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龍造寺恋鐘の時間停止ミステリ  作者: 伊神一稀
終章 時の止まらない探偵と助手
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エピローグ

 私は最低の人間だ。

 そう自覚しながら、この選択を取るしかなかった。


 新学期早々の時間停止現象に巻き込まれたとき、学校の中で動いている人間がいることはすぐに把握した。大きな声で人を呼んでいることから、この現象に初めて巻き込まれた人間ではないかとも考えた。

 7年の間についぞ現れなかった、自分と同じ特異体質を持つ人間と、ようやく遭遇したのかもしれない。

 私は高揚と恐怖が半々の気持ちになった。一人で過ごさずに済むかもしれないという期待感、相手が悪い人で二人きりになるのが危険なタイプだったらどうしようという不安、それらを抱きながら、声を上げる人間をこっそり観察した。

 相手は同じ高校生で、一年生の男子だった。

 ドキドキしながらもっと観察して、じっくり眺めて――見れば見るほど私の中の高揚と不安は消え失せていった。

 代わりに訪れたのは、困惑だ。

 少年は見知った顔をしていた。当時は坊主だったのですぐに気づかなかったが、髪が長くなっても第二次性徴で顔立ちが精悍になっても、記憶の底に残り続ける人間の特徴と照合できてしまった。

 忘れるはずもない。

 彼の名前は小林輝路こばやしきいろ

 私が荒れ狂う川から引っ張り上げ、救命活動の末に助けた男の子だった。


 気づいた瞬間、なぜ彼が時間停止現象に巻き込まれているのか、私はすぐに結論が導けた。

 あの日、無生命体として判定された彼に時間停止解除と再開が効いたことが、今日に至るまで続いていたのだ。小林輝路と今までこの世界で遭遇しなかったのは、おそらく10キロ以上遠方に住んでいたことで時間停止がずっと続いていたのだろう。

 それが、私のいる上北垣高校に入学してきたことで、一定距離のルールに則って時間停止が解除されてしまった。

 事ここに至るまで、無生命体から生命体に戻った存在は能力が効くということを検証したこともなかったので、まさかという思いだった。

 そこまで推理した私は、このまま出会うことを躊躇った。

 私が待ち望んでいた、自分と同じ体質の人間ではなかった。

 そんな相手と悩みを共有し、あまつさえ一緒に過ごすことを強要できるわけがない。

 仕方なかったとはいえ、小林輝路は私の能力によって副次的に時間停止現象に巻き込まれる特性を持ってしまった。

 神の意思ではなく、私の意思によって、そうなった。

 彼は同じ立場の仲間ではなく、むしろ、被害者だ。


 幸いなことに能力が効くのであれば、左手で触ることで彼の時間停止を再開することができる。彼が私と同じ環境で何時間も何日も、音や熱や光の変化しない空間で過ごす必要はない。心を病むことだってない。

 事情を話して助けよう。恨まれるかもしれないが、最大限にフォローしてあげれば卒業まで乗り切れるはず。私が遠方に行けばまた一定距離のルールが発動して、彼が時間停止現象に巻き込まれることも無くなる。

 そう考えたときにふと、彼自身はどう思うだろう、なんて疑問が沸き起こった。

 小林輝路。私が救った小学六年生の少年。

 私は彼の人となりを、ほんの少しだけども、知っている。

 心に刻みつけている。


 当時、搬送されていく少年を遠巻きで見守るしか無かった私は、その後のことが無性に気になっていた。

 息を吹き返した(ように見えた)瞬間に私は時間停止を再開させた。そうしなければ、現象が終わるまで治療できずまた心臓が止まると考えたからだ。

 いまにして思えば、そこで無生命体から生命体に戻ったときの能力効果に気づけたのだけど、パニック状態でそんなことを考える余裕もなかった。

 ただひたすらに怖かった。心臓が動いたのは勘違いかもしれない。中学生の場当たりな救命活動なんて間違いだらけで、意味がなかったかもしれない。そんな恐怖を抱えながら時間停止が終わるのを遠くで待って、終わったらその場で通報して救急車を呼び寄せた。私が確認できたのはそこまでだ。結果的に助かったかどうか、分からなかった。

 翌日の新聞には「増水した川で溺れた少年が一時意識不明となり、市内の病院に搬送された」という記事が出た。

 でも、新聞記事が出たのはそこまで。

 いつまで経っても続報は掲載されなかった。


 夏休みが終わった頃、居ても立っても居られなくなった私は、直接市内の総合病院に行ってみた。助かっていればそこで姿を見れるかもしれないと予想した。

 関係者でもない中学生が遭遇できる確率は偶然以外の何者でもなかったけれど、運が良いことに、私は彼を発見することができた。

 頭に包帯を巻いて松葉杖をついていたが、笑顔で病院内を歩いていた。お母さんが手伝おうとしても、リハビリになるからと自力で歩こうとしていた。

 その姿に安堵して、ただ涙が出てきたことを覚えている。


 彼が退院していくまでのほんの短い期間、私は何回か、病院でこっそり覗き見することがあった。容態が悪化しないか心配だったのだけれど、彼はいつも元気で、大変な状況にも腐らず、健気に頑張る姿を周囲に見せていた。小林輝路という物珍しい名前を知ったのもそのときだ。

