8.赤狼は番犬となる②
「え、えーと、私、セリア・ネヴァと申します。ギルドからの紹介で使用人として派遣されてきたのですが……」
扉を開けると、そこには女性が立っていた。
年齢はラドルファスよりも少し年下だろうか。落ち着いた色合いの灰色の髪と、印象的な紫色の瞳をしている。
顔立ちも百合や薔薇のような派手さはないが、木陰にひっそりと咲く野花のような、そんな素朴な可憐さがあった。
また、彼女には名字があった。
ラドルファスの兄達は農民の出であった為、名字がなかった。当然、彼らに拾われたラドルファスにもない。出自だけで考えるならば、使用人としてやって来た彼女のほうがラドルファスよりも身分が高いと言えるだろう。
とはいえその程度の事で彼女を妬んだりする程、ラドルファスは狭量な男ではない。
この孤独な砦に誰かが来てくれたというだけでとても嬉しい。そう、嬉しいのだけれども。
「あ? 使用人? なんだよ、戦えねー奴なんざ寄越しやがって、ギルドも使えねーなぁ」
──つい、いつもの口の悪さが出てしまった。
約三週間ぶりの会話を嬉しく思う反面、それに比例するように湧き上がってくる面映ゆさ。
それに加えて、セリアが自己紹介をする少し前、彼は既に「あぁ!? なんだぁてめえは!?」などとドスの利いた声と共にガンを飛ばしてしまってさえいた。
第一印象は最悪である。
すっかり身に付いてしまった彼の悪癖は、もはや一朝一夕で直せるような代物ではなくなっていた。
しかしこのままではいけない。
言葉で本音を伝えられないならば、せめて行動で示そうとラドルファスは考えた。
自分は彼女の事を疎んでなどいない、歓迎している、と。
そんな彼の想いが伝わったのか、はたまた単に彼女が強メンタルの持ち主だったからか。
初めはびくびくとしていた彼女だったが、案外あっという間にラドルファスの事を怖がらなくなった。
少なくとも初日の夕方には半ば強引にラドルファスを脱衣所に押し込んで風呂に行かせるくらいの強かさを見せ付けてきた。可憐な野花かと思いきや、なかなかに雑草魂の持ち主のようである。
だが怖がられたままでいるよりはずっと良い。むしろこのくらい図太いほうがラドルファスとしても気楽であった。
さらにその数日後。
「これからは一緒に食事をしよう」と、頑張って自分から彼女に声を掛けたりもした。──実際にはかなりぶっきらぼうな言い方をしてしまったけれども。
もう後悔するのは嫌だったから。
彼女ともっと沢山話をしたかった。
それに毎回自室まで食事を運んでいては、移動中に料理が冷めてしまったり、スープをこぼしてしまったりする事もあるだろう。彼女にも益があるはずなのである。多分。
また、かつては末弟であった三男が兄の立場に憧れていたように、ラドルファスもまた弟や妹を持つ事に憧れがあった。
恐らくラドルファスよりも年下である彼女は、いわば妹のようなものであろう。
自分もついに兄デビューする日がやってきたのだ……! と彼は勝手に心躍らせていた。
ちなみに、普段は割としっかり者のセリアであるが、たまに不運と言うか、うっかり屋と言うか──要は少々ドジなところがあった。
ゆえにラドルファスはセリアの事が常に心配で仕方がなかった。……どうやら自分もまた兄達に似て心配性かつ過保護であるらしい。
そんなある日の事──セリアがこの砦にやって来てから二週間が経った頃──彼女が買い物に行きたいと言い出した。
ギルド経由で送られてくる支援物資だけでは足りない物が多いのだという。
別に買い物に行く事自体は構わない。むしろ何か美味しい物でも買ってきてくれるならばラドルファスとしてもありがたい……のだが。
つい、ああだこうだと引き留めるような事ばかり言ってしまう。
セリアの事が心配なのは勿論であるが、理由はそれだけではなかった。
彼女がこのまま戻ってこないのではないかと不安なのだ。
そんな事はあり得ないと頭ではわかっているのだが、どうしても考えてしまうのだ。
テオのようにこの場所を去ってしまうのではないか、と──……。
結局、次の日の朝、セリアは予定通り買い物へと出掛けていった。
日暮れまでには帰って来るよう約束させ、彼女の後ろ姿を見送った。
……やはり彼女の事が心配である。出来る事ならば、彼女に同行してやりたいくらいだ。
しかしそれは叶わない。
自分はこの砦の番犬。この場所を離れる訳にはいかない。
首輪に繋がれた飼い犬は、ただ待つ事しか出来ないのだから……。
日課である鍛練を終えると、警報音が鳴り響いた。
現れたのは雑魚だった為、難なく倒す。
当然ながらセリアはまだ帰って来ない。
国境付近であるこの場所から市街地の中心部まではかなりの距離があり、行き帰りだけでも相当な時間が掛かる。
彼女が帰ってくるのは約束通り、日暮れ近くとなるだろう。
昼食はセリアが用意しておいてくれた物を食べた。
どんなに固いパンだっていつもは美味しく感じるのに……何故だろう、一人で食べるパンは、美味しくない……。
その後、本日二度目の敵襲があった。
