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姉妹、格の違いを見せつける 1

 描きダメが15話に至ったので水曜日にも投稿します。しばらくは。

 今回のエピソードはちょっとデンジャーかも。


 西浦紫子のバイト先のスーパーの勤務開始時刻は午前七時。実際にはこれより十分前くらいには来ていなければならないので、出勤にかかる時間が二十分であることを考えれば、化粧なんぞやり方も知らない紫子でも六時に起きることになる。

 「お姉ちゃん。おねえぇちゃん。朝だよー」

 最愛の妹の声でなければ魔王の産声にも聞こえるだろうそのセリフによって、紫子は今日も朝を迎えた。

 「朝ごはんはホッケの開いた奴とほうれん草のお浸しとお味噌汁と昨日の残りの筑前煮だよー。後こないだ買った味付け海苔あるよー」

 「おー……んー。そうかー。うーん。起きるでー、ちょっと待ってなー」

 美味な朝食を想像することでどうにか気持ちを奮い立たせ起き上がる。過眠気味で九時には布団に入るので睡眠自体は十分なのだが、朝は緑子が目覚まししてくれないと絶対に起きないし起きられなかった。

 「おはようお姉ちゃん」緑子は嬉しそうに笑う。自分が目を覚ますと緑子は機嫌が良い。察するに、自分と一緒に朝食を取り身支度をする数十分間に対する喜びに対する笑顔なのだろう。

 「おーっす」紫子は布団を片付けながらあくびをする。「しっかし朝起こしてくれたら着替えの準備も飯も全部できとって、後は食うて出かけるだけとかホンマえぇわ。しかも美味いし。つか何時に起きとるんおまえ?」

 「寝てないよ?」緑子はこともなげに言う。

 「え? そうなん? 体調悪いんかいける?」

 「もう後二日くらいしたら気絶するみたいに寝ちゃうと思うからへーきへーき」緑子は無邪気に笑う。

 「……へーきな要素どこやねーん」紫子は小声で言って青ざめた。「というか悪いな。ウチがのうのうと寝とる間、おまえは一人で寝れない夜をがんばっとるんか」

 「お姉ちゃんが隣で寝てる間は全然つらくないし寂しくないよー。枕元で座って八時間くらい寝顔見てたら夜なんてすぐだもん。えへへ」緑子はうっとりして言った。

 「いやいやいや怖い怖い怖い」この妹は冗談など言わないからマジでそれやってる奴だ。「一晩中見られとるんウチ? 寝相全部見られて寝言全部聞かれとるん? 寝とる時たまに涎拭かれる感触あるけどアレ夢や錯覚じゃなかったん?」

 「寝てる時のお姉ちゃんってわたしすごく好き。寝相とかアスファルトの上のイトミミズみたいで素敵だよ?」

 「イトミミズ!? マジでウチの寝相ってイトミミズなん!? えー嘘やろー?」

 この妹の感性は独特なものがあり、この例えだって悪意やからかいの気持ちは微塵もない。つまり自分の寝相はガチで『イトミミズ』であるということで、まあまあショックだ。

 「ま、まあ。寝れてないんはしゃーないけど、つらかったらウチに言えよ。お姉ちゃんいつでも起こしてええけんな」

 本当なら妹が眠れるまで起きていてやりたいしそれを試みることもあるのだが、しかし紫子自身割と深刻な過眠症を患っておりひとたび眠気を感じるとどうしようもなく落ちてしまう。なので助けが必要な時は緑子に起こしてもらっていた。

 「遠慮とかすなな。一緒に頑張っていこうや。なあ」

 自分の体調不良に罪悪感を持たせてしまうと余計に眠れなくなるだろうから、眠れないこと自体を悪く言うのはやめた方が良い。ただ自分が味方だということは反復して伝えていた。

 しかし緑子は姉の内心を読み取って少し表情を曇らせる。「ごめんね心配かけて」

 「そんな顔すなって」紫子はちょっと焦る。なんて言葉をかけるか少し考えて、この話題から離れるのがベストだと気が付いた。「ところで今朝も美味そうな朝飯やな。早速食うで」

