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姉妹、格の違いを見せつける 3

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 「ってことは、お姉ちゃんをいじめる為の呼び出しとかじゃなかったの?」

 部屋の真ん中でスーパーの方を向いて正座し、姉の安全を祈って両手をすり合わせていた緑子は、姉からの連絡を聞いてほっとした気持ちになった。

 「せや」受話器の向こうから姉の声がする。「赤嶺の奴思ったより悪い人ちゃうわ。あ、ごめん、さんやな、赤嶺『さん』やったなごめんな、え? あ? はい、はいすんません、はい」

 「お、お姉ちゃん? どっちにしろいじめられてない?」

 「……なんかこの機会に上下関係教育し直すつもりらしいわこの人。イジメとかではないけどムッチャ鬱陶しい。まあ実際部下やから反発できる身分ちゃうし、ウチにも誤解しとった分の引け目が……あたっ。ちょっ、ほっぺ引っ張るんやめてください。やめ……本気でやめろ! しまいにゃ怒るぞワレこら! ああ!?」

 「お……お姉ちゃん。がんばって」

 「人間関係しんどい……」泣きそうな声が聞こえて来る。「とにかく、シメられるいうんはウチの早合点で、ホンマはただヤバい客のこと警告してくれただけやったけん。心配いらんで。ウチが帰るんゆっくり待っとってなー」

 「う、うん。じゃあ、お仕事がんばってね」

 「おーう。ほななー」電話が切られる。

 相手は姉のことを心配して警告をしてくれただけだったのか。今のやり取りを聞く限り、『悪い人間じゃない』というのは本当だろう。猜疑心の強い姉なりに、警戒を少し解いているのが分かった。

 「……ほっとした」緑子は口にして、それから長い溜息を吐き出す。「ほっとした、ほっとした、ほっとした……」

 ぶつぶつと一人安心を噛みしめる。あの姉は過去の経験から物事の解決を暴力に頼る性質があり、緑子にはそんな傘の下で生きて来たことへの感謝と負い目がある為、姉が自身の安全の為戦うというなら強く否定はできない。だが残念なことに紫子は喧嘩は体格相応にふつうに弱い。武装して挑めばたいていの相手は逃げていくがそれは凶器を持った狂人への畏怖から来るもので、そんな脅しが常に通用し続けるとは限らない。だから姉が戦う時の緑子は普段の七割増しに挙動不審になるのだった。今も頬を噛みしめ過ぎて口内が血まみれである。

 何もなかったと分かると心に余裕ができて来た。いつものように押し入れから造花づくりキッドを取り出し机に並べると、深呼吸をして、『早朝』が終わりつつある窓の外の景色に視線をやった。

 男と目が合った。

 少し太った顔をした二十歳前後の男である。牛乳瓶の底のようなメガネをかけていて髪の毛はボサボサ、その瞳には何か粘り気を帯びた生暖かい熱量が感じられた。男は緑子と目が合ったのを確認すると、一歩、さらにもう一歩とこちらに近づき、あろうことかこちらに向けて手をこまねいた。

 緑子は気味の悪さから一気に青ざめた。

 「あ、あうあうあう……っ」

 目が合ったのは男がずっとこちらを見ていたからだ。そして目が合ったことに反応すらした。監視されていたと考えて間違いない。緑子はあまりの恐怖に思わず顔を伏せ、姿を見られないように地面にぺったり引っ付くと、窓の死角へ向けて芋虫式に移動して己の身を抱いた。

 「なに、なになになになに? なんなの?」頭を抱えてがくがく震える。「見、見てた? 見てたよね? 目が合った、目が合った。目が合って、わたしはそれから隠れた。隠れたってことが向こうにバレた。あう、あうあうあうあう……」

 姉から『ストーカー男』の話をもっと詳しく聞いていれば、窓の外の存在をソレと結びつけることも緑子にはできたかもしれない。しかし今の緑子が得ている情報は『ヤバい客について警告された』ということだけであり、窓の外の男は未知と恐怖の塊でしかない。まっさらな状態であればあるほど空想力が強く働き、緑子を深いパニックへと追いやって行った。

 「きっとわたしを浚いに来たんだ。16歳にもなって夜一人でトイレにも行けないわたしを、ダメ人間のサンプルとして浚いに来た宇宙人なんだ……。どうしようどうしようどうしよう」緑子の視界に、紫子が散らかしっぱなしで出て行った『ぶきこ』が目に入る。「そそそそうだ戦わなくちゃ。お姉ちゃんだって戦ったんだ。わわわたしだって戦うんだ戦わなくちゃいけないんだ……」

