第二話 ウオッカ・アイスバーグでよろしく(前編)
こちらの作品は、『王城ロイドのハードでボイルドな事件簿』の『第一話 はじまりのキャロル』の続編となっております。
まだ第一話をご覧になっていない方は、是非そちらからお読み頂けると、この作品が更にお楽しみいただけるかと思いますので、よろしくお願いいたします。
本作品は、『現代』『探偵物』『ミステリー』『アクション』『ハードボイルド』などなどジャンル、僕の『好き』と、平成の中期にハマっていたライトノベルの『ノリと勢い』をちゃんぽんにした作品となっております。
稚拙な文章ではありますが、『僕の好き』が『あなたの好き』と合致して、楽しんでいただければ幸いです。
00
埼玉県さいたま市大宮区。
その錦町にある駅。ターミナル駅でもある大宮駅西口から、そごう大宮店やソニックシティと呼ばれるビル群のそばを通る大道路があり、そこから更に真っ直ぐ新大宮バイパスに向かって約500メートルほど進んだところに、『聖蘭学園小学校』というカトリック系統の私立校がある。
その正門から少しズレた場所に俺とひよりはいた。
金髪の青年と銀髪の幼女。
そこまで多くない通行人たちが、横目やら一瞥やら二度見やら果ては三度見しては通り過ぎて行く。
まあ、こういう視線は慣れたもので俺たちは特に気にするでもなく、平静に佇んでいた。
7月下旬。
いつもの雨量より少なく、期間が短かった梅雨が明けて、盛夏と呼ばれる一番暑い時期が今年も来てしまったそうだ。
今日は特にヤバイらしく、某ワインのキャッチコピーよろしく、天気予報のお姉さんが今日の気温を『ここ数年で最高に危険な気温なので、外出には体調等十分注意しましょう』と喋っていたが、その言葉が何度もリフレインするくらいには身をもって味わっているところだった。
「……あづぃ〜〜〜……」
いくら学校で夏服仕様の着用が認められ、薄手のズボンや半袖を履いていたとしても、この直射日光には到底かなうものではないようで、発汗機能が鈍い俺でもまあまあ普通にいい感じの汗を掻きながら、コンビニで買った棒アイスを食って身体の内側からひたすらに冷やす事に集中する。
「…………」
対してひよりはそもそも汗を掻かない体質なのと、陽射しでできた俺の影に隠して固定し、且つアイスを食わせながら頭部にはロックアイスをのっけているためか、幾分か楽な様子でスマホのアプリゲームを黙々と遊んでいる。
そこから数分経過したところで、目的の人物が正門から姿を現した――カトリックだからなのか、それとも私立だからなのか、ひよりの私服とは正反対に、夏服仕様のワンピース型の制服に身を包んでいる。
「…………あっ!」
正門を出るや否や周囲を見回し、俺らの方を見て彼女はとてとてと近づく。
「こんにちはです! ロイドお兄ちゃん! ひよりちゃん!」
しっかりと挨拶をして、最敬礼に近い角度でバッとお辞儀をしてくれるひよりと同い年の女の子――浅見壱楓。
ライトブラウンの髪色に、鎖骨の下からちょうど胸までの長さのセミロングの髪型。
切れ目気味のひよりとは違い、まん丸のお目目が特徴の女の子。
「はい、こんにちは」
「……こんちは」
こちらも挨拶を返し、俺はビニール袋からアイスを取り出して壱楓ちゃんに差し出す。
「ほい、今日はめちゃ暑いだろ? ちょっと溶けてっけど……」
「えっ? いやそんな!」
急に目の前に差し入れを差し出されて、驚きと困惑した表情で壱楓ちゃんは両手をブンブンと振る。
「わ、悪いですそんなの! それに、わたしの学校の決まりで下校中の買い食いはダメって……」
「つっても俺もひよりももう食べちまったし、それにコレ溶かして無駄にするわけにもいかないしさ、まあ人助けだと思って食ってくれよ?」
そう言って更にアイスを近づけて、ちょっと強引気味に手渡す。
「……あ、ありがとうございますです!」
戸惑いながらも、とはいえやっぱり嬉しかったのか最後は満面の笑みで受け取ってくれた――普段から表情が特に変わらないひよりとは正反対に、常にコロコロと表情が変わる壱楓ちゃん。
……同い年とはいえ、こうまで違うものなのだろうか……?
なんて考えてひよりの方を見ると、いつもと変わらない琥珀色の瞳と目が合う。
何を考えているのかよく分からない、ただただ瞳が鏡になって俺を映しているだけだ。
ま、コイツはコイツか……。
「んじゃまあ……行くか……」
「うん……」
「はひでふ!」
と、そこで思考を打ち切り、2人に出発を促す。
車道側に俺、ひより、壱楓ちゃんという順で並んで駅方向に歩き出す――その際に偶々近くを散歩していた老夫婦が俺たちを見て微笑ましいと思ったのか、温かみのある視線を向けていたのを受けて、ちょっとした気恥ずかしさを感じながらも、平然を装っていたのは内緒だ。
……。
…………。
………………。
さてさて、一体全体なんだって俺とひよりは、地元の空巻市ではなく、隣県のこんなところにいるのだろうか?
この女の子は誰なのであろうか?
そもそもこれは何をしてるのか?
様々な疑問が尽きない事この上無いだろう。
こういった情報や物事を整理・伝達する際に考慮すべき6つの要素があるそうだ――ビジネス目的や他の分野によってはこの要素の数が変わる事もあるらしいが、そこは省かせてもらう。
通称――5W1H。
When――いつ。
Where――どこで。
Who――誰が。
What――何を。
Why――なぜ。
How――どのようにして。
という順に解説していくのだが、今回はこの用法にならって語らせてもらうとしよう。
まずはWhen――『いつ』からだ。
話は1週間と少し前に遡る。
01
Where――『どこで』。
場所は、何度お世話になったか分からない、前回は俺らの拠点にして中心地となっていたところ。
八重雲県空巻市の空巻駅東口から徒歩で10分ほどのところ、築数十年経過した古びた雑居ビル。エレベーター無しの最上階である4階。
そう、勝手知ったる何とやら、かの『王城探偵事務所』である。
「はい! それではですね! お待たせしました皆様! これより、『仙導レナ完全復活記念&究極プロダクション所属記念パーティー』を開催致します!! 乾杯!!」
「……イェーイ」
「いぇーい……」
「い、イェーイ……」
「Yeah!! Great!!」
「フーフー!!」
「Yeaaaah!!!!!!!! YES YES YES YES YES YES YES YEEEEES!!!!!!!!」
ハイテンションな水無月璃子の乾杯の挨拶を合図に、俺・ひより・レナさんはローテンションに、それとは正反対に権田原喜八郎・翼志津子・月島ことツッキーはそのハイテンションに合わせたり限界突破した返しをした。
来客用のテーブルには、出前で注文した寿司やらピザやら、買い出しで調達した菓子やらジュースやら酒やら何やら一通り揃った物がギチギチに並べられていた。
先程の璃子さんの言うように、これは色々と大変な目に遭った仙導さんを労う会であり、完全に治療や検査やリハビリが完了したお祝いやら、芸能事務所にも研修生として所属したお祝いなどを兼ねた会食となっている。
場所がここなのは、それぞれのスケジュールや予定や距離などを諸々と考慮した結果であり、一番の理由は未だここの本来の主にして俺の叔父――王城陽平が未だ帰っておらず、ドンチャン騒ぎをするのに都合が非常に良かったからである。
……てか、叔父はいつ帰って来るんだ?
4月の『海外出張』から始まって、こうして7月現在まで全くの音信不通なんだが……。
昔のことわざで、『便りがないのは良い便り』とは言うらしいが、コレはどっちなんだ?
良いのか?
悪いのか?
「――よお兄弟! なにシケた顔面してんだよ!? もっと呑めよ〜!!」
と、人が考え事をしていたところで、ツッキーが缶ビールを片手に持ち、もう一方の手で俺の肩を掴んで抱き寄せてダル絡みをしてきた。
「兄弟はやめろ……てか、酒臭ーなお前……」
「たりめーよ! こんな目出度い時に呑まなきゃいつ呑むんだっつーの!!」
そう言ってツッキーは缶ビールを真上まで傾け、その中身全てを飲み干してしまった。
そしてすぐさま次の缶に手を伸ばして開けたかと思ったら、それも飲み干す勢いで呑み始める。
「……お前といい、社長たちもそうだが、テンション高過ぎだろ……」
「レーちゃんのお祝いだからな。お祝いは嬉しいだろ? そんで嬉しいなら呑むしかねえだろ? 呑んだらテンションが上がってまた嬉しくなるから呑むってわけよ」
「なんだその幸せの無限ループは……」
「無限ループにもなるさ! アレ見ろよ」
促された方向を見ると、権田原さんと璃子さんがテンション上げ上げでレナさんに話し掛けまくっていた。
レナさんは2人の勢いに押されながらも、楽しんではいるようで、時折ぎこちないながらも笑みを浮かべている。
ツッキーはそれを見て目を細めながら言う。
「……いつ意識が戻るのか分からないところからの奇跡の目覚め……そこから必死のリハビリしてまさかの短期間で完全回復……普通なら有り得ねえよ……」
「…………」
知ってる……。
彼女が目覚めてから今日まで、璃子さんを中心に俺たちは見届けていたんだ。
「だけど彼女は成し遂げた。どっか一つでもボタンを掛け違えりゃ絶望するかもしれないドン底から這い上がったんだ……」
自分で言っていて気分が高揚したのか、ツッキー自身の手に力が入り缶が軽く凹む音が響く。
「……だからテンションが上がるのよ。上がったら呑んで、呑んだら嬉しくなって、嬉しいから祝うのよ……お分かり?」
「……それ、さっきも言ったぞ?」
「……そうだっけ……?」
そう言ってニッカリと満面の笑みで応えるツッキーの顔面は、気付けば真っ赤っかに染まっていた。
「水取ってくる……」
「……うぇ〜い……」
俺は席を立ちキッチンに向かう。
今回の宴会用に買っていた紙コップに、冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターの水を注ぎ入れる。
自分もジュースを飲み過ぎていたので、コップを二つ分用意して出てきたところで、事務所のドアから軽くノックする音が聞こえた。
……誰だ?
出前はすでに揃ってるし、メンバーはここに集まっている連中で全員だから、追加で参加する人はいないはずだが……。
「ひより。ちょっと出てくれ」
「うん……」
ちょうど両手が塞がっていたので、俺は翼さんに撫で回され可愛がられていたひよりに声を掛ける。
とてとてと歩いていってドアをゆっくりと開ける。
俺はツッキーに水を差し出し、渡してすぐにドアの方に向かうと――
「――どうも、こんばんは……」
その人物を見た時、俺は思わず自分の分のコップを床に落としそうになった。
「てめっ……」
声を荒げそうになるのを必死に抑え、周囲に悟られないように平静を保つ俺。
ここでWho――『誰が』。
俺としては二度と会いたくないし、見たくないし、喋りたくもない人間だ。
レディーススーツ。ポニーテールで結った黒の長髪。右目の下の泣きぼくろ。薄く細い狐目。
どれも忘れられない外見だ。
極道。
藤丸組若頭。
獅子門暁音。
彼女はいつかのように作り笑いをして、事務所にやって来たのだ。
02
何でテメェが?
と、俺が口を開くより先に、
「ロイド君? どしたん? って、その人は?」
どうもレナさんがいつの間にか後ろから近づいていたらしい。不思議そうに獅子門の方を見ている。
「えっと……――」
「――すみません。お邪魔してしまいまして、私は獅子門暁音と申します。実は本日コチラのロイドさんとお話をさせてもらうお約束を……」
俺がどう誤魔化そうかとモタモタしていたら、今度はあっちからいけしゃあしゃあと嘘を吐かれてしまった。
クソ……ややこしくなった……。
とにかく落ち着いて対処を――
「――おねえさん、だれ?」
って、ひよりもかい!
どうにもタイミングを逸してしまう。
「おや、可愛らしいお嬢さんですね? お名前は?」
「……ひより……」
「良いお名前ですね……」
獅子門は少し屈んでひよりを撫でようとしたのだろう。頭に手を掛けようとしたところで、俺は反射的にその手を掴むと――
「――ああ!! 今日でしたっけ? 野暮用のお約束? そうかそうか勘違いしてました。真心込めてごめんなさい。ただちょっとここだと話づらいので屋上までよろしいです? ありがとう。悪いレナさんちょっと席外します。ひよりもありがとな? すぐに済ませるから、じゃあとっとと上に行こうか? ハリーハリーハリー」
Scatmanよろしくの速度で捲し立てて、俺は彼女と共に事務所から出て行った。
これ以上の騒ぎは御免だ……。
すぐそこで話すのは憚れるし、かといって外まで出るのは面倒……ならばと屋上まで連れて行く。
階段を足早に上がり、ドアを開けて屋上に出てすぐに彼女の手を離す。
獅子門はわざとらしく俺の掴んでいた方の手首をさすりながら、
「強引だなあ……」
なんて言ってきた。
「黙れ」
俺はその抗議を一蹴して、腕を組みながら鋭く睨みつける。
しかし彼女の余裕の笑みは崩れない。
「ふふふ、随分と可愛らしい表情だったね? 先ほどの動揺していた君は……」
…………。
「何しに来た?」
向こうのペースに乗せられるつもりはない。
俺はとっとと用件を言えとばかりに言い放つ。
「何をしにって……経過観察さ……」
俺の疑問に彼女は何を言ってるんだ、さも当然だろう? というような表情で告げる。
「経過観察……?」
俺は思わず相手の言葉を繰り返す。
「そう。私と君は約束を交わしたはずだ。勿論、覚えてるよね?」
「……あぁ……」
今年の4月。
璃子さんの依頼によるレナさんの行方探しから始まった、半グレの“BB”やコイツらヤクザ連中との揉め事を含め、そしてこの街の市長様のドラ息子までを巻き込んだひと騒動――俺は騒動を仙導レナクソッタレ行方不明事件。略して『クソ事件』と呼称している。
そのクソ事件の解決に伴って、俺は獅子門と約束――取引を交わした。
その騒動に一番に巻き込まれた哀れな被害者、『仙導レナに対して一定の補償をすること』を約束させたのだ――なので、レナさんがここまで完璧に回復できたのもコイツらの働き掛けがあったのも事実というわけだ。
とはいえ、だ……。
「だから何なんだよ?」
お前が急に姿を表すのが理解できない俺は、コチラも当然の疑問をぶつける。
「だから言ったろ? 経過観察だよ……」
やれやれとばかりに両手のひらを上に向け、両肩を上げる獅子門。
「約束を守ると誓った以上、それを実行する事も大事だが、キチンとそれが履行されているのかも確認する事も大事だ」
そう言って彼女は地面――この階下にいるであろうレナさんに向けてなのか、視線を下げている。
「報告は受けていたが、彼女はもう大丈夫そうだね?」
「…………」
律儀。
いや、義理堅い。
いやいや、人情深い。
いやいやいや……コイツら的により正確に言うならば、筋を通す、か? ……まあ、おそらくはそれを強調したいのであろうか。
言外にこう告げに来たのだ。
約束は果たしたぞ?