 「うん!」緑子は途端に笑顔になる。素直だ。ちょろい。「あ、でもその前にお口濯いできた方が良いんじゃない?」

 「えー、めんどいー」

 「なんか、寝てる間のばい菌が口の中に残ってるまま食べると良くないんだって」

 「うーん。まあ、理屈は分からんけど、おまえが言うならそうするわ」

 指摘されなければ歯磨きすらサボる紫子である。日常の細かいことを一つ一つこなすのが不得手で、妹がいなければとんでもない無精な生活を過ごしていると思う。そんな姉の為に緑子は炊事洗濯掃除、起床の手伝いにスケジュール管理と世話を焼いてくれていて、その甲斐甲斐しさは小さな子供に対する母親のそれに近い。

 朝食をおいしくいただいて出発の準備をする。鞄代わりの布袋には、制服に名札にお弁当が何も言わずとも準備万全。

 「ほな行って来るで」

 「うん」

 自分が出かけていくことで少し悲しそうで不安そうな妹に後ろ髪をひかれつつ、紫子は自転車で家を出た。

 何の能もない自分がこれだけ必要とされていることに、いつも紫子は感謝している。


 〇


 スーパーマーケットというのは地域に強く依存する業態であり、安定して黒字を出すためには固定客の存在が不可欠だ。何度も店に足を運び安定してお金を落としてくれる彼らはありがたい存在で、よって客に綽名を付けるとか噂するとかその手の行為はご法度というのが店長の方針だ。

 ただその店長も、少なくともバイト学生達にとっては、煙たがられることはあっても尊敬される存在とは言えなかった。こっそりと綽名を付けられている固定客も何人かおり、その一人が『クリーム王子』と呼ばれる青年だった。

 『クリーム王子』は、毎朝七時半に店にやって来て、クリームパン一個とアイスコーヒーを買っていく19歳の浪人生であった。何故そこまでプロフィールがはっきりしているのかというと、元同級生という女子大生のアルバイトが情報をもたらしたからであり、曰く偏差値の高い大学を受けようとして周囲を絶句させるほどのガリ勉に走ったが、あえなく浪人したとのこと。『王子』の部分の由来は単に苗字が『黄地』だからで、太り気味の頬にメガネにニキビ面というその容姿に対する皮肉が込められてもいる。

 『王子』こと『黄地』は今朝もスーパーにやって来た。冷蔵ケース内の日配品を品出ししていた紫子の傍で、クリームパンを抱えた黄地はどこか挙動不審に立ち尽くす。

 「お兄ちゃん。これか」

 妹のことで気使いになれている紫子は、その様子を見て彼の求めるところを察する。黄地がいつも買っているアイスコーヒーが売り場になかったのだ。これから補充するところだったものを一つ黄地に渡すと、彼はドギマギしながら受け取った。

 「あ、えっと」

 「なんやちゃうんか? ……やなくて、違うんですか?」昨日言葉遣いを指導されたばかりの紫子であった。

 「えっと、それです」

 「やっぱそうなん……です、か。良かった、です」紫子は作業に戻る。

 「あ、はい」黄地はなんだか逃げるみたいにその場を去った。

 職場の人間関係からは取り残されている紫子であったが、レジ同士のおしゃべりなどが当たり前になってしまっているこの店舗では、黙っていても彼のような顧客の情報は耳に入る。ここで朝食を買った後予備校に行っているらしい。毎朝早くから勉強をする為に出かけているのに、店員からバカにされてばかりいる彼に、紫子は少し同情的だった。

 「……何今の態度。キモくなかった?」一緒に品出しをしていた大学生くらいの女性店員の一人があざ笑うような口調で言った。

 「絶対陰キャだよな『クリーム王子』」同世代くらいの男性店員が同調するように笑う。

 その会話に紫子は苛立ちを感じてつい言いたいことを言ってしまう。

 「あんたらあのお客さんの何やねん? 感じ悪いわ」

 「は? だってキモいじゃん」女性店員はどこ吹く風だ。「西浦さんも気を付けた方が良いよ。あんまり優しくとかしてたら付きまとわれるかも」

 「噂でしか知らん人のことそない言うことあれへんやろ」

 不必要に人と関わるのは良いことではないと思っているが、しかし『付きまとわれる』というのはいくら何でも飛躍しすぎだ。そりゃあの男が裏で人を殺していたとしても自分には分かりはしないが、しかし女性店員の言いぐさはあの顧客に対する悪意や嘲りでしかない。

