姉妹、格の違いを見せつける 2
タイトル変えた記念に臨時投稿のつもりだったけど結局変えなかった記念に投稿します。
〇
夜中にふと目を覚ましてみたらマジで起きていた緑子と目が合った。自分の枕元にぺたんと座ってこちらをじっと覗き込んでいる。暗闇の中でこちらをじっと見詰める鏡のようなその顔に、紫子はとりあえず「なにしとん?」と呟いてみた。
「うん!」緑子は爛漫とした笑顔を浮かべた。
「いや『うん』違くてな……今何時?」
「四時だよ」
「……もうちょい寝るで」
「うん!」緑子は何故か満足げに頷く。
座っている同じ顔が眠っている同じ顔を何時間でも何時間でも覗き込んでいるさまは、傍から見ると多分それなりにホラーだ。自分の寝顔や寝相が、不眠症を患った妹の退屈や不安を少しでも薄めているなら、それはまあまあ悪いことではないだろう。
とにかくもう二時間は妹の隣で虚無と戯れていられる……などと思っていたが、普段より一時間早い午前五時に緑子に起こされる。
「お、お、お姉ちゃん。よ、よ、呼び出しが。電話で。六時って。スーパーの裏って。どど、どうしよう。たたたた大変なことになっちゃった……」
緑子は目を潤ませて顔を青くしていた。目をこすりながら布団の上で胡坐をかき、どうにか妹の伝えたいことを解読する。
「電話が、あったんやな。こんな朝早くに」
「うん、うん」
「呼び出しって誰を?」
「お姉ちゃん」
「場所と時間は?」
「六時にスーパーの裏」
「誰から?」
「あ、赤嶺さんって言ってたよ?」昨日やりあった女性店員だ。
「赤嶺から、六時に、ウチをスーパーの裏に呼び出すよう電話があったんか。家の固定電話に。ほんで気持ちよさそうに寝とるウチの為に代わりに電話対応してくれた妹に、一方的に用件を告げて切ったと」
「うん、うん。お、お姉ちゃん。何か心当たりあるの?」
「……あるなぁ」紫子は困り顔で目を閉じる。「いっちゃん新人なのに結構生意気なこと言うとるからなー。ただでさえウチに当たり強いしあん人。体育大学在学とかで武闘派気取っとったな確か。こりゃあかん、きつぅにシメられる奴かもな。……どないしょ」
「あ、あわわわわわ……」緑子は顔を青くして身を震わせる「ダ、ダメだよお姉ちゃん。行っちゃダメだよ。いじめられるんでしょ? 殴られたり蹴られたりするんでしょ? ダメだよそんなの、絶対ダメ」
「そない言うてもバイト先で会う以上、ずーっと逃げ続けるいう訳にもいかんやろ」
逃げたら逃げたで逆上される恐れもある。行くだけ行っておとなしく殴られておくのも手かもしれない。しかし震えている妹を見ていると、こっちまで恐ろしくなるという正直な気持ちもあった。午前六時、つまり開店時刻の七時より一時間早い訳で、最悪の場合、店長他数名が出勤してくるまでの数十分間いたぶられることになる訳だ。是が非でもこれは避けたい。
「や、やめちゃえばいいんだよ! わたし、内職とかがんばるから。次のお仕事見付かるまで、何か月でもきっと繋ぐから」緑子は冷静さを失った声色で強くそう主張した。
「ありがとう緑子。でもそれは一番安直や。バイトかて簡単に見つかる訳やないし、手帳持ちのウチらでもそこまで余裕がある訳ちゃう。それにお姉ちゃん、おまえにそこまで負担かけたないわ」
「でも……でも……」
「安心しぃ。お姉ちゃんは強い!」
意気込んでから、紫子は押し入れに身体を押し込み、奥から段ボールの箱を引っ張り出す。『ぶきこ』と紫子の文字でマーカーで描いてあり、用途は記載のとおり。
物事を武力で解決しようとして余計にややこしくすることに定評のある紫子は、自身の腕力のなさを補うためにしばしば手製の武器を作成する。パニック持ちの妹には『緊急時以外触れるな』と伝えてあるが、しかしその言いつけでは何も危険は消えていないことに紫子は気付いていない。
「た、戦うんだね……」緑子は震えた声で息を呑んだ。
「せや。世界中でおまえだけは絶対に味方やけど、他はウチのことなんか助けてくれへんからな。そのおまえは喧嘩できひんし、ならウチが戦うまでやで」
「あうあう。ごめんね、役に立てなくて」