 彼はどんどん回復していった。支えてくれる人たちに感謝しながらリハビリに耐えて、退院していった。

 いつしか私の中で、そんな彼の姿が心の支えになった。彼を見ていると、私が人を助けた行為も、推理を使ったお節介も、意味があることだと信じられた。

 自己満足に過ぎないと本心では分かっている。

 それでも私は、小林輝路に勇気を貰っていた。


 もしも彼が当時のままの少年だったら、私の状況を見てどう考えるだろう。

 他人事のように、さっさと左手で触れてくれればいいと、済ますだろうか。

 万が一にも、私を放っておけなくなり、手伝うと言い出したら?

 命の恩人に恩返ししたいと、善意を持ってしまったら?

 可能性はゼロじゃない。

 そして、そんな申し出をされたら最後――私は、縋ってしまう。

 たとえば、ほんの数カ月だけ孤独を紛らわしてくれるつもりだったとして、その期間が終わる頃に私は素直に彼から離れられるだろうか?

 無理だ。絶対に彼を引き止める。もう少し付き合って欲しいと、みっともなく崩れ落ちるだろう。

 でもそれは、彼の人生を狂わすことと同義だ。

 やりたかったことも、好きなことも、将来の夢も、私のせいで大きな影響が及ぶ。諦めることになるかもしれない。

 勇気をくれた彼に、そんなことはさせられない。

 巻き込んだのは私なのに、厚かましく助けてくれだなんて言えるわけがない。

 ――そして私は、彼に嘘をつくことにした。


***


 中学校のプールを抜け出し、貼り付けられたような夜空の下を静かに歩く。

 一人で歩くのは久しぶりで、いつもの感覚が戻ってくる。これまで私はずっと、誰の声も聞こえず、何者の熱も感じず、一定の光だけが注ぐ環境を一人で生きてきた。多くのモノに囲まれているのに絶対的な孤独に包まれている、そんな感触が蘇ってくる。

 夜の帷が降りたばかりの路地を歩きながら、小林くんの家まで向かう。おそらくそこで彼は待っているだろう。と言っても、きっと目も合わせてくれないだろうけど。

 計画は、うまくいった。

 彼は私の陰湿な態度に嫌気が差して、離れることを選んでくれた。

 偽装工作で隠し続けたのも、全ては真相が判明した時のショックを大きくするためだ。最低な理由で一方的に弄ばれていたと知れば、いくら小林くんでもそんな女は見限るはず。

 そうしてくれないと、意味がない。

 中途半端に気遣ってくれたり、手を差し伸べようとしてくれるだけでも、もうダメだから――私の心が、渇望してしまう。歯止めが効かなくなってしまう。

 彼に嫌われることは、私のためでもあった。

 未練を断ち切らないといけない。

 彼にしてみれば、私に構う時間だって無駄なはずだ。せっかく両親から離れて、野球以外の好きなことを探すと決めたのに、私というお荷物を背負うことはない。


「楽しかったなぁ」


 独白しながら、散歩するように道を歩く。彼の家にはもう何度も足を運んでいるので、大体の方向は分かっている。

 隣には肩幅が広くて背の高い、けれど歩幅を合わせてくれる人がいたけれど、もう一緒に歩くことはないだろう。

 孤独は慣れている。また元の生活に戻るだけ。寂しくなったら街に出て、推理していれば時間は潰せる。困っている人や問題のある人を助けられるし、推理が合っていたらとても嬉しい。それで私は満たされる。

 あいにくと推理できない状況なら、大人しく家に帰って過ごせばいい。とっくの昔に飽きているけれど、どうってことはない。


「楽しかったなぁ……」


 二人で過ごした時間は、ほんの3ヶ月程度だ。いつもとちょっと違った刺激があって、悪くはなかった。作ってくれるご飯も温かくて美味しかった。

 でもどうせ、無くなってしまえばすぐに忘れる。虚無に満たされたこの空間に、小林くんとの記憶は塗りつぶされていくだろう。

 むしろ3ヶ月で済んで良かった。人と過ごすことが当たり前になっていたら、孤独に慣れるにも時間がかかってしまったかもしれない。このタイミングでバレて結果オーライだ。


「楽しかった……な……」


 小林くんは面白い子だった。誠実で優しい子だということは病院で盗み見していたときから感じていたが、喋ってみると意外にユーモアがあったし、私との会話にも付き合ってくれた。ぶつくさ言いながらも推理に協力して、私ができないことを請け負ってくれて、私を気遣って食べ物を届けてくれたりもした。

