不在の時間
ガレオン・アルスティアが王都へ戻ったのは,夜明け前だった.
南方境界での調停は,ひとまずの成功を収めている.
剣を抜くことなく終わった.
団長としては,最善の結果だ.
それでも,胸の奥に残るものがあった.
理由は,分からない.
ただ,王都の空気が,わずかに違う.
(……何だ)
騎士団本部に戻ると,副団長が迎えた.
報告は簡潔で,的確だった.
「問題は起きていない」
「結界も,巡回も,想定通りだ」
「……そうか」
それなら,安心するはずだった.
だが,胸の違和感は消えない.
「リリーは」
副団長が,一瞬だけ言葉を選ぶ.
それを,ガレオンは見逃さなかった.
「……現場を,よく回していた」
「判断も,的確だった」
それは,褒め言葉だ.
だが,同時に,
自分がいなくても成立していた
という意味でもある.
「……そうか」
それ以上,聞かなかった.
聞けば,踏み込むことになる.
今は,まだ踏み込めない.
その日の午後,
ガレオンは学舎を訪れた.
理由は特にない.
ただ,足が向いた.
中庭で,
リリーとセシリオが話しているのが見えた.
二人は,並んで歩いている.
距離は近いが,触れてはいない.
だが――
空気が,近い.
セシリオが何か言い,
リリーが小さく笑う.
あの笑い方を,
ガレオンは知っている.
安心しているときのものだ.
(……ああ)
そこで,はっきり理解した.
自分がいない間に,
共有された時間がある.
それも,軽くはない.
ガレオンは,歩みを止めなかった.
逃げるつもりはない.
ただ,今の距離を測りたかった.
「リリー」
呼ぶと,
二人が同時に振り向いた.
その反応が,胸に刺さる.
「団長!」
リリーが駆け寄る.
その速さに,
少しだけ安堵する.
「お帰りなさい」
「ああ」
短く答える.
いつものやり取りだ.
だが,どこか噛み合わない.
「無事で何よりです」
セシリオが,軽く頭を下げる.
「王都は,問題ありませんでした」
その言い方が,
“管理側の報告”に近いことに気づく.
以前よりも,
一歩,内側にいる声だ.
「……世話になったようだな」
「ええ」
セシリオは,あっさり頷く.
「彼女には,助けられました」
“彼女”と呼ぶ.
だが,距離を感じさせない.
それが,妙に引っかかる.
「私は……」
リリーが,言いかけて止まる.
言葉を探している.
以前なら,
ここで迷わなかったはずだ.
「現場は」
ガレオンが先に言う.
「問題なかったと聞いている」
「はい」
リリーは頷く.
「皆さんが,
とても協力的でした」
“皆さん”.
そこに,
自分が含まれていない気がして,
胸が,わずかに軋む.
「団長がいなくても」
セシリオが,
冗談めかして言う.
「王都は回っていましたよ」
軽い言い方だ.
だが,ガレオンには重い.
「……そうか」
沈黙が落ちる.
三人分の距離が,
一瞬で浮き彫りになる.
リリーは,
その沈黙に,居心地の悪さを覚えた.
だが,
どう埋めればいいのか,分からない.
(私)
どこに立っているのだろう.
「団長」
リリーは,勇気を出して言う.
「後で,
ご報告したいことがあります」
「ああ」
それだけで,
少しだけ,空気が戻る.
だが,完全ではない.
セシリオは,
それを見て,軽く肩をすくめた.
「では,
私はこれで」
引き際が,見事だった.
一歩引くことで,
存在感を残す.
彼が去ったあと,
二人きりになる.
「……変わったな」
ガレオンが,ぽつりと言う.
「え?」
「空気が,だ」
責める調子ではない.
確認でもない.
ただの事実の提示だ.
リリーは,すぐには答えられなかった.
変わった.
それは,否定できない.
「……少しだけ」
正直に答える.
「何が」
問いは短い.
だが,重い.
「考え方が」
「団長がいない間に,
自分で判断する場面が,増えました」
ガレオンは,それを聞いて,
目を伏せた.
(そうか)
自分が守ってきたのは,
彼女だけではなかった.
彼女の“未完成さ”も,
守っていたのかもしれない.
「……悪くはないな」
絞り出すように言う.
リリーは,少し驚いた顔をして,
そして,微笑んだ.
「はい」
その笑顔に,
安堵と,
わずかな寂しさが,
同時に湧く.
ガレオンは,悟る.
不在だった時間は,
埋められない.
だが,
向き合うことはできる.
そして,
自分が最強で居続けなければならない理由が,
また一つ,形を変えたことを.
守るためではない.
並ぶためだ.
それに気づいたのは,
帰還したこの日だった.