「ええんやで。……さて、武器は今ある中で最も攻撃力の高いこれで決まりやな」
紫子が取り出したのは、ホームセンターで買った気の杭二つを、取っ手である十センチほどの木の棒の両端に接着剤でくっ付けた代物だった。見ているだけで危なっかしい。
「『ダブルランス2』や!」
「つ、強そう!」緑子は感動した様子だ。「先がすっごく尖ってるね!」
「せやろ? ムチャクチャ研いだからな」狂気の沙汰だった。「その辺の木ぃを突いてみたらけっこー刺さったで。人間の皮膚なんかイチコロやろなぁ」
「すごい!」
アタマおかしい。しかし紫子は自身の日曜大工を見せびらかすことが誇らしいだけであり、緑子は姉のやることはなんだって肯定する為、このアホ姉妹はいつまでも自分達の異常さを省みない。
「しかしこれには弱点がある。頭にも尻にも槍があるのがこの武器の特徴な訳やけど、片方を相手に向けて戦うと反対側がちくちくこっちに刺さるんや……」紫子は遠い目をした。
「あ、危ないね。改善の余地があるね」緑子は神妙に頷く。
「まあ攻撃面では完璧な訳やから些細なことや。問題は防御面やな」
「防御……? そうだよね。お姉ちゃんをいじめる奴なんて死んじゃえばいいけど、でもその途中でお姉ちゃんが傷ついちゃったらやっぱり嫌だもん」
「確実にこちらが先制できる訳でもあらへんからな。防御をおろそかにする訳にはいかん。そこでこれや」紫子は段ボールから新たなる凶器を取り出した。「『HELUメット1』!」
スペルが違うがアルファベット表記を理解しているだけマシだ。しかしその実態はというと完全に常軌を逸している。中学時代、自転車に乗る機会があると律儀に被っていた通学用ヘルメットに、大量の画鋲をテープで張り付けたという殺人メット。こんなものを被って外出したら通報から逮捕、そして措置入院のコンボが決まる。
「な、なんかトゲトゲしてるね……」
「おっと緑子。ちょいと離れぇ」
「え? ど、どうして?」
「なんかのはずみに目ぇでも突いたらまずいからな。いわば触れる者皆傷つけるんや。せやからウチがこれを装備する時は、半径一メートル以内に近づいたらあかんで」
「う、うん」律儀に一メートル距離を取り、床に正座する緑子。
「これは必須や。赤嶺は体育大学の学生で、剣道三段いうていつも自慢しよる」紫子は『HELUメット1』を頭に装備しながら言った。「ほんで剣道って、こう、上から来るやろ?」
「『めーん』ってする奴だね」竹刀を振り下ろす動作をする緑子。
「せや。竹刀の一撃を食らえば衝天確実、まず頭を守る装備が必要や」
「それは分かるとしても、なんでトゲ……?」
「ウチの方が背ぇはだいぶ低い訳やから、頭突きが決まる局面は多いはずやで。このトゲトゲに刺されれば赤嶺も相当なダメージを負うやろうな……」
「すごく作戦が綿密だよお姉ちゃん!」緑子は興奮して両手を握りしめた。「これがあれば、きっと有利に……」
「……まだや」紫子はシリアスな表情を作る。
「え……?」緑子は息を呑む。
「相手はホンマモンの武闘派や。背ぇも高い。極端な話、あかねちゃんと闘うくらいのつもりで挑まなあかん。ウチはそう睨んどる」
「そ、そんなに強いの……」緑子は涙目になる。
「『ダブルランス2』は腕力のないウチの攻撃力を補ってくれる、『HELUメット1』は竹刀の一撃からウチを守ってくれる。しかし体育大学で武道なんかやっとる奴は、専門以外にも何かしら齧っとるモンや。まあこれは本人が休憩室でのたまうのを盗み聞きして得た情報やけどな」
「普段から敵の情報収集することを怠らないなんて、流石お姉ちゃん」
「ふふっ。ほんで警戒すべきはやはり柔道や。どうやらウチは身動きとれんようになるとパニくる癖があるらしいから、相手を組み伏せる柔道の技は天敵なんよ。それを防ぐには相手にウチの身体を掴ませんことが重要……そこでこれや」
紫子は分厚い生地でできた服を取り出す。有刺鉄線が粗末な縫い方で幾重にも巻き付けられているクレイジーな鎧だった。
「『ニードルアーマー6』! ウチの最高傑作や!」
「さ、最高傑作。お姉ちゃんの……」