 五寸釘を打ち付けまくった木製バット『ヘラクレス4』を引き寄せ、持っているだけで危ないはずのソレにしがみ付く。姉が帰って来るまで、緑子の長い闘いのコングが鳴り響いた。


 〇


 「かえったやでー」

 バイトを終えた紫子が家の鍵を開け、中に入ると、「うわぁああああ!」という金切り声と共に緑子が釘バットを掲げながら突っ込んできた。

 「ぎゃぁあああああああ!」

 紫子は咄嗟に身を翻すが、今度は妹もバットを振り回す直前に相手が姉であると気付いたようだ。泣きはらした顔で姉の方を見詰め、バットを取り落とす。

 「お……おねえちゃぁん?」

 「なに、ずん、ねぇええん……」あまりの恐怖に涙目になりながら、失禁をこらえる紫子。「また、なんか、あったん?」

 「あ、あの。そ、外で……」緑子はふるふる震えながら姉の身体に抱き着く。「ずっとこっちを見張ってる人がいるよぉおお! 怖いよぅ怖いよぅふぇえええん!」

 ギャン泣きする妹をどうにかなだめつつ、通報される前にバットを回収して家に戻る。トッ散らかったままの『ぶきこ』を見て自分の失策に気付いてから、こないだ拾って来たばかりの座布団に妹を座らせた。

 「あのね。男の人がね。窓の方からこっち見ててね。わたしを浚いに来た宇宙人だと思うの。だからね、ずっとね、隠れたんだけどね、隠れたの多分ばれててね」

 「うん、うん。怖かったなぁ」

 「きっと襲って来ると思ったの。浚いに来ると思ったの」

 「うん、うん。でももう大丈夫やで」

 「ままだまだまだ見てみみみ見て見てるよ見てるよ…………」がくがく震えながら緑子は言う。

 「大丈夫や、大丈夫なんや緑子。夜一人でトイレに行けんくてもおまえは立派やで。せやからほら、このとおりその『謎の男』もどっか行って……」言いながら、紫子は窓の方へ近づき覗き込んだ。

 唇を結んでずっとこちらを見詰めている黄地がいた。紫子が顔を出したのに気づいて、にへらという微笑みを浮かべてこちらに手ぐすねを引く。

 「ぎゃ、ぎゃあ!」紫子はガチの悲鳴を発してその場で尻餅を付き、思わず妹に縋りついた。「ガチやんけ! ガチやんけガチやんけあわわわわわわ!」

 「うぅうううお姉ちゃぁん。ずっといるんだよぉあの男の人。目が合うとこっちに向かって手を振るんだよぉ……。絶対わたしを浚うつもりだよ怖いよ」

 「ど、どないしょどないしょ……」

 かつてないケースである。緑子の空想がただの空想でなかったというのもそうだが、ストーカー男などというのはこれまでにない類の脅威である。姉妹は小さな身体を抱きしめ合って青白い顔で話をする。

 「あ、アイツな。宇宙人とかそういうんちゃうねん。ふつうにな、病院とかではそこそこ見て来たような、ただのちょっとアブない人やねん」

 「た、ただのアブない人……」

 「せやねん。あのな、お姉ちゃんおまえに謝らんとあかんのや。身から出た錆やねん。ちゃんと先輩の話聞いといたらこんなことにならんかったねん。ああ、どないしょ、ホンマどないしょ……」

 根が思慮深い緑子と違い自分は物を伝える能力に乏しい。それでもどうにか同じ内容を反復し、相手に質問をさせ、どうにかこうにか姉妹の呼吸で事態を共有する。

 「つ、つまり、あの人はお姉ちゃんの、ス、スト、ストーカー、なの?」

 「せやねん! こないなるとか想像しもせぇへんやろ!」

 「お、お姉ちゃん可愛いから……。うぅ……あの野郎……」

 おとなしい妹が結構血走った眼で『あの野郎』なんて言葉遣いをしたことに、その時の紫子は気付く余裕がなかった。

 「いや、確かにおまえと同じ顔や思えば、ウチかて自分の見てくれとかは嫌いやないで。けどおまえみたいに女の子らしくはしとらんし、男に付きまとわれるとか考えもせんわ」

 「そんなことないよ。お姉ちゃん素敵だよ? わたしお姉ちゃんと結婚したいくらいだもん」

 「うーん……それはちょーっと話が違うとお姉ちゃん思うかなー?」

 妹のアホな一言で心が少し和んだ。そうなると現状をどうにかする手段を考える余裕も出て来る。そうとも、妹を怯えさせ、今自分を困惑させている対象は今窓の向こうでこちらを見ているクソ男だ。対処すべき対象がこれだけ近くにいるのなら、何を置いてもとっとと立ち向かうまでだ。

