信仰は補助魔法に含まれますか
ガレオン・アルスティアが訓練場に姿を現すと,空気が一段階引き締まる。
それは威圧でも恐怖でもなく,「あ,始まった」という諦観に近い感覚だった。
騎士団の中でも,彼の隊は特別だ。
訓練の強度,要求される判断速度,魔力量の消費量,すべてが一段上。
結果として,彼の周囲には自然と人が寄りつかなくなった。
その半径三歩に,今日もリリーはいた。
「おはようございます,ガレオン様。
本日の立ち姿も,歴史書に刻む価値があります」
「朝一番でそれを言うな」
ガレオンは深く息を吐き,リリーの頭を視界の端で確認する。
ちゃんとヘアピンは留まっているか。
術式ノートは持ったか。
転びそうな靴を履いていないか。
(……妹だ。妹だと思え)
自分に言い聞かせるのが,最近では日課になっていた。
その日,ガレオン隊には新人騎士が二名配属された。
まだ十代後半の少年と,二十歳そこそこの女性騎士。
二人とも,緊張で背筋が板のように固まっている。
「……ここが,最強騎士の隊……」
「噂,全部本当だったらどうする?」
ひそひそ声は,残念ながらガレオンにもリリーにも丸聞こえだった。
「大丈夫ですよ」
リリーが柔らかく声をかける。
「ガレオン様は,とても優しいです」
二人は,揃って硬直した。
「……優しい?」
「はい。昨日も,私が段差で躓きそうになったとき,
何も言わずに半歩だけ位置を変えてくださいました」
「それは……」
新人二人は,ガレオンを見る。
ガレオンは視線を逸らした。
「……偶然だ」
「偶然です」
リリーはにこにこしている。
「神意ですね」
「神を絡めるな」
訓練が始まる。
模擬魔獣を使った集団戦。
新人にとっては,基礎の確認のはずだった。
だが,開始三分で異変が起きた。
「は,速……っ!」
少年騎士の声が裏返る。
ガレオンの一歩が,常識の範囲を超えている。
攻撃が来る前に終わっている。
防御を考える前に,次の展開に入っている。
「ついていけない……!」
女性騎士が歯を食いしばる。
魔力強化を最大まで上げても,視界が追いつかない。
その瞬間,リリーが静かに息を吸った。
「術式一七番,焦点補正.
術式三六番,予測線の簡易展開.
術式五四番,呼吸同期.」
空気が変わる。
新人二人の視界に,うっすらと「次」が見え始める。
「……あれ?」
少年が驚いた声を出す。
「動きが……読める?」
「読めていません」
リリーは真顔だ。
「追いつけているだけです」
「それが異常なんです!」
騎士団の古参たちが,ざわついた。
「あの補助……」
「新人二人に同時に?」
「しかも,ガレオンの速度に合わせて?」
ガレオンは,剣を振るいながら,舌打ちした。
「……リリー」
「はい」
「今日は,抑えろと言ったはずだ」
「抑えています」
きっぱりと言い切る。
「神域には届いていません」
「基準がおかしい」
訓練は,予想外にスムーズに終わった。
新人二人は,倒れ込む寸前ながら,目を輝かせていた。
「すごかった……」
「最初は無理だと思ったのに……」
二人は揃って,リリーに頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「あなたの補助がなかったら……!」
「え?」
リリーは完全に虚を突かれた顔をする。
「私ですか?」
「他に誰がいるんですか!」
周囲から,笑いとどよめきが起こる。
ガレオンだけが,複雑な表情で腕を組んだ。
「……自覚がないのが,一番厄介だ」
休憩時間。
新人二人が去ったあと,ガレオンはリリーを呼び止めた。
「リリー」
「はい,ガレオン様」
「……あまり,他の隊員にまで補助を広げるな」
「なぜですか」
「……勘違いされる」
「勘違い?」
「お前が……その……」
言葉が詰まる。
自分でも,何を言いたいのか分からない。
リリーは少し考えてから,ぱっと笑った。
「大丈夫です」
「私は,ガレオン様専用ですから」
ガレオンの思考が,一瞬停止した。
「……専用?」
「はい。信仰対象は一柱と決めています」
「その言い方をやめろ!」
訓練場に,笑いが広がる。
誰もが気づいていた。
最強騎士が,年下の補助魔法士に完全に振り回されていることを。
夕方。
リリーは,いつものように術式ノートを広げていた。
(今日の負荷分散,もう少し精度を上げたいですね)
(ガレオン様の踏み込み角度,昨日より二度深かったですし)
本人は知らない。
そのノートの中身が,すでに国家級であることを。
その背後で,ガレオンは立ち止まり,言葉を探していた。
(……妹だ)
(妹みたいなものだ)
そう思い込もうとするたび,
彼女が自分を見上げる瞳の真っ直ぐさに,胸がざわつく。
「……リリー」
「はい」
「明日も,来るな」
「来ます」
「来るな」
「信仰は,日々の積み重ねです」
ガレオンは,敗北を悟った。
こうして今日も,
王都最強の騎士は,
自覚ゼロの信徒に完璧に支えられながら,
少しずつ,逃げ道を失っていくのだった。




