ワンコが番犬になるとは限りません。
バンッ! とドアが開くすごい音がした。続いて、荒々しく走る足音がして、
「神狼はどこだ!?」
整った顔に鬼気迫る形相を浮かべたレオが、キッチンに突撃して来た。
「神狼!! 魔力の塊!! 神の奇跡!!」
「……レオ兄、怖いよ」
彼が放浪から戻り、エレーヌと共に研究室に篭って2日が経っていた。初日、あまりにも薄汚れたひどい身なりで現れたレオをお風呂場経由で受け入れて、リュカには引き会わせないまま、研究室へと見送った。そこから案の定、引きこもって研究談議に花が咲いているのだろう2人に時折サンドイッチを差し入れつつ放置し……今に至る。
レオが何かの研究に行き詰まって、助言を求めて帰って来たのは明白だった。エレーヌを見慣れたサーラにはわかる。あれは、完璧に余所事に頭を持っていかれている顔だった。寝食を忘れて……というより、人間らしい生活を忘れて没頭している、そんな表情と、無頓着な身なり。
「どこだ!? オレの打開策!!」
「……リュカは大切な家族なので、そんな血走った目のヒトには会わせられません」
「サーラ!? おまえはこの研究の大切さがわからないのか!? 先生の娘なのに!?」
「研究よりリュカが大事です」
久々に再会しての会話が「身なりも整えずに『先生』に会うの!? お風呂に入らなきゃ会わせない!!」で、次の会話が今のこれ。懐かしさも何もあったもんじゃない。一応……根は優しいお兄さんだと覚えているから、こうして気後れせずに話せているが、まったく、研究者というヤツは……。
いや、うちの「研究者師弟」が問題なのか。
「リュカは魔力の塊じゃないし、物でもないの。レオ兄が打開策を探してるのはわかってるけど、そんな襲い掛かりそうな表情したヒトに会わせるわけないでしょ」
取り繕うこともしない、獲物を前にした狩人の表情。リュカの身体能力を考えれば掠り傷をつけることすら無理なのは知っているが、全くもってそういう問題じゃない。サーラの気持ちの問題だ。
(思ったのとは違うけど……結果的には良かったのかも)
レオ兄をびっくりさせたい──。
そんなサーラの出来心にも、優しいリュカは、のってくれた。
「リュカは別にイイよ? 何に悩んでるのか気になるし」
サーラにしか聞こえない伝達魔法でリュカが言う。もはやイヤーカフなど必要ない2人だが、なんとなく惰性で着けたままだ。
「……ちなみに、レオ兄はなんでリュカに会いたいの?」
実はリュカはここに居る。
ホントは単にレオを驚かせるための演出だった。けれど、このテンションの前では一時避難的な意味合いでも良かったと思う。
「オレの研究を完成させるために決まっているだろう! さぁ、素材を寄越せ!」
(……どこの追い剥ぎの台詞よ)
「何回も言うけど。リュカは物じゃありません」
「素材って、何が欲しいの?」
「物じゃない、最高の素材だ!! 爪か牙を削らせてくれ!」
「それ、痛い?」
「え!? リュカに痛いことする気!?」
「伸びた爪先を切るのなら痛くないだろう!? ってサーラ、おまえ変だぞ!? 腹話術か!?」
ごく自然に会話に紛れ込んだリュカに、レオが気付いて眉根を寄せた。いや、本当に気付いているのかは怪しいが。
「爪ねぇ……。レオ兄がリュカへの態度を改めるなら考える。一緒にリュカにお願いしてあげるよ。ホント、『素材』とかって失礼だからね? わたしの大事な弟なんだよ? レオ兄は昔、わたしのこと『妹』って言ったよね。だったらリュカはレオ兄の弟でもあるんだからね!?」
「弟? 魔獣だぞ?」
「神獣!! でもって家族!!」
「あー、わかったわかった。ごめんごめん」
(まったく誠意が感じられない!!)
