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黒鳥の住まう国~名前を奪われた姫君と、悪魔と契約した男  作者: 瑞月風花


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『そしてふたりは』①

 

 屋敷前にあるポプラ並木の彩りが最盛期になっており、秋晴れの空に伸びゆく黄金並木を執務室の窓の外にも見せていた。

 そして、上司であるカーサスの視線が、そのポプラにあることに気づいたサミュエルが「綺麗ですね」と、彼の視線に同意する。

「あぁ……綺麗なものだ。サミュエル、その……少し言いづらいのだが、冬になる前に休みをもらいたいのだ……どうだろう?」

 室内だというのに、首巻きをしているカーサスを見つめたサミュエルは、そんな上司に穏やかに微笑んだ。おそらく、そのオリーブ色の毛糸は手編みのものだ。


「えぇ、もう私だけで完結させられる仕事しか残っていません。ですので、大丈夫ですよ」


 執務室の領主の机。そこには、小さな白磁の壺があるのだ。イチゴの葉の絵が熨斗目色の筆で描かれていて、ジャクリーヌの封蝋で密閉されているものだ。

 そして、カーサスが、どこか嬉しそうにその壺を眺めていることも、サミュエルは知っている。


 サヴォタの町は、どちらかと言えばセファゾドール王家に対する悪い噂が流れていることがあるが、実は、ここダファーラは、少し違う。

 実質の害を受けていなかったのもあり、サヴォタが以前セファゾドール貴族の避寒地として使われていたこともあったため、彼らを優良な交易相手と考えていたのだ。

 真面目なカーサスには、おそらく分からない心情なのだろう。


 商人は使える者を逃さず使うし、その恩は忘れない。

 どうあろうと、セファゾドール貴族は、ダファーラを豊かにしていたのだ。

 もちろん、王が『悪だ』と言えば、それに乗っかることもある。


 サミュエルは『デュ』こそ持っていないが、そんなダファーラの人々をずっと見てきた。そして、やってきた新しい領主は、今や『悪の象徴』とエルバーグリーク中央部とセファゾドールで囁かれているファゾリナ家の姫を妻とする者だった。

 皆が不安と期待に胸を膨らませたのは、確かだった。


 再び交易を再開できるのではないか、身内を呼び寄せてやることができるかもしれない。

 なんなら、落ち延びてきた兵の家族との付き合いがあり、それを匿ったままの家も、あるかもしれない。

 いや、しかし、気を緩めるには早すぎる。なんと言っても『デュ』を持つ領主は、セファゾドールを討ち取ったエルバーグリーク国王の『犬』なのだから。


 だから、そんな妻を娶ったその『デュ』――いや、国に仕える貴き者の称号を持つ(いぬ)が、セファゾドールをどう思っているのか。

 それが、きっと王のご意思なのだろうと、考えたのだ。


 そして、現れた領主夫妻を見つめながら、その為人(ひととなり)を知り、皆は思ったのだ。


 王は、彼らのように「『個』を重んじよ」と申されているのだな、と。


 カーサスは、町を知るため武官の家まで訪ね、ミルクを飲み歓談した。町を知ろうと町中を歩き回り、サヴォタとの交易を再開させようとしている。

 ルシアは、使用人達を『人』として扱い、あのやっかみ屋のエイカーや最年少のミリディアにまで、目をかけている。

 彼らは、個として、町として歓迎すべき愛すべき者たちだった。

 

 それなのに、彼ら(・・)だけが打ち解けられないという、不思議な状況。

 だから、サミュエルもその背をそっと押したくなるのかもしれない。


「クエルクス様、そのにやにやの先にある壺には何が入っているのですか?」

 帰り支度をしながら、サミュエルが上司を揶揄うと、カーサスが自身の態度を繕いながら、「とても大切ないただきものだ」と真面目くさって言うものだから、サミュエルも面白がってこう言った。


「この間申しました鱒の釣れる小川の紅葉も、最盛期を迎えているようですよ」

 と。


 真面目な上司は無言だった。

 しかし、サミュエルは返事代わりのカーサスの咳払いをその背で聞いて、笑いを堪えながら帰路へとついたのだ。


 ※ ※ ※


 その日カーサスは、アークのそばでルシアを待ちながら、彼の持つ革製のショルダーバッグの中身を確かめていた。


 入れ忘れはない。


 そんな風に何度も確認しながら、何度目かのアークの鼻息を躱す。

 アークは、人に鼻息をかけることが趣味なのだ。カーサスには何が面白いのか、さっぱりだった。

 しかし、こういう戯れが好きなところは、兄そっくりである。

 そう思い、一度ため息をつく。

「兄さんは、この俺の状態を笑っているのかい?」

 そのつぶやきに、もちろんアークは返事を持っていない。ただ、もう一度、鼻息をカーサスに吹きかけて、カーサスがアークに視線をくれることを、ただ楽しんでいるようだった。

