タイミングの悪いふたり
『とても、嬉しい。ありがとう』
『……ああ』
昨日渡せなかった白薔薇の花束をヴェネットに渡すと彼女はとても嬉しそうにそれを受け取った。
(どうして今さらそんな顔…)
テオドールは胸の片隅にズキンと小さく痛みを感じた。
ヴェネットへの想いなど婚約解消を告げたとき完全に消えてなくなったと思っていた。だが、テオドールの中にほんの微かに残っていた想いが、彼女の嬉しそうな表情を見た途端、テオドールの心を揺らした。
(あの日もそうやって受け取っていてくれたなら…)
ヴェネットの誕生日。彼女が何なら喜ぶだろうと悩みながら、彼女の髪色を連想させる花束を用意した。
しかし残念ながらヴェネットは喜ぶどころか汚いものでも見るような目でその花束を叩いて落としたのだ。あの瞬間、テオドールは婚約解消を決意した。
あの日、今日のようにヴェネットが花束を受け取っていてくれたなら2人の関係はこうも変わることはなかっただろう。
でも、もうなにもかも遅い。
彼女とはすでに他人なのだ。可能な限り関わらずにいたほうが自分自身のためだ。
それなのに―――
ここのところヴェネットがオーランドとよく一緒にいるのを見かけ、どうしても気になってしまう。
昼休み、テオドールは学園の庭園の片隅にあるガゼボにたまたま彼らがふたりでいるのを見かけた。
(あんな人気のないところでふたりっきり、何を話しているんだ?)
近づかないほうがよかったのに。テオドールは気になってしまいこっそりと近づいていく。
「オーランド様、好きです」
聞こえてきた言葉に存外テオドールはショックを受けた。
告白したらしいヴェネットは、その大きな瞳で真っ直ぐにオーランドを見つめている。
(なんだそれ…)
テオドールは婚約者時代、1度もヴェネットに好きだと言われたことなどなかった。
当時の自分が欲していた言葉を彼女は他の男にならいとも簡単に言ってしまえるのか。
テオドールはすぐにその場を立ち去った。
最近、ヴェネットの態度がこちらに好意的に感じて、彼女は自分に未練があるのだとほんの少し気が緩んでいた。
(ああ、僕は本当に間抜けだな…)
結局彼女は婚約者という立場がほしいのだろう。それがテオドールでもオーランドでも構わないということか。
むしろテオドールはキープしているだけで隣国の貴族オーランドが本命だったのだろう。
◆
「オーランド様、私大変なことに気がついたの!」
昼休み。人気のない庭園の片隅のガゼボで待ち合わせしていたオーランドの顔を見るなり、ヴェネットは告げた。
「そんなに慌てて、何に気がついたんだ?」
「私、テオドール様にだけ自分の好意を言葉にできないんです」
「え…?どういうこと?」
首を傾げるオーランドにヴェネットは実演してみせる。
「テオドール様にすっ…ゲホッ…すっ…ゴホッ、ゲヘッ」
「お、おい大丈夫かい?」
急にむせ始めたヴェネットを心配そうに見るオーランド。
「この通り言葉にできないんです。告白できないんです」
「最愛の者には好意を言葉にできないということか……つまり、それは魔女の呪いが完全には解けてなかったということか?」
「おそらく…」
「なんて執念深い呪いなんだ…」
「ええ。本当に」
魔女は過去に恋愛関係で嫌な目にでもあったのかもしれない。
「ちなみにテオドール以外の者には言えるのか?」
「えっと………オーランド様、好きです!」
「……急に言うなよ。びっくりするだろ」
「すみません。ですが、この通り何とも思ってない相手にはすいすい言葉が出ます」
「……若干傷つく物言いだな」
チチチチ…
庭園のガゼボの近くに植えられた木々に小さな赤い実がなっていて、それを小さい鳥が一生懸命啄んでいた。
ガゼボが建つ場所は木々のせいで陽当たりが悪く、校舎からも遠いので周辺にヴェネットたちの他に生徒の姿はない。
「ところでオーランド様は婚約者の方にお手紙送ってみました?」
「あ、ああ。君のアドバイス通り、自分の近況と、離れていても彼女のことを想う気持ちをしたためた」
少し照れたようにオーランドは話した。
「返事は来ました?」
「ああ。元気でよかったと、俺から手紙が届いたのが嬉しかったと書いてあった。それに今度、こちらに来てみたいとも書いてあった」
「それは、よかったわ」
同じ呪い仲間が、呪いに負けずに最愛の人と良好な関係を続けていられる。それだけでヴェネットは嬉しかった。
「そうだ、ヴェネット嬢も手紙になら気持ちを書けるんじゃないか?」
「確かにそうね!ちょっと試しに書いてみるわ」
ちょうど予習でもしようと持ってきていたノートとペンをヴェネットは鞄から取り出した。
そしてテオドールの名を書き、隣に“すき”と書こうとペンを動かす。“す”はスムーズに書けてあとは“き”を書くだけだ。ところが“き”と書こうとしたとき、ヴェネットの手が勝手に震えだした。
「手がいうことをきかないわっ」
どんなに力を込めても震えは止まらない。何度試しても同じだった。
結局ヴェネットのノートはミミズののたくったような字でいっぱいになった。
試しにオーランドにも彼の婚約者の名前と“好き”だと書いてもらったら普通に書けた。同じ呪いでも、症状は人によって違うみたいだ。
ぐしゃぐしゃになったノートを前にヴェネットは肩をおとす。
「本当に執念深い呪いだわ」
「だな…」




