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黒鳥の住まう国~名前を奪われた姫君と、悪魔と契約した男  作者: 瑞月風花


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『そしてふたりは』③

 

 カーサスが戻ってきても、ルシアはまだ同じようにたき火を見つめており、彼が帰ってきたことにも気付かなかった。

 しかし、切り株に座っていたはずのルシアが、その火をよく見るために、切り株から降りてしゃがんていた。

 カーサスが熾した火が、よほど不思議だったのかもしれない。

 そう、カーサスも初めて兄が火を熾した際には同じようなものだったのだ。

 そんな風に思う。


 同じ感情を持つ人間なのだ。


 だけど、カーサス自身その気持ちを、もう否定するつもりもなかった。

 彼女は敵国の王女。

 しかし『ルシア』はもう敵国の王女ではなく、アレキサンドルが養女とした娘、正真正銘、エルバーグリークの姫。王が認めた人物なのだ。


 ――聖戦……あぁ、そうか。

 皮肉にも、この憎しみ合うような縁組みを仕向けた陛下の本心に気づいた気がしたのだ。


 ――まんまと踊らされてしまったわけか……。

 

 アレクサンドル自身も腹心の部下を戦死させている。

 義理の息子もだったか。愛娘もある意味で失った。


 しかし、同時に、そんな意味をアレキサンドルからカーサスが直接聞いていたならば、別の、そう、今のような穏やかな気持ちにはなれなかったのだろうとも思えた。

 これは誰かに命令された結果ではないのだから。


 ―――まったく本当に喰えないお方だ。


 幼い子どものように見えるルシアを眺めていたカーサスは一定の逡巡を追え、その彼女に向かって歩み始めた。


 そして、カーサスが踏む土の音に気づいたルシアが、焚き火で火照った顔を彼に向けた。

「小さな火でも近づきすぎると危ないぞ」

 カーサスの言葉に、ルシアの黒い瞳が子猫のようにやはり丸くなる。しかし、厩舎でのあの恐怖の丸さでも威嚇からの丸さではない。だから、カーサスも、川辺で拾った石を火の回りに並べ、その上にポットを載せて湯沸かしの準備を始める。


 そのすべての所作を好奇心の塊のようにルシアはずっと眺めていた。きっと、ずっと眺めているのだろう。そう思ったカーサスは、彼女のかごに目を遣り「食事にしよう」と伝えた。

 その声に慌てたルシアが、あの大切なかごをまた抱えたことが、カーサスには可笑しくてたまらなかった。


「そんなにも大事なものなんだな」

「はい」


 頬を染めながらも、ルシアは真剣だった。だから、カーサスもそれ以上は揶揄わないようにした。


 かごの中には食卓用のパンが数切れとリンゴがキルトに包まれて入っていた。

 ルシアはまずナプキンをカーサスに手渡し、次にパンを渡した後、自分のナプキンを膝にかけていた。

 カーサスも素直にルシアのマナーに従った。

 しかし、一つだけ彼女に提案した。

「そのパンを少し貸してくれないか?」

 不思議そうな顔をしたルシアだったが、素直にそれに応じてくれる。そして、カーサスは自分のパンと彼女のパンを、膝にあるナプキンの上に載せると、鞄の中から瓶詰めの蓋を開けた。

 サミュエルが持ってきたものだ。


「本当は、川で鱒を釣りたかったのだが、春までは禁漁期間らしくてな。代わりにサミュエルが持ってきてくれた」

 カーサスはその鱒のオイル漬けを一切れ、ルシアのパンに載せ、彼女に返す。

 そして、自分のものを準備する前に、彼女に食べるように促した。

「これをセファゾドール相手に売ろうと思っている。感想を聞かせてくれないか?」


 初めは「ですが、……」と主人よりも先に口にすることを遠慮したルシアだったが、カーサスの言葉を聞いて納得したようだ。彼女は素直にそれを口に運び、丁寧に咀嚼していく。

 その間もカーサスは言葉を続ける。


「お前の国は味噌漬けらしいな。サミュエルが教えてくれたよ。どうだ? 口に合いそうか?」

 しっかりと味わっている様子のルシアを眺めながら、カーサスは自分の感想を自分の中で考えていた。

 胡桃味噌で漬け込むというのなら、この味だと薄い気がする。ルシアの表情からはまだ何も読み取れないが、返答結果では保留か……。

 カーサスも真剣だった。

 鱒のオイル漬けを飲み込んだルシアが、一拍おいて、口を開いた。


「とても美味しいものでした。セファゾドールの味噌漬けはどうしても味が濃くなってしまいますので」

「では、売れないか?」

 しかし、その答えは違っていた。

「いいえ。この味だと、応用が利くと思いますので、喜ばれるかと……」

「応用……か」

 カーサスがルシアの言葉に頷き、考え始めると、ルシアが言葉を足してくれた。

「はい、ダファーラでの調理方法を伝えながら広めるといいかと思います」

 カーサスがまっすぐにルシアを見つめた。


「素晴らしいよ。ははは。そうだな。食べ方を知らないものは買えないな。もう一切れどうだ?」

 カーサスの笑い声に、頬を赤らめたルシアは一瞬カーサスから目を逸らすも、しずしずと残っているパンに鱒のオイル漬けを載せてもらった。

 その後、残っていたリンゴを切り分けようとするルシアを、慌ててカーサスが止め、焼きリンゴをふたりで食べた。

 ルシアは、ずっとカーサスの所作を眺めては、感心して、黒い瞳を好奇心に輝かせていた。

 食事が終わるその頃には、もう焚火の火はほとんど残っておらず、ゆっくりと沸かされていたポットのお湯も、お茶にちょうど良い温度になっていた。


 カーサスのぎこちなさは、もうない。

 ルシアの不安ももうなかった。

 ただ、焚火を囲み食事を楽しむ、その時間だけが過ぎている。だからゆえに、カーサスは自分の鞄に残っているジャクリーヌの印の白磁を開くことをためらっていた。


 この時間を壊すかもしれない。

 いや、壊そうとは思っていない。

 ルシアの笑顔が見たいだけ。

 それ以上は、ない。

 カーサスは自分に言い聞かせる。

 そして、呼びかける。


「ルシア……」

 ルシアがその呼びかけに、一瞬時を止めたように思えた。

 白磁の瓶にはイチゴの葉模様。

 それは、ジャクリーヌの好物であり、皆に食べさせたいもの。

 しかし、このお茶を戴くにいたる理由は、別にあった。

 『エヴァンからの言伝です』

 そう言ったジャクリーヌの言葉が、カーサスの心を占めている。


 私は死んだ人間です。

 こうして、妹のことを知ることができた、本来なら知ることもない、奇跡なのです。

 だから、私が生きてここにいることは、決して知らせないよう、お願いします。

 私は、それだけ人を殺してきたのです。

 そして、本来ならばその罪を(あがな)うべき立場にいたのです。


 どうか、ルシアをよろしくお願いします。


 その言伝を言い終わったジャクリーヌの掌に、このお茶壺があった。


『ルシアはイチゴが好きだったそうですよ』


 カーサスはとうとう鞄からそれを取り出した。

「ルシア、これは先月、サヴォタへの視察の際に手に入れたお茶だ」

 青いイチゴの葉が描かれた白磁の壺。

 カーサスはそれにナイフを入れながら、蝋を剥がしていく。

 少しずつ丁寧に。

 しかし、封が開く前に伝えておきたいことがある。


 そう、自身のことを。

 アークのことを。そして、兄のことを。

 それでも、君を大切にしようと思っていることを。


 カーサスは静かに、口を開いた。


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