相手がそこそこ強かった為、少し時間が掛かってしまった。
気付けば大分日が傾いてきており、少々空気がひんやりとしていた。
強靭な肉体を持つラドルファスにはこの程度の寒さなどどうという事はないが、彼女にとってはどうだろうか。
自分よりもずっとヤワな彼女の事だ、身を震わせて帰ってくるに違いない。
ゆえに、まずは暖炉にくべる為の薪を割る事にした。
薪割りは当然ながら使用人の仕事である。
ラドルファスが使用人の仕事をしようとすると、セリアはいつも良い顔をせず、彼を止めようとする。
しかしそんな時、彼は毎回「あぁ!? 主人に逆らう気かよ!?」だとか、「これは主人の命令だ!」などと言って無理矢理つっぱねてきた。新手の職権濫用である。
最近は止めても無駄だと、彼女もすっかり諦めてきていた。
薪割り中にもまだセリアは帰って来ない。
ついでに調理に使用する分の薪も割る。
暖炉に火を入れ、部屋も暖めておく。
それでもまだ彼女は帰って来ない。
すっかり暗くなってしまった空。
誰がどう見ても門限の日暮れが訪れてしまったのは明白である。
──もしや彼女の身に何かあったのではあるまいか。
人攫いに連れ去られたのではないか。
事故に遭って身動きが取れなくなっているのではないか。
獰猛な獣にでも襲われたのではないか。
……それとも、彼女は本当にこの砦を去ってしまったのだろうか──……。
様々な憶測が次から次へと脳内に湧き上がる。
焦りと不安で居ても立っても居られなかった。
ラドルファスは大剣を手にすると、砦の入り口の前でセリアが帰って来るのを今か今かと待つ。
人影が見えないか目を凝らし、また獣のうなり声やセリアの悲鳴が聞こえないか、耳を澄ます。
そしてついに。
まばらに生えた木々の間から、ちらりと人影が見えた。
小柄なその人影は女性のものと見てまず間違いなかろう。
無事に彼女が帰ってきた事に嬉しさと安堵が込み上げてくる。
彼が本物の犬だったならば、はち切れんばかりに尻尾を振っていた事だろう。
そして彼女はまっすぐ砦まで戻って
来ない。
(いやなんでだよ!!)
思わず心の中で吠える。
砦のすぐ近くの大きな木に差し掛かった辺りで何故か彼女の動きが止まり、そこから出てこようとしないのである。
……もしや帰りが遅くなった事を叱られると思って出るに出られないとでもいうのだろうか……?
いや、そうだとしてもである。
自分はこんなにも彼女の帰りを待ち侘びていたというのに。
心底心配していたというのに……!
そう思うとだんだんと腹が立ってきた。
「おいセリア!!」
「ひぃっ!!?」
「いつまでそんなとこ隠れてやがんだ! とっとと出てこい!!」
「は、はいっ! す、すみません……っ!!」
一喝したらようやく出てきた。
その手には中身がパンパンに詰め込まれた買い物袋を提げていて、見るからに重そうである。
そんなに大荷物を持っているのならばとっとと砦に戻ってきて荷物を下ろせばいいだろうに、とラドルファスは心の中で溜め息を吐く。
門限を破った理由を聞けば、迷子を保護していた為、遅くなってしまったとの事だった。
ならば仕方がない、とラドルファスの怒りはあっという間にしぼんでいった。
きちんとした理由のある相手を頭ごなしに叱りつけるような真似はしないのである。
また、彼は実のところ、少々子供に甘いところがあった。これも幼い彼を拾って育ててくれた兄達の影響なのかもしれない。
リビングに着くと、部屋が暖められている事に気付いたセリアから礼を言われたが、聞こえないふりをした。
ラドルファスは礼を言われるのが苦手であった。どうにもむず痒く、どう返していいのかわからないのである。彼女にバレていない事を祈る……。
そんなこんなでその日の夕食。
テーブルには街で購入した食材で作った料理が並べられた。そしてその付け合わせとして添えられた、ふわっふわのパン。
ラドルファスはパンが大好きだった。
幼い頃、討伐した魔物の素材をギルドで買い取ってもらうたび、兄達はよく安酒を買い込んでは小さな酒盛りをしていた。
魔境を渡り歩く彼らにとって、安心して酒に酔えるのは街にいる間だけなのである。──勿論、スリなどに対して最低限の警戒は怠らなかったが。
子供のラドルファスには酒の代わりに焼きたてのふわふわパンが振る舞われていた。
彼にとって、ふんわり柔らかなパンは何よりのご馳走であり、思い出の味なのである。
先程まで怒り心頭だったとは思えぬ程、今やすっかり上機嫌である。
すると向かいの席で共に食事をしながら、セリアがギルドでの事を話し始めた。
なんでも、女性冒険者達がラドルファスに好意を寄せるような事を言っていたとかなんとか。
ラドルファスは強い女性が好きだ。
自ら戦場に立つ勇ましい女性に好かれるというのは、嬉しい事のはずなのだ。
それなのに。
全くもって嬉しいと感じなかった。
赤の他人に好意を寄せられても何の感情も湧かなかったのである。
自分は自分で思っている以上に恋愛に無関心だったという事なのだろうか……?