「せや。ナンバリングが『6』であることからも分かるように、これの製作にはウチはホンマ頭を悩まされた。これという材料がなかったが為や。そこでウチは近所の工場の柵から有刺鉄線をペンチで切り離すというウルトラCで最高の材料を確保、このとおり完成に至ったんや」
「……泥棒したんだ。でも、お姉ちゃんがそこまでしたってことは、それだけこの鎧は重要なものだったんだね……」
「せやな。おかげでこの通り、完璧な装備で戦いを挑める」紫子は『ニードルアーマー6』を羽織る。有刺鉄線を巻き付けている服と肌の間にはもう一枚針を通さない生地があり、装備者の皮膚を傷つける心配はない。着る者の社会的地位を失墜させるという一点を除けば割と隙のない鎧と言えた。
「ほな行って来るで緑子」
「う、うん。その……危なかったら逃げてね」
「ここまでやったら負ける要素ないで」
「お姉ちゃんはすごく強いけど、でも万一のことはあるし。話し合いで解決できればそれが一番だと思うの。その尖ってるので刺しちゃったら、きっとおまわりさんに捕まっちゃうし……」
冷静かつ有益なアドバイスである。なんやかし姉よりは利巧な部分もある緑子であった。紫子はうんうんと頷くと破顔して言った。
「安心しぃ。ウチかて無暗に相手をいたぶったりはせぇへんわ」
「うん、うん」
「ほな行って来るで緑子」
「うん。……気を付けてね」
右手には凶器、頭にも凶器、全身にもやっぱり凶器という危険人物丸出しの恰好で、紫子は部屋を出て自転車に乗り込み町を疾駆した。人々の視線が集まっては逸れ、市民の義務を遂行すべく携帯電話を取り出し始める中、紫子は意気揚々と戦地へ自転車をこいだ。
〇
「うおぉああああ!」
チャリの立ち漕ぎでやって来る全身凶器のキチガイに、スーパーの裏で紫子を待ち受けていた赤嶺は悲鳴をあげた。
「ぎゃぁああああ!」
高校時代はスケバンをやっていたという赤嶺をこれだけ恐怖させられるなら、それだけ今の紫子の装備には威圧感があるということだろうか。紫子はテキトウなところで自転車を停めると、妹の言いつけを守って律儀に鍵を閉め、ポケットの右側に定位置管理してから籠の『ダブルランス2』を持って赤嶺に言った。
「ウチ、そんなに生意気やったやろか?」
「へ? へぇ?」赤嶺は目を白黒させている。
可能な限り話し合いで解決しろというアドバイスを受けての発言だった。こうして敵がビビっている姿を見るに、戦わずとも降参してもらえる可能性もあるかもしれない。さっきまでは呼び出しを食らった恐怖で少し冷静さを欠いていたが、しかしよく考えれば、こんな装備で相手を傷つけてしまえばふつうに捕まりそうだし。
「いやな。ウチもな。敬語とかまだまだ使えんねん。センパイへの態度とかもな、勉強中なんよ。せやけどな、別にあんたのことを舐めとったとか、盾突く気があるとか、ほういうんとちゃうんよ」
「え、あ、ええ?」
「そなにウチのこと気に食わんのやったらアタマくらい下げる。けどどつかれるんは嫌やわ。やけんこのとおり喧嘩は買う気で来とるし、手加減はせぇへん。どうなんや?」
「に、西浦さん……」赤嶺は口をぱくぱくさせる。「何か勘違いしてない?」
「何がや?」
「あたし、西浦さんをどついてやろうとかで呼び出したんじゃないよ?」
「え? そうなん?」意外と素直に首を傾げる紫子。
「う、うん。実はね、ちょっとあなたに話しとかないといけないことがあって」
この赤嶺という女、流石に元ヤンだけあってなかなかに肝が据わっていた。背中を向けて逃げるより面と向かってなだめた方が危険が少ないということを見抜き、怯えずにしかし低姿勢で狂人に接する判断力と度胸を有していた。
それが今回は功を奏した。冷静に考える余裕を赤嶺はその態度で紫子の中に作り出していた。
紫子は考える。信じていいものかと思いつつも、そう言えば自分は妹からまた聞きで勝手に『リンチだ』と判断したに過ぎない。単に、姉が呼び出しを食らったことで悪い空想を巡らせた緑子の不安を、双子の共感性をして自分にも伝播させてしまっていただけなのではないだろうか?