と。
それならコッチが言う事は決まってる。
「分かったから帰れ」
とっとと切り上げるに限る。
早く下に戻って飲み直したい気分だ。
だが、向こうの用件はそれだけではなかったらしい。
「ちょっと君に頼み事があるんだけど……」
What――『何を』。
そうして獅子門は俺に『依頼』を告げる。
その内容は――
03
大宮駅から東武鉄道が運営する私鉄――東武アーバンパークライン――旧名、東武野田線の電車を利用して二駅先の大宮公園駅で下車し、そこから徒歩で10分少々歩いたところに、さいたま市北区盆栽町のエリアがある。
ここは町名に因むほど盆栽が盛んな場所となっており、毎年5月には『大盆栽まつり』なんて即売会の催しが開催され、国内外からその愛好家たちが集まって来ているんだそうな。
そんな著名な盆栽家たちが住むエリアから少し外れたところに、ご立派な庭と大層な日本家屋のそれはそれは大きな屋敷がある。
古びた――趣あるこれを我が物顔で俺たちは門をくぐり、屋敷の玄関を開ける。
「ただいまーーー!!!!」
「おじゃまします……」
「毎度お邪魔しまーす」
壱楓ちゃんの元気な声が玄関先から屋敷内に響き、ひよりと俺がそれに続き声を上げる。
「……お嬢、それとお客人もお帰んなさい……」
その奥の廊下から1人の男がやって来た。
この屋敷内には似つかわしくないほど、ガッチリと糊の利いたグレーのスーツを着ている。藤丸組にいた獅子門に付き従っていた顔面凶器の國塚に負けず劣らずの顔つきと恰幅の良さがある――しかしこっちはそっちよりも年季が入っているのか、見た目の怖さ的な部分は『分がある』風に感じられる印象だ。
「ツネさん! お祖父様は?」
「お祖父様でしたら、いつもの奥の部屋にいらっしゃいます……」
「ありがとうございます!」
「へい……皆様も奥へどうぞ。後ほどお飲み物をお待ち致しますので、そちらでお寛ぎください……」
そう言って頭を下げて先に奥に戻って行くツネさんこと十津川恒彦。
「……お構いなく〜……」
ここ最近はずっとこんなやり取りを繰り返していたので、最早断るのも諦め、それだけ声を掛けて俺も一緒になって奥に進む。
いつもの奥の部屋――この大屋敷ご自慢の庭園が一望できる書斎として使われている部屋に入ると、屋敷の主人たる浅見甚衛がいた。
「おう、帰ったか壱楓」
初老の男性。
短髪の白髪頭。
もみあげと髭が繋がったスタイル――俗にリンカニックと呼ばれる髭面の特徴をした爺さん。
すでに還暦を過ぎてるとか言ってたが、その眼光はいまだ鋭く。衰えているという印象を受けない様子で、『老成』とは彼の事を指すのであろう。
濃緑の羽織を着流し、手すりの付いた布製の高座椅子に深く腰掛け、何か書類関係を見ていたのか、紙の束と掛けていた鼈甲眼鏡を外して机上に置く。
「ただいまです!」
「はい、お帰りなさい……」
かなり貫禄というか威厳のある老人といった外見をしながらも、深く皺の刻まれた顔面は愛しの孫娘を見てくしゃくしゃに綻ばせている。
「おじゃましてます……」
「ひよりちゃんもいらっしゃい。外は暑かったろう?」
「うん……」
「そしたら2人とも手洗いとうがいをしてきな。満天堂の最中アイスがあるから食ってきなさい」
「はいです!!」
「ありがとうございます……」
2人は嬉しそうに手を繋いで部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送り、今度はこちらに視線を戻す。
「今日もご苦労だったな……」
「別に……なんて事ないですよ……」
「なんて事ない、なんて事はねぇだろう? 褒美があるとは言え、わざわざ空巻市から県跨いでここまで来てもらってんだからよ」
「……まあ仕事なんで……」
「フン……。まあいいや。お前さんの分もあるから喰ってけ」
「ご馳走になります……」
こんな風に一見、おっかなさ半分穏やかさ半分に見えてはいるが、その正体は室賀一家の十三代目総長――バリバリの極道である。
古くは江戸時代から続く博徒の系譜を持つ一家で、彼らの業界内では老舗の扱いだそうだ。
代々超武闘派で名を馳せたそうで、彼もまた若い頃はブイブイ言わせていたそうだが、最近は穏健派として『かなり』落ち着いた『らしい』――全部獅子門の談なので本当かは怪しいが……。
そう言いたくなるのは、なんて言ったって一番最初の初対面のご挨拶でだ。
『お前……小児性愛者、つまりはロリコンか……?』
『……いや別に文句はねぇさ。人様の性的嗜好にとやかく言うつもりもねえしな……』
『ただな……』
『もしも壱楓に変な気起こしたら、お前のチンコちょん切るから』
と、バカデケェ鋏片手に持ってそれを見せつけながら言われたんだからな。
決して油断はならない男である。
04
と、話を本題に戻そう。
What――『何を』。
獅子門から頼まれた『依頼』とは、このおっかない甚衛爺さんの目に入れても痛くないほど溺愛しているであろう孫娘である壱楓ちゃんを、学校が終わってからの送迎をやってくれないか。というものだった。
ここで次のWhy――『なぜ』。
理由は様々だが、大きな要因は一つ。
本来ならいつも送り迎えをしていたのは、この甚衛さんご本人がやっていらしたそうだが、俺に『依頼』が来るその数日前の事だった。
愛しの孫娘をいつもの様に抱き抱えようとした際、不幸にも急性腰痛症――俗に言う『ぎっくり腰』になってしまったそうなのだ。
最初の方は全く出歩けず、今でも恐る恐るで歩行するという有り様らしく、まともに動けない状態。
とはいえ、孫娘の迎えはしなくてはという事で、代わりにツネさんだったり、他の若い衆を使ったりして迎えに寄越していたらしいが、何せ見た目がアレだから他の子どもたちや教師たちが怖がってしまい、下校時に支障が出ているからどうにかならないかと学校の理事長から直々に相談されてしまったらしい。
流石に無視するわけにもいかず、さりとて自身の組織内では適した無難な奴がいない……ならばと甚衛さんが『外部顧問』として役職を務めており、『親戚関係』にあたる藤丸組に話が行き、獅子門が白羽の矢として立てたのが俺だった。
最初は断ろうかと思った。
当然だろう。
なんだってこっちの学校が終わってから、わざわざ八重雲から埼玉に行って、知らない小娘の学校の送り迎えをしなきゃならんのかと。
今年の夏はクソ暑くて死にそうだってのに……。
他を当たれ、と告げて追い返そうとしたら――
「――100万……」
「……あっ?」
「夏休みが始まる前日、つまり1学期の終業式までキチンと送り届けることができたら、成功報酬として100万円を支払おう」
雑居ビルの屋上。
湿気なのか熱気なのか、まだ数分しか外に出てないはずなのに、俺は若干の汗を掻き始めたところで、対して獅子門は汗一つ掻かず涼しげな顔で言う。
「無論、電車代などの交通費は別途支給で……悪くないだろう?」
「……」
相変わらず何を考えてるのかわからん表情だ……。
わからないが……これだけは言える……。
「話がうま過ぎる」
信用はできない。
「たかがその孫娘さんの学校から家へ一緒に帰るだけで100万? マジで言ってんのか?」
「マジもマジ。大マジだよ」
「……何が目的だ……?」
「だからさっきから言ってるでしょう? 浅見総長の孫娘を学校から家まで送り届けろって」
「それだけ?」
「それだけだよ」
「……何か裏は?」
「裏話も表話も無い」
「…………」
「ああいや、それだけじゃなかった。条件が一つだけある。『五体満足。傷ひとつなく、完全に完璧に無事に可愛い可愛い孫娘を送り届けること』だ」
「…………」
嘘を吐いてる様子は無い。
じゃあ本当にただの送迎だけって事か?
「どうして俺なんだ?」
「我々の中で適任者がいなかったから」
「アンタらは幾ら貰うんだ?」
「300万」
俺に支払う報酬やら雑費を差し引いても190万も残るのか……。
「……マジで破格だな?」
「困った方だよ。その子の為なら大枚はたいても惜しく無いらしい」
「……嫌なのか……?」
「キチンと報酬を支払ってくれるから良客とは限らない。コチラにも本来の『仕事』があるからね」
「じゃあ断れよ」
「そうはいかないのが人付き合いってやつさ。特にコッチの『業界』じゃあね」
………………。
そこまで関わりがあるわけじゃ無いが、初めて獅子門の本心――心底の溜め息を見た気がする。
コイツこんなツラすんのか……。
それもすぐに元に戻って彼女は、
「で、どうするかな?」
と、急かす。
「…………」
俺は少し思案に耽る。
明日からの1週間と少し、距離はキツイがただ一緒に家に帰って100万円……。
ただの高校生にしてみれば、実際100万は大金だ。
それをポンと貰えちまう。
……。
怪しさはあるが、確かに変な裏は無さそうだ。
…………。
こうして話した感じだと、獅子門は単に面倒事を俺に押し付ければそれでいいという事か。
最悪俺が断っても代替えを探すだけ。
向こうとしてはことなげもなく終われば最高。
できればサッサと終わらせたい。
………………。
「……随分と疑り深いなぁ」
「以前どっかの誰かさんがギリギリで裏切ろうとしたせいでね」
「…………」
痛いところを突かれたのか、やれやれと肩を竦める獅子門。
……。
…………。
………………。
「……わかった……」
「お?」
「引き受ける……」
「……ありがとう。助かったよ」
俺の言葉に彼女は満面の笑みを浮かべ礼を言うと、もう用は無いとばかりにそそくさと屋上から去ろうとする。
「後で細かい指示はメールに送るからそれに従ってくれ。くれぐれも失礼の無いようにしてくれよ? それじゃあよろしく〜♪」
……………………。
おそらくは俺の気が変わるのを恐れての行動なのだろうが……。
「断りゃ良かったかな……」
ちょっとムカついた。
とは言えだ。
もう引き受けちまったからには仕方ない。
かくして、How――『どのようにして』。
俺は今日までこうして、自分の学校が終わってまずひよりを迎え、そのまま電車で隣の埼玉県さいたま市まで行き、壱楓ちゃんを迎えてからまた電車でこの屋敷まで送り届ける。というのを最近はずっと繰り返していたわけだ。
以上、説明終わり。
05
「旨しです!!」
「うま〜……」
「ほうか、喉詰まらすなよ」
最中アイスを口いっぱいに頬張りながら、壱楓ちゃんとひよりはその美味しさに舌鼓を打ち。その2人の喜ぶ様子を見て嬉しそうに笑う甚衛さん。
を、その双方を尻目に俺もそれを口を運ぶ。
…………美味い。
食通というわけじゃ無いし、味覚に自信があるわけじゃ無いが、コレが普通と一味違うのは感覚でわかる程度には美味しい。
それに合わせて飲むツネさんに淹れてもらったブラックコーヒーの苦味がいい感じにマッチしている。
そうしてみんなが人心地つき、しばらくしてほぼ同時に食べ終わった頃に、壱楓ちゃんが立ち上がる。
「お祖父様……」
「ん?」
「ひよりちゃんと自室で遊びたいのですが……」
普段の明るい態度とは少し違った、恐る恐るといった感じでお伺いを立てている壱楓ちゃん。
対して甚衛さんはというと、
「あー……ひよりちゃんが良いならだが……」
まさか、そんな申し出があるとは思わなかったのか、少し驚いた表情をしながらも、ひよりの方に視線をやる。
「……ひよりもあそびたい」
いつもの無表情に近い、むしろ何ら動揺も見せずに琥珀色の瞳は俺を捉えている――ロイドはどうだ? と言わんばかりの眼だ。
「……お前がそうしたいなら文句はねえよ。お袋には帰るの遅れるって言っとく」
俺自身も内心驚きながらも、それをおくびにも出さずに冷静に対応する。
「ありがとう」
嬉しそうに微笑を浮かべるひより。
「! ありがとうございます!!」
そして俺たちのやり取りを見て、壱楓ちゃんも満面の笑みで礼を言うと、ひよりの手を取って書斎から飛び出して行った。
……………………。
「……悪いな……」
少しの静寂の後、最初に口を開いたのは甚衛さんからだった。
「ウチの壱楓が付き合わせる事になって……」
「別に……家に急いで帰っても用事も無いですし……」
なんて事無いように返す俺。
「そうか……」
「えぇまあ……だから大丈夫です……」
「「……」」
「「…………」」
「「………………」」
大の男2人して、また無言になる。
その間に俺はお袋にメールで状況を報告する。
『分かった。気をつけて帰れ』
想定していた通りの返事が返ってくる。
……。
…………。
………………。
「驚いたよ……」
またしても先に喋ったのは甚衛さん。
「えっ?」
俺は視線を上げて甚衛さんを見ると、彼は遠いものを見るように、壱楓ちゃんたちのいる自室の方であろう方向を真っ直ぐに見つめている。
「壱楓に『お願い』された事さ。素直に驚いた」
「……」
それは俺も同じ気持ちだった。
普段なら、こうして甚衛さんが事前に買ってくれていた菓子やツネさんが淹れてくれた飲み物を馳走になり、少し小休止をしたところでじゃあお邪魔しましたとなって帰っていたから。
アイツらがあんなに仲良くなっていたとは……。
「初めてなんだよ……『お願い』なんてされたの」
「……そうなんですか?」
俺の言葉に深く頷く甚衛さん。
あんなにベタベタしてるもんだから、かなり甘やかしていると思ってたんだが……。
「いつもは明るくて素直で元気良く暮らしてる風に見えるかもしれんが、俺に対しては何と言うか……聞き分けが良過ぎて少し不安だったんだ……」
「…………」
何たって急にあの子がこんな事をお願いしたのか、俺には心当たりが一つしかなかった。
それは多分……。
「明日まで、ですからね……」
「…………」
明日。
そう明日は、俺たちもそうだが1学期の終業式。
俺が受けた『依頼』の最終日。
つまりはこの関係、この日常も明日までって事になる。
壱楓ちゃん本人もそれを自覚しているから、さっきはあんなお願いをしたんだろう。
「なあ」
「……はい?」
声を掛けられ見ると、甚衛さんの視線が俺の方を向く――彼の眼は、答えを欲するように見つめている。
「これも所謂、『我儘』になるのか?」
「……よく分かんねーすけど、まあ広義的な解釈ではそうなんじゃないですか……」
「そうか……」
俺の答えに満足したのか、少しばかり口角を上げる甚衛さん。
「……良い傾向だな……」
「…………あの」
「おう?」
本当は深く立ち入るつもりはなかったが、とはいえどうしても気になってしまったので、この際訊いてみる事にした。
「壱楓ちゃんの両親は?」
「……………………」
「言い難いなら別に――」
「――ちょうど1年前に交通事故でな……」
「…………」
やはりか……。
何となく想像していた通りとはいえ、直接聞くとやっぱり少し気分が凹む。
「唯一の肉親が俺だけでな。とりあえず引き取ったはいいんだが、なんて言ったって俺はコレモンだろう?」
そう言って甚衛さんは人差し指で頰を縦になぞる仕草をする。
「俺のせいで苦労させたくねぇから何不自由なく、と思って極力『好き』にさせようとしたんだが、あの子自身気を遣ってくるし、そもそもまだその『好き』が分かってねえし――まあ子どもなんだから当たり前っちゃ当たり前な話なんだが、それに俺もこれまで息子たち――壱楓の両親とは没交渉だったからな……最初は大変だったんだ……お互いの距離の取り方がよ……」
あんなに笑うようになったのも最近でな、と悲しいんだか嬉しいんだか分からない複雑そうな表情を浮かべ甚衛さんは話を続ける。
「ようやく落ち着いて、慣れてきたところのその矢先に俺の腰がコレさ。全く手前の身体が忌々しいよ。情けなくて涙が出て仕方ねえ。ウチの者の迎えも難しくなって、獅子門んところに相談したら『活きのイイのがいますよ』なんて言うから、紹介してもらったのが――」
「――俺たちですね……」
「そういうこった……最初は悪かったな脅かして……怖かったろ?」
「まあ……えぇ……はい……」
俺の曖昧な返事に察したのか、フッと笑って応える甚衛さん。
「まあ何はともあれだ。正直な話、色々と助かってるのは確かだ」
そう言ってこちらに向き直ると、
「ありがとうよ」
立つ、のは難しかったのか、とはいえ腰が辛いだろうに深く頭を下げる。
「……あぁ、いや、まあ、別に大丈夫っすよ」
まさか、ヤクザが素直に頭を下げて礼を言うとは思わなかったので、俺は少し驚いてしどろもどろになりながら返事をする。
……。
獅子門と勝手が違い過ぎるからか、どうにも対応に困る場面がある。
同じ人種なのにこうも違うものなのだろうか?
なんて事を考えていると――
「――それとよ」
「はい?」
頭を上げて、今度はなんて言ったらいいのか、なんて顔つきで言いづらそうにする甚衛さん。
「もしお前さんが良かったら、今後も壱楓が望んだら相手をしてやってくれないか……?」
頬を掻きながら、甚衛さんは言う。
「…………」
この感じ、壱楓ちゃんはこれまで親しい友人がいなかったのであろう。
こうして同い年の女の子を家に招くなんて事もできなかったはずだ。
祖父としちゃせっかく知り合ったこの関係を終わらせたくないのも当然だろう。
だが、それを決めるのは俺じゃない……。
「ひよりが良いなら良いですよ」
「……」
「まあ、アイツはとっくに壱楓ちゃんと仲が良いみたいですし、むしろコッチも逆によろしくお願いしますって事でいかがです?」
そう言って今度は俺が頭を下げる。
どうも向こうさんは俺が頭を下げるとは思わなかったようで、ただ黙ってコチラを凝視する。
「…………」
「何か?」
視線の意図が分からず訊くと、甚衛さんはゆっくりと口を開く。
「いや……獅子門からお前さんの事は色々と事前に聞いちゃいたが……」
「?」
「最初に頼んだ俺が言うのもアレだが、思ってたより素直で真面目なんだな?」
「……相手で変えてるだけです……貴方が思ったより実直なだけですよ」
「…………獅子門は嫌いか?」
「苦手ですね。顔はタイプなんですが……」
「ハッ!」
想定外の答えだったのか、思わず笑い声を上げる甚衛さん。
「良いな、気に入った」
「どうも……」
何と言うか、ここに来てというか、ようやく互いに腹を割って話したからなのか。心情的な距離感が少しばかり縮まったような気がした。
もしかすると、俺とこの人は案外気が合うのかもしれない……。
少しそう思った。
06
「あぁ、そうだ。聞くのをすっかり忘れてた。今日も大丈夫だったか?」
話が終わりかけたところで、甚衛さんはうっかりとばかりに俺に聞いてくる――それは俺も言われて気付いたところであり、そういえばいつも最初に今日の帰りの様子を報告するのを忘れてたと思い出したところだった。
「はい、今日もいつも通り――あぁ、いや……」
「ん?」
普段なら……。
ここでいつも言う言葉は決まっている。
『いつも通り特に問題ありません』
と、
それで終わる。
本当に何も無かったから。
だが……。
「…………」
言い淀む事が今日は1つ起きた。
「どうした?」
「あー…………」
そうだが、正直言って微妙だった。
確証があったわけではないから……。
「確実に『そう』って訳じゃないんですが……」
「構わねえ、いいから話してみろ」
言い渋る俺に、甚衛さんは即刻促す。
どうも俺と同じ性質で、小さい事でも切り捨てられないようだ。ならば俺も噤む理由もないので口を開く。
「誰かに見られてました」
「見られてた?」
「はい」
「何でわかる?」
「実は――」
と、ここで俺は自身の『珍しい特技』の話をする。
俺は『視線』を感じ取る事が出来るという事を。
調子が良けりゃその方角や視線に込められた感情を読み取る事だって……。
今日は暑さのせいもあって、その肝心の方角や感情の読み取りは深くできなかったが、確実にコチラを見ていたのは分かった。
ただジッと見られていたと説明する。
最初は半信半疑だった甚衛さんも、俺がこういう時に冗談を云う性格じゃないのは察してくれたのか、事実として受け止めて真剣な表情になる。
「……お前さんを見てたのか?」
「見られてましたけど……」
「けど?」
「…………」
そう。
俺が確証を得られなかったのは、その見てた相手は俺を目標にしてなかったからだ。
少し見ては外して、また少し見ては外して……。
いつかの『襲撃』前の『監視』程じゃなかった。
だから自信が無かった。
コレを報告するべきか迷った。
「なんて言うか……俺をっていうか……」
……俺じゃなくて……。
「壱楓か?」
そう言って甚衛さんの目が一層鋭くなる。
「恐らくですが……」
だが、そうだ。
今回の『視線』は俺じゃなくて、壱楓ちゃんを見つめていた。
「邪な気は感じたか?」
「いえ……俺にも『何か』向けてくれてるならまだ何か分かるんですが……」
俺の特技は、あくまでも俺に対する『視線』限定だ。
漫画やアニメみたいな超能力や異能ほど便利な能力な訳じゃない。
ただ……。
「保証はできませんが、壱楓ちゃんに対する『悪意』や『害意』は感じなかったような気はします。本当にただ『見てた』って感じのような……」
「…………」
俺の所感を受けて、甚衛さんは顎髭あたりをボリボリと掻きながら深く考え込む。
……。
「何か心当たりが?」
その様子的に彼の中で何か思い当たる節があるらしい。俺はそれを見逃さなかった。
「…………」
指摘に対して甚衛さんは俺の方を見つめる。
…………。
その『視線』は俺を『値踏み』していると言ったところか……。はたまた話した方がいいのか、話さない方がいいのかと迷っている様子だ……。
昔気質の人でもあるからだろう。堅気を巻き込まないようにという、向こうなりの『仁義』だったり『良心』があるからなのかもしれない。
だがコチラとしてはだ……。
「……何も知らされないで俺らが巻き込まれるよりはいいでしょう……?」
面倒事はハッキリ言ってゴメンだが、『前回』の仙導事件はそのせいで色々と余計な労力を使った気がするので、知っておけるなら事前に色々と知っておきたい。極力、同じ轍を踏みたく無いのが俺なのだ。
「……お前さん、妙な肝の据わり方をしてんな……?」
「まあまあ、お陰様で……」
「ウチに来る気は無いか?」
「それはご遠慮願います」
「冗談だ……」
俺の言葉に甚衛さんも半ば感心、半ば呆れ気味になって、そして諦めたように口を開いた。
「“武蔵連合”を知ってるか?」
武蔵連合…………。
「……少し前に、ネットニュースかテレビのニュース番組とかで名前を見たような気が……」
その時は確か、オレオレ詐欺のグループを警察が検挙したとか言って、その主犯格の幹部連中がそんなグループ名だったはずだ。
「あぁ、それだよ……」
「そいつらは何者ですか?」
「俺らよりタチが悪い半グレさ」
「…………」
また半グレか……。
「……どうした? まるで苦虫を噛み潰したようなツラだな?」
「えぇまあ、ちょっとうんざりしただけです……」
俺の表情を見て、何か察したように声を掛ける甚衛さんに対し、溜息混じりにそれに返す俺。
今年に入ってからまさかまた、しかも別の半グレグループの名前を聞かされなきゃいけないとは……。
気が滅入るとはこの事だろう。
「より正確には、“三代目武蔵連合”ってのが正式名称だな。一般的に縮めて武蔵連合と通称される事が多い」
「……三代目?」
どういうこっちゃ?