 最初から、私と一緒に過ごすことを考えてくれた。

 時間が停止した世界であんなに笑ったのは、初めてだったかもしれない。

 でも、惜しくはない。これでいいんだ。これでいい。彼には幸せになってほしい。

 ――なのに、なぜ。


「た……のっ……ぅ……うぅ……」


 こんなにも、涙が止まらないんだろう。

 自分で望んだはずなのに。

 割り切ったはずなのに。

 蘇るのは、事件を解決したことではなく。

 彼と過ごした、短くて長い三か月のことばかり。

 手で拭っても拭っても、涙が止まってくれない。

 おかしい。どうして私は、悲しいんだろう。

 どうして、寂しいんだろう。












「なに泣いてるんですか」


 声が聞こえた。

 立ち止まり、周囲を見渡す。一方通行の路地は人影もなく、車の姿もない。当たり前だ。今は時間停止中なので、動く存在がいるはずはない。

 いや、一人だけ、居る。

 電柱の陰から、一人の少年が姿を現した。

 背は175センチあって、野球部だったので体格も良い。短くカットされた髪型に、精悍な顔立ち。でも笑うと子どもみたいに幼くなることも、私は知っている。

 出てきた彼は、私を見下ろしながら後頭部を掻いた。「やっぱり」と呆れたように言う。


「おかしいと思ったんですよね。人をイジメて楽しむみたいな陰湿なこと、恋鐘先輩がするはずないから」

「な……」


 私は絶句する。なぜそんなことを、という疑問が顔に出ていたのか、彼はすぐに答えた。


「赤の他人のために、時間停止が終わるまで待ち続けることのできる人が、自分勝手に欲望をぶつけるなんて矛盾してますよ。整合性を取ることを忘れたのは甘かったですね」

「っ……そ、そんなの、気まぐれで……!」

「じゃあ、なんで泣いてるんすか」


 冷たいとも受け取れる一言を投げられる。

 けれど彼の眼差しからは、苦笑いからは、決して見放すような感情はない。


「本当のことを教えてください。怒らないので」

「……ボ、ボクは」

「恋鐘さん」


 ドキリと胸が跳ねた。

 目を見開いた先には、呆れつつも受け止めようとしてくれる、年下の男の子が立っている。

 先輩後輩ではなく。一人の人間として、接してくれている。


「教えてください」


 堰を切ったように感情が溢れ出した。強引に止めていた涙が、また溢れていく。

 もう、ダメだった。

 気づけば私は、泣きじゃくりながら、自分の計画を打ち明けていた。

 小林くんに拒絶された時点で、心の壁にヒビが入っていた。それが決壊してしまった。

 聞き終えた小林くんは、腕を組んでため息を吐いた。「――まったく」


「アホですかあんたは。こっちの気持ちも聞かずに勝手に決めて進めないでください。迷惑です」

「お、怒らないって言った……!」

「いまは叱ってるんです」


 年下の男子に頭ごなしに説教されている。まるで形なしで、情けない。涙でぐしゃぐしゃになって格好も悪い。


「一つ、どうしても聞きたかったことがあります」


 小林くんは小言を続けることなく、別の話題に切り替えた。


「俺を助けたことが原因で、ずっと残るようになったんですか?」


 ハッとする。そのまま何も答えられなくなった。薄っすらとは考えていたが、明確な答えを持たない話題だったからだ。

 黙っている間、彼は真摯な目で私を見つめ続けていた。


「……正直、自分でもよく分からない。責任があると思うし、それだけじゃない気もするし……でも、君のことがあってから、最後まで残るようになっていったんだと思う」

「そうですか」


 鼻から息を吐いた小林くんは、両手を腰に当てて、夜空を見上げる。

 空は決して変化しないのにしばらくその格好を続けていたのは、何かを考えているからだろうか。

 しばらくして彼は呟き、私に向き直った。「よし」


「決めました。俺の時間停止、再開しなくていいです」

「――えっ」

「現象が起こったら、これまで通り合流して、一緒に過ごしましょう。推理するなら付き合いますから」


 何を言われているのか、理解できなかった。いやとっくに理解できていたのに、それを処理することを拒んだ。

 私は激しく首を振った。


「だ、ダメだよ!? ボクに合わせるなんてそんなこと……!」

「あなたが俺を放っておけなかったように、俺もあなたを放っておけない。それだけです」


 いけない。そんなこと、軽々しく決めてはダメだ。

 涙が溢れる。様々な感情を含んだ雫が頬を伝って、地面を濡らしていく。


「でも、君は、君の時間とか、やりたいことは? ……それを犠牲にされてなら、嬉しくない、よ」

「大丈夫です。この現象から逃げなくたって、料理もバイトもうまくやっていきますから。その代わり、助けてくださいよ?」


 小林くんは笑う。そんな一大事な決断を、私の前で笑って終わらせないでほしい。

 ああ、これだから計画を立てたというのに。

 こんなことが起こらないように、私は先回りして潰そうとしたのに。

 でも、もう無理だ。

 私の心は、こんなにも満たされている。


「この先のことは分かりません。でも、出来る限り、俺はあなたのそばに居ます。話し相手になるし、うまいものを食べさせることもできます。それが俺の恩返しだし――きっと探偵には、助手も必要でしょう?」


 そう言って笑いかける彼に、私はただ泣きながら――頷いた。

 

 私に、助手ができた。

 探偵に必須で、でも私には決して出来る可能性のなかったものと、今ここで出会うことができた。

 待ち人は、ここに居た。 


 了


面白かったらブクマ・レビューよろしくお願いします

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