いつかラドルファス好みの女性がこの砦に来てくれるかもしれない、とセリアは言うけれど。
──確かに人手不足は否めぬゆえ、共に戦ってくれる仲間は早く欲しい。
特に寂しがり屋の彼にとって、仲間は多ければ多い程良い。
そのはずなのに。
……セリアと自分のたった二人だけしかいないこの生活が、このまま続いて欲しいと思ってしまうのは何故なのだろうか──……。
それからも時に危険で、程よく穏やかな日々が続き。
セリアはラドルファスの粗暴さに今やすっかり慣れ、彼への対応も板についてきた。
彼が発する言葉にはことごとく棘が生えているけれど、それを時に柳のようにさらりと受け流し、時に真綿で包みこむように丸ごと受け止めてしまうのである。
たわいない会話も増え、先日など「卵を割ったら黄身が双子だった」、とわざわざラドルファスに見せに来た程であった。──それをラドルファスもまた興味津々に覗きこんでいた訳だが。
二人はなんだかんだで似た者同士なのである。
また、最近はセリアが買ってきた服を着たり、彼女に髪を切ってもらったりと、身だしなみを整える機会が増えた。というか半ば強制的に整えさせられている。
戦闘が終わって砦に帰り次第、風呂場へと直行させられるのがもはや日課と化していた。
だが不思議とその生活を窮屈だとは思わなかった。
特に髪を櫛で梳かす時、彼女のあたたかい指先に触れられ、髪の間を櫛が優しく通っていく感触は、むしろ心地良いとさえ感じられた。
ある日、彼女はラドルファスの事を男前だと言っていた。
格好良く在る事を求めるラドルファスであるが、それはあくまで内面──生き様などの精神的な面に対してのみであり、外見に関しては今まで一切頓着していなかった。なのだけれども。
彼女に格好良いと言ってもらえて、妙に嬉しさが込み上げてきた。
兄達に褒められる時とは違い、何だかこそばゆくて、そわそわする。けれど悪い気はしない。むしろとても良い気分だった。
男だけの兄弟とは違い、妹を持つ兄というのは皆こういうものなのだろうか?
まあきっとそうなのだろう、とラドルファスはあまり深く考える事なくそう結論付けた。
脳筋である彼は頭を使うのが苦手なのである。
その日の午後、セリアはラドルファスの為にクッキーなるものを焼いてくれた。
生まれて初めて口にしたそれは、筆舌に尽くし難き美味しさだった。
見た目は素朴で少々不恰好ではあるものの、程よい甘さとサクサクとした食感の、優しい味をしていた。
食べながら話している内に、互いの生い立ちについて話す事となった。
彼女はやはり自分とは全く違った人生を歩んできたようだった。
ラドルファスにとっては遠い存在。
──けれど彼女にも兄と弟がいるとの事で、少しだけ親近感が湧いた。
前に彼女は「冒険者としての才能がなかった」、「他に働き口がなかった」という旨を話していた。
さらに詳しく話を聞いてみたところ、魔法学園での成績上、父親や母親と同じ仕事に就く事が出来ず、使用人になる道しか残されていなかったのだそうだ。
臆病なくせに攻撃魔法しか使えず、冒険者となったテオとは真逆であった。
──実のところ、彼らの就活事情には共通の理由が存在していた。
かつて、魔法を使える者は少数しか存在しなかった。
例えその身に十分な魔力を宿していたとしても、魔法として放出する為の知識と技能を持つ者はごく僅かだったからである。自分の隠れた才能に気付かず生涯を終える者も多かった。
そこで、あらゆる魔法知識を専門に取り扱う学舎が各国で誕生するようになった。
現在の魔法使いの大半はどこかしらの魔法学園を卒業しているか、もしくは魔導師や大魔導師の位を持つ、名のある高位の魔法使いに弟子入りしている。
しかしそれに伴い、ある問題が起き始めた。
かつて少数しか存在しなかった魔法使い達は様々な分野で重宝されるようになり、魔法使いは将来を約束された安定職となった。
ゆえに、ある程度の財力を持つ魔力持ちは誰もが魔法学園に通うようになり、次第に「将来やりたい事は決まってないけど、とりあえず魔法学園を卒業しておけば安泰でしょ」といった風潮が形成されていったのである。
すると今度は魔法使いの人口が飽和状態となり、あぶれる者が出始めてきた。その結果、採用する側はより成績の良い者、より偏差値の高い学舎出身の者を求めるようになっていったのである。
この傾向は数年前から現在まで続いており、セリアやテオはいわば就職氷河期世代の者達なのであった。
物心ついた頃から冒険者の道一筋であったラドルファスには、勿論そのような苦労や悩みを抱いた経験はないし、そんな事情など知る由もなかった。
なんだかよくわからないが、魔法使いというのも大変なんだな、と漠然と思う。
そして再びクッキーを齧り、その味を噛み締める。
そんな穏やかな昼下がりだった。