色々と意味が分からないという風に顔を顰める。
「いきなり言われても要領を得んか……まだ時間があるな……。丁度いい、少し年寄りの話に付き合え」
それに対して甚衛さんは、時計の時間を確認してから椅子に深く座り直し、こちらを向く。
「歴史の授業だ……」
そう言って口を開いた。
07
1970年代。
高度成長期のその時代に、オートバイなんかを集団で乗り回す若者たちがいてな――まあかく言う俺もその当時のうちの1人ではあるんだが……。
そういう不良少年連中の集まりを狂走族――今だと暴走族とか珍走団だっけか? まあそう呼ばれたそういった連中のグループ化が出来てきた中で、更にそれらが集まって連合体として結成された内の一つが武蔵連合――“初代武蔵連合”だった。
当時、“東京ハイパー隊”や“エメラルドエンペラー”といった暴走族が中核をなして積極的に活動していて、その勢いは他の連合体勢力を凌ぐ程だったんだが、メンバーの卒業や脱退、警察組織からの締め付けもあって解散した。
その後、80年代中頃から後半期あたり、チーマーってのが勃興して暴走族自体が衰退に向かっていた時期にありながら、“黑雲党”や“紅蓮天狗”、“スコーピオン”っていうチームが武蔵連合の復興を企図してな、それを見事に実現させたってわけだ。
それが“二代目武蔵連合”のはじまり。
…………。
あぁ、お前さんの言う通りだ。正確に言うと初代と二代目に直接的な繋がりは無い。
恐らくは、初代の威を借りる為に名乗ったってのが正直な話だろうさ……。
別に何も不思議じゃねーよ。こういうのは歴史の中じゃよくある話さ。
……続けるぞ?
その後、90年代に入りチーマーとの暴力的抗争を経て、渋谷を中心に都内の非行少年界を制圧した武蔵連合は、やがて六本木にまで進出し、ナイトクラブを影響下に置いていった。
当時は同じ時期にバブル期――バブル景気ってのもあって、そういうクラブやイベントサークルの勢いが物凄くてな。
夜の街を舞台にして、ヒルズ族なんて呼ばれてた実業家たちと交流関係を築き上げるようになって、人脈という面に於いても、二代目の武蔵連合は他のグループとは一線を画すような強大な存在となっていったわけだ。
そうして2000年代に入ってすぐ、二代目武蔵連合自体は解散したが、解散後も元メンバー同士の上下関係に基づいた結束力は強く保たれた状態で、奴らは活動を積極的に続けていた。
当時は俺らヤクザよりも勢いも羽振りも凄くてな。
それは酷いものだったぜ……。
何せコイツらを後に、“二代目武蔵連合OBグループ”として呼ぶようになり、半グレ集団の代表格、象徴的な存在として世間から認知されるようになったんだからよ。
決定的だったのは……いつだったか忘れちまったが、とある有名な歌舞伎役者がコイツらとトラブル起こして暴行された傷害事件を知ってるか?
あぁ、それだ。
そういった事件をはじめ、オレオレ詐欺等を含めた詐欺事件、ヤクザに対しての抗争や襲撃、果ては一般人や同じメンバー同士での殺人なんてのも手を出しやがって、凶悪性や凶暴性も含めて全国から注目を浴びるようになっていった。
そこから警察が本腰入れて、2013年頃だ。
俺ら極道以外で初めて、半グレ集団に対して暴対法――暴力団対策法による準暴力団として指定をしたんだよ。
そこからはあっという間だった。
主要メンバーのほとんどが逮捕され、組織としての体が保てなくなり、2014年の中盤時点で武蔵連合を名乗って活動している者は皆無、勢力としてほぼ消失して、事実上“二代目武蔵連合OBグループ”は壊滅状態となったわけだ。
…………。
おう、お前さんも察しが良いな。
二度あることは三度ある。歴史は繰り返されるってわけさ。いよいよ本命、これまた真打ち登場ってなもんだ。
二代目が壊滅してすぐに入れ替わるようにだ。
ソイツらは“三代目武蔵連合”を名乗った。
だがこれまでと一味違ってな。
前身の二つの組織は、元が東京都内の暴走族が主な連合体だったんだが、今回の三代目は東京都内はもちろんだが、更に埼玉県内にある当時勢いのあった暴走族、それ以外にもチーマーやカラーギャング、その他の色々な不良グループが集まってできた超複合型連合体勢力なんだよ。
構成員の年齢層も幅広く、10代の若者から二代目で活動していた元メンバー連中の40代まで、その人数だけで数百人以上と来たもんだ。
…………。
おっとろしいだろう? 俺もだよ……。
全く、復興する度にタチが悪くなるんだから始末に負えねえって話さ。
警察だってすぐに実態を把握しようと調査を開始したんだが、ヤツらも以前より狡猾で警戒するようになったみたいでな。
基本的には極小数の人数単位でグループ分けされていて、チマチマコソコソと活動してるモンだから、内部の構造やら指揮系統やらが明かされないようになってるのよ。
お陰で今も大した捜査も進まないまま、ほぼ野放し状態にせざるを得ない状況ってわけさ。
08
「――とまあ、これが今の武蔵連合の分かってる実態だな……」
長々とした授業が終わり、喉が渇いたのか湯呑みに触れるが、すっかりと冷めてしまったようで、少し残念そうな表情をしながら湯呑みを置き直す甚衛さん。
そして続けて、
「何か質問はあるか?」
と、聞いてくる。
「……心当たりの相手についてはよく分かりましたが……それはどういうワケでそう思うんです?」
対して俺は同様に冷えてしまったコーヒーを一気に飲み干してから訊ねる。
「何か因縁でもあるんですか?」
そうでもなきゃ、ただ孫娘を見張るなんてことはしない筈だ。
この質問は先程よりも少し言い渋るかと思われたが、意外にもすぐに教えてくれた――まあ、ここで黙られても困るし、向こうも相手について言ってしまっているのだから、正直に話して構わないという事もあるのだろう。
「今、大宮駅を中心地とした様々な再開発事業が進められているのは知ってるか?」
「……いいえ……」
「だろうなぁ。まあ、そこんところの詳しい説明は省くが、お前さんらが壱楓を迎えに行ってる聖蘭学園小学校とは反対口の方――東口の方で官民を合わせた複合商業施設のビルが現在も建設中でな」
「はい」
「そこがまだ何にも無かった頃、更地になるよりも前、土地の所有者たちが複数いた頃だ」
「…………」
この感じは土地絡みの話か?
となると……何となく話のオチが見えてきた気がする……。
「事業用地確保のため、デベロッパーである再開発組合がとある不動産ブローカーに土地の買い上げ依頼をした」
「不動産ブローカー?」
「俺らは地上げ屋なんて呼んでるがな」
「……もしかしてそこは――」
「――あぁ、そこは武蔵連合の息が掛かってる業者だったのさ」
俺の勘付きの言葉に気を良くしたのか、甚衛さんはニヤリと笑って話を続ける。
「かなり危ない手段で土地を買い叩こうとしてたみたいでな。正直なところ関わるつもりは無かったんだが、あんまりにも目にも耳にも入っちまったんでよ」
「……どうしたんです?」
「横取りしてやったよ……」
なんて事ないように甚衛さんは言う。
「一応言っとくが、俺はアイツらチンピラと違って、お天道様に顔向け出来ないような事はしてねーからな? 至極真っ当な正規の方法で土地を買ったのよ」
「…………」
武蔵連合がついてこねた餅を、最後はこの人が喰らったわけか……。
そりゃ向こうも恨むわな……。
「向こうとしちゃ、かなり業腹だったろうぜ。とはいえ――」
「――自業自得……同情の余地は無いですね……」
「だろう?」
「でもそれって数年前の話ですよね? 恨んでるにしても長過ぎませんか?」
「近く、もう一個ビルを建てる計画があるんだよ」
「……」
なるほど…………。
前回は邪魔されたわけだから……。
「それに対する牽制……ようは脅しって事ですか?」
「……恐らくはそれだろうな……」
『今度は余計な事すんじゃねーぞ』というメッセージを込めた監視な訳か……。
「どうするんです?」
「別にどうもしねーや」
俺の疑問に甚衛さんは雑に言い放つ。
「今回の再開発に関しちゃ俺は最初から関わるつもりはねぇ。前回だってやり方にお灸を据えるためにやっただけだ」
「無視するんですか?」
「今のところただ見てるだけだし、直接壱楓に来ないなら構わねえ」
「…………」
この人にとって大事なのは、自分の庭で目に余る事さえしないならOK。この人なりの筋を通してるかどうかということか。
……逆を言えば、目に余る事をするなら、筋を通していないなら、一切の容赦をしないという事でもあるわけで、だからこそ前回の再開発計画では邪魔をしたわけだ……。
「とはいえ――」
――何も反応しないのは違えからな……。
そう続けて甚衛さんは、
「おいツネよ」
廊下側ではなく、襖で仕切られた別の部屋の方に声を掛ける。
『へい』
すぐに返事が返ってきたかと思えば、襖が開けられて部屋には入らずに正座したツネさんがいた――どうやらずっとこっちに控えていたようだ。
「明日の予定はどうなってる?」
「明日は朝10時から安西先生のところで診察の予約があります。その後は昼過ぎまで事務所で若頭との会合があります」
「……そうか……そうだったな。ロイドたちは明日は何時ぐらいに壱楓と合流できそうだ?」
ツネさんにスケジュールを確認し、今度は俺の方を向く。
「俺らも明日は終業式なんで、それが終わってひよりを拾ってから迎えに行くんで……たぶん午後1時ちょい過ぎくらいに合流ですかね……?」
「……」
俺の返答に少し一考してから口を開く。
「よし、それなら明日はいつもの屋敷に連れて帰るんじゃなくて、俺とツネが車でお前さんたちを迎えに行こう」
総長自ら姿を晒しての牽制返しと言うところか。
何もしないにしても、舐められる訳にはいかないから体裁は整える、この辺のヤクザの面子を保つためってのは大変そうだ。
とはいえ……だ……。
「……大丈夫なんですか?」
学園側からまた苦情を入れられそうだが……。
「久々の一回だけだ、ちょっとくらいなら目を瞑ってくれるだろうさ。それにせっかくの最後だ。遅めだが一緒に昼飯でもどうだ? うなぎを馳走してやる」
……うなぎ……。
もしもひよりがこの場で聞いたら狂喜乱舞していただろう。
「……ゴチになります……」
特にこれと言って断る理由もないので、俺は軽く頭を下げて了承する。
「決まりだな……」
そう言って甚衛さんはふと壁掛け時計の時間を確認する。
「もうこんな時間か……。おい、ロクは何してる?」
「亀井の夕餉の手伝いをしとります」
「そしたら悪いんだがロクに声掛けて、この2人を車で家まで送るようにしてくれ」
「へい」
「いや、それは……」
素直に申し訳ない(のと、ヤクザに家まで送ってもらうのは少しというかやはりというかそこそこに抵抗感がある)し、これは断ろうかと思ったが、
「今日は壱楓の我儘に巻き込んじまったしな。電車で帰るのは遅過ぎるだろ? 礼代わりだと思ってくれ」
と、ここまで言われてしまって結局断れず、
「……そしたらすみません、よろしくお願いします」
と、好意を受け取っておくことにした。
その後は特に何も無い。
車に乗る前にひよりと壱楓ちゃんがまた明日ねと挨拶を交わし、そのまま自宅まで送ってもらって、家に帰ってからは風呂と飯にして、ひよりに明日の予定の報告。
ひよりは明日の昼飯がうなぎと聞いて無表情のままで謎の踊りを披露していた――何かちょっとシュールで面白かった。
…………。
明日は1学期の終業式。
明後日からは楽しい楽しい夏休みが始まる。
そして明々後日には、璃子さん主催の事務所に集まって、選りすぐりのクソ映画鑑賞会となっている――一体全体どんなクソ映画を観せられるのか恐ろしくて恐ろしくて深く眠れそうだ……。
……そうだ……。
早速だが、これに壱楓ちゃんを誘ってみるのはどうだろうか?
