『震える悪魔』④
カーサスは、灰色の屋根の屋敷――ジャクリーヌ邸の小さな庭の見える応接室へと招き入れられた。
亜麻色の髪を持つ侍女は、エイカーよりも年長のせいか、ずっと落ち着いており、カーサスにそこで待つよう伝えて出て行った。
カールはカーサスに必要最低限の情報しか伝えなかった。
ジャクリーヌがそこで何をしようとしているのか、それは彼女から聞けという。
そして、「あれはもう王族でも何でもない娘だ」とやはり包むような笑いの中で、それを認め、カーサスに語った。
「君がセファゾドールの娘を王命で娶ったことも知っている。確かルシアとか言ったな。アレクはよほど君のことを信頼しているのだろう。この土地はアレクにとって、平和と希望の土地であって欲しい場所だということからも、それは自明の理だ」
そう言われれば、カーサスにアレキサンドルの信頼があったからこそ、ジャクリーヌ除籍の話を涼しい顔で言えたのかもしれない。
どうしてそれほどまでに信頼されていたのか、カーサスにその理由は分からない。だが、アレキサンドル王を『アレク』と呼べるほどのカールが、ルシアの名を出したということから、それにはルシアが関わっているのではないだろうか、と予測はできた。
しかし、分からない。
ルシアと俺は過去に接点はない。これは断言できる。
思考を巡らせ続けるカーサスは、熨斗目色の筆で描かれたイチゴのカップをその手に持ちあげ、香りを嗅いで、脳を休めた。
よい香りだ。
どこか、イチゴの香りもあるような……。
ルシアにも嗅がせてやりたい。
そんな思いを自然に抱けたことが、不思議だった。
どれほどの時間を過ごしたか、いや、そんなにも経っていないのだろう。カーサスがお茶を一口含んだ後、再び、あの侍女が現れ、ここの主を通した。
桃色の金髪と緑の瞳を持つ、正しくそれは、ジャクリーヌ・ダランベールだった。
カーサスが立ち上がり、お辞儀をすると、ジャクリーヌも自然な会釈で応える。しかし、彼女の口から発せられた言葉は、カーサスにとって晴天の霹靂かのような言葉だった。
「お会いしたく思っておりました。エヴァンの妹君の夫君、カーサス・デュ・クエルクスですね」
――エヴァンの妹君の夫君
その言葉がまるで当たり前のようにジャクリーヌの口から発せられたのだから。
カーサスが黙ってジャクリーヌの顔を見つめていると、侍女がカーサスを促した。
「クエルクス様、どうぞご一緒に」
カーサスが連れて行かれた場所は、先ほど窓から見えていた小さな庭ではなく、大庭園の方だった。しかし、大きな庭園としてある、そんな雰囲気ではない。
広い芝生の上には、まだ小さな木造平屋が建っている。
そして、『まだ』これは経過だ、そんな風に思わせられた理由をジャクリーヌが歩きながら、カーサスに伝えた。
「わたくしは、ここに孤児院を建てようと思っております。あの戦で親を亡くした子が、あの中で数名ですが、生活をし、勉学に励んでおります」
ジャクリーヌの言葉は端的で、多くは語らなかった。
侍女もただ付き添うだけ。
「あの場所までイチゴの道を作ろうと思っています」
その言葉で足元にある赤い、地面に這うような葉に気づいた。そこで、黙っていた侍女が言葉を添えた。
「この寒冷地帯でのイチゴの冬ごしは、なかなか難しいことなのですが、ジャクリーヌ様は、イチゴがお好きですので、庭師に丁寧な管理をさせています。そして、その好物を皆に食べさせたい、それがジャクリーヌ様のお考えにございます」
そして、辿り着いたあの場所。
そこには、小さな苗木が植えてあった。
「樫の木です」
どこか嬉しそうなジャクリーヌの言葉は、優しさに満ちている。
「クエルクス様は、町の噂をお聞きになられたのでしょう? だから、こちらに興味を持たれた」
「えぇ」
「すでに数名の孤児がここに住んでいることは、先ほどお伝えしました。その孤児たちを町で見つけてきてくれている者が、この苗を植えました」
確かに、町の噂では死神の使いである黒髪の男が、孤児を連れて行くと言われている。
「わたくしは、戦場で死神と呼ばれておりました。だけど、逃した命がひとつだけありました。それが、彼です。そして、彼との約束通りセファゾドールの王城にあった庭をここに再現したいと思っているのです」
ジャクリーヌが視線をあげる。
その先には畑があり、作業をするふたりの男が遠くに見える。
ひとりは、黒髪の男。
いや、……。
ジャクリーヌは、エヴァンの妹君の夫君、と俺を指し示していなかったか?
ルシアはセファゾドールの姫。
その兄エヴァン。そして、死神はエヴァンと最後に戦った相手。
ルシアの髪も黒髪……だ。
「その通りです」
カーサスに穏やかな視線を向けたジャクリーヌが、それを静かに肯定した。
『震える悪魔』了




