子犬は二年で成犬になるんだそうです。
一日の計は朝食にあり。
昔読んだ料理本にそんな言葉があった。
「おはよ、サーラ。今日も美味しくできたよ」
いつからか、サーラの一日は朝食ではなく、寝起きのグリーンスムージーで始まるようになっていた。朝食も、もちろん食べるが。
「……ありがと」
寝ぼけ眼のまま、差し出されたコップを受け取った。
「ん……おいし……」
人間、何事にも慣れるようで、今では人化したリュカに起こされることにもすっかり慣れた。むしろ、毎朝リュカお手製のスムージーをいただかねば目が覚めない……そんな怠惰っぷり。良くないとは思いつつ、すっかり甘えてしまっている昨今だ。
リュカと出会って、二年あまりの歳月が過ぎた。
たった二年。されど、二年。
本によると、大型犬はだいたい二歳で成熟するらしい。確かに……サーラも16歳になって、少し大人っぽくなってきたが、リュカには負ける。もはや、人化したリュカと並ぶと姉弟には絶対見えない。兄妹だ。かなり悔しい。
「サーラは最近、寝起きが悪くなったみたい。たくさん寝て、大きくなるのかな?」
「んー……寝ても寝ても眠いんだよね……。でも、もう大きくはならないかなぁ……身長止まっちゃったし……」
ふわぁ、起きるかぁ……と伸びを一つ。
ベッドサイドに肘をついてこちらを見つめるリュカは、相変わらず眩しい。朝日を反射してるのか、後光なのか。
人間にすれば20代前半。リュカの見た目は、ここ数ヶ月それを維持したままだ。エレーヌによれば、これもどうやら、種族特性。
神狼の寿命は現状不明としか言えないが、往々にして魔力の多い生き物は寿命が長い。狼よりは魔狼の方が長生きだし、しかも老化が遅いことで知られている。だから恐らく神狼のリュカは「生物として最盛期の姿のままで長く生きることになるだろう」、という予想だった。
生後二年で最盛期を迎え、そのまま長く生きることが良いのか悪いのか……正直、サーラには判断できない。ただ、自分がおばあちゃんになってもリュカは若くて、自分が死んでもリュカはずっと生きていく……そう思うと、なんだか胸が苦しくなった。
「今日はリュカがお題を出す番だよね?」
鏡台の前でいつものように髪を結い上げながら、鏡越しにリュカを見る。起こされるのも着替えるのも、人化したリュカが居ること自体に慣れたから、さほど気にはならない……が、見た目のキラキラしさにはなかなか慣れることができなかった。ふとした瞬間にドキリとする。今も、サラリとした銀髪を耳にかける仕草にドキッとした。
「そう。ちゃんと考えてあるよ」
小さい頃のお気に入り、「取ってこい」はいつの間にかまた、妙な進化を遂げている。
数ヶ月前、騎士の兜の置物を投げた時に本物の騎士様を連れて来られた時点で、「もう無理だ」と改変を決意した。自分達以外の人間とか、数年ぶりに見たし、心底滅茶苦茶驚いた。森で迷子になっていたという騎士様は御礼しきりで帰って行ったが、そういう問題じゃないと思う。
「最近わたし負けっ放しだから、今日こそ勝つ! ……あ、リュカ、どうぞ。髪、やろ?」
相手の出したお題に即したものを持って来られるか。
それが今のわたし達の遊びのルールだ。1週間の猶予で、お互いにお題を出し合う。毎日遊び呆けるわけにはいかないから、余裕を持って出題するこの形に落ち着いた。
「ん。ありがと」
椅子を譲ってリュカを鏡台の前に座らせる。かなり伸びた彼の髪を結うのも、いつしか日課の一つ。
腰のあたりまであるサラサラと柔らかい手触りの髪は、触っていて気持ちがイイ。丁寧に前髪を編み込んでから後ろで括った。
「うふふ、我ながら上手に編めたわ」
ご満悦気味に呟けば、
「サーラは器用だからね。ん、やっぱりサーラに編んでもらうのが1番イイ」
優しいリュカが、合わせるようにニッコリと微笑んでくれる。大人になってもやっぱり天使。
神狼でいる時間はかなり減ったが、成長していろんな部分で余裕ができたせいだろうか。人化しても神狼型の時同様、リュカは、自然体で過ごせるようになっていた。言葉も態度も違和感ない。
……そう。成長したリュカは、神狼型でも流暢にヒトの言葉で会話できる。魔力ってなんでもできるんだなぁ、と呟いて、エレーヌから「そんなわけないでしょ。神の御使いは特別に決まってるじゃない」とツッコまれたのも、今となっては懐かしい思い出だ。
(リュカがすごいのは知ってるけど……身近過ぎてつい、特別感が麻痺しちゃうんだよね……)