甚衛さんからは、今後もよろしくと言われてるわけだし、何よりひよりが同年代の子とあそこまで親しげにしてるのは俺も初めてだったから、友だちと更に仲良くなって欲しいと思うのは、兄貴的には冥利に尽きるというやつだろう。
そんな明日以降の事を色々とウキウキワクワク考えながら、俺は日付が変わる前あたりで眠気に逆らう事なくゆっくりと目を瞑る事にした。
……おやすみ……。
09
場面は変わり、とあるアパートのワンルーム。
部屋の中は整理整頓が行き届いており、この部屋の主人である男の几帳面性が窺える。
彼は最近新調したゲーミングチェアに深く腰掛け、据え置き型のコンシューマーゲーム機を使って遊んでいた。
「あ〜、ちょっと押されてるなぁ……。誰かカバー入れる?」
『スマンちょいムリ〜』
『俺もダメだわ』
『……コイツを殺したら行ける……』
『サーセン! 僕死んだ! 僕死んだ!!』
『マジか? そっち行くわ』
「オケ、なら少し1人で抑えるから、誰か手空いたら来て」
『ウィ』
『了』
『オケ!』
男――モニター画面の向こう側にいる人たちを含めた彼らがプレイしているのは、FPSゲームと呼ばれる、操作しているキャラクターの視点(一人称視点)からゲーム中の世界を移動しながら、銃や武器を使って敵を撃ち倒すシューティングゲームである。
彼らがやっているのは、そのゲームの中にある陣取り合戦のようなモードをプレイしており、6人1組のチームで構成され、それが5チームVS5チームの対戦方式となっている。
そこらじゅうで銃弾が飛び交い、ミサイルや爆弾による爆発の衝撃が戦場を掻き乱し、そんな状況下で敵味方が入り乱れるその様子はまさしく混沌を極めており、地獄の様相を呈している。
彼はそんな悲惨な状況でありながらも冷静に現在の場面を見極め、パーティチャットを通じて自身のチームメイトたちに的確に指示を出していく。
「ゼラ。この位置に迫撃砲いける?」
『……いけるな……』
「そしたらその辺を芋ってるはずだからお願い。ウリとラファはこの辺の前まで来て敵引き付けてくれる?」
『『オケ!』』
「ラグ〜?」
『おん?』
「オレと一緒にここ攻めてくれん?」
『了解です』
『あの……僕は……?』
「ガブは……あ〜……特攻で暴れて」
『アイ!!』
ゲーム序盤は、敵の巧みな連携により翻弄され、窮地に立たされていたが、落ち着いて一つずつ対処していき、敵の一瞬の隙を突いてそこを攻め抜いた結果、徐々に形勢を変えていった。
そして終盤に差し掛かるところで、完全に逆転した事により、圧倒的な大勝利という結果で勝ちを収めたのであった。
『シャアッ!!』
『……ボケが……』
『ウェ〜イ』
『ナイス〜』
「へい、ナイス〜」
『ナイスです〜』
互いに労いの言葉をかけ、健闘を讃えあう。
『いや〜、勝てたねえ?』
『な。最初ヤバかったな?』
『……負けるかと思ったな……』
「まあ、最初だけね?」
『てかさ……』
『ん?』
「ん?」
『ゴメンやけど、ガブが手榴弾投げミスってまとめて死んだ時は笑ったわホンマ』
『いやアレはマジでそう』
「おぉん、アレはオレも笑ったわ」
『ね!』
『いやほんとマジでガチでアレは本当にすみませんでした……』
『まあ勝てたからね……とはいえ笑えたけど』
『いやほんと意味わからなかったよね? 行くぞ! オー!! あっ!? えっ? って言ってる間に死んだからねみんな?』
『……ガブは天然だからな……』
『アレなんでああなったのよ?』
『いや……実はちょい操作をミスっちゃって……』
『他のチーム絶対驚いたよね?』
『……ビビっただろうなぁ……』
「始まってすぐにキルログに1チーム全滅だからな」
『しかも自滅っていうね』
『いや〜、FF設定オンにするとこういうのがあるから笑けるわ』
『普段は嫌いだけど今回のは好きだわ〜』
「うん、オレもこれは好き」
そして各々が今回の戦闘での振り返りをぐだぐだと語っていたところである。
彼らのパーティチャットにもう1人入って来た通知が画面に表示された。
『あっ、ミカだ』
『ウエイ、お疲れ〜』
「はい、お疲れ〜」
『おいっす〜』
『……お疲れ……』
『お疲れっす』
『ウイ、お疲れちゃ〜ん』
このパーティチャットは普段、男性6人と女性1人で構成されており、日々様々なゲームを遊んでいるゲーム仲間たちである。
今チャットに入ってきたミカと呼ばれる人物は、その唯一の女性メンバーであった。
『今日もブラペやってたん?』
『最近はそうね』
『……ハマってるな……』
『うん』
「中々におもろいよ」
『それは確かに』
『ですね』
『ミカもやる?』
「あー、そしたらオレ抜けようか? オレもう結構今日は遊んだし」
彼――メンバーからはレミと呼ばれている男は、ミカを気遣って席を譲ろうとしていた。
それに対してミカは、
『いや、今日は大丈夫。ちょっとソロでやりたいのあるし』
と、あっさりとそれを断った。
普段ならば、こんな事は珍しくも無いやり取りではあった。
このミカという人物はかなり自由人であり、やるやらないをハッキリとさせる性格なのは長い付き合いである他のメンバーからは周知の事実である。
とはいえ、あまりにもアッサリとし過ぎた事に、違和感を覚えたレミはすぐに察する。
「仕事か?」
この言葉に、先程まで和気藹々としていた雰囲気がガラリと変わり、一斉に静まり返る。
『おっ、流石はレミくんはお察しが良いですね?』
ミカはレミの察しの良さを褒め、
『そ。お仕事の依頼です』
レミの疑問にハッキリと答えた。
『仕事か〜。あれ? せやったら前回は誰と誰やったっけ?』
関西弁混じりに話す男――ラグは、思い出すようにみんなに問い掛ける。
『……前回は……』
『僕とウリさんですね』
『そーね。オイラとガブだったわ』
必ず一拍置いてから、口数少なめに話すゼラ。
メンバーの中では最年少のガブ。
そのガブに同意するウリが答える。
『そしたら〜……次はアテクシとゼラでね?』
『……そうだな……』
ウリとは同い年でお調子者でもあるラファが名乗ったところで、ゼラが同意する。
『普段ならね』
その同意を否定したのはミカであった。
「ん? まさか全員?」
『はい。フルメンでやる案件ですねコレは』
レミはまさかと思い尋ねると、ミカは画面の向こう側で首肯するほどの答え方であった。
その言葉に、ミカ以外の一堂が沸き立つ。
『……マジか……』
『フルメンバーとか久しぶりやなあ』
『だよね?』
『どんくらい振りでしたっけ?』
「半年ぶりじゃね?」
『だよな』
彼らの生業は基本的に当番制で行われるのがほとんどである。
費用対効果的な観点から考えても、そうするのが通常なのだが、もしもそれを無視した程の依頼規模であるならば、考えられる理由は複数ある。
一つ、莫大な報酬。
二つ、超高難易度。
そして最後の三つ…………。
「ヤバイのか?」
『かなり……』
その依頼自体が非常に危険が伴うという事である。
「…………」
『どうする? どちらかと言うとリターンよりリスクの方がちょっぴり高い案件だけど?』
彼ら全員の纏め役。全体的な指示と現場指揮役を務めているレミはまず全員に聞く。
「オレはやっても良いと思うけど、みんなはどうする?」
『お〜、良いじゃん?』
『ね、ヤバい方が燃えるってもんでしょう』
最初にノリノリで答えるのはウリとラファの2人。
その声は非常に愉しげであり、それに呼応して周りのメンバーたちも賛同する。
『滾るよなぁ……』
『……あぁ……』
『ハイですね』
先ほどのゲームでの勝利に気を良くしているのか、各々の士気は高くメンタル面でのコンディションとしては全く申し分無い感じだ。
全員の総意が取れたところでレミはミカに尋ねる。
「んじゃまあ、そういうことで……依頼内容を詳しく聞こうか……?」
彼以外いない室内で、モニター画面には先程のゲームの戦闘結果が映し出された状態のまま、淡々と話が始められていったのであった。
10
翌日――1学期の終業式。
生徒指導の教師、教頭、校長の夏休み中の過ごし方やら、節度を持った行動やら、夏休み用に配布された課題についての取り組み方やら、まあ要約すると『羽目を外しすぎるなよ?』という事を言いたいがためにまわりくどく長々と語られた有難い説教・説法が終わり、クラスの教室の方でも担任から同様の内容が語られ、じゃあお前ら気をつけて帰れよと最後の挨拶が終わった。
午前中で終わった学校の校内は早速、昼飯をファミレスなどで外食して、ボーリングやらカラオケに行って打ち上げしようぜと生徒たちが色めき立っている。
そんな中で俺はとっとと荷物を学生鞄に纏めて、同じクラスの何人かに軽く挨拶を交わしてから教室をあとにして、そのままひよりが待つ空巻北小学校の正門に向かう。
正門前では、ひよりの方が先に学校が終わっていたのか待機していたらしく、スマホで好きなパズルゲームで時間を潰していた。
俺が近づき声を掛けると、ひよりは直ぐにこっちに来て一緒に空巻駅の方に歩き出す。
駅に着くと、ちょうど大宮駅行きの快速列車に乗れたおかげで、いつもより少し早い1時間弱で大宮に着くことができた。
そこからはいつも通りの西口からの徒歩のルートで聖蘭学園小学校に向かう。
今日もクソ暑い日である事に変わりはないのだが、空巻と違って大宮は何というか、ジメジメしているというか湿度? が多いせいなのか鬱陶しい暑さをしている気がする――だからなのか、今日もまた俺はアイスを買って食べ歩きながら学校に向かうのだった。
いつもの正門から少しズレた位置に着くと、俺はスマホで壱楓ちゃんに到着した事をメールで送る。
そして数分後、壱楓ちゃんが正門から出てきたところで声を掛けて合流して、アイスを手渡して打ち合わせしていた甚衛さんが乗る迎えの車が来るのを待つ。
…………。
見てるな。
昨日起きたこっちを監視している視線を感じる。
だがやはり、俺というよりは壱楓ちゃんの方に意識を向けている感じだ。
……とはいえ、ただ見てるだけ……。
悪意や害意は感じない――俺をじっと見てるわけでは無いので、ハッキリとは断言出来ないが、たぶん大丈夫な気はする。
……。
…………。
………………。
本当に昨日聞いていた武蔵連合の連中なのか?
……………………。
まあいいさ。
何者だろうが、どうせ今日は甚衛さんが姿を見せてコイツを牽制してくれる。
そうすりゃこんなくだらない事も無くなるだろう。
俺の仕事もここまで、あの女からお約束の成功報酬である100万円が手に入るわけだ。
100万……これで100万か……。
何というか改めて振り返ってみると、距離的な辛さは確かにあったが、内容自体はただの送り役だけなので、大した事をしてないのに大金を貰うのは若干気が引けるような気がする……。
まあ昨日と今日で不審な視線はあるから決して油断はできないが……。
…………。
と、色々と考えている間に俺たちの前に車が一台停まる。
どこにでもあるような4人乗りのシルバーの普通車両。スモークが貼られており、中の様子は見えないようになっている。
……小さくないか……?
てっきり昨日の話的に、ラージサイズのミニバン。
それこそ最近のヤクザはトヨタのアルファードなんかを乗っているというので、てっきりそういうので迎えに来てくれるかと思っていたが、これじゃ5人は厳しいだろうに。
まあとはいえ、ツネさんが運転席。俺が助手席。後ろに甚衛さんと壱楓ちゃんとひよりの3人で乗ればいけなくはないのか?
そんな事を考えているうちに、助手席側のウィンドウが開けられる。
……誰だ……?
ツネさんではなかった。
更に付け加えると、あの屋敷にいたであろう他の若い衆の誰でもなかったはずだ。
俺はゆっくりとひよりたちを背後に隠すようにして前に少し出る。
向こうは運転席に座ったままの状態で、身を少し乗り出しながらスーツ姿の見知らぬ男が顔を覗かせて俺と目を合わせると声を掛けてきた。
「すみません……遅れてしまいまして……」
男はにこやかに笑みを浮かべる。
「鯖島と申します」
「……甚衛さんとツネさんは……?」
周囲を警戒しながら、とはいえ悟られないようにしながら何となく尋ねてみる。
「実は最初の予定であった診察に時間がかかってしまって、カシラとの会合自体も遅れておりまして、今もまだその会合の最中なのですが……総長から代わりに迎えに行って一旦お屋敷までお送りするように言われて来たんです」
そう言って鯖島は、若干の申し訳なさそうな表情を浮かべる。
…………。
彼から見えない位置で、さりげなくスマホを操作して甚衛さんに電話してみるが繋がらない――まあ今も会合中であるなら無理からぬ話か。
話の筋は通ってはいるが……どうにも不審な点があり過ぎて、不安が拭えない……。
さて、どうする?
……。
「失礼ですが、屋敷の方では貴方をお見かけした事が無いんですが、それは何故です?」
こうなれば直接聞くしかないか……。
その反応で判断する他ない。
「あぁ、そうですよね。自分はカシラの方の若いもので、総長のお屋敷には自分も今回が初めてでして……でも住所は伺ってます。盆栽町の〜〜〜ですよね?」
向こうも意図を察したのか、追加の説明が入る。
「急にこんな事を言われてもですもんね……配慮が足りずにすみません……。ご不安でしたら、いつも通りの方法でお屋敷に戻られても大丈夫ですよ? 総長には自分から話をしておきますので……」
……。
…………。
………………。
屋敷の住所は合ってる。
こっちの意図を汲んで判断を任せており、そもそもの事情にも筋は通ってはいる。
……………………。
「了解しました。そしたらすみませんが、屋敷までよろしくお願いします……」
「畏まりました」
とりあえずこのまま乗っかる事にしよう。
ここでグダグダと揉めても仕方ないし、それに先程までコチラを向いていた視線に変化は無い。
まずはこの場を離れた方が良さそうだ。
「ろいど」
「ん?」
俺たちのやり取りを黙って聞いていたひよりが、俺の袖をちょいちょいと引っ張りながら声を掛ける。
「うなぎは?」
「……無しみたいだ……」
「…………」
無表情ながら琥珀の瞳がほんの僅かに揺らぐのがわかった。
あー、コレはショックを受けてんな……。
「今度俺がご馳走してやるよ」
「ほんとう?」
「あぁ」
「とくじょう?」
「勿論よ」
「おかわりも?」
「……どんとこい……」
なんて言ったって臨時収入で100万円だ。
このくらいどうって事はないだろうさ。
ひよりの機嫌がひとまず治ったところで、俺たちは車に乗り込む事にする。
全員後部座席に――まずは俺が運転席側の後ろに座り、次に壱楓ちゃんを真ん中に座らせてからひよりを左側――助手席側の後ろの席に座ってもらった。
「では、発進致しますので」
全員の乗車を確認後、鯖島がそう言って車を発進させた。
車は法定速度の範囲内でゆっくりと走り出してから、そのまま大宮駅の西口と東口を跨ぐように造られた大栄橋と呼ばれる跨線橋を渡り、その渡った先にある交差点前の信号まで来ていた。
信号はちょうど赤になっており、俺たちの車は1番前の先頭で一時停止している状態だ。
「そういえば……――」
――……尾行している車は無し……か……。
後ろの確認をしながら、俺はさりげなく学生鞄から先程コンビニでアイスを買った際に貰ったビニール袋を取り出す。
「ツネさん、膝の具合はどうだったんですか? ついでだから一緒に診てもらうって言ってましたよね?」
壱楓ちゃんは少し驚いた風に、ひよりは不思議そうに俺の方を見る。
そりゃそうだろう。
今言ったことは勿論出鱈目。ただの嘘。引っ掛けというやつだ。
さて、どう返してくるのか……。
頼むからどうか――
「――ええ、そうらしいですね。しかし、もう大丈夫だと伺いましたが」
…………マジか…………。
引っ掛かっちまったよ。
気のせいであってくれと祈ってたのに、嫌な予感が的中してしまうとは……。
とはいえ確信した。
コイツは敵だ。
「そうでしたか、そいつは良かったです。いやなんせウチの爺ちゃん――祖父も脚を悪くしてて――」
俺は鯖島に対して雑談を続けながら、右手でビニール袋を広げつつ、ひよりの方に左手を伸ばして頭の上に置くと、人差し指でモールス信号を打つように、トン、トントントン。と叩いた。
「! …………」
「? ひよりちゃん……?」
それを受けてひよりはゆっくりと壱楓ちゃんを抱きしめ、壱楓ちゃんが唐突な行動に呆然とするのも無視してゆっくりと抱き寄せる。
「…………」
「えっ? えっ? ひよりちゃ、わふっ!」
そしてそのまま、足元のスペースにすっぽりと収まるように入っていった。
傍から見たら、ひよりが悪ふざけで急に壱楓と戯れたように見えるはずだ――現に鯖島も一瞬後ろに意識を向けたが、軽く「あ〜、危ないので気をつけてくださいね」と注意だけして、特に怪しむ事なく俺の雑談に合わせてくれた。
そうして信号が青に切り替わり、鯖島も運転の方に意識を集中し始めたところで――
「――ッ!? なっ!!?」
俺は一瞬のうちに広げていたビニール袋を鯖島の頭に被せ、ヘッドレスト越しに背後から腕を回して首を絞めた。
「……ッ! ……ッッ!!」
極まった。
ヘッドレストという邪魔物はあるが、何とか上手く首の頸動脈を圧迫している。
このまま続けば、あと数秒ほどで意識を落とせそうだが……さて、どうする……?
「……ッッッ!!!!」
突然のビニール袋による視界不良。
それと不意打ちの絞め技。
ロクな抵抗もできずに急速に意識が遠くなっていく中で、鯖島は無意識にもイタチの最後っ屁であるかのように、アクセルペダルをベタ踏みして急発進した。
車はそのまま左斜め前にあるガードレールに直進して激突した――とはいえ、そんなにグシャグシャになったわけじゃない。バンパー辺りが潰れたくらいだ。
そしてその衝撃でエアバッグが作動して、急激に止まった勢いで俺と鯖島はそこに仲良く突っ込む。
「…………ツッ!」
身体全体が少し痛いし、頭ん中は軽いフィルターに覆われてボ〜ッとするような感じはするが、特に問題は無い。
それより――
「――ひより! 壱楓ちゃん!」
俺は鯖島からすぐに離れ、2人の方に声を掛ける。
「たいじょうぶ」
「えっ!? あっ!? えっ!!?」
見ると、2人は狭苦しい足元のスペースにいたせいで多少キツそうにしながらも、だがゆっくりと起き上がる。
ひよりは落ち着いて報告してくれるが、壱楓ちゃんは急に連続で起きた事態にすっかり混乱しており、まともに答えられなさそうだ。
「……ちょっと悪いな」
「な、なっ、何が起きたの……?」
俺は断りなく怯えてしまった壱楓ちゃんの服を捲るなどして、身体全身を見回して怪我や異常が無いか確認する。
……よし……大丈夫そうだ。
「2人とも車から降りて、少し待ってろ」
「……わかった」
「あっ、えっと、はい……」
ひよりは素直に、壱楓ちゃんはまだ状況が分からないながらも返事をして車から降りた。
俺も一度車から出て、運転席側のドアを開けて、鯖島の首筋に手を当てて脈を測る。
…………よし、死んじゃいねえ…………。
意識は失ったままだが、生きてはいる。
暫くすれば起きるはずだ。
その間に俺はそのまま鯖島の身体を調べ、幾つか所持品を回収するとそのままひよりたちが待機している方に駆け寄って行く。
その際に周囲を観察すると、その場にいた通行人や車に乗っていた人たちが降りたりして、『何があったんだ?』といった感じでこちらの様子を伺っていた。
…………。
警察に通報してこのまま待機していたいが、事態が事態。何たって異常事態だ。
この次が来ないとも限らない。
ここで待つのはマズイか…………。
「……移動するぞ……」
俺は咄嗟に判断して、2人を連れてその場から離れる事にする。
「うん」
「……わ、わかりました……」
2人から了承をもらい、俺たちは今来た大栄橋の方に足早で戻る。
……………………。
自分で引き起こした事故とはいえ、とんでもない事になっちまった。
一体全体、何が起きたんだってんだ?
11
王城ロイドがダイナミックな交通事故を引き起こすその数分前。
さいたま市浦和区。
その区内にある北浦和駅西口から、徒歩で数分もしないところにある雑居ビル。
その最上階には『コイノボリ総合商社』という会社が入っている。
だがしかし、商社と謳ってはいるが、その中身は全てが異様だった。
まず社員――8時間毎の3交代制で、常に数人が室内に常駐しており、その全員が決して堅気には見えない強面の屈強そうな男連中だ。
そして内装――20坪くらいの広さもあるワンルームにデスクが一つだけしかない。しかも、そのデスクには複数のモニターが設置され、そこに映っているのは、このビルの出入り口や裏口。階段やこの会社のドア前にも監視カメラによる映像が送られていた――更に付け加えると、この会社のドアは電子ロックによる施錠がされており、一度入ってしまうと基本的には内部からか交代の時に来るメンバーたちが事前に手渡された番号でしか開けられないようにされている。
そんなデスクには1人が監視カメラの映像を常に凝視し、他の連中はソファに座って各々タバコを吸ったり軽い雑談をしたりしながら、次の交代まで時間を潰していた。
そんな彼らがいる部屋の中で、最も異質と言えるのが、金庫の存在だと断言できるだろう。
業務用よりも遥かに大きいテンキー式金庫。
しかも暗証番号が毎日自動的に変更される仕組みとなっていて、その変更された番号はこの場にいる人間たちには一切知らされないという徹底された防犯振りである。
そんな金庫の中にはどれだけの価値のある物が詰まっているのかは、想像に難くないだろう。
そんな常時警戒態勢で構えているからなのか、これまでもそして今日も特に問題は無く、交代の時間がやってくるだろうと思っていたところ――
――ほんの一瞬、映像が乱れた。
「……?」
刹那。
瞬きする間。
ふと、気付くくらいの乱れ。
デスクで映像を確認していた男は、不審に思い画面を見詰めながらも、とはいえ映像はそのまま何事もなく映っている。
「…………」
誰かに外の様子を見に行かせるか、それとも本部に連絡を入れるか迷ったところで――
――突如として、窓ガラスが割られ、何かが同時に投げ込まれる。
「「「「「!?」」」」」
一同がその投げ入れられた物体を見る。
それは閃光手榴弾――又は、スタングレネードやフラッシュバンと呼ばれる手榴弾の一種。
大音量や閃光を発する非致死性兵器。
絶対に見てはいけないモノ。
彼らはほぼ間近でそれを見てしまった。
――――!!!!!!
