23:針を持つ手
陽の出ている昼間でも肌寒くなってきたある日のこと、真利はそろそろだるまストーブの準備でもしようかと、そんな事を考えていた。
「昼間は良いんですけど、陽が落ちてから冷えるんだよなぁ……でも、灯油屋さんはまだ来ないし」
灯油屋が来ないと言っても、だるまストーブを置くためには煙突も付けなくてはいけない。その作業のことを考えると、早めに出しても良いような気がするのだ。
流石に営業時間中に煙突を組み立てる作業は出来ないので、今度の定休日にだるまストーブを出そうと、そう心に決める。
いつも通りのティーポット、いつも通りのマグカップ、いつも通りの指定席。いつも通りに穏やかに流れる時間に、お茶を飲みながら身をゆだねる。ふと、マグカップに口を付けて気がついた。紅茶が冷めてしまっている。ポットの中はどうかと思ったけれども、もう空だ。
次はどのお茶を飲もう。頭の中に色々な茶葉を思い浮かべる。ウバ、アールグレイ、東方美人、鳳眼茉莉花、どれも薫り高いお茶だ。暫く考えて、思い出す。
「そうだ、あれを淹れてみよう」
そう呟いて、倚子から立ち上がる。レジカウンターの裏にある棚から出したのは、耐熱のワイングラス。その中に、小袋から出した一塊の茶葉を入れる。そしてグラスの中に、湯沸かしポットから直接お湯を注いだ。
指定席に座り、レジカウンターの上に置いたグラスをぢっとみつめる。お湯に浸かった茶葉の塊からぷつりぷつりと細かい気泡が浮き、徐々に開いてくる。茶葉がすっかり開ききると、中から色鮮やかな花が姿を見せた。
「ふふふ、今回のもきれいですねぇ」
まるで水中花のような姿を見せるそのお茶は、工芸茶と言われる物で、こうやって透明の器に入れて見た目も楽しめる物だ。
グラスの中のお茶を撹拌するように少し揺らし、そっと口を付ける。華やかな甘い香りと、少しの渋みが口の中に広がった。
湯気が立ち縁が曇るグラスを、時折眺めながらゆっくりとお茶を飲む。暖房だけでは暖まりきらなかった体が、少しずつ温まってきた。
グラスのお茶が半分ほど減った頃、入り口のドアが開いた。真利はグラスをレジカウンターに置き、挨拶をする。
「いらっしゃいませ」
入ってきたのは、暖かそうなセーターを着た小柄な男性だった。顔つきも、比較的童顔なのだろう。けれどもその目からはどことなく冷ややかさを感じた。
……もしかして、冷やかしでしょうか……
どんな店にも冷やかしは付きものだし、初めは冷やかしで入っても、その後何度も訪れるようになると言うお客さんももちろん居る。けれども、彼からはなんとなく張り詰めた空気が感じられて、思わず萎縮してしまう。
真利が緊張して居ると、彼がぼそりと呟いた。
「お邪魔します……あなたは、店長さんですか……?」
その声は小さく、きっとなにか音楽を掛けていたら聴き取れなかっただろう。何とか聞き取れたので、真利はにこりと笑って答える。
「はい、そうです。
この店の店員は、僕ひとりなんです」
「……なるほど」
品定めをするような目で、彼が見る。一体どんなことを言い出すのだろうか。もし万が一、クレームを付けたいだけの相手であったのなら、それなりの対応をしなくてはいけない。
真利が笑顔を浮かべながら内心警戒していると、先程の小さい声からは想像できない、はっきりとした声が聞こえた。
「物語のある品物を探しています」
その言葉に、一瞬驚いた。けれどもそれを表に出すこと無く、倚子から立ち上がって訊ね返す。
「物語のある品物ですか。
沢山有りますけれど、特にこう言った物を。というご希望はありますか?」
すると彼は、考えるように一旦目を閉じてから、眉尻を下げて真利を見た。その目には、先程のような冷ややかさは無かった。
「実は……プレゼント用に欲しいのですけれど……こう言ったお店は初めてで……」
「プレゼントでございますか。お相手は、どの様な方で?」
「……女性で、物語を書くのが好きな人です……少し、夢見がちな……」