 「……せやな。やるべきことは決まっとった。あんな男と結婚せん為にも、今からちょいと話付けてくるわ」

 「え? ど、どういうこと?」

 「『付きまとうな』言うてくるで。ウチそもそも男なんか嫌いや。おまえがおったらそれでええ」

 「わたしもだよ。結婚する?」

 「……妹でおってくれ」苦笑する。「っしゃ! 行って来るで!」

 「うん。あ、あのねお姉ちゃん」

 緑子は焦ったような口調で言って、それからあわあわと迷うように口を動かし、どうにか絞り出すようにして言った。

 「……気を付けてね」

 紫子はそんな妹のアタマを撫でる。

 「心配すんな。ほなな」

 妹に見送られながら、紫子は部屋を出て階段を降りた。


 〇


 アパートの裏に紫子がやって来ると、黄地はどこか緊張したような上ずった声で話しかけて来た。

 「に、西浦さん。や、やっと決断してくれたんだね」

 「あ? なんや、意味わからん」

 「今朝からずっと、部屋で迷ってたじゃないか」

 「何を意味わからんことを……って、あんたもしかして」

 緑子を自分と勘違いしたのか。緑子はずっと部屋で一人怯えながら、時折窓を確認したことだろう。だから自分がずっと家にいたように思えたと、そういう話らしい。

 自分達は一卵性双生児の例に漏れず良く似た顔をしてはいるが、しかしマンガみたいに瓜二つという訳にはいかない。自分の方が少し日に焼けているし、仕草や表情の作り方は全く違う。だから自分達のことをよく知る人間ならほとんど間違えないが、この男とまともに話したのはせいぜい一回。無理からぬ話ではあった。

 「す、すごく待ったよ。だ、だけど、それだけ君を、おも、想っているからね」

 「あ? 気色悪い事抜かすな」

 「ひ、酷いことを」

 「当たり前やろが。あんたの所為でウチは妹に殴り殺されかけたわ。ずーっと監視されよったらそら緑子もパニくるに決まっとるわ、かわいそうに。悪いけど二度と来んといてくれんか? 何を思うてウチの家調べて何時間もそこに立っとったんか知らんけどやな、迷惑なんやわそれ」

 「……迷惑? き、君にとって、ボクと共にいることは、い、良いことでしかないはずだよ?」

 黄地は、紫子の言っていることが理解できないとばかりの表情を取る。

 「き、君のことは、少し、し、調べたんだ。中卒のフリーターで、し、身障者か何かで、手当までもらってるんだろう?」

 「それがなんかあるんか?」

 「ボクはエリートだ。一流の大学を目指しているし、ち、父の後を継いで、法律家になるつもりなんだ。そ、そんなボクと一緒にいれば、と、とても良い暮らしを……」

 「今の暮らし以上に良い暮らしなんかあれへんわ」

 「ほ、本当だよ? ボクは、今は浪人生だけど、それは間違いなんだ。あのクソ大学が、あ、あらぬ誤解から、ボクを不合格にしやがっただけなんだ」

 「そういう話は今しとらん」

 「ボ、ボクは、君の為に、たくさん勉強をする。キ、キミを楽させる為だったら、寝ずに何時間でも何時間でも勉強してやる。入試でナンバー1の成績を取る。そ、そしたら、ボクを、あらぬ誤解から不合格にしやがったあのクソ大学だって、ボクを入学させざるを得ないはずなんだ。きっと、そうなるよ……」

 「だったらそれを頑張ればえぇやんけ」紫子は、目の前の男が少し哀れになった。「ゴメンな。あんたのことちょっとかわいそうに思うてしもた。こんな小娘に同情されるなんて、嫌やろうけど」

 「か、かわいそう……? そうだ、ボクはかわいそうなんだ。あんなクソみたいな免罪の為に……あの女の子のクソみたいなヒステリー親の為に、ボクは、ボクは高校を停学になって、内向所に傷がついて、それで、それで……」

 「ウチはウチの一番大切な人に一番愛してもらえとる。これって多分すんごい幸せなことなんやろな。そうでなかったとしたらすんごく悲しいと思うし、まあ、多分死にたなるわな」