破裂音と共に閃光が室内を一瞬で満たす。
唯一、この激しい強撃の難を逃れたのはデスクにいた男だけだった。
彼は咄嗟の判断でデスクの下に避難し、目を瞑り耳を塞いだ。
十数秒ほど防御姿勢を維持し、暫くしてもう大丈夫かと思いゆっくりと目を開ける。
直接見なかった事が幸いして、視覚は問題ないようだったが、聴覚はそうはいかなかった。
軽い耳鳴りのようなものが発生しており、他の連中の声が聞こえない。
恐る恐るデスクから首だけを出して周囲を覗く。
それは酷い有様だった。
ある者は目を覆いフラフラとあちこちを歩き回り、ある者は耳を抑え混乱して何か叫び声を上げている。
またある者はすっかり興奮しているのか半狂乱になりながら周囲に対して適当に拳を振るっており、またある者はおそらく一番間近で浴びてしまったのかすっかりのびてしまっていた。
その光景を目の当たりにした男は、ようやく異常事態である事に気が付いてデスクに備え付けられた非常ボタンに手を伸ばしたところで――
会社のドアが開かれ、何者かが入って来た。
(応援か……?)
いやしかし、自分はまだ何もしていない。
しかもよく見ると、ソイツは人の顔を形どった白無地の仮面をして顔を覆い隠している。
という事は…………。
男は慌ててデスクの引き出しから拳銃を取り出して銃口を向けようと――
「――残念。少し遅いです」
仮面の男は素早く男に近づき、向けられた銃口に怯える事なく拳銃を抑えて横に払い除け、そのまま男の顔面に拳を入れる。
攻撃を受けた男は後方に吹っ飛んで倒れ、続けざまに首筋に注射器を突き刺し中の薬剤を注入されると、そのまま意識を喪失した。
唯一無事だった男を完全無力化した仮面の男は、テキパキと未だ悶えている他の連中も同様にして、室内を完全に制圧する事に成功する。
「よし……ガブ、もう良いよ。こっち来て手伝って」
『ハイです!!』
左耳に装着したワイヤレスイヤホンを通じて、外にいる仲間に連絡を取る仮面の男――レミ。
少しして、同じ白無地の仮面を着けた男――ガブがやって来た。
「お待たせしました。レミさん、今のスタンはあれで良かったです?」
「うん、問題無いよ。アレで大丈夫」
「アザスッ!」
「他のみんなはどう?」
「万事大成功だそうです」
「オーケイ、んじゃまあ始めますか……」
レミは落ち着いた様子で、大金庫の方に行き、事前に聞いていた番号を入力して難なく解錠する事に成功した。
「オープンセサミっと……なんてね……」
金庫は緩やかに開かれ、その中身があらわになると、ガブは思わず息を呑んだ。
「はぇ〜……凄いッスね……」
「ね、事前に知らされていたとはいえ、圧巻だなぁ」
そう云いながらレミは腕時計で時刻を確認すると、
「……そろそろ異変に気付く頃か……とっとと片付けよう……」
そうガブに声を掛けてから、用意していた大きいバッグを広げる。
「ハイです!!」
レミの指示に素直に従い、テキパキと金庫の中身をバッグに詰め込み、その後はあっという間にその場を撤収した。
それはロイドがエアバッグに突っ込んだ時とほぼ同じタイミングの事であった。
12
良いニュースと悪いニュースがある。
良いニュースは、鯖島から奪った幾つかの所持品の中に財布があり、そこには現金で10数万円が入っていたので、それを使って大栄橋を徒歩でわたり西詰の方に戻ってから、その少し先にあるちょっとリッチなホテルに逃げ込ませてもらった事だ。
最高級スイートルームの客室、たった一泊だけでその接収した10数万円が消し飛ぶほどの金額だったが、居心地は素晴らしいの一言に尽き、先程まではまったりと落ち着ける事ができた。
悪いニュースは、慌てて現場を離れたせいかどうも事故の衝撃で自分たちのスマホをそこに置いてきてしまったらしい(不幸中の幸いにして、唯一財布だけは無事だった)。それと、助けを求めようとしていた警察に頼る事ができなくなった事だ。
俺を含め、ひよりも壱楓ちゃんもようやく人心地がついて何とか冷静になり、さあ警察に通報して保護してもらおうと最寄りの大宮警察署に電話を掛けた(客室にあった電話機を使った)ところ、とんでもない事を言われたのだ。
『そんな事故は起きてませんよ?』
「…………はあっ…………?」
相手の言葉に思わず耳を疑い、変な声が上がる。
しかし、向こうはこっちの素っ頓狂な声を特に反応する事なく淡々と告げてくる。
『いえ、ですから大栄橋付近で発生したと言われている交通事故というのは、こちらではまだ確認されておりません』
「いやいやいやいやいや、だって東詰の大栄橋交差点ですよ? あそこで1時間以内で車がガードレールに突っ込んだでしょう?」
『そうなんですか?』
「そうなんですかって……」
何も起きてない?
んなわけあるか、あんだけ派手な事故だったんだぞ?
周囲にはたくさんの目撃者がいたんだ。
誰も通報してないなんてあり得るか?
『……すみません。此方でも何度か確認を取っておりますが、やはり通報も報告も受けておりません……』
「…………」
『失礼ですが、そちら様は何かと勘違いをなさっておりませんか?』
「……………………」
最早ここまで何も起きてないと断言されてしまっては、もう閉口するしかないわけで……向こうもそれを察しているのかいないのか……。
『誠に申し訳ございませんが、これ以上御用が無いようでしたらお電話をお切りさせて頂きます』
「は? いやいやいや、ちょっと待ってくれ――」
『――それでは失礼します』
もういいだろうと言いたげに、しかし俺も何とか喰らい付こうとしたが、そのまま一方的に通話を切られてしまった。
「……切りやがった……」
はぁああああああ?
……。
…………。
………………。
「……………………」
呆然、放心、自失、虚脱、うつけ、唖然、上の空。
四字熟語だと茫然自失と言うんだっけか?
とにかく俺はしばらく切られた受話器を見つめることしかできなかった。
「…………ろいど…………?」
ようやく意識が戻ったのは、ひよりが俺に声を掛けてからだった。
見ると、ひより……はいつも通りだが、壱楓ちゃんに関しては少し不安そうな表情を浮かべている。
「あぁ、悪い……。大丈夫だ」
出来る限り平静を装って返事をする。
ここで俺が取り乱すのはマズイ。
訳は分からないし、正直言ってまだ頭の中は色々と混乱しているが、気持ちを切り替えるしかない。
さっきの様子を見るに、もう一度通報したところで結果が変わるとは思えない、警察はもう頼れないだろう。
そうなると次点で甚衛さんに頼るしかないわけだが、肝心要の彼とは依然として連絡が一向に取れない――元々、屋敷の方も念の為という事で電話番号を聞いていたので、そっちの方も同じように掛けちゃいるがこっちも繋がらない。
こういう場面で一番頼りになって、最高の味方になってくれそうな叔父さんとも駄目だった……。
孤立無援。
他に頼れそうな大人といえば……お袋か親父? それとも権田原さん? いやいや、両方とも普通に警察に行けって言われるよなぁ……。でも他は……他に……他かぁ……。
いる。
いるにはいる。
確実に1人、頼りになる……いや、なるけど頼りたくないヤツが……。
…………。
いや、これ以上悩んだって仕方ない。
消去法的に、もう助けを求められるのはアイツしかいないのだから……。
俺はもう一度電話機を手に取り、目的の人物の番号を思い出しながらボタンを押す――もうこっちから掛ける事も、向こうから掛けられる事も無い(嫌だったから)と思っていた。
いつぞやの時のように、3コールもしないうちに電話が繋がった。
『遅かったね、待ちくたびれたよ』
そもそもの発端にして、頼れるけど頼りたくない相手にして、二度と関わりたくない女――獅子門暁音である。
13
……相変わらず、まるで全てを見透かしてるみたいな言い方だ…………。
気に入らねえ……。
「今回も裏で糸引いてんのか?」
『いきなりのご挨拶だね』
「……どうなんだよ?」
『そんな事あると思うかい?』
「思ってるから聞いてんだろうが……!」
『おいおい、今の状況的に君の気持ちは察するに余りあるが、だからと言って私に当たるなよ』
「…………」
正直な話、先程の警察とのやり取りで苛々が募っていたのもあり、半ば八つ当たり気味に獅子門に食って掛かってはいた。
彼女はこちらを宥めるように、嗜めるように言う。
『困ったから電話したんだろ? ならその選択は正しい。私は君の味方だ』
「……」
どの口が――と言いかける前に言葉を飲み込む。
ここで更に喧嘩を売っても意味は無い。
苛立った気持ちを抑え、呼吸を整えて心を落ち着かせる。
冷静に……。
冷静になって考えろ。
クールな思考で話せ……。
「どこまで知ってる?」
『ほとんど分かってない』
「おい」
『すまない。先程は格好つけた物言いをしたが、残念ながら事態の把握で手一杯でね。こちらでもまだ情報の収集中だ。君たちはどこにいる?』
「……安全な場所に避難してる……」
どこと言わないのは、念の為の防衛策。
コイツを全面的に信頼できない、俺の不信感の表れってやつだ。
とはいえ、ホテルから直接電話を掛けてるわけだから、調べられたら速攻でバレるから無意味な気もするが、やらないよりはマシだろう。
『賢明な判断だね……』
向こうもそれを察したのか、または俺の判断力に対しての賛辞――それとも両方に対してなのか、褒め言葉をもらった。
「……何が起こってる?」
俺はそれを無視して話を続ける。
『近くにテレビはあるかい?』
「テレビ?」
そう言われ、俺は近くにあったリモコンに手を伸ばし、電源を入れる。
『チャンネルはどこでも良いから、ニュース番組を観てみろ。どこも速報で持ちきりだからね』
「……お祖父様……?」
通話しながらの俺を逐次見守っていたひよりと壱楓ちゃんが、俺がテレビの電源を入れたのを機に、一緒になってニュース番組を見つめ、その内容に衝撃を受けたのか壱楓ちゃんがポツリと呟いた。
その顔はすっかり青ざめ、今にも取り乱して泣きそうな表情を浮かべている。
そんな風になるのも当たり前だ。
ニュースの見出しには、『暴力団・室賀一家の十三代目総長・浅見甚衛が銃撃される』とデカデカと載っているからだ。
俺は咄嗟に電話機のスピーカー機能をオンにして、みんなに聴こえるようにして会話を続ける。
「これはいつ起きたんだ?」
『ちょうど1時間前だ』
…………。
俺らがこのホテルに避難して落ち着ける分と、ここに向かうまでの分を差っ引いて……鯖島と接触する時間帯とほぼ同じタイミングってところか……。
「甚衛さんは無事か……?」
『意識は無いが、手術自体は順調だ。幸いな事に致命傷となる様なところには奇跡的に当たらなかったそうだ』
獅子門の言葉に安堵したのか、壱楓ちゃんはホッと胸を撫で下ろす。
……そういえば……。
「ツネさんとかの他の連中は?」
『無事だが、事件の関係者という事で室賀一家のほとんどの構成員は警察に拘束されている。しばらくは動けないはずだ』
…………。
ニュースは別の暴力団組織の抗争じゃないかって報道されている。
そうだとするなら、他の室賀一家の人たちと連絡が取れないのは納得ができた。
とりあえず甚衛さんについては一安心だが、まだこっちの疑問は残ってる。
「誰の仕業だ? 武蔵連合の連中か?」
『何故それを知って……あぁいや、浅見総長から事前に聞いてたのか……』
「あぁ……」
『だが事前にそれを聞いているということは、何かあったのかな?』
「実は……」
俺はこれまでの事。
昨日の送迎の際に発生した、壱楓ちゃんを監視する謎の人物の存在。
甚衛さんから聞いた怪しい人物の心当たりである武蔵連合という組織についての話と、そこと以前に起きたいざこざの事。
そして、今日起きた俺らへの誘拐未遂? と言えばいいのか分からないが、鯖島と名乗る男が室賀一家の関係者を騙って俺らと接触してきたので、最初は乗るフリをしてから、その後は車の中でカマかけで言ったでまかせに引っ掛かった鯖島を後ろから締め上げ、所持品を奪い、そのまま逃走して逃げた先で警察に保護してもらおうと通報したが、そんな事故は起きてないと言われて門前払い同然の扱いを受け、甚衛さんにも連絡が繋がらないから、どうにもならなかったのでアンタに電話を掛けたんだという事を懇切丁寧に説明する。
『……………………』
その詳細な説明を受けて、ただ黙って最後まで聴いていた獅子門だったが、
『……君が妙に頭が切れる男というのは知っているが、それ以上に思い切りがあるというか変な行動力があるね……』
半分率直に、もう半分呆れたようにそんな事を言って来やがった。
『下手すればただでは済まないだろうに……』
「そのおかげで今があるんだろ?」
『確かにそうだが――』
「――それより、俺の今の説明で何か分かったか?」
これ以上の話の脱線は面倒なので、俺は有無を言わさずにその先を促す。
『あぁ、今の細かい説明のおかげで、ようやく大まかな把握ができたよ』
「じゃあ教えてくれ。一体全体何が起きてる?」
『その前に二つ教えてくれ。その鯖島という人物、ソイツは何か目ぼしいモノは持ってなかったかな?』
「目ぼしい……?」
『何でもいい、とにかく何か武蔵連合に繋がりそうなもの、と言えばいいのか』
「……ちょっと待ってくれ……」
確か…………。
俺は鯖島から奪った所持品をゴソゴソと漁る。
――あった……。
見つけたのはどこにでもある名刺入れ。
そこから一枚取り出して、書かれていた文字を読み上げる。
「鯖島の名刺があった……『ダッシュアップ・プランニング』の『第3営業部所属』とか書かれてる……」
『ふむ……分かった。それからもう一つ、君が起こした事故に警察が通報を受け付けなかったと言っていたが、どこに電話を掛けた?』
「ここは大宮区だから、所轄の大宮警察署ってところに直接電話を掛けたよ」
『……なるほどね……』
俺の回答に対し、納得したように言う獅子門。
「どうなんだ? 武蔵連合なのか?」
それを聞き逃さない様に俺は彼女を問い詰める。
『そうだね、君の予想は的中している。今回の一件は全て武蔵連合が関わっている可能性が高い――浅見総長の孫娘――壱楓ちゃんに対するその鯖島という人物の接触についてもそう言えるだろう。さっき君が読み上げた『ダッシュアップ・プランニング』という会社は武蔵連合が隠れ蓑に使っているフロント企業の一つだ』
「…………」
やはりか、と心の中で思ったところで――
『――だが、それだけじゃない』
変な事を言い出した。
「……どういう事だ……?」
だから俺はすかさずにそれを問う。
『君が起こした事故を警察が認知していないのは、おそらく外部からの圧力があったからだ』
「武蔵連合の仕業じゃないのかよ?」
俺はてっきり、さっきまでの獅子門の質問は全て武蔵連合に繋げるためのものだと思ってたが、
『いやいや、武蔵連合にそこまでの力は無いよ』
彼女はハッキリとそれを否定する。
……わけわからん……。
「じゃあ誰の仕業だ?」
『そんな大それた芸当ができるのは、埼玉県内では私は一つしか知らない』
「だから誰だって――」
『――“双魚会”』
「双魚会?」
また知らない、面倒そうなワードが出てきた……。
「ナニモンだ?」
『ウチの同業者、と言えば分かるだろう?』
「…………クソッ」
嫌な予感はしたが……ヤクザかよ……。
俺は心底うんざりしたように聞く。
「どういう連中だ?」
『一時期は特定指定暴力団に指定されたヤバい連中……』
「……もうちょい分かり易く説明してくれ……」
『埼玉県代表のヤクザだ』
…………県代表って。
「部活動の全国大会のノリじゃねーんだぞ?」
『私の喩え方は上手いと思うよ?』
「そうなるとアンタらんところはどうなる? 八重雲県の代表って事か?」
『まさか、ウチは空巻市の地区代表がせいぜいの弱小だよ』
………………。
「じゃあ室賀一家は?」
『あそこは元埼玉代表を務めた強豪と言ったところかな? どちらにしても今じゃ双魚会とは月とスッポンさ』
……………………。
組織の規模が違う……という事か……。
まあ少しヤバさの見当がついた――別につきたくも無いが……。
『だから改めて言おう。先程の私は、全て武蔵連合の仕業だと言ったがまずはそこを訂正する。今回の一件は、武蔵連合と双魚会。最低でもその二つの組織が関わってる』
まあそりゃそうだろう。
急に出て来たって事は、何かしら関係があるのは必然だ。だけど……。
「昨日の甚衛さんはそんな事を一言も言ってなかったぜ?」
あの人がわざわざ双魚会の存在を教えない――隠そうとする素振りも見えなかったし、それにだ。
「そもそも武蔵連合とヤクザは、仲が悪いんじゃなかったのか?」
『それは二代目のOBグループの頃の話だよ。さっき双魚会が警察から特定指定暴力団に指定されたと言ったな?』
「あぁ……」
『自分たちがサツに監視されて身動きが取れない頃、半グレ連中のケツモチをやってやる代わりに、色々と裏では使いっ走りをさせてたんだよ。武蔵連合もその一つというわけさ』
「…………」
『BBって半グレを覚えてるかな?』
「忘れたくても忘れらんねえよ……」
『あそこだってそうだ。奴らのケツモチってのが格のデカい同業者だって教えただろ? そこが――』
「――まさか双魚会なのか?」
『その通り』
そこに繋がるのかよ……。
こういうのを腐れ縁、もしくは縁の巡り合わせと言うのだろうか? どちらにしても全く嬉しくない。えんがちょしたい気分だ……。
だが、疑問が1つ残る。
「だからこそ、なんで双魚会が出張ってる?」
武蔵連合。
そしてそこに双魚会も関わっていて、両者の繋がりも分かったが、急に出てきているのがさっぱりと分からん……。
『さてね……こちらでも調査中だが、今のところは不明だ……』
……。
とにかく、そんな変な因縁が判明したところで、この事態の収束に対してはなんの効力にもならない。
なら次に俺がやるべき事は……決まってる。
「で?」
『ん?』
「どうしたらいい?」
ここでグダグダとお喋りしたところで、状況が好転する事はない。
それならとにかく前進する。
一歩でも良いから行動する事だ。
そのためなら俺は気に入らないヤツでも意見――助けを求める。
『取引かい?』
「馬鹿言うな、アンタが最初に持って来た依頼だろ? 依頼完遂の為の支援ってヤツだ」
彼女の妄言を一蹴し、強気にピシャリと言い放つ。
「一抜けは許さねえぞ?」
『分かってる。勿論ジョークだよ、it's a joke!』
恐ろしく明るい口調で言い放つ。
…………。
勿論これっぽっちも冗談に聞こえなかったけどな。
『さて、そうなると君たちが次にどうしたら良いかについてだが……』
向こうは特に気にもせずに、さらっと流して話を進める。
『警察は無理だね。双魚会に話がいってしまうかもしれない』
同感。
『かといって、そこに隠れ続けるのも危険だろう。事故現場から対して距離は離れてないんだろう? いずれ追跡されて場所が割れる可能性が高い』
それも同感――と言うかそもそも、長く篭れるほどの金も無い。
『それを踏まえた上で私から提示できるのは二つ。プランAとプランBだね』
14
プランA。
どうにかして空巻まで戻って来いと言う事だった。
『八重雲なら武蔵連合も双魚会の影響力も少ないし、空巻まで戻って来れるならこちらで秘密裏に保護する事もできる』
……。
「それならまあ何とかなるな……」
このまま大宮駅から運良く快速電車に乗れれば、あっという間に空巻まで戻れるだろう。
何だ案外簡単じゃないかと思ってそう呟いたところで、獅子門からあっそうだと言われてとんでもない事を付け加えられた。
『電車は使えないよ』
「はっ?」
俺は思わずポカンと口を開いて間抜けな声を出す。
聞き間違いか?