「ほんなら、何の用なんこんな朝っぱら」紫子はとりあえず尋ねてみる。
「黄地のこと」
「オウジ?」
「クリーム王子」
「あのクリームパンのお兄ちゃんか」
「そう。彼についてね、あたしなりに噂とか調べてみたの。そしたら、ちょっと紫子さんにとってまずいかもしれないことが分かって……」
「どういうこと?」首を傾げる紫子。
「それを話す前に」赤嶺は紫子の全身凶器を指さす。「それ、外してくれる?」
「そういう作戦か?」
「違うっての! 本当こじらせてんなおまえ!」赤嶺は素の口調でそう言って目を剥いた。
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赤嶺の必死の努力によって二人はどうにか和解に成功する。凶器は緑子手製の布袋に隠すように入れて置き(強い生地で作ってある)、急いで作ってくれた弁当やバイトの制服は赤嶺の持っていたビニール袋に入れさせてもらう。それから向かい合って話をし始めた。
「あの黄地という男、ストーカーの前科があるの?」
「ストーカー?」
「うん。あいつが高二の時なんだけど、町で見掛けて気に入った小学生の女の子について調べて、声をかけて、親のいない時間に家に行ったりしてたんだって。女の子は怯えて親に相談して、警察沙汰になって……停学とか? あいつが大学受験スベったの、それがあるからって噂もある」
「ほへぇ」
「本人は『自分なりの純愛の形だ』とか言ってるけど、でも実際、家に押し掛けてたっかいプレゼント置いてったりとか、怖くて泣き出した女の子を恫喝したりとか、してたらしいし。アイツの親が司法関係の人間じゃなかったら、色々ヤバかったんじゃないかな?」
「ほーん。で、それがウチとどう関係があるんや? あのお兄ちゃんウチにとっちゃただの顔見知りの客やで?」
「分からない? 昨日みたいな感じでアイツに親切にしてやってると、次はあなたがターゲットになるかもしれないのよ?」
そう言われ、紫子は呆けた顔をした。目を丸くして口をアホ丸出しの形で開く紫子に、赤嶺は小さく溜息を吐く。
「あいつ、嫌われてるのよ。そんな前科があるっていうのもそうだし、他の予備校生とかにも『自分は他と違う』みたいな態度出しちゃってるしさ。女の子と話す機会なんてないんじゃない? そこへ来てさ、あなたみたいな何も知らなさそうな、可愛い女の子から無邪気な親切を受けてみなさいよ。ただでさえあいつロリコンなんだから、あなたみたいな子は特に危ないわよ?」
遠まわしにちんちくりん呼ばわりされたことは分かったが、嫌味とかからかいであるはずもないので、ひそかに傷ついておくにとどめた。
「とにかくあいつのことは無視しなさい。そこまではしなくても、お客さんに対してやるべき最低限度のことだけするようにすること。いいわね?」
「ウチ、自分か妹の見たことしか信じんけど」紫子は下を向く。「あんたが真剣にウチのこと思うて言いよるんはなんとなく分かるで。別にあのお兄ちゃんと親しくするつもりがあったんとちゃうし、分かったわ、言うとおりにするで」
「良かった……」
「ごめんな赤嶺さん。ウチあんたのこと誤解しとったわ」
「あたしだって普段ちょっと軽薄に振る舞い過ぎてるとこあるから、いいのよ」赤嶺は言う。「ただ、敬語くらい使えとか、人の話ちゃんと聞けとかはマジで思ってることだから、シメる程じゃないけどそこは言っていくわよ。いいわね?」
「あ、はい」赤嶺はアルバイトの中ではサブリーダーであり下っ端の紫子は指導される立場にある。
「じゃあ、もうすぐ時間だしバイト行こっか」
「うん……はい」
「よろしい」
「あ、ちょっと待って、ください」紫子はポケットから携帯電話を取り出し、『妹』『いえ』『あかねちゃん』の三つの内一番上を呼び出した。