 カーサスは乾いた笑いで、もう一つの心配を脳裏に過らせた。


 ルシアには昨夜、本日ふたりで出かけることを、自身で伝えている。

 朝は、エイカーにも確かめた。

「えぇ、動きやすそうなお衣装を準備させましたので」

 ルシアのこととなると素っ気なく、相変わらずな態度ではあったが、素直に準備したそうだ。朝に準備されているのであれば、おそらくルシアが忘れていることはない。

 あとは、彼女の意思である。


 ――しかしだ。


 なにより彼女にあまりいい思い出を与えていない、そんな男とふたりで出かける意思があると思えるほど、カーサスはお気楽に生きていない。


 だから、小間使いを一人連れ、いつもより身軽なドレスと防寒用のマントに身を包んだ彼女の姿が目に入った時には、心の底から安堵したのだ。

 来てくれた。

 ただそれだけに安心し、声をかけようと口を開いた。それなのに、それはカーサスが思っていた言葉でも温度でもなかった。


「よく来た」


 なぜそんな言葉を発してしまったのか、まったく分からなかった。

 よく来てくれた、そう言いたかったのだ。

 ただ冷たく響いた自分の言葉に、カーサスのみぞおちが恐ろしく冷え込み、たった二歩くらいのルシアとの距離が、百歩くらいに広がったような気がした。

 この失敗をどう取り戻せばよいのか……時が止まったかのような一瞬だった。


 ルシアが小間使いの持っていた小さなかごを受け取ると、「ミリディア、ありがとう。後はわたしが持って行くわ」と彼女を帰す声がカーサスに聞こえてきた。

「旦那さま、今日はお誘いに与り誠にありがとうございます。ですが、……」


 視線をアークに向けるルシアの言いたいことが、手に取るように分かってしまうのだ。あの時の怒りが後悔としてカーサスに取り巻く。

 これは、遠巻きの断りの言葉だ。それもカーサス自身に由来する拒否の言葉なのだ。だから、慌ててカーサスは続ける。

「心配することはない。今日はお前をこれに乗せて行くのだから」


 ルシアの瞳が丸く驚く。

 帰らないで欲しい。

 そんな想いが、カーサスの胸の中を満たしている。それなのに、やはり別の言葉が口から出てきてしまう。


「そのかごは?」

「これは、……お昼に、パンと果物を……」


 そうか、あの城の庭で家族団らんをよくした、そんなこともジャクリーヌ様が仰っていた。

 考えながら沈黙していたカーサスに、今度はルシアが慌てたようにして、続けた。


「いえ、ご一緒に食事など、すぐに下げてまいります」

「いや、違う。一緒に食べよう。ここから小山までは少し時間がかかるのだ。遅い昼餉にはちょうど良いはずだから」

 そして、ルシアがそれ以上離れてしまわないよう、ルシアの手を取ったカーサスは、そのまま彼女をアークに乗せて、彼女をエスコートするように馬を引いて歩きはじめてしまった。


 そう、カーサスも、まだ共に乗る覚悟が出来ていないのだ。

 しかし、これは、時間稼ぎでしかない。


 今まで様々な目上の者たちと掛け合ってきたという自負が、カーサスから消えていくようだった。どうして自分の妻を馬に乗せて走るという、ただそれだけがこれほどに難しいのだろう。

 なぜか見上げた先にあるルシアが、怖いのだ。

 いや、怖いわけがあるまい。

 アークは大人しくカーサスに引かれてくれており、静かな並足を続けてくれている。ルシアも静かに馬に乗ってくれている。どこに恐怖などがあるのだろう。

 それなのに、怖いと感じる自分がいる。

 屋敷の門が見えてきた。さすがにこのまま歩き続けるというのも限界だ。


「旦那さま、奥さまとお出かけですか?」

 門兵がそんなカーサス夫妻に気づき、にこやかに声をかけた。

「あぁ、小山近くの紅葉が綺麗だと聞いたのでな」

 その言葉で門兵が嬉しそうに破顔した。

「それは良いですね。旦那さまが乗馬の際に馬が揺れないよう、支えましょう」

「あぁ。頼む」


 ルシアは何も言わず、アークの首側へとそっと身を寄せる。

 カーサスはそんなルシアになるべく触れないよう、驚かせないよう、出来るだけ気を遣ってアークにまたがった。


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