リュカを知らない相手にわからせようというのが土台無理な話なのか。
あんなに可愛くて賢くて優美なリュカを素材扱い。これはもう、実物を目の前に突きつけて悔い改めてもらうしかないのかもしれない。……が、こんな危険人物に大切な家族を会わせて良いものか。
「……リュカ、どうする?」
「んー、サーラが嫌じゃないなら出るよ。リュカ強いし」
笑いを含んだ声が可愛い。
「リュカが強いのは知ってるけど……わたしが心配性なのも知ってるでしょ?」
「あはは、知ってる」
「……サーラ。おまえ、大丈夫か? 籠りがちな先生と2人でずっと森の奥に閉じこもってるから…………なんか、悪かったな。神狼はおまえにとっては家族なんだな? わかった、その気持ちを尊重する」
なんだか、可哀想なものを見る目を向けられている。レオが気付いていないだけで、サーラはごく普通に、リュカと会話しているだけなのだが。
(……レオ兄、なんか急に落ち着いた?)
温度差を不思議に思いつつ、サーラはもぞもぞと動くポケットに手を差し入れた。
「どうせいつかは紹介するんだもん。落ち着いたみたいだし、今ならイイかも」
ふかりと温かなものが指先に触れ、手のひらに乗る。落とさないように軽く指を折り曲げて、
「出すね?」
「うん」
ポケットから出した手をそっとレオに向けて差し出した。
「……なんだ。ぬいぐるみか……」
モノクルをカチャリと合わせて覗き込んだレオが、あからさまに肩を落とす。失敬な。
「こんにちは」
「? あ、あぁ……」
「言っておくけど、わたしの腹話術じゃないからね?」
リュカの礼儀正しい挨拶を怪訝そうに見た失礼極まりないレオに苦言を呈せば、なぜか、さらに気の毒そうな目を向けられる。当初の、「びっくりさせたい」という計画はわりと順調に進んでいる雰囲気なのに、サーラは何かが解せない気持ちになった。
「あなたがレオ? サーラの『お兄ちゃん』?」
柔らかな手のひらの上で、お利口さんにお座りするのは小さなリュカ。ぬいぐるみよりも、出会った時よりもまだ小さい。ポケットに入る極小サイズだ。御伽噺の妖精みたいですっっっごく可愛い。
「どこかに隠れていて、驚かせよう」そう提案したのはサーラだった。けれど、隠れる先を考えていて……「小さくなればイイんじゃない?」と衝撃的な発想をしたのはリュカ本人だ。「やっぱり魔力って何でもできるんじゃない……」とはその時のサーラの心中で、たまたまそれを目撃したエレーヌは「これだから『神』って……」と謎の呟きを残し去って行った。
「そうだが……」
まだ納得できないのか、レオはリュカとサーラの口元を見比べている。
「あはは、信じてないでしょ。元に戻るね?」
ふさりとシッポを振った小さなワンコが、ピョーンと跳んだ。
サーラの手から飛び出した瞬間から、リュカの体はどんどん膨らみ……
「は!?」
「これなら信じてくれるかな」
いつもの、子馬サイズに戻る。
(ちっちゃいと可愛い。大っきいとキレイ。どっちもイイよね……ハァ、大きさ変えられるとか、リュカ天才!)
「ぇ……え……ひっ」
突然大きくなった、人間の言葉を話す巨狼。目を見開いたまま数秒固まっていたレオは、ストンと腰を抜かすと、
「ちょ……ごめ……え、何!?」
縋るようにサーラを見上げた。
(……あれ? やり過ぎた……??)