電車使うなって?
『だから電車……バスやタクシーなんかの公共交通機関は使っちゃダメだよって言ってるの……』
「お前頭沸いてんのか?」
まさかの聞き間違いじゃなかった。
電車使うなって、どんな罰ゲームだよ。
『大宮駅もそうだが、どうもすでに武蔵連合の連中が主要な場所をピックアップして常時見張っているという情報が入った』
「……笑えないジョークだ……」
『残念ながらジョークじゃない』
今度は向こうが非情な言葉を言い放つ。
「じゃあそっちが迎えに来てくれよ――」
『――無理だ』
即答かよ……。
「何で?」
『君らを保護できるのは我々の存在がまだ露呈していないからだ。下手にこちらが動いて武蔵連合はともかく、双魚会にバレて壱楓ちゃんの身柄を渡せと指図されたら、立場の弱いこちらは従うしかない』
…………。
俺が思ってるより双魚会の影響力のデカさに、心が少し挫けそうになる。
「だけどよ、まさか徒歩で戻れってか? 数日掛かるぜ?」
俺はともかくとして、こっちはひよりと壱楓ちゃんがいる。場合によっちゃ数日以上掛かるかもしれない。徒歩は現実的じゃない。
俺の皮肉に、彼女は正論で返す。
『だが無理に電車で移動して、向こうにバレて襲撃されたら守れるのかい?』
「…………」
無理だ。
2人を守りながら戦うなんて器用な真似は俺には到底できない。
こうなったら――
「――プランBは?」
もう一個の選択肢に期待するしかない。
『東京に行け』
「東京?」
『正確には東京都港区赤坂』
「そこに何が?」
まさかの八重雲――空巻とは正反対の聞き慣れない地名に戸惑いながら、俺は尋ねる。
『そこには、“関東菱川組”の本部がある』
「……ヤクザか……?」
『正解。広域指定暴力団だね』
「…………」
『関東代表。関東の覇者。関東一円にいる我々に対してとてつもない影響力を持ち、関東地方に多数の下部組織を持っている』
俺の沈黙に察したのか、また変な喩え方を言って来る獅子門。
「関東関東しつけえよ」
『ウチと双魚会が蟻と狂犬なら、菱川組は巨象くらい馬鹿でかい極道組織ってことさ』
こっちのツッコミを無視して、彼女は喩え続ける。
「…………」
俺はうんざりして再度黙って先を促す。
『ここに行って保護を頼め』
「甚衛さんとはどういう関係が?」
『元々、そこの組長とは学生時代の同輩だと聞いたことがある……』
……。
「信頼できるのか?」
『少なくとも、君の私に対する拭えない不信感よりはマシじゃないかな?』
…………。
『最終的な判断や実際の移動手段は君に任せる。こちらに戻るか、東京に行くか』
………………。
「……………………」
長く、そして深く考え込む。
普段使わない脳味噌のフル回転。
ぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐる。
このクソ暑い炎天下の中、徒歩で数日以上掛けて空巻まで戻って、信頼も信用も怪しいが少なくとも顔見知りではある藤丸組に保護してもらうか。
同じくクソ暑く、距離的にはもう少し早い時間で赤坂にあるとか言う、信じていいのか分からない何にも知らない何たら菱川組に保護を求めるのか。
どちらにも長所と短所があり、微妙っちゃ微妙な選択肢。
これが頭の良いヤツなら、第3の選択肢。
プランCを格好良く思い付けるかもしれないが、俺にはそんな天才的な発想は急には思い付けそうになかった。
ぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐる。
思い付く限りの危険な場面を想定して、その対処の想像をする。
…………。
「ちょっと待ってろ」
そう言って俺は保留ボタンを押して、これまでのやり取りを全て聞いていたであろうひよりと壱楓ちゃんの方を向く。
「聞いてたとおりだ。どうする?」
俺は正真正銘の馬鹿だと思う。
今年小学2年生になったばかりの女の子たちに、判断の一助をさせようだなんて正気の沙汰じゃない。
だが、俺が勝手に決めるのは少し違う気がする。
だから聞いた。
「…………」
ひよりはいつもの無表情で無言、
「……え、えっと……」
対して壱楓ちゃんは少し焦って考え出す。
俺はまずひよりを見つめる。
「ひより。お前はどう思う?」
「……ん〜……」
「八重雲か? 東京か?」
「…………まかせる…………」
「…………理由は…………?」
「なんとなく?」
…………。
まあ、お前はそうだよなぁ。
分かっちゃいたが……。
「壱楓ちゃんはどう?」
今度は壱楓ちゃんの方を見て尋ねる。
「わ、わたしは……わたしは……」
「ごめんな。別に責任を擦りつけようとかじゃなくて、単純に君が今どう思ってるのか知りたいだけだ。最終的な判断は俺がする」
「…………は、はい」
「ちゃんと考えてもいい。勘でもいい。適当でも別に構わない」
「……………………」
「…………どうだ…………?」
下の床面に視線を落とし、しばらく考えていた壱楓ちゃんの顔は不安そうな表情であったが、
「し、正直言って……ロイドお兄ちゃんと、いま電話でお話ししてる人の言ってることは……よ、よくわかりませんです……」
「……」
「いまだって、よくわかってません……。お祖父様がなんとか、だ、大丈夫だってことしかわかりません……」
「…………」
ポツリポツリと、少しどもりながらも言葉を紡いでいく。
「……お祖父様がまわりの人から、こ、怖がられてるのも知ってます……。前に自分を『あくとうだ』って言ってましたから……」
「………………」
「でも……お、お祖父様のことをよくは知りませんです。なにをしてる人かもよくわかりません……」
「……………………」
そう言ってゆっくりと顔を上げて、視線は俺の眼を見つめる。
「でも……でも、ひとつだけ。わかってること、知ってることがあります……」
「……それは?」
「今もですけど、ロイドお兄ちゃんはわたしを守ってくれてるんですよね?」
「……聞いてたろ? 俺のは仕事だからだよ……」
「でもそんなの知らないふりできますよね? わたしを放ってひよりちゃんと逃げれますよね?」
「ただの真面目なだけだ」
「だとしても、それは凄いことですよね?」
…………。
ここまで話している頃には、もう彼女の目は、声は普段とは全く違って力強いものとなっていた。
「それならわたしは、ロイドお兄ちゃんを信じてすべて任せたいです!」
「……良いんだな?」
それはつまり俺に命を預けるって事になるんだが……。
「はいです!!」
その視線は一切揺るがない。
「……分かった……ありがとな……」
そこまで言われたらやるしかないか。
俺は再び電話機の方を向き、一瞬だけ逡巡した後、保留ボタンを解除した。
「東京に行く」
15
決断を下した俺は結論を告げる。
『わかった。しかし残念だね、そこまで信じてもらえてなかったとは……』
その結論に対し、獅子門は最初普通に受け入れながらも、最後は空巻に――自分たちを頼ってくれない事に残念がった言い方をする。
……まぁ、それもあるが何よりも――
「――純粋に単純な話だよ……」
空巻まで、とにかく八重雲に入ってしまえば武蔵連合の影響が少なくなるというのは確かにデカい。
何度も言うが、ひよりと壱楓ちゃんを守りながら襲撃者の相手をするなんて器用な事は俺には難しい。
そこは魅力的だが……あくまでも、八重雲に入れればの話だ。
そこまでの長距離。
埼玉から八重雲、さいたま市から空巻市まで徒歩で向かうなんざ正気の沙汰じゃない。こんな猛暑の炎天下の中で、俺はともかくひよりや壱楓ちゃんたちの体力がもつはずがない。
それは論外だ。
反対にここから東京なら距離的な問題は勿論、休める場所に困る事も少ないだろう。それでいて大都会の東京に近づけば人出も人目も桁違いに多くなる。いくら武蔵連合の連中が人手を割いて俺たちを血眼になって探していて、たとえ見つけ出したとしても、衆人環視の中で襲おうなんて大それた馬鹿な真似はできないはずだ――俺としてはそこが狙い目でもある。
それらの見解を言い、菱川組に保護を申し出る事を話すと、獅子門はオーケイ、と言って、
『君がそれで良いとするなら構わない』
そう続けた。
『さて、そうなると……』
方針が決まった事で、次はその為の流れの整理だ。
「どうにかして東京の……港区の赤坂だっけ?」
『あぁ、住所は〜〜〜』
俺は教えられた住所を部屋に備え付けられた紙とペンでメモ書きする。
「そこに関東菱川組の本部があるんだな?」
『バカでかい建物だから見ればすぐに分かるよ。そこの門番に浅見総長の名前と私の名前を出して、菱川組組長との面会を申し出ろ』
「で、そこでこれまでの経緯を説明して、保護をお願いする……」
『そうすればしばらくは匿ってもらえるから、事態が沈静化するまでひたすら待機だね』
…………。
今はまだ甚衛さんも手術中と言っていた。
それが無事に終わり、意識が戻ってくれれば連絡もできるはずだ。
そうなりゃとりあえずは一安心といったところか。
「……よし、大体の流れは分かった……」
ここまで決まれば大丈夫、何か問題が起きればあとはアドリブで対処すれば良いだろう。
打ち合わせもこんなものか、そろそろ通話を切ろうとしたところで、
『そうだ、忘れてた』
と、獅子門がうっかりしていたと言いながら、
『君って確か八嶌信用金庫に口座を持ってたよね?』
「……あぁ……ちょい待て、何で知ってる……?」
『まあそこは気にしない方向で』
「気にするわ」
怖すぎるでしょ。
なんで知ってんだよ……。
まさか、以前に俺の事を調べた時にそこまで調べたのか?
色々と突っ込みたかったが、こっちの不安を他所に獅子門は淡々と用件を告げる。
『そこの口座に幾らか金を振り込んでおく。当面の活動費として使いたまえ』
「……どういうつもりだ?」
『君が先程私に言ったじゃないか? 依頼完遂の為の支援をしろと……これはそれだよ……』
……。
これまでを考えると破格の待遇だ…………。
「本音は?」
『後で浅見総長にたっぷりと礼を弾んでもらうから、問題無い』
………………。
「……………………ありがたく使わせてもらうよ」
『幸運を祈る』
その言葉を最後に通話を切った。
やかましいわボケ。
その瞬間に緊張の糸が切れたのか、疲れがどっと押し寄せてきた。
俺はゆっくりと身体を伸ばしてから椅子に深く座り直し、脱力状態で天井を見上げて照明の灯りをぼーっと見つめ、頭の中を空っぽにして、明日からの事をうっすらと考える。
……………………。
明日から夏休みだってのに、とんだスタートになったもんだ。
16
お兄ちゃんと謎のお姉さんのお電話が終わり、グッタリとしながらしばらく天井を見つめて考え事をしたかと思ったら、「よし、明日についてなんだが」と口を開いて話し始めました。
いわく、明日はこのホテルを出て東京に向かう、とのこと。
いわく、ただその前に銀行に寄ってお金をおろしてわたしとひよりちゃんとお兄ちゃんの服を買いに行く、とのこと――確かにわたしとお兄ちゃんは学校の制服を着ているままだし、ひよりちゃんは元々私服でしたが、事故の影響でボロボロだったので、明日以降は目立つからだそうです。
いわく、それから出発しよう、とのこと。
「何か質問はあるか?」
お兄ちゃんは最後にわたしたちにそう聞いてきました。
「……ん〜……ない」
「……だろうな」
隣にいたひよりちゃんがまず答え、お兄ちゃんは予想していたとばかりの反応をします。
そしてわたしの方を見て「壱楓ちゃんは?」と聞いてきます。
雲ひとつない青空みたいな、綺麗な碧い眼。
ひよりちゃんが白銀色の髪色なら、その真逆の黄金の髪色。
最初に会った時は、2人とも外国の人みたいな見た目で驚いたけど、話してみたら日本語があまりにもペラペラとお話ししていたので驚いたのをいまさら急に思い出しました。
と、いけません。
質問をしなくては……。
「えっと……本当に歩いて行くんですか……?」
これは、質問しなくちゃと思って慌ててしたわけではなくて、本当に疑問に思う、思ったからしました。
今年で小学部の二年生で、地理? はまだ勉強していなかったのもあり、ここから東京までの距離というか、距離のガイネン? と言えばいいのでしょうか? そこがまだよく分かっていないのもあり、とはいえです。何となくわたしのカンカク? 的に相当に遠いところなんだろうな、とは思っているのもあり、そこまで歩いて行くというのは大変だろうとはわかります。
だからこそ、この質問をしました。
「安心しろ、そこについては考えがある」
どうやらわたしの質問も予想どおりだったようで、安心させるように答えました。
なるほど、お兄ちゃんがそこまで言ってくれるということは、すごいことを考えているのかも知れません。
何たってわたしが悪い人たちに狙われているところをさっきは助けて…………。
…………?
そういえば――
「――よし、質問がもう無いなら、飯食って風呂入って寝よう。ホテルのルームサービスで良いよな?」
わたしの中でふと思い付いた疑問が浮かんだのと同時に、お兄ちゃんはもう質問が無さそうだと判断して次に切り替えました。
「あっ、はい」
わたしもまた浮かんだ疑問については、少しだけ不思議に思っていただけなのと、そう言われてお腹が空いてしまったのもあり、お兄ちゃんの提案に賛成することにしました。
そこからは、ルームサービス? による晩ごはんを食べて――とても美味しかったです。あまりに美味しかったのかひよりちゃんがわたしたちの数倍も食べ尽くしていたのがすごかったです。
そしてお風呂に入って――おうちのお風呂と違ってアワアワが出てるやつでひよりちゃんとつい長く遊びながら入ってしまいました。
最後に寝る時間になって――ファミリー向けのお部屋だったので、お兄ちゃんのベッドもちゃんとあるのですが、「俺はソファで寝るわ」と言って向こうのリビングルームで寝ることになりました。
ひよりちゃんが寝る間際、部屋の電気を消そうとしたお兄ちゃんに向かって「おやすみのきすは?」と言っていたのですが、「んなもん一度もやった事ねえだろうが」と答えると、「まくらがかわってねづらいであろうかわいいいもうとのために――」――もんどうむよう、とばかりに電気を消して応えました。
……わたしに兄や姉、妹や弟はいませんが、兄妹というのはこういうものなのでしょうか……?
この2人の距離感は不思議です。
…………。
まあこれ以上考えてもわからないのなら、眠ってしまうのが一番です。
何たって明日は、とてもとても大変な大移動があるのですから…………。
わたしは目をつむり、いつもどおりに寝ようとします。
………………。
………………。
………………。
……………………。
眠れません…………。
当たり前といえば当たり前だと思います。
あんな事があったのですから、普通に眠るという事さえ難しいでしょう。
どきどきというか、ふわふわというか、もやもやというか、ざわざわというか、身体の方は疲れているはずなのに、心の中が騒がしい気がして、ちっとも落ち着いてくれません。
どうしようかなと思っていると、
「ねむれない?」
ひよりちゃんが隣のベッドから声を掛けてくれました。
部屋の電気は消えていて真っ暗なはずなのに、何故かとても綺麗な琥珀色の瞳だけが輝いていて、真っ直ぐにわたしの方を見つめています。
「…………うん…………」
わたしはその問いに返事をします。
「いっしょにねる?」
「……いいの?」
「かもん……」
ひよりちゃんはそう言ってお布団をめくって、スペースを空けて迎え入れる準備をしてくれます。
わたしは暑くて迷惑じゃないかな? とか、狭くなっちゃうけど良いのかな? と思いながらもせっかくの提案を断るのも悪い気がして、そのままお邪魔する事にしました。
わたしがベッドに入ったのを確認したひよりちゃんは、ゆっくりとお布団を掛けてくれて、わたしの手を軽く握ってから言います。
「だいじょうぶ。ろいどがなんとかしてくれるから」
「……ふふ」
まるで自分の事のように、自信満々気にそう言うひよりちゃんを見て、わたしは少しおかしくて笑みを浮かべてしまいました。
…………温かい…………。
そのひと言のおかげか、隣に誰かが居てくれているおかげか、心の中のざわめきが落ち着いてきて、少しずつ眠気がやって来たので、ようやく眠れそうだなと思った時でした。
……そうだ……。
「ねえ、ひよりちゃん……」
「なあに?」
一つ、気になっていた事があったので、これだけ聞いてから眠ろうと思いました。
「あの車の中で、ロイドお兄ちゃんがあの運転手の人に何かするって、どうして分かったの?」
あの車の事故の前、本当に直前までロイドお兄ちゃんは特にひよりちゃんに声を掛けていたわけでは無かったはずです――ツネさんの膝の調子を話していましたが、アレは運転手のあの人が悪い人かを判断するための質問なんだろうなとは思いますが、アレが合図だったわけではないはずです。
それだけが不思議でした。
一体、どうやってひよりちゃんに事前に報せて、ひよりちゃんは行動できたのだろうかと……。
「あたま」
「えっ?」
「ろいどがひよりのあたまに、てをおいてなかった?」
そういえばそうです……。
ツネさんの話をしてから、ロイドお兄ちゃんは確かにひよりちゃんの頭の上に手を置いていました。
そしてそれから――
「――とん、とんとんとん。ってゆびでたたいてたでしょ?」
覚えています。
トン、トントントン。
一回叩いて、一拍置いてから三回をリズミカルになるように叩いていました。
でも……アレだけで……?