「なるほど、かしこまりました」
男性の要望を聞いて、真利は棚の引き出しを開ける。中から出したのは、細かいガラスで模様が描かれた銀の小物入れと、細かい目の刺繍が施されたコンパクトだ。
「まずはこちらをご覧下さい。
こちらの小物入れは、ローマンモザイクと呼ばれる技法を使われた物です。ケースの部分は銀製で、貴族の方、もしくは富豪が使っていた物でしょう」
「……なるほど。そちらは?」
「こちらは、ゴブラン刺繍のコンパクトでございます。金具こそ鉄製ではありますが、底面部分は鼈甲を使用しております。
ご覧になるとおわかりになると思いますが、刺繍の面がへこんでいますでしょう。
きっとこのコンパクトは、貴族の婦女子の方の物であったのだろうと思います。それがこの様にへこんで居るだなんて、悲劇があったのか、それとも喜劇があったのか、気にはなりませんか?」
真利のお勧めふたつを見て、男性が興味深そうにしている。
「……そちらのコンパクトを手に取って拝見しても、良いですか?」
「もちろんです。どうぞご覧下さい」
コンパクトを彼に渡すと、蓋を開いたり、底面を見たり、念入りに目を入れている。
「鼈甲が……縮んでますね……」
「そうですね。どの様な要因かはわかりませんが」
「……あのお店で直してくれるかな……」
どこかこう言った物を修理している店に心当たりが有るのだろうか。真利としてはこの歪みもアンティークとしての味なのでそのままの方が良いと思うのだが、実用品として使うのであれば、修理した方が良いとも思う。どうするかはこのコンパクトの持ち主次第だ。
底面の鼈甲の様子を見た後、彼は表面の刺繍をぢっと見ている。そっと表面を指で撫で、ぽつりと言う。
「随分とカウント数の多い刺繍だ……糸も余り痛んでない……」
彼の呟きを聞いて、真利はしまったと思う。この言動からすると、彼は刺繍や服飾の専門職だろう。専門家に素人が迂闊に物を勧めて、良い結果になる事は滅多に無い。
笑顔を浮かべたまま背中がじっとりとしてくるのを感じていると、彼がにこりと笑ってこう言った。
「これは……良い物です……
こちらをいただきます……」
思っていたよりも良い反応に、一瞬ぽかんとする。けれども驚いてばかりは居られない、男性からコンパクトを受け取って訊ねる。
「ありがとうございます。
プレゼント用のラッピングは如何なさいますか?」
「お願いします……出来れば、余り派手で無い物で……」
「かしこまりました。先にお会計を失礼します」
彼をレジカウンターまで通し、会計を済ませる。それから、木製の折りたたみ椅子を出して男性に勧めた。
「ラッピングに少々お時間いただきますので、こちらにお掛け下さい」
「はい……ありがとうございます」
レジカウンターの引き出しからクラフト紙の組み立て式小箱を取りだし、立体にする。その中に生成りのペーパークッションを詰め、そっとコンパクトを乗せ、蓋を閉める。蓋の口の部分には一カ所、『C』の文字が入った封蝋風のシールを貼った。その箱を、同じく引き出しの中から出したクリスタルパックに入れ、長く余った口の部分を蛇腹に折り、紙紐できつく縛り固結びにする。そこに鍵の絵が刷られたペーパータグを針金で括り付け、完成だ。
「お待たせ致しました」
そう言って男性に渡すと、彼は満足そうに笑う。
「ありがとうございます……また、機会があったらお伺いしますね……」
「はい、お待ちしております」
彼はゆっくりと入り口に向かい、静かに出ていく。それを見送って、真利はようやく落ち着くことが出来た。
接客でここまで緊張したのは久しぶりだ。もう喉がカラカラで、飲み物が欲しい。レジカウンターの上にずっと置いてあった工芸茶に気づき、口を付ける。
先程暖かい物をと思って淹れたのに、すっかり冷えてしまっていた。
「僕もまだまだ、未熟者ですね」
指定席に座って、冷えたお茶を飲んで、何とか一息つけたのだった。