良くも悪くも。ただ、そのおかげでサーラは肩の力が抜けて、姿で区別することなく過ごせている。
「ありがと、サーラ」
「っ……」
とはいえ……突然抱きつかれたり、頬っぺにキスされたりすると、まだちょっと驚くが。
でもまぁ、ワンコが顔を舐めたがるのは普通のことだ。ワンコなリュカが人型でやったところで、問題ない。……そう、思えるようになってきていた。
※※
「え、明日!?」
「そうなのよぉ。突然にも程があるでしょ? 思いっきり文句言ってやらないとね」
昼食時、ニコニコと笑いながらエレーヌが言った。
「お母さん……嬉しそうね?」
「ウキウキしてるね」
「そんなことないわよ?」
「でも楽しみなんでしょ? レオ兄が帰ってくるの」
エレーヌの弟子にして同類の魔法マニアが、放浪の旅から戻るらしい。つい先程、遠距離伝達用の魔鳥が手紙を持って来たのだそうだ。
「別に? ……まぁ、でも、お土産次第かしらねぇ。レオのことだから珍しい魔道具とか本とか何かはあるはずだけど……。あ、あの子がどれだけ新しい魔法を作れたかは、それなりに楽しみね。ふふふ」
幼かったサーラはレオの記憶が所々あやふやだが、改めて考えてみると間違いない。魔法バカが久々の再会で2人になるのだ。少なくとも一週間は研究室に引きこもる。下手すれば1ヶ月……数ヶ月は没頭する。
(しばらくはお母さん達はサンドイッチ生活かなぁ……。引き摺り出そうとするだけ無駄だろうし)
既に熱気の篭った表情のエレーヌに苦笑が浮かんだ。これで「別に?」とか言うあたり、この母親、ホントに素直じゃない。一筋縄じゃいかないのは知っているが、少しはリュカの素直さを見習えばイイのに。
「サーラも楽しみ?」
「え? うん、久しぶりだし。……ふふっ、リュカを紹介したらレオ兄びっくりするだろうなぁ。それが一番楽しみかも」
絶対驚く。
世界を回って来たレオの土産話も楽しみだが、普段の生活圏を出ていない自分達からも彼へのサプライズがあるかと思うと、ちょっと得意な気分になった。ウチの子自慢をできる数少ない機会だ、最高のリュカの姿を見せなければ。
「ねぇ、リュカ。こういうの…………どう?」
「サーラ、いたずらっ子の顔になってるよ」
「ふふふっ! わかる?」
「サーラのことならなんだって」
意識を既に未知の魔法へと飛ばしているエレーヌを横目に見ながら、コソコソと2人で示し合わせ、
「ごちそうさまでした」
昼食の後片付けを手早く済ます。
明日来客を迎えるのなら、今日のうちにやっておくべきことは山ほどあった。2階の一番階段に近い場所にある、レオの部屋も念の為掃除したいし、食器やらリネンやらも見直したい。
明日からは当面、リュカも含めて4人暮らしだ。食料だって保存魔法で十分に備蓄してあるとはいえ、確認は必要だろう。それもまた、急ぎの仕事だ。
(それに、お題のこともあるし)
さらには、午前中に出されたリュカからのお題。それに合わせて森に採りに行きたいものもある。突然、なかなか忙しい。
「今回もリュカの勝ちかな。あ。それとも、もっと簡単なお題に変える?」
レオの部屋の燭台の確認をしながら、リュカがくふふと笑う。サーラの出したお題を全てこなしているリュカが、今のところ「とってこいゲーム」の勝者だ。
サーラは前回リュカが出した、「『黒歴史』って言葉をリュカにわかりやすく示す物を持ってくる」というお題に降参した。あと、これまでに「世界で一番甘いお菓子を用意する」とか「世界で一番大きな花を」とかの「世界一」シリーズも全滅している。他にも諸々……全て、子どもの悪ふざけみたいなお題だけれど、一生懸命リュカが考えた結果なのだと思うと叱る気になれない。むしろ、このどこからどう見ても完全無欠な美青年がそんな可愛らしいことを言うギャップに、キュンキュンしっ放しだ。
「大丈夫。今度こそ勝ってみせるわ」
窓を大きく開け放って新鮮な空気を取り入れながら、サーラは力強く頷いた。
今回のお題──「世界樹の葉を使った美味しい料理を作って」。
(そもそもあれって食べて平気なのかな? でもまぁ)
料理好きのサーラにとっては無理難題でも何でもない。
こんなお題ならドンと来い、だ。一週間もあれば一品くらいはなんとかなる。
「メニューは考え中だけどね。貴重な世界樹で失敗するわけにはいかないから、別の葉っぱで試作する予定なの」
リュカが採取した世界樹の苗はすくすくと成長して、今では立派な若木になった。魔力溜りに植えたことよりも、リュカがお世話係をしていることが移植成功の一番の要因らしく、エレーヌが絶賛していた。