「……あれはね……さいんなの……」
「サイン?」
ひよりちゃんも眠気に勝てなくなってきたのか、うとうと目を瞑りながら、話すスピードが緩やかになっています。
「……うん……『これからあばれるから、かくれてろ』そういういみなの…………」
「そうなの?」
「…………」
「……ひよりちゃん……?」
「……………………すぅ」
ひよりちゃんはもう限界だったのか先に眠ってしまいました。
…………。
疑問は解けましたが、何だか謎が増えてしまったような気がします。
普通はそんな合図を事前に決めているものなのでしょうか?
少なくとも、わたしはお祖父様とはそんな事を取り決めた事はありませんが……。
やはり、ひよりちゃんとお兄ちゃんの兄妹関係は特別というか特殊というか、ドクトク? というのでしょうか。
摩訶不思議です…………。
とはいえ、そのおかげでわたしたちは無事だったのですから、これで良かったのだと思います。
そう結論付けたところで、わたしも限界を迎えてしまったようで、睡魔に襲われるままに眠ってしまいました。
おやすみなさい。
17
「お待たせ致しました。お子様用シート付き自転車のご用意ができました。前と後ろの両方ともでよろしかったですかね?」
「……はい、ありがとうございます」
「……宜しければお子様をお二人お乗せするのでしたら、安全性や利便性の点から言っても、やはり電動自転車を運転される方がご都合がよろしいかと思いますが……」
「いや、定期的な充電も難しいので、これで大丈夫です……」
「畏まりました。では最後にですが、県の条例で防犯登録が義務付けされておりますので、こちらのカウンターでご記入をお願い致します」
「はい、わかり――」
「――ターーーイム! ですっ!!」
「うおっ、びっくりした」
次の日。
とうとうはじまった夏休み1日目。
俺たちはホテルのチェックアウトが午前11時までだったので、そのちょうど1時間と少し前に起きて朝食を摂り、部屋に戻ってちょっと落ち着いてからホテルを出た――の、前に一度お袋に連絡した。直ぐに通話が繋がったので、まずは昨日報告無しに外泊した事を詫びた。かなり色々と厳しめに追求されたが、本当の事を正直に言うわけにはいかないので、適当に誤魔化しつつメインの言い訳として、元々壱楓ちゃんを送り迎えしていた事は事前に説明済みだったので、それ関連で込み入った事情の結果、期間の延長と出先による外泊をすることになった事。それに伴ってスマホの連絡がひよりも含め取りづらくなる事を説明した(スマホを無くしたなんて言えば話が更にややこしくなるので)。出来る限り平然と、いつも通りな感じに喋ったので不審感というか違和感は無かったはずだが……。
『……全員無事なんだな……?』
「おん」
『…………』
「…………」
何と言うか、全て見透かされている気分だ。
緊張はしないが、どうも落ち着かない。
『……分かった……無理はすんなよ』
「……おん……」
とりあえずセーフ。
こっちの問題は何とか解決した。
次は昨日した打ち合わせ通り、まずは銀行に行って獅子門から振り込まれた金を幾らか引き出す。
その金を持って大衆向けの安価な服屋に行き、学校の制服のままである俺と壱楓ちゃんの分、それとひよりの分の私服を適当に選んで買い揃えた――目立たないというのもそうだが、ここから炎天下の中を移動する事になる。途中で休憩を挟みながらの行動になるだろう。服自体はすぐに傷まないだろうが、汗を掻いたままの服を着用するのは身体はともかく、精神衛生上よろしくないだろう。まさかコインランドリーに寄って洗濯なんて時間の無駄だし……。1日1着、贅沢にも使い捨てる感じになる。ちなみに、元々着ていた制服や私服は無駄な荷物になるので、とりあえず駅近くにあるコインロッカーにまとめて預けて置いた。
東京都港区赤坂にある関東菱川組本部。
距離にして約33km。
徒歩で約7時間弱。
俺の見立てでは、早くて明日、遅くとも明後日には目的地に到着するだろうという予想だ。
これが空巻市になると倍以上なのだから、やはりこちらを選んで正解だと言えるだろう。
服を購入してすぐさま着替え、次に俺たちはさいたま新都心の方まで徒歩で移動し、その近くにあるホームセンターに寄り、そこで俺と店員さんが会話をしているところに、壱楓ちゃんからの突然の大声というか絶叫というか、聞いた事のない叫び声に思わず声を漏らしそちらに振り向いた。
「ど、どうした?」
壱楓ちゃんの異様な雰囲気に恐る恐る声を掛ける俺。
……お、怒ってる……?
「どうしたもこうしたもありません!」
これまでに見た事もない逆八の字の眉で、壱楓ちゃんは語気を弱める事なく自転車の方を指差し、
「あれは! 何ですか!!?」
と、問い詰めてくる。
「……自転車……だな」
訳も分からずに聞かれた事を答えるが、どうもその答えは違ったらしく、首をブンブンと振りながら、
「そうじゃ! なくて!! これは!!! 何ですか!!!!?」
自転車の方に近づいて、それを更に強くビシッと指差してヒートアップする。
「……あー、これは子ども用シートだな……」
「見ればわかりますよ! これに誰を乗せるつもりなんですか!!?」
「いや誰って…………」
そう聞かれた俺は、戸惑いながら壱楓ちゃんとひよりを交互に見つめる。
「……お前ら以外にいるか?」
「嫌ッ!!! ですッ!!!!!」
「はい…………?」
「イ〜〜〜〜〜〜〜〜ヤ〜〜〜〜〜〜〜〜デスッ!!!!!!!!!」
渾身の拒絶の言葉。
……………………。
「めっちゃ否定すんじゃん」
「当たり前でしょう!?」
俺のツッコミに即返す壱楓ちゃん。
「もしかして昨日言ってた考えってコレですか!?」
「……そう……だよ……?」
終始壱楓ちゃんの剣幕に圧倒されているというか、呆気に取られてしまっているというか、俺も訳が分からないまま素で返しており、その態度が向こうにも本気だと伝わると今度は向こうが困惑顔になってしまった……。
……………………。
そこでようやく俺も向こうの言いたい事が徐々に分かってきた。
「もしかして……恥ずかしいのか……?」
「そりゃそうでしょう!?」
まだ気付いてなかったのか? ぐらいの感じで突っ込んできた壱楓ちゃん。
…………。
「言わんとする事は分かるが……」
俺もようやく相手の意図を理解できたので、ため息混じりに諭すように説明する。
「良いか? 俺たちは一刻も早く東京に向かわなきゃならない。……コレは分かるだろ?」
「……はい……」
壱楓ちゃんも伝えたい事がようやく俺に伝わったからか、先程よりも大分落ち着いて話を聞く体勢になってくれた。
「よし……で、昨日も言ったが電車やバス、タクシーが使えない以上、俺たちが取れる移動手段は二つにひとつだ……」
俺は目の前で親指を立てる。
「一つ目は徒歩、つまりは歩きでの移動。コレは論外。話にならない」
次は人差し指を立てる。
「二つ目は自転車、こっちなら徒歩の倍かそれ以上の効率で素早く移動できるし、相手にも探知され難いだろう」
そこまで説明して、壱楓ちゃんは軽く頷きながら、
「えぇ、そこまでは勿論わかりますけど……」
と、同意してくれている。
「でも何でそこでシートにわたしたちを乗せる話になるんです……?」
そこだけが理解できないらしい――どちらかと言えば、理解したくないというのが正しいか。
…………。
勿論、ちゃんとした理由はある。
自転車ってのは、当たり前だが自身の足で漕いで進む乗り物だ。
要は体力を使う。
近所の公園やスーパーに買い物に行くくらいの距離なら、大した事もないかもしれないが、今回のように長距離なら話は別だ。
小学2年生、低学年の子ども2人の体力的にこの長距離は相当キツい――それでいて、夏真っ盛りのこのクソ暑い中で走り続けて熱中症になったら全てがおじゃんになる。
まあそうはならないように、2人の様子を細心の注意を持って見つつ休憩は挟むが、それでは全体のペースが乱れる。
今回はただの長距離移動だけじゃなく、時間との勝負。出来るだけ早く目的地に着かなきゃならない。
と、色々とそういった事情を懇切丁寧に説明していったところで最後に、
「〜〜〜以上の事から、2人を乗せて俺が自転車を漕いだ方が効率が良いから、こうしたって訳だ……。合理的だろう?」
「……合理により過ぎてますよ……」
速攻で突っ込まれてしまった。
「有り寄りの無しだろ?」
「無し寄りの無しですよ……」
……………………。
そんなに無いか?
ここまで言われると自信が無くなってくる。
「そうだ。ひより、ひよりはどうだ? お前は分かってくれるよな?」
コイツは可愛い俺の大事な妹だ。
いつだって俺に任せると言ってくれたし、昨日も一任するって言ってた。
申し訳ないが、壱楓ちゃんとはひよりとの信頼関係の深度が違う。こういう事を言うのは本当に心苦しいが……。
ここまでの彼女とのやり取りだって、ひよりが何も言わずに黙って聞いていたって事は、俺の思惑や真意がしっかりと伝わって、理解してくれているという事だろう。
揉めたら多数決。
俺の意見が1票と壱楓ちゃんの意見が1票。
1対1。
あとは最後の1票――
「――ねえんだわ」
「お前もかい」
1対2。
あっさりと反対された。
というかひよりの顔をよく見たら、呆れ過ぎて何も言えないツラになっていた。だからずっと黙ってたのかよ。
「……え〜と……ど、どうされますか……?」
俺たちのやり取りを黙って見守っていた店員さんがとうとう声を掛けてきた。
…………。
「この自転車はこのままでいいので、追加で子ども用自転車を2台お願いします……」
「……畏まりました……」
まあ、民意は民意だ。
強引に2人を乗せてヘソを曲げられるよりマシだし、よくよく考えれば未就学児より上の子ども2人を乗せて自転車を漕ぐ姿は怪しさ満点、悪目立ちする以外何者でも無いだろう。
それに、万が一襲撃を受けて俺だけ体力が残ってなかったら、そもそも壱楓ちゃんを守る事すら出来なくなる可能性があるのだから、結果的にはこれで良かったはずだ。
「うし……準備良いか?」
「お〜」
「はいです!」
俺の声掛けにひよりとの壱楓ちゃんが返事をする。
しばらくして、なんやかんやあって予想外の時間をくってしまったが、ようやく自転車の用意ができた。
準備万端とまではいかないが、今出来る事は全てやっておいたはずだ。
あとはその時の流れで、適当にアドリブを入れながら対応するとしよう。
「まずは郵便局に寄る」
「郵便局……ですか?」
「ちょい出したいハガキがあってね」
壱楓ちゃんの疑問に、端的に答える。
このホームセンターの真向かいに馬鹿でかい郵便局があったので、そこでやるべき事を一つ思い付いたからだ。
コレは保険だ。万が一の予備策。まあ当たるかはわからんが……。
「んで、そっから本格的に出発だ」
「どこからいくの?」
今度はひよりからの質問。
「こっから少し走ったところに、産業道路って道路があるから、そこから道なりに進む。んで、川口市を経由して、新荒川大橋を渡って東京都の北区赤羽に入る予定だ」
俺の見立てでは、そこでホテルに一泊する計画だ。
「何か他に質問は?」
「んー、ない」
「無いです」
2人の了解も得られたので、もう大丈夫だろう。
「よ〜し……じゃあ出発〜」
「お〜」
「おー、です!」
とうとう自転車を漕ぎ出す。
先頭は俺。次に壱楓ちゃん。最後尾にひより。
ピカピカの新品だからか、それとも中学以来の運転だからか、最初はおぼつかない感じだったが、身体がしっかりと覚えているようで、段々とこなれた感じで進み出す。
キツめの陽射しに嫌気がさすが、それを振り払うように後続の2人の様子を伺いながら、脚を動かす。
地獄のデスロードとならない事を祈ろう。
18
ロイドたちがサイクリングを開始した同時刻。
浦和駅西口から埼玉県庁に向かう途中に、埼玉会館と呼ばれるコンサートホールがあり、その隣には広場がある。広場にはベンチが設置され、そのベンチにスーツを着た男が1人静かに座っていた。
普段ならば、様々な利用者がいたりするこの場所も猛暑日となっては彼以外には誰もいない状況だ。
そんな炎天下の中、汗をかいてはいるが決して暑そうな素振りを一切見せない。
そうするのも、これから会う相手に対して弱みとなるような、隙となるようなところを見られないようにしようという姿勢の表れでもあった。
そこから数分もせずに、待ち合わせの相手でもある彼女が現れた。
スーツを上着までしっかりと着用し、ネクタイも緩める事なく不動の如く座す男。それに対してどこ吹く風のように日傘を差し、上着もネクタイもせず半袖の襟付き白シャツと薄手のネイビー色のテーパードパンツのみであり、クールビズを体現した様な装いである女は平然と男の方に向かい、悠然とその隣に座る。
「いい度胸だな……暴力団風情が警察官を呼び出しておいて遅刻か?」
「……すみません。少々立て込んでおりまして、色々と計画の準備に手間取っておりましてね。いやはや、埼玉県警の組織犯罪対策局長様にはご迷惑をおかけいたしまして、誠に申し訳ございません……」
やはり内心暑さに耐え難かったのか、遅れて来た女に対して嫌味を込めて吐き捨てるが、彼女は涼しい顔で受け止めてすんなりと軽く謝って流す。
男はその言い方が気に入らないのか、フンッと鼻で鳴らしてから嫌味を続ける。
「お前らが白昼堂々と表通りを歩くのを見ていると、己の力不足に腹が立つ」
「ヤクザ者が陽の下を歩いてはいけないなんて法律どこにありましたっけ? 暴対法には無かった気がしますが?」
女はそう言いながら横を向き、元々細い狐目がさらに細められ笑みを浮かべる――そこで右目の下に泣きぼくろがあることに気付く。
(ああ言えばこう言う……口の減らない女だ……)
「……とっとと用件に入れ……。万が一こんなところを見られでもしたら……」
「大丈夫ですよ。彼らも手一杯のようですし、それに悪巧みというのは『明るく・堂々と・相手の身近で』するのが結構バレにくいんですよ?」
「……身に覚えでもあるのか?」
「勿論! 貴方の愛人との密会もこうしたらよろしい。奥様に気取られる事も無くなりますよ?」
「っ!? 貴様ッ……!!」
男は隠していた秘密を指摘され、思わず立ち上がり女を睨みつける。
彼女は非常に整った顔立ちで変わらず笑みを浮かべたまま、彼を見つめ返す。
(…………気味が悪い…………)
昔のヤクザは血気盛んで喧嘩っ早い方で、凶暴さが際立っていて厄介ではあったが、単純で分かり易く御しやすかった。
今のヤクザはコソコソと陰気な方であって、法の抜け目を掻い潜り屁理屈を捏ねてばかりで面倒であったが、その抜け目を埋め立てるように法も整備されているおかげで追い詰め易くなった。
だがこの女は違う。
そのどちらにも属していない。
(コイツは一体、何者なんだ……?)