 「ごめんなさーい」作業していると、レジチーフの社員が日配品コーナーを訪ねて来た。「『あの客』が来たってことは、もうそろそろレジが込みだす時間だから、誰か一人レジの応援に来てくれないかしら」

 「に、西浦さん行ってきて」女性店員と紫子との間で険悪な空気が流れていたのを察し、逃がすように男性店員が言う。紫子は素直にうなずいた。どうせ一番作業が遅いのは自分だし異論はない。

 「西浦さんって、喋るといつも喧嘩腰よね」女性店員は男性店員に耳打ちするように、しかし紫子にも聞かせるように口にした。「もうちょっと人の話を聞くようにした方がいいと思わない?」

 「うっさい」紫子は振り返りもせずに言った。

 口げんかに『なりかけた』だけで済んで良かった。働くことも、人間関係を乗り切ることも、紫子の症状だと困難で、時に吐き気を催すような苛立ちや寒気を感じる程の息苦しさを感じることもある。しかしそれらを全て『そういうもの』だと受け入れて、どうにか世の中を生きようとする前向きさを紫子は持ってもいた。

 レジに入ってしばらくすると最初の客が来た。例の『クリーム王子』である。黄地は何故か他の近いレジを無視して紫子のレジまで来ると、どこか緊張した面持ちでクリームパンとアイスコーヒーを置いた。

 「いらっしゃいませー」店員としての紫子の数少ない長所は声が大きいことだ。「89えんがいってーん、78えんが……」

 「あの」黄地はぼそぼそした声で言った。「さっきは、どうも」

 「あん?」紫子は会計の手を止めて言った。「えーでえーで。あんたアレ好きやろ?」

 「ボクのこと、なんで、知ってたんですか?」

 「あんた毎朝来るやろ? 店員に顔覚えられとるんよ」

 「そう、なんですか……」

 「うん」紫子はアイスコーヒーをスキャンする。「おかいけーごーけい167円でございまー……」

 「きっとバカにされてますよね」黄地は割り込むように言った。「ボクみたいな冴えない浪人生、きっとバカにされてますよね?」

 「なんでそんなことウチに言うねん」

 「いや、その……」

 決めつけるような暗い言い方だったが、しかし救いを求めるようでもあった。ローニンセイというものの気持ちは良く分からないが、彼なりに苦労はしているんだと思う。鬱陶しいと切り捨てることは簡単だったが、彼に対しては同情的な気持ちがあり、そこに先ほど言い争った女性店員への反発が心の中で混ざり合った結果、こんな発言を紫子はしていた。

 「そうかもしれんけど、でもウチはあんたのこと立派やと思うことあるで。えぇ大学行く為に毎朝早ぅから勉強しよるんやろ? 偉いやん」

 「へ? え……」黄地は目をぱちくりさせる。

 「暗いこと言わんでええと思うで。あんたがホンマに頑張りよるんやったら、そのことは周りに伝わっとるんやからな。ウチみたいなスーパーの店員かて偉いなー思うことあるくらいやし、塾のセンセーとか友達とか身内の人とかにも、同じように思う人がおるんちゃう?」

 呆けた顔をする黄地。後ろに人が並んだのを見て、紫子はそっけない口調で言った。

 「すまんけどそろそろあんた邪魔やわ。早うお金ちょうだい?」

 店長が聞いたら怒り狂いそうな態度で言った紫子に、黄地は「はは、はい」と大焦りで財布を取り出した。

 会計が終わり、ちらちらとこちらを振り返りながら挙動不審に立ち去る男に、「ありがとーございましたー」を浴びせかける。変な客だったと思いつつも、次の客の清算を終える頃にはすっかり彼のことは意識から消えていた。

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