世界樹の葉も、小枝も、根も、リュカが毎日少しずつ間引いて持って来る。おかげで、在庫はそれなり。乾燥させた葉を、煮込み料理の香味に使うのが一番無難な気はするものの、どうせならもっと大々的に……。
「たくさん要るなら採ってくるから言ってね。どんな料理になるか楽しみにしてるから」
サーラを見るリュカの目は優しい。
なんだか本当に「妹を見る兄」のように感じられて、サーラはちょっとだけ唇を尖らせた。リュカばっかり大人になっちゃって、ちょっとズルい。家族であることも、大切な存在であることも変わらないけれど、姉の矜恃が……揺らいでいる、確実に。
「さて、次は! リュカ、日向ぼっこしながらブラッシングしよ?」
「うん」
庭先のシェードの下で神狼に戻る。服の着脱ももう、慣れたもの。子馬程の巨体をふるりと震わせ、魔力で木製のテラスの埃を払うとゆったり、寝そべる。
「ハァ……キレイだねぇ」
「あはは、サーラはいっつもそう言うね」
「だって、ホントにキレイなんだもの。むしろこのキレイさをうまく表現できない自分の語彙力のなさが残念」
「サーラだってキレイだよ? リュカ、サーラだぁい好き」
「ありがと」
スリスリと大きな顔を擦り寄せて甘えてくる巨大ワンコ。めちゃくちゃ可愛い。胸の中がほわんと温かくなって、今日も今日とて、だらしなく頬が弛んだ。
人化姿が20代前半で安定したリュカだが、ワンコ姿は子馬サイズで安定している。手足の長いスラリとした体型で、相変わらず真っ直ぐサラフワな極上毛並み。もふもふのシッポはさらにその質量を増し、中でかくれんぼができそうだ。
「そういえば、リュカの抜け毛で何か編めないかなぁって思ってるんだけど……嫌?」
「ん? 嫌って?」
長毛種にしては抜け毛の少ないリュカだけれど、こうしてブラシで梳いていると多少は抜ける。換毛期がないし、これもまた種族特性なのか、毛が絡まることもないから、ホントに稀だが。
「リュカの毛ってすごいキレイだし、捨てるのもったいないから、赤ちゃんの頃からとってあるの知ってるでしょう? で、結構溜まったから、せっかくなら……って思ったんだけど、それってわたしで考えたら抜けた髪の毛をとってるようなもので……改めて考えると、リュカ、嫌なんじゃないかな、って……」
自分が普段何気なくゴミ箱に捨てる抜け毛を、誰かに保管されている。……そう考えたら、気持ち悪い。ペット愛も行き過ぎるとただの変態なんじゃなかろうか……そう気付いてしまうと我ながら凹んだが、それでも捨てるのは忍びなくて。結局、本人にお伺いを立てることにした。
とはいえ、これで「うん、嫌。めっちゃキモい。サーラ最低」とか言われたら即死する。緊張の一瞬だ。
「あはは、嫌じゃないよ? リュカ、愛されてるなぁって思うよ?」
だから、朗らかにそう返って来た時、サーラは思わず涙した。ウチの子、なんてイイ子に育って……マジ、天使。
「でも、どう使うの?」
大きなワンコをブラッシングしながらお喋りする、長閑な時間。横に座っているおかげで、サーラの涙は気づかれずに済んだようだ。
「サラサラ過ぎてフェルトとかにはできないから、編み物のアクセントに使ってみようかな、って。編み込んじゃう、って言うか、織り込んじゃうって言うか……」
「へー……サーラはホントに器用だよねぇ。もし出来上がったら見せてね? それで、できればサーラが持ってて」
まずは小さなコサージュとかを編む時に、毛糸と一緒に忍ばせてみようかと思っている。
「? イイけど」
でもお母さんもリュカの毛もらって研究してたし、欲しがるかもね──。
そう続けようとした言葉は、
「そうすれば、サーラが別のお仕事してる時とかも、リュカがそばにいるみたいでしょ?」
くるりと振り返った大きな頭の、濃い金色の瞳に射抜かれて喉に詰まった。
(うぐぅ……っなんたる破壊力!)
「ホントは、リュカもサーラの何かが欲しいって思うけど……あ、サーラの髪もすごくキレイだから、髪の毛、編み込んでくれる??」
自分が大切に想っているのと同じくらい、相手も自分を想ってくれている。なんて幸せなことだろう。
胸に込み上げるものを感じながら、サーラはなんとか平静を保って口を開いた。
「髪の毛はちょっと……。でも、何か考えてみるね」
「やったぁっ」
優しくて温かな、ワンコ。大好きな家族。
いつも以上に丁寧に丁寧にブラシをかけながら、サーラは嬉しくて、満たされて、でもちょっと苦しい、そんな想いを感じていた。