胡桃のあまりの潔さに、茜は震えた声で言った。

 それから二人でしばらく屋上に転がっていた。胡桃が煙草を取り出すと、茜は「一本下さい」と主張した。どうせ吸えないのにと思いながら手渡すと、案の定ゲホゴホせき込み始める。

 「吸えないのに無理しないでよ」

 「戦友と余韻を分かち合うには良い手段だと思いましてね」

 「タバコなんて身体に良いもんじゃない」

 「じゃあなんで吸ってんですか」

 「言ったろ。中学の頃不良の下っ端やらされて無理矢理吸わされて今じゃヤニ中。武道やったのも不良のボスと決着付ける為さ」

 「勝ったのですか?」

 「君と互角にやれる僕が不良如きに負けるとでも?」

 「愚問でしたね」

 「そういうこと」胡桃はクックと笑う。「漠然と……漠然とだね。苛々してたことがあった。男なら誰にでもあるんだよ、当たり前のことが、平凡で平和で幸福な色んなことが全部気に入らなくて背を向けたくなることが。だからせめてそういうのから距離を置いてそうな奴らと付き合った。それも含めて、傍から見れば平凡で平和な出来事だったんだろうけど」

 「でも下っ端だったんですよね?」

 「身体は昔から小さかったし、気持ちだって強い方じゃなかった。碌な目に合わなかったな。抜けたくても抜けられなかった。使いっ走りとか恥芸とかばっかりで、下級生の鞄まで持って……でも自業自得だから自分でケリを付けなくちゃいけなくて」胡桃は煙を吐き出す。「暴力に頼った」

 この屋上で、胡桃は不良のボスと相対した。胡桃は必死で命がけで戦って……そして、理解した。自分を苦しめ続けて来た目の前の男のくだらなさを。自分の悩みや苦しみ、苛立ちのつまらなさ、それらを感じていた自分自身の小ささを……媚びた笑みで助けを求めるその男の頭を踏みしめながら、胡桃は痛感したものだった。

 「あなたが頼ったのは暴力ではありません」茜は言った。「勇気です。戦おうとするその勇気があなた自身を救ったのです」

 「でも暴力が備わったから戦う気になれた」

 「暴力が備わっても戦えない人間はいます」その口調は、どこか自嘲げだった。「拳を磨いても磨いても一歩を踏み出せない人間はいます。必要以上に物事を恐れ、救えるはずのものを救えず、間に合わず全てが終わってしまって……己の卑怯さや弱さに打ちひしがれる。そんな人間もいます。あなたは違った。磨いた拳で己を救った。あなたは私が敬意を持つべき人間です。拳を交えてそれが分かりました」

 「東条さんにそこまで言ってもらえたなら、鍛えた甲斐があったかもしれないね。嬉しいよ、涙が出るほど嬉しい」

 拳を交えれば理解しあえるなんてお題目がある。実際に拳で会話なんてできる訳がないのだけれど、でもお互いの精神の厚みを理解しあうことは本当にできるのだろう。胡桃は不良のボスと闘って相手の矮小さを理解した。茜と戦って彼女の気持ちの強さも理解した。どんな手を使っても、例え己の腕を圧し折っても、絶対に負けないというその執念が、彼女の気高さの根底にあることを知った。

 でもその執念とは……いったいどこから来た物なのだろう。どうしてそんなに強いのだろう?

 彼女をもっと知りたかった。胸を張り、いつだって楽しそうで、何が起きても揺るがない気高さと誇り高さを持った東条茜という人間の傍にいて、もっと彼女を知りたかった。そして認めてもらいたかった。彼女の傍にいて、その孤高に寄り添うことを、認められたかった。

 「ねぇ。東条さん」

 胡桃は体を起こし、茜の方を向き直って言った。

 「君のことが好きだ。僕と恋人になって欲しい」

 「かまいませんよ」

 茜は拍子抜けするほどあっさり言った。

 「これからは『茜』で呼んでください。夕方に生まれたから茜だそうです。今は亡き母が付けてくれました。名前くらい決めてから産めよって言いたいところではありますが、私自身は気に入ってます」

