エピローグ~とある領主子息のモノローグ~
イートン伯爵家の嫡男・ケネスは二十二歳。王都での学業研鑽を終えてから、たくさんあった王都での仕事の誘いを蹴り、自領にて領地経営を学びながらのんびり暮らしている。
イートン伯爵領は領民と領主の距離が近く、ケネスも街を見回るのが日課だ。そして今日も、お気に入りの切り株亭の食堂の一角に陣取っている。
「レイモンドさん、なんか焦げ臭いです」
階段の掃除の合間に手を止め、厨房に声をかけたのはロザリーだ。
「え? あ、やば、焦げそう」
「集中してくださいよう」
切り株亭の人気メニューのシチューを大きなお玉で混ぜ始める。
「ギリ香ばしいでいけるか……?」
などと言いながらブツブツ言うレイモンドに、ケネスは笑いを止められない。
一方、向かいに座る彼の従弟という名目になっているザックは、レイモンドと話すロザリーを見ながら、でれでれと目を細めている。
イートン伯爵家に避難してきたばかりのすさんだ表情をしていた彼に比べれば、ずいぶんと穏やかになったものだ。
笑顔を崩さぬまま、ケネスは内心ではホッと息をついている。
ザックことアイザック第二王子は、彼の乳兄弟だ。
このモーリア国は、王族のみ一夫多妻制が敷かれている。それは正しく世継ぎを残すための施策であり、正妃がきちんと男児を生んでいれば、通常は側室を持つことはない。
しかし、現国王であるザックの父親は違った。
早くから婚約が決められていた正妃との間に男児がいたにもかかわらず、王宮勤めの異国の血が入った侍女カイラを側室にと望んだのだ。
彼女が妊娠してから、正妃や正妃付きの侍女からの嫌がらせが多発した。
王が守ろうとしても政務があるし、もともと侍女であるカイラには庇ってくれる後ろ盾もない。精神的に疲弊したカイラは、離宮にその身を移すことになる。しかし、それはむしろ警備を甘くしただけとなり、離宮に暴漢が忍び込む事件が起こった。
このままでは出産を控えたカイラの命が危ないと、王は彼女を行く先を誰にも知らせずに隠した。
その隠し先が、イートン伯爵家である。
当時のイートン伯爵であるケネスの祖父は、自らを律し、不正を許さない実直な人物として有名だった。
相手が王でもそれは変わらず、イートン伯爵はしっかり世継ぎを生むという使命を果たした王妃がいるのに側室を迎えた王にもよく苦言を呈していた。
その反面、彼はカイラや生まれてくる子には罪がないとも明言しており、不遇の第二王妃に対してはことさら気を使って接していた。
王はその実直さや誠実さを見込んで、イートン伯爵に頼んだのだ。
彼ならば、出産を控えた女性を危険にさらすようなことはしないだろうし、ちょうど伯爵子息夫人が妊娠中だから、乳母や医師が多く出入りしても怪しまれないだろうという理由もあった。
イートン伯爵家は首都から離れている。領地は肥沃な大地を含むため裕福で領民もみんな穏やかだ。
第二王妃であることは当主と親族と執事以外には秘密にしたまま、カイラは伯爵家に迎えられた。王妃としてあがめられることもなく、かといって侍女として虐げられることもなく、普通の人間のように扱われることで、カイラは次第に元気を取り戻したのだ。
ケネスがひと月先に生まれ、アイザックが生まれる。ふたりは兄弟のように一緒に育ち、三歳までここで育った。
やがてカイラとアイザックは王によって、王宮に呼び戻される。
第一王妃が妊娠したのが理由だとも言われているが、王の真意はわからない。
しかし身分の低い第二王妃にとって、王宮は決して居心地のいい場所ではなかったのである。
戻ってきたカイラを、王はたいそう大切に扱った。しかし、正妃が妊娠していたことを思うと、カイラは王を信じ切ることも出来なくなった。自分が再び妊娠すれば、彼はまた正妃のもとへと舞い戻るのだろうと思ったのだ。
王の寵愛だけがすべての立場で、彼を信じられなくなれば足場を失うのと同じだ。
鏡の中に、少しずつ老いる自らの姿を見るたびに、カイラは心の均衡を崩していったのだ。
アイザックも、それまで暮らしてきた伯爵家とは全く違う第二王子としての堅苦しい生活に、戸惑いを隠せなかった。まして、臣下でさえも母親の身分の低さを理由にアイザックを軽んずるのだから。
『イートン伯爵の領地に帰りたい』
アイザックが何度そういっても、カイラは頷かなかった。いや、頷けなかったのである。
すっかりふさぎ込んだアイザックだったが、七歳になると王都にある学校に通うようになり、そこでケネスと再会する。