ただの極道女だと侮っていたが、只者ではない奴だと再認識してから男は座り直し、
「……もう分かったから、本題に入ってくれ……」
ウンザリとした様子で言う。
先程までの威勢も何処へやら、完全に萎縮してしまった男を見て満足したのか、女は少しだけ嬉しそうに口角を吊り上げた笑みで、ずっと所持していたA4サイズの紐付き茶封筒を手渡した。
「お約束の証拠資料です。これだけあれば十分に事足りるはずだ。タイミングはこちらで指示しますので、貴方にはこれを元に部下たちに準備を整えさせて、いつでも動けるように待機していてください」
「……分かった。刑事部長と本部長には話を通しておく……」
「よろしくお願いします」
男は茶封筒を受け取り、すぐに立ち上がって広場からそそくさと離れて行く。
その際に顔に傷のある男とすれ違い、横目で一瞥するが特に気にする事なくそのまま歩いていった。
顔に傷のある男――國塚は、真っ直ぐに女――獅子門暁音の元に向かい、立ったままで報告する。
「“金狼”が出発したそうです」
「そうか。“白銀姫”と“楓の方”は?」
「一緒です。赤羽方面に向かったとの事です」
「移動手段は? 徒歩で移動してるのか?」
「いえ、自転車との事で」
「自転車? ハハハッ!」
聞かれた事を的確に正確に伝える國塚。
とはいえ思わぬ回答に、獅子門は思わず吹き出してしまった。
「良いね。あの子は本当に面白いな」
「…………」
「しかしそうなると……だいぶ早く東京都内には入れそうか……」
「はい。夕刻ごろには到着できるかと」
「概ね予想の範囲内か」
「そうなります」
「……監視に勘づかれている様子は?」
「“ハリネズミ”の報告ではそういった様子は無さそうなので問題無いかと……」
「あっちの様子は?」
「伊丹に見張らせていますが、依然として“本丸”からは動いておらず、中で指示を出しているのみのようです」
「“御大様”の方はどうなってる?」
「そちらは芹沢が付いています。手術自体は成功しましたが、未だに意識は戻っていないそうです」
「……微少なズレはあるが、全て予想通りか……」
「……はい」
万事順調。今のところ問題無し。
獅子門はクルクルと日傘を回しながら、『次』を考えつつ口を開く。
「現時点で計画の第一段階を完了と判断。第二段階に移行しろ」
「了解です。監視の方はどうしますか?」
「そのまま全て継続して報告を続けさせろ」
「はい。では早速取り掛かります」
そう言って獅子門に一礼し、國塚は足早に広場から去っていった。
「さて……どうなるかな……? 準備は万端、舞台は整った。大博打の前のひと勝負。丁か半か……それとも何が出るやら……。どちらにしろ、もっと面白くなると良いのだけれど……」
もはや誰もいない広場に、獅子門は誰に訊ねるでもなくポソっと独り言を吐いた。
その呟きは、周囲を満たす熱気に絡め取られ、ポテリと地面に落ちていった。
19
新荒川大橋。
埼玉県川口市舟戸町と東京都北区岩淵町との間で、荒川と新河岸川に架かる国道122号の密接する2本の橋の名だ。
俺たちは少し走っては休憩し、また少し走っては休憩して、ちみちみではあったが進み続けた結果。ようやくここまで来る事ができた。
途中、何かしらの妨害や襲撃が来るのかと警戒していたが特にそんな事も無く、良い方の意味で想定外にも順調に進んでいた。
そんな夕焼け空に染まったこの橋を走っていたところ、ちょうど橋のど真ん中辺りに差し掛かったところである。
先頭を走っていた俺は急ブレーキをかけ、ママチャリで道を塞ぎ、後ろの2人にこれ以上前に出ないよう手で制した。
「……? ロイドお兄ちゃん?」
「…………」
いきなりブレーキをかけたためか、俺の後ろにいた壱楓ちゃんが不思議そうに声を掛け、最後尾のひよりは反対に俺の奇行の意味を察したのか落ち着いて見守っている。
「……ようやくお出ましみたいだぜ……」
俺はそう言ってチャリと身体を横にずらして、2人にも見えるようにする。
約30メートル先、7、8人のガラの悪い男たちが道いっぱいに広がっており、ガッツリと座り込んで占拠している――本当はもう少し手前から見えてはいた。とはいえその時点では人影くらいでハッキリとは分からなかったし、集団の歩行者が迷惑な歩き方でもしているのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。
向こうも進まずに停止していたこっちの存在に気づいたのか、ゆっくりと立ち上がる。
まあ……そうだわな……。
俺は妙に落ち着いて心の中で納得していた。
下手に無闇やたらと適当に探し回るより、こうやって要所要所に見張っていた方が、出会える確率は高いだろう。
どうしてここまで襲撃されなかったか不思議だったが、相手も最初は室賀一家の若い衆になりすますくらいには計画的で頭が廻るヤツらなんだから当然だろうと思った。
などと俺がそう考えている間に、連中はどこに隠していたんだとばかりに、鉄バットや鉄パイプ、角材やらバールやら、とにかく不良が使いそうな凶器のオンパレードを手にして持っていた。
「ろ、ロイドお兄ちゃん……!?」
「……ろいど……?」
それを見た壱楓ちゃんは不安そうに、ひよりはどうしたらいいか? と尋ねるように声を掛けてくる。
俺は2人の方を一目見てから、なんて事ないように笑うと、
「そこで待ってろ」
と、軽い口調で言った。
俺は改めて連中の方を見つめ、チャリを押しつつゆっくりと歩き出す。
それを合図に鉄バットを持った男――こいつがこの場を仕切っているリーダーらしい――が、予告ホームランを告げるように俺の方にバットを向けると、他の連中が走り出す。
複数人による一方向からの攻撃。
それも全員武装済み。
対してこっちはたった1人。
それでいて武器になるような物は無し。
状況的にどう見てもピンチだ。
唯一の幸運は。後ろには敵がいないって事ぐらいだろう――ここまで分かりやすく前だけを見ていれば良いのは気が楽だ。
だが、それがあるからと言って前の方の状況が好転する材料は一切無い。
走り出した連中はすでに10メートルを切った。
どうする?
どうすればいい?
どうしたらいい?
こうするしかないだろ?
俺はチャリをぶん投げた。
目標はもちろん連中の先頭。
「「「「「「「「!?」」」」」」」」
まさか自転車を武器にするとは思わなかったのか、1番乗りの特攻をしていたヤツと他の前2人は避ける間も無く激突し、そのままチャリの下敷きになった。
他の奴らはそれを見て驚愕し過ぎて硬直し、その隙を見逃さずに俺は一気に走り出してチャリを土台に大ジャンプ。
次の目標は最後尾のリーダーだ。
そいつの前に上手く着地して、そのまま距離を詰める。
流石に目の前に現れた俺を見て、リーダーも反射的にバットを振るが、適当に横に振っただけのバットは当たるはずもなく、それを避けて俺はリーダーの顔面に右ストレートを打ち込む。
リーダーは痛みに耐えかねてバットを投げ捨て両手で顔を抑え、思わず後ろに下がりつつ橋の欄干に体重を預けて寄り掛かったところを、俺は両足を抱えてそのまま橋から落とした。
リーダーはそれはもう途轍もない悲鳴を上げながら、荒川にザッパン!! と、中々に派手な水飛沫を出して沈んでいった。
それを見て、俺が視線を外した隙に近くにいたバールの男が後ろから振りかぶり、俺の頭めがけて振り下ろしたが、その視線に気付いていた俺は咄嗟にその攻撃を避けて欄干部分に当てさせる。
「ッ!!」
空振りと渾身の一撃を込めていたからか、その衝撃が自分に全部返ってきたせいで、握っていた手が痺れバールを思わず落とす男。
俺は流れるように男の背後にまわって後頭部を押さえ、そのまま欄干部分に顔面ごとキスさせてやった。
何かが潰れるというか、折れたような耳障りな嫌な音。
男はズルズルと崩れ落ちて倒れる。
もう十分だろう……。
他の連中の俺を見る目がすっかり変わっている。
最初は悪意に満ちた好戦的な感情だったのが、今じゃもう化け物を見るみたいな畏怖の念がたっぷりと込められた目になっている。
俺は一同を見回すと、どうする? とばかりに両手を軽く広げた。
もはや完全に戦意喪失したヤツらは一斉に武装解除して凶器を地面に投げ捨ててから、両手を挙げて降参のポーズを取る。
俺はそれに納得したように頷き、一同を指差し、橋の下――荒川の方を指差した。
意図を察したのか、連中は互いに目を合わせ、戸惑いや困惑した顔つきで俺の方に目線で『本気ですか……?』と訴えかける。
俺はわざとらしく困り顔になりながら、バットを持ってスイングする――野球なんてした事ないので、かなりメチャクチャなフォームであったが……。
男たちは再び恐怖で顔を歪め、そして諦めたように各々はゆっくりと橋の上から落ちていった。
俺はぶん投げたチャリを起こし、チェーンが外れてないかやどこか故障してないかを確認し、全く問題ない事がわかると、ひよりたちの方を向いて手招きする。
見ると、壱楓ちゃんは口をポカンと開け呆然と見つめ、対してひよりは特に気にする風でもなくこっちに近づく――俺が再度手招きし、壱楓ちゃんもようやく意識が戻ってきて恐る恐るといった感じでやって来る。
そして俺は周囲を見回し、監視の類いや次の襲撃を警戒しながら再度出発する。
今日はここまでだな。
夕陽も完全に沈み、暗くなってきた。
この辺のホテルで一泊して、明日はもう少し早く起きて出発しよう。
この調子で行けば、明日中には目的地に着けるはずだ――まあ最後の最後で襲われはしたが、それ以外は計画通り順調に進んでいる。
今日一日、他に不審な点は無かったか思い起こす途中――
「――…………あれ…………?」
ふと、何か忘れているような気がした。
何だっけ?
大事なんだけど、この事態に関係無いのは分かっているんだが……。
何だ? 何を忘れてる?
……………………。
まっ、いっか。
この事態に関係無いなら大丈夫だろう。
俺は特に深く思い出そうとせず、そこで思考を切り上げて、今日を過ごすホテル探しに集中することにした。
20
アタシ――仙導レナは、水無月璃子が好きだ。
大好きだ。
愛していると言ってもいい。
いや、愛している。
たとえ彼女を目に入れたとしても痛くないほどに、とても大事で大切な存在だ。
そんな璃子に対して全肯定的なアタシが唯一、彼女が挙げている『好きなもの』の中で理解を示すのが難しいものがある。
それは――
「――レナちゃん! 早くしないと時間に遅れちゃいますよ!!」
今年の夏も中々に激しい気温と、厳しい陽射しだと言うのに、そんな不快感のある暑さも気にならないと言うような素振りで、元気良く璃子が声を掛ける。
ハネのないストレートの亜麻色の長髪。
涼しげなコバルトブルーの半袖ワンピース。
可愛らしい笑顔を浮かべ、清楚なお嬢様を思わせる風貌で、とても可憐で素敵だ。
だがその素晴らしい格好も、彼女が企画してこれから行おうとしている今日の催しの事を考えると、ちょっとだけ憂鬱になり、ちょっとだけ魅力も下がってしまうのは何故だろう……。
璃子にとっては最後の夏休み2日目であり、アタシにとっては『夏のくそ暑い日』の1日であるお昼過ぎ。
向かう先は退院してから何度か遊びに行った事があり、気付けばアタシたちの溜まり場として活用させてもらっている王城探偵事務所。
本日のイベントはそこで開催されようとしていた。
「…………ねえ璃子…………」
「はい?」
「その〜、何だっけ? これから観る映画のタイトル……えっと、プレデターvsね……ネイ――」
「『プレデターvsネイビーシールズ』と『メタルマン』ですね!」
「……あ〜……そうだったっけ? とにかくそのクソ映画――」
「――Z級映画です!!」
「そうそのZ級映画鑑賞会……マジでやるの……?」
「勿論ですよ! 是非とも皆さんにも観てもらいたいんですから!!」
一点の曇りもない眼……どうやら本気らしい……。
アタシも自身の感性が人と変わっているのを自覚しているから、あまり強くは言えないが、それを無視しても璃子の感性も『変わっている』と思っている。
彼女の『好きなもの』の一つが、クソ映画を好んで観ることなのだが、それをアタシたちにも鑑賞させて感想を尋ねるというか気持ちを共感というか共有しようとする趣味がある。
元々、初めて知り合って仲良くなってから少ししてアメドラ――アメリカで作られたドラマをそう略すらしい。璃子から教わった――を一緒に観ようと誘われて観たことがあった。まあ、その時に観た作品はアタシも面白かったから良かったけど……。
そこからさらに仲良くなると、サメ? 映画のシリーズやら様々なクソ映画を一緒に観させられる羽目になったのだ。
あの時は色々なサメを観させられたせいで、夢の中にまで出てきたのは良い思い出である。
「安心してください。その2つを観終わったら、B級映画の代表作とも断言しても過言ではない『コマンドー』と、映画史上の最高の名作の一つと名高い『ショーシャンクの空に』を観て口直しをしましょう!」
「情緒が壊れちゃうよ」
なにそのチョイス。
落としてからの上げ方が逆バンジージャンプ並みに激し過ぎるわ。
「前から聞きたかったんだけど、どうしてそんなにクソ――じゃなくてZ級映画をあえて観るわけ?」
夏の暑さのせいなのか、これから始まる苦行のせいなのか、げんなりした顔つきで尋ねるアタシ。
面白そうと思って観た映画が、全く面白くなかったなら分かる。
車に轢かれた事故みたいなものだからだ。
だがこれでは自分から車に突撃して当たりに行ってから、他の人の手を引っ張って押し付けているのだから、何たってそんな事をするのか訳が分からくなるも当然と言えるだろう。
「うーん……そうですねえ……何と言えば良いのでしょうか……」
そんな気分の悪そうな表情をしているアタシに気付くことなく考え込む璃子。
しばらく深く長考してから、彼女はゆっくりと口を開いた。
「……ズレが面白いから……ですかね?」
「ズレ?」
「はい」
頷く璃子。
「映画だって、別に最初から面白くないものを作ろうとはしませんよね? 一生懸命になって良いものを作ろうとしています」
「……まあね」
そこは同意する。
「でも、製作者の人たちが考えている『面白い』と私たちが考えている『面白い』が一致していないから評価が別れたり、持ち上げられたり、極端に批判されたりする」
「うんうん」
「でもZ級映画は違います。面白い面白くない、という問題ではなく、何かが極端にズレている気がする。そのツッコミどころというか、何故? みたいなところが私にはとても面白くて『好き』な部分なんですよね」
「……なる……ほど……?」
ダメだ、全然分からん。
最初こそ納得できそうな話をしてくれるのかなと思っていたら、余計に分からなくなってしまった。
アタシにはどうやら、まだまだ璃子を完全には理解できない部分があるらしい。
……………………。
アタシは現在。新しいバイト先で仕事をしながら、今年の秋頃からのデビューに向けて、究極プロダクションの全面的なサポートを受けつつ、着々と準備を進めている。
いよいよ念願の初デビューとなるわけで、みんなにアタシの曲を気に入ってもらえるのか、売れなかったらどうしようとか、不安になっているのだが……。
アタシのファン1号と豪語している璃子の感性の話を聞いてしまうと何故だろう。
ほんの少しだけ、本当の本当に少しだけ、それこそ小さじ一杯分くらいの量だけ…………怖いと思ってしまうのは何故だろうなあ…………。
「さあ着きましたね! 今日は楽しみですねレナちゃん!!」
「ウン、ソウダネ、スゴクタノシミダネ」
楽しくお話ししながらなのか、いつの間にか目的地の事務所があるビル前に到着し、階段を上がろうとする――
「――あっ、そうでした」
璃子が忘れてたとばかりに、事務所宛ての郵便ポストを開けて中身を取り出す――当たり前だが、これはロイド君からお願いされた行動だ。彼曰く、自分だとうっかり素通りしてしまうらしいので、気が付いた時で構わないから、何か入っていたらそのまま持ってきて欲しいと前に頼まれていたのだ。
最初は良いのかそれは? と思いながらやっていたが、慣れとは恐ろしいもので、今ではここに来るルーチンとしてすっかり染み付いてしまった行動である。
「えっと…………あれ?」
いつも通り、重要そうな郵便物と明らかに不要そうなチラシを分けようとしたところで、璃子が不思議そうな声でポツリと言った。
「? どうした?」
「いや、これ……」
その声に反応したアタシに、彼女はそれをこちらに手渡した。
「これ……ハガキだよね……?」
「はい、でも……」
一見するとただのどこにでもある白いハガキだ。
通常はがき、と呼ばれるもの。
だけどこれには差出人名が書かれていなかった。
「これだと誰が送ったのか不明ですね?」
「……そうだね……。でも宛名も宛先もここだね……」
璃子は首を傾げながら、アタシは冷静にそれを分析しつつ伝えたい内容が書いてある裏面を見る。
「…………?」
「……これはどういう事でしょう?」
書いてはいた。
日本語で書かれていたから読めもした。
だけど、言葉の意味が分からなかった。
…………。
「まあ、ロイド君に渡せば大丈夫でしょ」
「そうですね。もしかしたらロイドさんなら意味が分かるのかもしれませんし」
少し謎ではあったが、それ以上はここでは分からないので、アタシたちは気持ちを切り替えて階段を上がろうとする。
「あっ、ちょっとそこのコンビニで飲み物買ってくる」
「オッケーです。先に行ってますね」
「うん。なんか欲しいのある?」
「ううん、大丈夫です。ありがとうございます」
「わかった」
アタシは璃子と一旦わかれ、このビルの真向かいにあるコンビニに向かい、ジュースを買ってから再びビルに入り階段を上がる。
階段を上がってからは先ほどのハガキの事も忘れ、アタシはこれから始まる地獄にロイド君とひよりちゃんが耐えられればいいけど……と思いながら、事務所のドアを開けようと手を掛けた瞬間――
『――きゃあぁあああああああああっっっ!!!!!!!!!』
「っ!? 璃子!!?」
突如、部屋の中から恐怖と驚きの混じった大絶叫が外側まで響く。
そしてそんな聞き慣れない悲鳴を上げた声の主は、アタシのよく知る璃子の声だ。
アタシはすぐにドアを勢いよく開けて突入する。
何があったか分からないが、璃子に何か危害を加えようとしているヤツならただではおかない。
常に持ち歩いているギターケースを武器代わりに構えながら飛び込むと――
「――目がぁ! 目がァアアアアアアーーー!!!!!! ガァアアアアアアッッッ!!!!!!!!!」
「うぅ……レナぢゃあああ〜〜〜ん……」
知らない男が両目を抑え悶絶しながら大声を上げ、璃子は飛び込んで来たアタシを見て安心したのか、安堵の声を上げながらそばに駆け寄る。
「大丈夫……アタシがいる……」
「ごわがっだよぉおおお〜〜〜」
男を警戒しつつ、安心させようと彼女を抱き締めながら周りを観察する。
運が良かったことに、どうやらロイド君たちは不在らしい――そこに関しては非常に安心した。
そしてふと床を見ると、璃子が最近護身用に持ち歩いていた催涙スプレーが転がっており、事の顛末が大体想像できる。
「璃子、この人は誰か知ってる?」
「知らないですぅ。鍵が開いてたから……てっきりもうロイドさんたちがいると思って入ったら……この人が急に襲い掛かってきてぇ……」
璃子から状況を把握し、今度は男を観察する。
黒髪の逆立ったツンツン頭。
年齢は三十代後半といったところだろうか。
白いシャツにサスペンダー、グレーのズボンを履いている。
今のところ分かるのはそれだけか…………。
「……アンタ……誰……?」
恐る恐る尋ねるアタシに、男も段々と催涙スプレーの症状が和らいだのか顔面がぐしゃぐしゃにしながらも立ち上がりこちらの方を向くと、
「お前らこそ誰だよ!? ここはオレの事務所だぞっ!!」
……。
…………。
………………。
「……………………はい?」
ロイド君からは何度か話には聞いていた人物。この王城探偵事務所の本来の……真の主人である、王城陽平とのとんでもないファーストコンタクトであった。
※中編に続く。
すみません、中編に続きます。
色々と書きたいことを書いていたら、三つに分かれてしまいました。
どうか最後までお読みいただきたいです。
よろしくお願いします。




