降り立ったのは温泉地・3
「……ロザリー?」
反応の薄いロザリーに、エイブラムは不審そうなまなざしを向ける。
「ごめんなさい、おじい様。実感が湧きません。なんか……」
「そうか。そうだな。受け入れるには重い事実だ。辛いだろうがお前にはまだ私がいる。心配するな。男爵位は再び私が継承することになった。お前の後見人には私がなる」
「ええ。……ありがとう、おじい様」
頷きつつも、ロザリーは自分で自分が恐ろしく感じていた。
両親が死んだと聞かされたのに、まるで他人の死亡事故を聞かされた時のように心が動かない。
(涙も出ないなんて……)
ショックを受けたのは、ロザリーだけではない。
自身も我が子を亡くし、絶望するであろう孫娘を守ろうと決意していたエイブラムは、ロザリーの飄々とした態度に激しいショックを受けていた。執事とともに部屋を出て、信じられないというように頭を抱える。
「親が死んだというのにあの態度はどういうことなんだ? あの子が、あんなに薄情な娘だとは思わなかった」
「旦那様、お嬢様はきっと混乱していらっしゃるんですよ」
「だが、目覚めたときも父母を呼びもしなかった。もっと優しい子だったはずだ。私にだって、いつだって抱き着いてきてくれたのに、今は触られるのに顔をしかめていたんだぞ? 一体あの子はどうなったんだ。事故に遭った時に、悪魔にでも魅入られたのではないだろうな」
「旦那様。落ち着いてくださいませ」
エイブラムにとっては家督を任せるにふさわしいと早々に爵位を相続させた大事な息子の死だ。本来なら寝込みたいほどショックだ。
息子たちが死んで二週間。ロザリーの意識が戻らないまま葬儀もエイブラムが仕切り済ませた。
彼は、息子たちの忘れ形見であるロザリンドを守らねばならないと、気を張ってこの数日を過ごしていたのだ。なのに、すっかり様子の変わったロザリーに、エイブラム自身混乱している。
「……ロザリーは十六歳になったんだったな。社交界デビューをさせるより、早々に婿を見つけたほうがいいかもしれん」
「ですが、旦那様」
「家族を失った痛みは家族をつくることで癒せるだろう。……私は、あの子が目覚めたらともに泣き、ダドリーの思い出を語り合えると思っていた。しかし、……まるで他人を見るようなあの顔を見ていたら、背筋がぞっとした。あの子と癒し合うなんて無理だ」
エイブラムは肩を落とし、大きなため息をつく。
妻を既に亡くしているエイブラムにとっては、ロザリーはたった一人の身内だ。期待をしていた分だけ、反動は大きい。
「……近隣の貴族にいい年ごろの独身男性がいないか、聞いてみてくれ」
そう執事に言い残し、エイブラムは疲れたように自身の寝室に戻ってしまった。
* *
目が覚めてから二ヵ月。ロザリーは自らの足で庭を散策できるほど回復していた。
時間が経って体が癒されても、ロザリーの心は元に戻らなかった。
父親と母親の顔は思い出せる。記憶は相変わらずあいまいで、リルとの記憶がごちゃごちゃになっているが、祖父が飾っている家族の肖像画から見ても、自分が両親から大切にされていたことはちゃんと理解できる。なのに、感情だけがどこかに行ってしまったように、悲しさも嬉しさも感じられない。
「お父様、お母様。私の心は、ふたりと一緒に死んでしまったのかもしれません」
心だけ死んだのだとしたら、生きていて何の価値があるだろう。
祖父の態度が変わってきたのも、ロザリーは肌で感じていた。
やたら縁談を勧められるのは早く追い出したいからだろう。しかし、まだ父母が死んで二ヵ月だし、勧められた相手は十も年上の軍人将校だ。とても話が合うとは思えないし、まだ十六の世間知らずの娘に、軍人の妻が務まるとも思えなかった。
「……いたっ」
頭が痛むと同時に、にぎやかな街が思い出される。夢の中で見るリルの街だ。行ったことなどないはずなのに、温度や質感まで思い出せそうなほど鮮やかによみがえる。ロザリーとしての記憶はこんなにも無味乾燥としているのに、リルの夢の中では、感情も感覚もはっきりしている。
(感情が無くなったわけじゃないんですよね。夢の中では……リルのときはあんなに嬉しかったり尻尾を振ったりするんですもん)
だが、その犬の記憶も不完全だ。夢は途切れ途切れで、リルは、よく匂いをたどって探しものをしているが、完全に見つける前に目を覚ましてしまう。もうここを探せば見つかるはず、というところで目が覚めてしまうのだから、夢の記憶を引きずってしまうのも仕方がないというものだろう。
ロザリーは鼻をスンスンと鳴らす。庭に咲いている花や土の匂いがどんどんロザリーの鼻を刺激する。
事故後、目覚めてから嗅覚が異常にいい。まるで夢の中のリルのように。
一体自分に何が起こっているのか、ロザリーは理解しきれなかった。
(……今日のお夕飯はシチューなんですね)
屋敷のほうからただよってくる匂いでそんな判別さえも出来てしまう。
この屋敷で出るシチューに入っているブロッコリーがロザリーは好きではない。なのに、匂いを感じただけで反射的に口によだれが溜まり、お尻のあたりがムズムズする。
(最近すごくお尻がむずがゆいなぁ)
まるで尻尾を振って喜びを表現したいとでも思っているように。
(リルの好物……だったのかしら)
だとすれば、嬉しいという感情が無くなったわけではないのだろう。もし今のロザリーに尻尾があったなら、ちぎれんばかりに振っているのかもしれない。
(いっそ、リルの記憶を全部取り戻せれば、感情も取り戻せるんじゃないかしら)
お屋敷全体を眺め、ロザリーは切実にそう思う。
祖父の屋敷はたまにしか来なかったが、すっきりとしていた本邸とは違って、亡くなった祖母の趣味が全体的に表現されていた。壁には家族の肖像画がたくさん飾られ、刺繍の入ったタペストリーが随所にかけられている。庭園も、彫刻の周りを囲うように花壇が配置されていて、ロザリーは、物語の世界に紛れ込んだような気分になれるこの屋敷が好きだったはずだ。
それも覚えているというのに、今はロザリーの心を少しも揺さぶらない。むしろ、感じられないことが寂しさを感じさせる。
風が吹いて、ロザリーの髪をなびかせる。頬に触れたくすぐったさが妙に切ない。
父や母が頬を撫でてくれた記憶はあるのに、その実感がずっと思い出せない。リアルな感覚を取り戻したい。
(ちゃんと生きてるって実感したいです)
そんな思いは日に日に切実になってくる。
このまま結婚したところで、夫となる人にも気味悪がられるだけだろう。まだ十六歳の身空で人のものとなって、夫からも敬遠されるような生き方をするのは嫌だった。
(感情を取り戻すにはどうしたらいいのでしょう。まずリルの記憶をしっかり取り戻してみましょうか。今、感情が揺れるのはリルに関することだけなんですし、このままじっとしていたってどうにもならないですもん)
ロザリーは決意を固めた。
記憶を取り戻すのだ。あの馬車の事故で生き残ったことが奇跡だというのならば、ちゃんと生きたい。死んだようにうつろに人生を生きるなんて御免だ。
やるべきことが決まれば、あとは祖父を説得する方法を考えるだけだ。
意気込んで、ロザリーは屋敷の中へと踏み込んだ。




