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妖精姫の幸せは  作者: 手塚立華
本編
4/54

3 月夜の帰り道

 歌い終わった後、私は月明りで照らされる丘の上で散っていく精霊たちをしばらくの間見送っていた。

 春先の、冷たい夜風に吹かれ、肩がふるりと震える。

 そこで私はようやく今自分が妖精ではなく人間の体の中にいるんだということを思い出す。

 病魔が体から去ったとは言え、アリィシャは病弱だった少女なのだ。

 このままでは風邪をひきかねない。


 あわてて踵を返し、屋敷へ戻ろうとしたところで、林の茂みの奥から、がさりと何かが動く気配がした。

 こんな人里近い場所で狼でもいたのか、と身構える。


「リィシャ!何をしているんだ!」


 しかしそこから出てきたのは狼ではなく、亜麻色の髪の毛に月夜のような青い瞳の青年だった。


「ラフィルお兄様!」


 青年は名前を呼ばれ、不機嫌そうに歩み寄ってくると、私をひょいと抱え上げる。

 母似の優し気な瞳が、今は少し険を宿して私を見据えた。


「部屋で寝ていたんじゃなかったのか?ジェニーは一体何をしていたんだ。」


 ジェニーとは私専属の侍女のことだ。今も彼女は私の部屋の前で寝ずの番をしてくれているはずである。


 夜の風に冷やされた肩が兄の温かい手に抱かれ、怒られているのにほっとする。


「ご、ごめんなさい。ずっと寝ていたから眠くなくて…。えっと、それに歩けるのが嬉しくて、月がきれいだったからそれで…。ジェニーは悪くないわ。私が勝手に出てきたの。」


 まさか見つかるとは思っていなかったので、まったく言い訳など考えていない。

 思いつくまま支離滅裂な弁明をすると、兄は冷たくなった私の体を温めるように抱きなおすと、深くため息をついた。


「うれしいのはわかるけど、体を冷やしてはダメだよ。それに勝手に出てくるのだって。みんなが心配するし、ジェニーたちはお前が居なくなってしまったらお父様にひどく叱られるよ。最悪首になってしまう。」


 それをきいて、私はさっと顔から血の気がひくのを感じた。


 ジェニーはアリィシャがとてもなついていた侍女で、私が目覚めた時には家族の後ろから涙を流して喜んでくれたし、その後も献身的に看病してくれた。

 アリィシャの日記からも、彼女がジェニーが大好きだったことが伺える。

 そんな彼女を困った立場に追い込むことになるなんて、まったく思いもよらなかったのだ。


「ごめんなさい、お父様には言わないで。もうこんな勝手なことしないから…」


 必死に兄に懇願すると、兄は困ったように肩をすくめた。


「ずるいなぁリィシャは。私が妹の頼みを断れないのを知っているんだから…。」


 ぶつぶつと言いながら、私をかかえたまま兄は林の中を屋敷の方角へ歩きだした。


「まあ、私も屋敷を抜け出してきたところだったから、どのみちお父様に報告はできないんだよ。もうしないというなら、今日のことは二人の秘密にしよう。」


 不本意そうに言う兄に、私はこくこくと頷く。

 ひとまず、ジェニーが怒られることは避けられそうだ。


「しかしそうなると、他の誰にも気づかれないでまた部屋に戻らないといけないよ。リィシャはどうやって部屋を抜け出してきたんだい?」


 兄の質問に、私は言葉につまってしまった。

 まさか、三階から飛び降りましたとは口が裂けても言えない。

 しかしドアの外はジェニーたちがずっと見ていたのだから、バルコニーの他に外へ続く道はないのである。


 何も言わない私を見て、兄は片眉を上げる。


「言えないのかい?」


 足を止めた兄に、再び問われるその言葉に、私は困り果てて兄を見上げた。

 青い兄の瞳に、月夜の星空が映り込み、きらきらと揺れている。

 兄は私の答えを待ってしばらく黙って私を見つめていたが、あきらめたようにため息をついて視線を前に戻し歩きだした。


「仕方がないな。屋敷の者はみんなリィシャの頼みを断れないんだから…。」


 どうやら兄は、私が協力者をかばっているのだと思ったらしい。

 まあさすがに、昨日までベッドで寝込んでいた者が一人で三階から飛び降りるなんて、想像もしないのだろう。

 それ以上は詮索せず、兄は屋敷の裏口から中へ入ると、廊下にかけられた大きな鏡の裏に隠された通路に入る。


「お兄様、ここは?」


 驚いて声をかける私に、兄はにやり、と笑ってみせた。


「使用人用の通路だよ。抜け出すには丁度…おっと。」


 そこまでいってから、兄はいたずらっぽく人差し指を口にあてると、私の頭に私がさきほどまで羽織っていたレースのショールをかぶせた。


「どこにつながっているかは秘密だ。」


 レースのせいでよく回りが見えなくなり、私はしょんぼりと肩を落とした。

 しばらく兄が階段らしき物を上る振動に身をまかせていたが、ほどなくして目の前が明るくなり、がちゃり、と音がしたかと思うと、また外の冷たい空気が体をかすめていくのを感じる。


「そら、ついたよ。」


 レースのショールが頭から避けられると、そこは私の部屋の隣のバルコニーだった。


「しっかりつかまってるんだよ。」


 兄はそう言うと、女の子一人をかかえているとは思えないほど身軽に、隣の私の部屋のバルコニーへ飛び移る。

 落ちてしまわないかとハラハラしたが、まったくの杞憂だった。


「お兄様、なんだか手馴れてらっしゃるのね。」


 私が兄を見上げると、兄はわざとらしく視線をそらした。


「なんのことだかわからないな。」


 そう言いながら私を床へ下ろしてくれる。


「ほら、まだ気づかれてないらしいから、はやくベッドに戻りなさい。くれぐれも、今日のことは秘密だよ?」


 そう言ってウィンクする兄に、私は大きくうなずいた。


「ありがとう、ラフィルお兄様!」


 小声でお礼を言うと、兄はとてもうれしそうに破顔する。

 そして私がベッドに入るまでを見送ってから、さきほどと同じような身軽さで、隣のバルコニーへ戻っていった。

 その手馴れた様子に、私は少しあきれながらも、ベッドの中に身を横たえる。

 すると、こつん、と枕元に置かれていたアリィシャの日記が私の額に当たった。

 私は横になったまま、その日記のページをめくる。


 アリィシャは、兄のあの笑顔を喜んでくれるだろうか?

 それとも、私のお兄様なのに、と怒るだろうか?


 さきほどまでの迷いが脳裏をよぎり、私は胸にまた手をあてた。

 夜風にあたり、体は冷え切っているはずなのに、そこはふんわりと温かい。

 それを確認して、日記を閉じる。


「家族が笑顔で居てくれますように。」


 つぶやいて目を閉じれば、さきほどまでいた兄の腕の中の温かさが思い出され、私は夢の中へ落ちて行った。

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