 そんなこと心配したこともないし、心配せずに済むことがどれだけ恵まれているかを考えたことがないくらいに、自分は恵まれている。それが分かった。

 「何を言って……」

 「あんたをかわいそうに思うんはそういうことなんよ。あんたはホンマにウチのことを好きなんやと思う。そこは別に疑ったり気味悪がったりせぇへんのよ。あんたはあんたなりにウチを気に入ってくれたんやろうなって分かっとるで」

 たまたま無知な紫子が親切にしただけであるとか、こいつ自身がまともな精神状態でないだとか、そういうことを言うつもりはない。人間ってのは誰だってどこかしらでボタンを掛け違えているものだし、正気で冷静で筋の通った気持ちだけが本物な訳でもないのだ。だから彼の好意は彼の中で確かに存在するものなのだろう。

 「でもゴメン、ウチはあんたと仲よぅになれへんわ。妹はあんたのこと怖がるし、ウチに必要なんはあんたやないし、センパイからの言いつけもある。むごいけど諦めてもらうしかないねん」

 黄地は表情を消した。紫子は、昔病院で見た呆けた顔でテレビを見つめ続ける精神患者の姿を思い出す。あの無表情は、決して無感情を反映しただけではないと知っていたはずなのに、紫子は迂闊にも慈悲を与えようとしてしまった。

 「せやからすまんけど後はあんたで立ち直ってや。あんた勉強しよるんやろ? 良ぇ大学行って偉い人になるんやって、すごいやんけ。それがんばりや。ほんならウチが言いたいんはこのくらい……」

 胸倉を捕まれ、壁に押し当てられた。

 紫子は何をされたのかが分からない。ただ身動きを封じられたことに対する恐怖でアタマの中が真っ白になった。紫子にはこうされることにトラウマがある。過去に何度も何度も繰り返された恐怖と無力感が蘇りどうしようもなくなるのだ。

 「君も分からない子だなぁっ!」男は唾を飛ばして叫ぶ。「ボクと一緒になれば幸せになれるんだよ? 何故分からない!? ボクが浪人しているからか? ボクのことをバカにしているからか? なめやがって! ちくしょう、ちくしょう……っ!」

 「は、離せ! 離せぇ!」紫子は絶叫してポケットからカッターナイフを取り出し、振り抜く。

 手ごたえがあった。刃先が相手の後頭部に食い込んで……そこで止まる。所詮は紙や段ボールを切る為のナイフに過ぎず、人間の身体に深く切り込んだり増して切断したりできるようにはできていない。髪の毛という鎧を僅かにかき分けて薄皮一枚引き裂いたに過ぎなかった。それは両者にとって幸運でもあった。

 「あ?」黄地は瞳孔を開いて紫子の手を取り、捻り上げる。「どうしてこんな酷いことをするんだ? どれだけボクを舐めているんだ……? 君はもっと良い子だったはずだ」

 「い、いたい、痛いよ……」紫子はパニックになっている。「や、やめて、パパ。いじめないで。怖い、怖い、怖いよ。助けて、助けて緑子。助け……」

 「黙れ!」放り投げられる。地面に落ちたカッターを拾い上げ、黄地は自分を見下ろした。「ボクの血と君の指紋が付いている。意味分かるね? あんまり聞き訳がないようだと、君は警察に捕まることになる」

 「痛いよ。助けて緑子。助けて」地面に転がって、虚ろな目で自分の身を抱いているしかない。過去に同じように理不尽な暴力を前に無力にうずくまった時の記憶をどうにか封じ込める為、震えながら恐怖と闘うしかない。

 黄地はふうふうと大きな息を二回吐き出したかと思ったら、急に優しげな顔になって紫子の身体を抱き寄せた。

 「ひ、ひぃ……」

 「怖がらせてごめんね。悪いのは君じゃない。君に付いてる悪魔なんだよ」黄地はにっこり笑った。「『大切な人』っていうのは、男かな? そいつは君のことを愛してなんかいない。そいつと一緒にいたら不幸になる。君がこんなひどいことをボクに言うのは、きっとそいつが何か吹き込んだからだ。そいつとはすぐに別れなさい。それが君の為なんだ」

 「ふ、ふ、ふざけんな、ふざけんな……」紫子は錯乱するアタマの中を、強引に怒りの感情に収束させることでクリアにした。こんな奴に負けてたまるか。「ふざけんな、ふざけんな」

 「今に分かるさ」黄地はカッターを持って立ち上がった。「人が来るとまずいから、今日はこのへんで。また来るからね。連絡先を教えておくから、良く考えて、君の為に何が必要なのか……良く考えて」

 立ち去っていく黄地に、紫子はうわごとのように「ふざけんな」を繰り返していた。

 まさかの四話構成である。

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