「リュカだよ。よろしくね?」
お座りして小首を傾げながらのご挨拶、超可愛い。なんてイイ子。大きくてもやっぱり可愛い。キレイで可愛い、ウチの天使。
「は……ひ」
ぬいぐるみか何かだと思っていたワンコが突然普通の犬よりも巨大になって、しかもお喋りを始めたら……当たり前にびっくりする。サーラだって、そのくらいわかっていた。そもそもびっくりさせたくて仕組んだことだ。
でも、意地悪でレオをびっくりさせるわけじゃない。こんな可愛いワンコが現れるのだ、大喜びさせるための伏線であり、ちょっとインパクトのある初対面の演出手段。だってふわもふな銀色の毛がめちゃくちゃキレイで、おちゃめで、優しくて、存在自体が奇跡なリュカを紹介するのに、普通にしたらもったいない。
「……あ。……もしかしてレオ兄、ワンコ苦手だった……? だったらごめんね?」
だからレオの反応を見るまで、サーラは失念していた。世の中には、犬や狼の類を怖がるヒトがいるのだ、と。更に言えば、こんな大きなワンコを見た事のあるヒトは、我が家の人間を除いていないのだ、と。更に更に、ワンコ好きだろうが誰だろうが、自分の理解の範疇を超えることが起これば大抵は恐怖を覚えるのだ、と。
「あ、そうなの? ごめんね、レオ?」
「……いや……うん……まぁ……?」
別にレオは生き物全般、苦手ではない。ただ……まぁ、正直、あれこれ驚くことが多過ぎて……あれこれ吹っ飛ばされた。
後に残った感情は本能的な恐怖。だって、すぐ目の前にある大きな口に並ぶ大きな牙は、今この瞬間にもレオの命を奪ってしまえる。
「えっと……」
「あ、爪が欲しいんだっけ? サーラ、爪切りあったよね」
「あるけど、その姿で使える?」
すっかり気を呑まれた様子のレオを後目に、リュカとサーラはいつものペースで会話を続ける。
もしレオがワンコ嫌いなのなら、いつまでも絡むのも申し訳ない。要望はわかったのだからお詫びも兼ねてさっさと爪を渡してあげよう。そんな空気だ。
「そっか。あ、ちっちゃくなれるようになったから、また犬用も使えるね」
さすがに子馬サイズのワンコの爪は犬用では切れない。最近は人化して人間用の爪切りを使うか、不精して魔法で切るかのどっちかだった。風魔法は簡単でイイのだけれど、爪のような数の多いものを細かく仕上げるには多少のコツが必要になる。
「あぁそっか! ふふ、リュカは賢いねぇ。……でも、この間切ったばっかりだし、ちょっと切るだけなら人間用にしたら?」
「ん、そうだね。レオが動物嫌いなら悪いし、着替えて来ようかな、ちょっと待っててね」
タッと自室へ駆けて行くリュカを見送り、サーラはレオにイスを勧めた。
「せっかくだから、お茶とクッキーくらいどう?」
「……あぁ…………」
相変わらず微妙な表情なのは、やはりワンコが怖いせいだろうか。そんなことを思いつつ、手早く茶器を用意する。
「なぁ……サーラ……」
「ん?」
「……神狼って……何?」
「はい?」
ちょっとショックを与え過ぎたのだろうか。あまりにも基本的なことを真顔で訊かれ、今度はサーラが不安になった。
(レオ兄……大丈夫かな……)
まぁ、「何?」と訊かれても、答えはさっきと変わらない。
「神狼は神の御使いでしょ? でもって、リュカは家族」
種族として訊かれたのか、リュカ個人として訊かれたのかは曖昧だが、どちらにしても他に答えようがなかった。
「ただいまぁ」
「あ、リュカ早かったね」
「うん。服着るだけだもん、すっかり慣れたよ」
「……は???」
クッキーとハーブティーが並ぶより先に、トントンと軽い音を立ててリュカが2階から降りてきた。今度は髪をサラリと流した人型だ。
「ね、レオ、これなら怖くないよね?」
「は? ……ぇ、どちらさま……?」
「あはは、リュカだよ。ねぇ、サーラ」
にこやかに同意を求められ、「うん」と頷く。
