『そしてふたりは』④
「聞いてくれないか? 私のことを」
「はい……、聞かせてください」
そのカーサスの言葉に対し、静かに覚悟を感じさせるルシアの声と瞳がまっすぐカーサスに向けられた。何色にも染まることのない黒い瞳。きっと、それは彼女の誠実さを意味する色なのだ。
カーサスは、その瞳から逃げることなく、見つめ返すことで、覚悟を決める。
「兄は騎士だった。そして、あの戦争で、死んだんだ」
カーサスの口がそこで一瞬止まった。ルシアも家族をそこで亡くしているのだ。
そう、数の問題ではなく、立場の問題でもなく、同じ場所で同じ痛みを持つ、そんなことをカーサスは伝えたいのだ。選ぶ言葉は慎重に、そんな意識がカーサスの言葉を止めていた。
だから、秋に彩られた空の隙間の青を眺めて、気持ちを変えた。
戦争の悲劇を伝えたって意味がない。
カーサスにとっての大切な者を……そう、紹介する。
「兄はこうして野外で活動することが好きだった。そして、私もそれによく付き合わされて、……いや、楽しんでいたんだ。そう、こうして焚火をして、魚を釣って……どうしてか、ふたりしてハンティングには興味がなかった」
ルシアはその言葉にじっと耳を傾けていた。何も言わない。あの時のように恐れているようでもない。だから、続けても大丈夫だとカーサスは続けた。
「その兄が大切にしていた馬がアーク」
アークは兄の亡骸とともに、同じ隊にいたという者に連れられて帰ってきた。
だから、あの時、
そう、嫉妬したのかもしれない。
アークがルシアに奪われてしまうと思って。
「だから、悪かった。君がアークを世話してくれていたと、後から気づいたんだ」
――パキっ
手元のナイフが蝋の終わりを合図した。
蓋の中には油紙が載せられていた。
「とても良い香りのお茶なんだ」
その小さな壺は、その香りが放たれることを待つかのように、カーサスの掌の上にある。
「ルシアにも、飲んで欲しいと思った」
そっとルシアに差し出したカーサスの掌は、しばしひとりだった。しかし、小さな両手が近づいてくる。
そして、そっと持ち上げられた。
ほっとして膝に戻した自分の手に視線を落とす。
伝えることができた……。後はルシアの言葉を待つだけだ、と思った。
どこか、脱力したようなそんな気持ちだった。そして、ルシアの声がカーサスの耳に届き始めた。
「とても良い香りです。イチゴは、私の……好きなもの」
しかし、その声が震えていることに気付き、カーサスは視線を上げた。
「ルシア?」
「カーサスさま、ありがとうございます。……」
ルシアの瞳が大きく揺れて、涙が零れ始める。
「違う! 君を責めたかったんじゃ」
思わず大きな声を出したカーサスに、ルシアが大きく頭を振った。
「違いません。わたしが、自分のことばかり考えていたせいで、あなたを傷つけたことに変わりないのです。だから、謝らなければならないのは――」
ルシアの言葉が止まったのは、カーサスが彼女を抱きしめたからだ。
カーサスは自分が何を求めているのか、分からなかった。だけど、彼女を責めたかったわけではなく、知って欲しかったのだ。そして、知りたかったのだ。
誰かから教えてもらうのではなく、ルシア自身から。
そう、あの約束の庭の話を。
カーサスの脳裏に自然と浮かんだ言葉だった。
「ルシア、聞かせてほしい」
――君は、故郷であるセファゾドールで、どのように過ごし、どのようなことに興味を持ち、何をして遊んできたのか。
カーサスの胸の中でルシアが、頷いた。そして、自分の中にルシアがいることに、なぜか気づいた。
「すまん……」
だから、彼女の横に座り直し、そっとその肩を擦る。そんなことで泣き止めるかどうかは分からないが、幼い頃、こうして兄は話を聞いてくれていた。
いや、本当はその泣き顔を見ることが辛かったのだろう。カーサスは、自分の情けない姿を見せないように、きっと逃げただけなのだ。しかし、支えたい気持ちは本当だ。
そう、本当なのだ。
「君は、幼い頃、何を楽しんでいたんだい?」
王家の庭で、家族と、あの樫の木を囲んで。
ルシアの潤む瞳がカーサスに向けられ、言葉と共に伏せられた。
「弟たちに歌を歌ってあげることもありました。兄さまたちが教えてくれた……その土地土地の歌を……」
ルシアの声はまだ震えていて、か弱く響く。
だけど、彼女の声は優しく。家族のことを、悲しむことをせず、ただ慈しむように。ただ、静かに。
ルシアの趣味は、歌を歌うこと。
セファゾドールのわらべ歌や農作業の歌。
羊の歌と、子守唄。
三番目のちぃ兄さまは、節が外れていて、いつもからかわれていました。
だけど、今考えると、わたしが歌う際も、皆が笑っていたようにも思います。
そんなことを伝えるルシアは、ときどき鼻をすすりながらも、いつもの声よりもふわりと響き、もう泣いてはいなかった。だから、カーサスも素直に言えたのだろう。
「聞いてみたいものだ」
と。
答えるルシアは目を伏せて、小さくなった。
「人前で披露できるようなものではありませんので、お許しくださると……わたしも節が外れていたのかもしれませんから」
しかし、ルシアは気づいているのだろうか。
身をゆだねるように、カーサスにもたれかかっていることに。
しかし、たとえ、彼女が気づいていなくても、自身がそんな場所になったことが嬉しい、とカーサスは気づいている。
「そうか……残念だ」
だが、だからこそ、ルシアがその歌を自然に口ずさめる領地にしたいとカーサスは思った。
これを、俺の領地の進め方にしよう、と。
そうだ。これならアレキサンドル王の意にも添うだろう。
そして、いつか、……。
焚火が弱まり、カーサスが立ち上がった。月の色は薄いが、星も輝き始めている。もう、帰らねば。
「帰ろう」
差し出されたカーサスの手を、ルシアが掴んだ。
そして、その手を強く握り返したカーサスが、月に並ぶ宵の明星を見つめ、こう言った。
「いつか、君を連れて行きたい場所があるんだ」
そう、あの約束の庭へ。
必ず、連れて行こう。
そして、あの愚直な男に、ルシアの無事を見せてやろうじゃないか。
カーサスの隣に立ったルシアが「はい」と答えた。
4月3日にエピローグを入れて完結します。














