71:ホットワインの香り
吹く風が冷たくなってきたこの頃。シムヌテイ骨董店ではだるまストーブを出し、店内を暖めていた。今年は随分と寒くなるのが早い。冷えた体を温めるように、真利はホットワインをゆっくりと飲んでいる。だるまストーブの上には、鍋とおたま。鍋の中には真っ赤なワインが注がれ、輪切りのオレンジとリンゴが沈んでいる。立っている香りからは、シナモンとジンジャーも感じられた。
「ふむ、今回はリンゴも入れてみたけど、結構良いかも」
ホットワインをゆったりと愉しんでいると、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
そう声を掛けると、入ってきたのは頭をつるりとそり上げ、ダウンコートを着ている男性だった。
「よっす、真利さんお久しぶり」
「悟さんもお久しぶりです。
今日は、シオンさんと美春さんはどうしたのですか?」
不思議そうに真利が訊ねると、悟は、とわ骨董店と隣り合っている方の壁を親指で指して答える。
「ああ、今、林檎さんの所行って話してる。
林檎さんがどら焼き有るって言ったら、美春が食べたがっちゃって」
「おや、そうなのですね」
微笑ましい話に、思わずくすりとしてしまう。
「それだと、今こちらにスコーンが有ると言うのは、美春さんに言わない方が良いですね。
あまりお菓子ばかり食べ過ぎてしまうと、ごはんが食べられなくなってしまいますし」
「そうなんだよな。やっぱ、お菓子ばっかじゃなくてちゃんとごはん食べて欲しいし」
そのやりとりをして居る間にも、真利はレジカウンターの裏から木製の折りたたみ椅子を出して広げている。
「悟さん、こちらにどうぞ」
「おっ、それじゃあありがたく」
悟が椅子に座ると、今度はレジカウンターの裏にある棚から、グリフィンが描かれたカップを取りだして訊ねる。
「ホットワインも、如何ですか?」
「いいですか? それじゃあいただこうかな」
カップにホットワインをそっと注ぎ、悟に渡す。真利もレジカウンターに置いていた自分のカップを手に持って、椅子に座った。
「最近、美春さんはどうですか?」
そう訊ねる真利に、悟は嬉しそうに答える。
「いやぁ、偶に風邪ひいたりとかはしてますけど、元気ですよ。
幼稚園でも楽しくやってるみたいで、毎日何が有ったとか、一生懸命聞かせてくれてね」
「おや、それはそれは。お元気そうで何よりです」
しばらくふたりでホットワインを飲みながら、美春の話と、いつも美春の面倒を見ているシオンの話をした。それはとても暖かい時間で、悟も家族のことを大切にしているのだというのが、よく伝わってきた。
ふと、悟がこう言った。
「そう言えば、美春が、王子様に会うんだって今日は張り切ってましたよ」
「王子様ですか? 今日はこちら以外に、何処かへ行かれたとか、これから行かれるとかでしょうか?」
子どもらしいことを言う物だなと思って真利がにこりと笑うと、悟は笑いを堪えながら真利に言う。
「いや、このお店に行くって言ったら、そこに王子様が居るんだよねって、美春が」
「そうなのですか?」
思わず真利がきょとんとしていると、悟は遂に堪えきれなくなったようで、噴きだして言う。
「真利さん、ほんと鈍いなぁ。美春が言ってる王子様って、真利さんの事だって」
「えっ? そうなんですか?」
突然の事に驚いていると、悟が言葉を続けた。
「美味しいお茶をくれる、王子様なんだってさ」
「ああ、あのお茶が余程お気に召したのですね。光栄なことです」
ようやく真利も合点がいき、くすくすと笑う。自分が王子様だなんて、そう言われると少しこそばゆい感じもするけれど。
どうやら美春は、大きくなったら王子様のお嫁さんになると言っているそうなのだが、悟は冗談交じりに、美春はやらないからな。と言っている。勿論、真利もそのつもりは無いのでどうしたものか。と笑う。
ふたりで話していたら、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
入って来たのは、紫の巻き毛を緩く三つ編みにしている女性と、フワフワの髪の毛をふたつに結った女の子。
「シオンさんも美春さんも、お久しぶりですね。今倚子をお出ししますので少々お待ちください」
真利がそう言って立ち上がると、美春が足下に駆け寄ってきた。
「きょうもおいしいのくれる?」
その問いに、真利はにこりと笑って返す。
「もちろんですとも。美味しいお茶をご用意します。
では、お姫様はこちらにお掛けください」
真利の言葉に、美春は楽しみと言った顔で、普段は真利が使っている倚子に腰掛けた。バックヤードへと入っていった真利は、美春とシオンからどんな話が聞けるかと、楽しみにしたのだった。