(あ、でも)
「わたしも最初はびっくりしたよ、文献で読んでても、実際、人化するとは思わなかったもん」
今でこそ当たり前だが、思い返してみればサーラだって驚いた。だから、レオの衝撃には共感できる。
「じんか……」
「お母さんも人化は初めて見たって」
手伝うよ、と台所に立つリュカと一緒に用意を済ませ、お茶とクッキー、それから作り置きのケークサレも並べた。
「爪だったよね。一本でイイの?」
「あ、あぁ……」
「はい、じゃあこれ」
パチン、と爪切りで切った小さな爪先。それを机の上に置き、
「どう使うのか聞いてもいい? 神狼の爪か牙を使う前提で組んだ魔法なの?」
リュカは好奇心丸出しで問いかける。
「いや……まさかこんな貴重なものが手に入るとは思ってもいなかった。魔力許容量の大きな素材を探していて……」
自分より少し若い男性の姿で現れたリュカに戸惑いを隠せないまま、レオは慎重に指を伸ばして爪を摘んだ。しみじみと見たあと、「ありがとう」と呟いて懐から出した紙に丁寧に挟み込む。
「端的に言えば、記憶を映し取る魔道具の材料にする」
専門分野だからか、戸惑いつつもレオの口は滑らかだった。
「一般化することを考えているわけではなく、我々研究者の研究を補佐するための道具を作りたい。閃いたはずのアイディアが思い出せないとか、どの文献で見た記述が必要なのか思い出せないなんて時に使う」
「あ、良かった。じゃあ、リュカの爪、なくなっちゃわないね」
レオならではの着眼点に感心していたサーラは、リュカの言葉に、
(そっか! リュカの爪を材料に作るんだから、複製する時だって必要になるし……え、ホントに素材としてしか見てないじゃんっ!)
危うくリュカの爪二十本が剥ぎ取られるところだったと気付かされた。我ながらがっかりだ。リュカを守らなきゃと思っているのに警戒心が全然足りない、
「試作が成功して、もし先生も欲しいと言った時はもう1回だけ貰えないか?」
「先生ってエレーヌ? うん、わかった。イイよ」
「恩に着る」
さすがリュカ。
打ち解けるには少し時間がかかりそうだが、相性は悪くはなさそうだ。
「恩はイイからさ、レオ、むかしの話しして? ちっちゃいサーラはどんな子だったの?」
「へ!?」
「サーラか。甘えん坊だったな。確か……」
まさかの暴露大会の気配。レオの語る幼いサーラは、甘ったれで口達者な女の子だ。
「可愛かったろうなぁ」
「それはまぁ」
「ちょ……なんの辱め!?」
サーラの制止も聞かず話し続ける男二人。仲良くなれたのか、たまたまなのか……。
「ねぇ、レオはサーラのこと大好きなの?」
いい加減にサーラが茹で上がった頃、ふとリュカがそう訊いた。
「まぁ大切な妹だと思ってる」
「ふーん。じゃあエレーヌは?」
「先生には魔法の可能性を教えもらった。尊敬しているし、ライバルでもあるな」
(あ、もしかしてリュカ、順位付けしようとしてる……?)
イヌ科の動物は群れ社会の中で階級制度のように立ち位置を決めたがるもの、そう本に書かれていた。もしやリュカも……?
「へー。わかった」
(ん?)
やけにあっさりしている。
「リュカは、エレーヌも好きだけど、サーラが大大大好きなんだぁ」
「ありがと。わたしもリュカ大大大好きよ?」
「……そうか。おまえ達、そういう関係か」
「うん」
「え、何それどういう意味? あ、レオ兄ももちろん好きだから安心してね?」
「サーラは可愛いねぇ」
「どうしたのリュカ、急に。リュカも可愛くてカッコよくてキレイよ?」
「あはは、ありがと」
こちらを見ながらにっこり笑うリュカに曖昧な笑みを返しつつ、サーラは「今日のリュカ日記には書くことがたくさんあるな」と考えた。
次からは二部になります
ストックが少ないため、すみませんが更新はしばらく空きます
二部の溜まり次第アップしたいと思います