 「分かったよ茜さん。僕のことは南くんとかで良いよ」

 「いえそれはタッ○の主人公みたいなんで『胡桃くん』で」

 「えぇ……」

 「それでは胡桃くん」茜は立ち上がった。「帰りましょうか」

 「ああ」胡桃は立ち上がる。「そうだね」

 屋上を降りる。人生で初めてできたガールフレンドは、最高の女の人だった。きっとこの人を超える女性には胡桃は出会えないし、その確信は多分今この時だけのものではない。

 ずっとこの人の隣にいられれば良い。胡桃は、心の底からそう思った。

 その時は。


 ○


 「付きおうたらしいで。あかねちゃんと胡桃さん」紫子は言った。

 「え? 本当に?」緑子は言った。なんだか目を輝かせて興味津々。「デ、デート、どうなったのかな? お姉ちゃん何か知ってる?」

 「偉い食い気味やなおまえ」紫子はいつもの四畳半のテーブルに身を乗り出す妹をたしなめた。「バイト中にな。胡桃さんから電話掛かって来て、顛末おしえてもろたねん」

 バイトの休憩時間中に電話が掛かって来て、トイレまで行って出てみたところ胡桃からだった。映画を二回見て小学生軍団と闘って、小学生の自転車を解体しようとする茜を止めるべく殴り合いの喧嘩になった。しかし拳での語らいは絆を育み、互いを理解させ、そして戦友となった二人はそのまま恋人同士になったという。

 「そうなんだぁ」緑子は楽しそうにそれを聞いていた。この妹は紫子より女の子なので、色恋沙汰とかちょっと興味あるんだろう。まあ本人に『男とかどんな人が好み?』とか振ったら『お姉ちゃん!』と意味不明な答えが返って来るので、悪い虫が付くことはないだろうけど。

 「そんなおもっしょそうに聞いてくれるんやったらもっと早ぅに言うべきやったかな? なんかうっかりしとったわ」

 「今聞けたし良いよ。でもあかねちゃんにカレシさんかー。なんか大人みたい」

 「あん人もウチらもえぇ大人やで」と紫子は言い張る。「でも胡桃さんえぇ人そうやしまあ良かったやん? あかねちゃんと付き合うとなると苦労するやろし、三日でアタマハゲそうやけどな。あははっ」

 「ふふふっ」

 「あははっ」

 チャイムが連打された。ほがらかに笑い合っていた姉妹はびっくり仰天し、その場で二人してこけそうになり、お互いの肩を掴んで落ち着き合わせると、こくんと頷き合って紫子が扉に向かった。

 茜が訪ねて来ていた。

 「なんやねーん」紫子は友人を家に招く。「聞いたで胡桃さんのこと。ウチらあの人と実は知り合っとるんよ。えぇ人そうやなぁ良かったやん。ちったこれであかねちゃんもまともな性格に……」

 「フられました」

 「あ?」 

 「フられました」言いながら、茜はずしずし室内に入って来て、テーブルの上に腰かけ、脚を組んだ。「私は麦茶を所望です。一刻も早く用意しなさい」

 「机座んなアホ。緑子ええで、立っとるしウチが淹れるわ」

 三人分お茶を出すと茜はあろうことか三つのコップを続けて飲み干し、姉妹は自分の分だったはずのコップが空になるのを呆然と見つめた。茜はふうと息を吐くと、床に座ってだらりと身体をテーブルにうつ伏せ、頭だけ姉妹に向けた。

 「フられました」

 「どうしたん? 胡桃さんあんなにあかねちゃんのこと好きそうやったのに……」

 「何がいけなかったのでしょうか……」

 「思い当たること話してみ?」

 「何も変わってないですよ私。……そりゃ、ちょっと悪戯が行き過ぎていた面はありますが……」

 「悪戯? なんやそれ?」

 「いえまあ……カレシってようは男の親友みたいなもんでしょう?」

 茜のその言葉に、紫子と緑子は顔を見合わせる。

 「そ、それはちょっと、違うような気がするな」緑子は控えめに言った。

 「せやで。男と女のつがいなんやけん、やることやったりするもんやろ?」紫子はあけすけに言った。

 「ちゅうくらいしてやろうかという気持ちはあったんですけどね。ただそういうのは抜きにして、恋人ってのが私良く分からなくて、向こうも良く分かってないっぽくて、だからふつうに友達みたいに、ゲーセン行ったり提出物写させてもらったりパンとか飲み物買って来てもらったりしてたんですけど……」

 「パシりやんけ……」紫子は身を退いた。

 「ただまあ、それって女友達でもできることなんですよ。それならあなた達がいますし、女友達じゃできないことは何かなって思って、あなた達と胡桃くんの違いを考えて……そういやあいつ頑丈だなって思ったんです」

 「頑丈?」

 「ええ頑丈。あなた達やらかいですからね、ちょっと悪戯しすぎたらふつうにケガするし、場合によっちゃ泣くでしょ? 後ろからえげつないヒザかっくんとか肩にパンチとか足に紐付けて原付で引っ張るとか……」

