29:メロディに乗って
ゴールデンウィークも過ぎ、少し汗ばむ気候になったある日。その日は曇りがちで、薄い雲が空を蔽っていた。
いつものように店を開け、指定席に腰掛けてお茶を飲む。暖かいお茶を飲みながら、そろそろ冷たいお茶を用意しても良いかなと、ぼんやりと考える。
カップの中のお茶が無くなった頃合いに、店の扉が開いた。
「いらっしゃいませ」
そう挨拶をして見てみると、入ってきたのは、白に近い銀髪を顎のラインで切りそろえている、背の高い男性。手には、紙袋を持っていた。
「真利さん、お久しぶりです」
にこりと笑って言う彼に、真利も笑みを返す。
「水金さんも、お久しぶりです。
どうぞ、ごゆっくりなさってくださいね」
「はい、じっくり見させていただきます」
軽く挨拶をした後、水金がゆっくりと店内を見て回る。初めて来たときはタイプライターを、前回来たときは星座早見盤を見ていたけれども、今回はどんな物に興味を持つだろうか。
真利がお茶を飲みながら様子を見ていると、今回は古書を見ているようだった。
「真利さん」
「はい、なんでしょうか」
赤い表紙にフレームの柄とタイトルが押された本を見ながら、水金が声を掛けた。真利も返事を返した。
「演劇に関する物って、何かありますか?」
「演劇に関する物ですか……」
水金は確か、演劇関係の仕事をしていたはずだ。まさか本職からその様なことを訊かれるとは思っていなかったので、少し悩む。
そうしていると、水金も悩んだ様子で、言葉を続ける。
「実は、大学の時の後輩が今月誕生日なんです。それで、何かプレゼントを渡したいのですけど」
それを聞いて、真利はなるほどと思う。折角なら、自分が詳しい分野からなにかプレゼントした方が、興味の幅が広がるだろうというのは想像に難くないからだ。
「そう言う事なのですね。
演劇と言いますか、オペラに関する物ならございます」
それを聞いて、水金は嬉しそうな顔をする。
「そうなんですか? それだと、なお良いです。相手の方が、音楽好きなので」
「音楽好きの方ですか。少々お待ちください」
そう言って、真利は棚の上を眺める。目を留めたのは、小さな楕円形のケースだ。それを手に取り、蓋を開けて水金に見せる。
「こちら、オペラグラスになります。
もしコンサートに行かれるような方でしたら、状態が良いので実用品としてもご利用いただけます」
そう言ってケースの中から出したオペラグラスは、黒と真鍮色の、飾り気の無い、極シンプルな物だ。
「よく見てみても良いですか?」
「勿論でございます。どうぞ」
水金にオペラグラスを渡すと、レンズを覗き込んだり、周りをじっくりと見たりと、状態を見ているようだった。それから、もう一度レンズを覗き込んでから言う。
「本当に見えるんですね。これにします」
真利にオペラグラスを渡し、にこりと笑う。
真利はオペラグラスを丁寧にケースに戻し、訊ねる。
「かしこまりました。ラッピングはどうなさいますか?」
「シンプルな感じでお願いします。余り派手なのは、好きな子じゃ無いから」
「はい。では、その様にいたします」
まずは会計を済ませ、木で出来た折りたたみ椅子を出して水金に勧める。腰掛けて貰ってから、真利はラッピングに取りかかった。
レジカウンターの引き出しの中からクラフト紙で出来た組み立て式の箱を出し、立体にする。それから、中に生成りのペーパークッションを詰める。そのうえにそっとオペラグラスの入ったケースを置き、箱の蓋を閉める。蓋の口には、『C』の文字が入った封蝋風のシールを貼った。箱が一段落付いたら、引き出しの中からクリスタルパックを取りだし、その中に箱を入れる。長く余った袋の口を蛇腹に折り、紙紐で根元をきつく縛る。その上から、鍵の絵がすられたペーペータグを括り付けた。
「お待たせ致しました。こちらがお品物になります」
そう言って水金に差し出すと、彼は嬉しそうに受け取る。
「ありがとうございます。
あ、そう言えば」
「どうなさいました?」
思い出したように水金が持っていた紙袋を真利に見せ、中身を取り出した。
「真利さんと林檎さんに、差し入れを持って来たんです。良かったらどうぞ」
「おや、ありがとうございます。
これから林檎さんも呼んできて、一緒にお茶でも如何ですか?」
「そうですね、真利さんと林檎さんのご都合がよろしければ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
くすくすと笑って、真利は受け取った物をレジカウンターに置き、一旦シムヌテイ骨董店から出る。
「林檎さん、水金さんが差し入れを持って来てくれましたよ」
とわ骨董店の扉を開けて声を掛けると、中から嬉しそうな返事が返ってきた。