再び友とまみえて、アイザックはもともとあった快活さを取り戻していった。グラマースクールに入ってからも、学問でも剣術でも好成績を収め、自分の力で周囲を黙らせていく。一方で、アイザックは自分の立場を理解してもいた。
兄弟である第一王子と第三王子との仲は良くなかったが、公式な場では必ず彼らを立て、自分は影に徹することでいさかいを避けていたのだ。
そうしてアイザックが孤独から解き放たれるのと反比例するように、カイラはどんどん孤独を深めていった。
唯一の心のよりどころであった息子は、自分の力で羽ばたこうとしている。
やがて心を患い、夢遊病になった彼女は夜な夜な徘徊するようになる。
王からの寵愛は薄れ、だが戻る場所もない。王も徐々に彼女の扱いに困るようになり、今や幽閉に近しい状態になっている。
アイザックは十八になり、政務の手伝いをするようになっていた。
彼は彼で、母の姿に心を痛めて医師にも治療を頼んだが、カイラを治す術はわからなかった。
彼女が今も城で保護される理由は今や“第二王子の母である”という一点のみだ。アイザックが国務に必要な存在であれば、母も大事に扱われるに違いないとの思いで彼は国の役に立とうとしていた。
そうして数年が過ぎ、アイザックが二十一歳の誕生日を迎えたころ、第一王子が病にかかる。
この国の王位継承順は、どの王妃の子であれ年齢順である。それは、王位継承にて揉めることのないようにと法で決められたことだ。
目立たないようにしているとはいえ、日頃の政務を見ていれば第一王子よりアイザックが能力的に上なのは明らかだ。
生死の境をさまよう第一王子を見限った人々は、アイザックへとへつらいだす。しかしその多くは、それまで身分の低い側妃の息子だと軽んじていた人々だ。
アイザックは呆れ、失望した。声をかけてくるすべての人に不信感を抱くようになり、冷たい言葉を吐くようになる。
そこに快活だった学生時代の面影はなく、ケネスは弟のような彼を放っておけなかった。
『どうせ王位になど興味がないのだろう? 家出をしないか? アイザック。お母上は大丈夫。お前が生きている限り追い出されることはないから』
ケネスの誘いに、アイザックは頷いた。
そうしてアイザックを連れて帰ったケネスを、イートン伯爵は叱らなかった。
王城に出向き、アイザックがしばらく静養するために必要な手順をすべて整え、第二王妃も静養という名目で離宮に移し、アイザックが国王に知られずに会いに行けるように手配したのだ。
そうして一年、アイザックは“ザックという名のケネスの従弟”という肩書でこの街で暮らした。
平和なアイビーヒルは、彼の心を少しずつ癒していく。もちろん、この機会にと第二王子暗殺を願うものも忍び込んでくる。ケネスはなるべくアイザックから離れずに彼の身の安全を守った。
そして彼はロザリーと出会ったのだ。
彼女にはまるで愛玩動物のように、人を和ませる空気がある。
それが、アイザックを癒したのか定かではないが、ここ数ヶ月でアイザックの心は格段に回復した。 子供の頃のように笑ったり、人をからかったりできるまでになったのだ。
第一王子の容体は悪化こそしないものの良くはなく、第一王妃は付きっ切りで看病しているらしい。
国王も王太子を心配してか、最近は政務に身が入らないらしい。
代わりに勢力を伸ばしているのは第一王妃の親族だ。議会でも相当幅を利かしているとイートン伯爵経由でケネスは聞いている。
たった一晩で錆びた記念硬貨は、ある意味ではその証拠だ。
通常の合金とは異なる割合で鋳造されていることは間違いなく、財務担当の貴族が不正していることは明らかだ。
そしてそれは綻びの一部でしかない。王都から離れたイートン伯爵領から想像するよりもずっと、政治は腐敗しているだろう。
やがて民衆は救世主を求めるに違いない。
現時点で救世主たる条件を一番満たしているのは、王太子の次に王位継承権があり、庶民の母を持ち、政治能力にも長けているアイザック第二王子だ。
ザックが王都へ呼び戻される日は近いだろうとケネスは思っている。
(できればそのときに、ロザリー嬢が一緒に来てくれるといいのだけどね)
穏やかな表情でロザリーを見つめるザックを眺めながら、ケネスはゆっくりと蜂蜜酒を飲む。
イートン伯爵家の放蕩息子は、いつだって彼の友人の味方なのだ。
【Fin.】
これで完結です。
続編は『お宿の看板娘でしたが、王妃様の毒見係はじめます』になります。