 「まあ、もしあんたが緑子にそういうことしたらウチはキレるな」

 「だから今までやらなかったんじゃないですか」茜は溜息を吐く。「でも胡桃くんならいいやって思って……」

 「は? まさかあんた、さっき言うたようなこと」

 「本気でケガさせるようなことはしてません。ただまあ、お弁当のから揚げを全部クワガタに交換したりとか……」

 「えぇ……」呆然とする紫子。

 「鞄の中に消火器入れておくとか……」

 「うわぁ……」口を塞ぐ緑子。

 「靴の中に形も大きさも同じ氷を詰めるとか、自転車の車輪を三つに改造するとか、黒ずくめで覆面付けて襲撃して手配した車に乗せて廃墟ビルに浚って謎の儀式をさせるとか……そういうことを続けていると、『君のカレシがこんなに大変だと思わなかった』と、一方的に別れを告げられまして……」

 「あかねちゃん、照れ屋の寂しがりだから」緑子は眉をいつも以上に弱気な形にした。「愛情表現なんだけどなぁ。でも、そうと分かっていても、付き合うのが難しくなったんだろうね」

 「そりゃそうなるわ。胡桃さん我慢した方ちゃう?」紫子は腕を組んだ。「ウチやってたまにウザぁなるもんあかねちゃんのこと」

 「え? 酷くない?」茜はちょっと傷ついた顔をして言った。

 「たまにウザぁなっても一緒におりたい思うんが友情やで」紫子は言う。

 「うん、あかねちゃん変な人だけどわたしは好きだよ」緑子は言う。

 「まあお二人は昔からそんな感じで私に付き合ってくださいましたからね。……フられたのは正直ショックです、私付き合うと言ったからには胡桃くんには好意あったんですけど」

 「今から謝ってどうにかならんかな?」「うん。ずっと離れ離れはつらいよね」

 「いえ、やり過ぎたことはもう謝りましたし、それに離れ離れということもないですよ」

 「は?」「え? どういうこと?」

 「カレシは向こうから辞退しましたから、代わりに家来にしました。カレシとは対等な関係ですから全力の私を受け止めてもらいますが、家来には優しくしなければなりませんからね」

 「なんやその理屈……」

 紫子が呆れ声でそう言った時、チャイムの音が鳴り響いた。姉妹はまた二人してこけそうになり、今度は茜が立ち上がった。

 「来たようです」にっこり笑う。「はいはい。今親分が出ますよー」

 茜の後ろについてこっそり玄関へ向かう。茜が開け放った扉の先には、胡桃が立っていた。

 「ああ、ひさしぶり紫子さん、緑子さん……で、いいのかな? 苗字一緒だからどうしても名前呼びになっちゃうね」

 そう言ってさわやかに微笑む胡桃。『魔法少女』でさえなければ温和で紳士でここぞの根性もあるし、ふつうに格好いいんだけどなと紫子は思う。まあそれを差し引いても悪い人じゃないし、妹が胡桃を『クルミンの人』として受け入れているので、基本的に他人に気を許さない紫子も彼のことはそんなに拒んでいなかった。

 「おまたせ茜さん。これ頼まれてたの」言いながら、胡桃は黒のリュックから何かと取り出していく。「パンとお菓子と飲料と、あと野球盤。割と重かったよ」

 「よろしい」茜はそれらを受け取ってから、ふと考える仕草をして、言った。「野球盤は私対西浦姉妹で遊ぶとして……盛り上がったらふつうに夜通しになっちゃうんですよね。泊まるかも」

 「そうなんだ。結構親密なんだね」

 「一応寝間着とか歯ブラシとか持って来といてもらいますか。銭湯行く時わざわざ家に寄るのも面倒ですし。はいこれ鍵」言いながら、茜は胡桃に鍵を渡す。

 「へ?」

 「場所分かんなかったら電話してくださいね。後部屋片付けといてくださると助かります。そろそろ散らかって来たので」

 「鬼みたいに人使い荒いな君は……。まあ、僕はそれでも良いんだけれど」

 「苦しゅうありません。それ終わったらここに遊びに来て下さいな。緑子ちゃんの前でクルミン☆ミナミンやったら喜ばれますよ」

 「良いのかな? まあとにかく頼まれたよ。行って来るから……」

 言いながら、素直に茜の家へと向かう胡桃。紫子は身を退いて、緑子は呆然と、そのやり取りを見詰めていて、茜は野球盤と菓子パンとドリンクを持って振り返ると、小さく溜息を吐いてから言った。

 「まったく。こんなにキューティクルな私をフってしまうなんて、あの人も本当に愚かです」

 「パシりやんけ……」紫子は言った。「パシりやんけぇええっ!」

 紫子のそんな叫び声が四畳半に響いたところで、この話はおしまい。

 胡桃南と東条茜のお話はこれでひとまずおしまいです。

 このエピソードには思うところ色々あったりしますが(これまでにない程姉妹の影が薄くなってしまったし)、描けてよかったかなとは思ってます。胡桃南ってキャラは準レギュラーくらいの地位でちょこちょこ出て来るとは思いますが、気に入ってくださると幸いです。

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