第十五話
「は、春やん……部長がはめられたって、どーゆうこと……?」
僕の発言により、みんなは大小の差はあれど困惑した表情を見せる。
だけど、そんな中にあってただ一人、他の者とはまったく異なる表情を見せている者がいた。
「さすが加藤くんだ。よくそこに気付いてくれたね!」
部長は満面の笑みを浮かべながらも賞賛の言葉を述べる。
「……やっぱり部長も気付いていたんですね」
「まぁ、こうもあからさまだとさすがにね?」
満面の笑みから一転、溜め息をつきながら部長は肩をすくめた。
「どういう意味だ、加藤……?」
怒気を孕んだ声で朝塚先輩が説明を求めてくる。
苛立ちを隠そうともしないその姿はさながら獰猛な獣のようで、僕は少し怯んでしまう。
「朝塚くん、そんなに凄んだら加藤くんが話しづらいだろ? 気持ちは分かるが一旦落ち着こう」
「うるせぇ。アンタには聞いてねぇよ」
まるで取り付く島もないといった様子の朝塚先輩に、部長は再び肩をすくめた。
「やれやれ、本当は当事者である僕から説明すべきだとは思うんだけど……加藤くん、悪いけど説明はキミに任せてもいいかな? ほら、容疑者として疑われてる僕の言葉じゃ、いまいち説得力に欠けるだろうからね」
部長はそう言って乾いた笑みをこぼす。
「……分かりました」
少し釈然としないものを感じたけど、元よりそのつもりだったのだ。
僕は特に抵抗なく部長の提案を受け入れ、話を切り出した。
「……正直に言うと、僕も最初は部長のことを疑っていました。でも、改めて考えてみると、部長が犯人だと仮定した場合、説明のつかない大きな矛盾が存在することに気付いたんです」
「矛盾って、さっきウチがゆうたやつ以外にもあるってこと?」
「うん、細かいことを言い出したら色々とあるんだけど、現状で僕が感じている最大の矛盾点は、部長しか犯行におよべた人物がいないこと、やはりこれに尽きるんだ」
「はぁ!? それのどこが矛盾してるってんだよっ!?」
「お、落ち着いて聞いてください。……だって、おかしいと思いませんか? 201号室の窓を開ける、たったこれだけのことで外部犯の犯行に見せ掛けることが出来たんです。なのに現実には窓は閉まったままで、開かれた形跡すらなかったんですよ?」
「それは……その余裕がなかったとか、開け忘れたとか……ともかく、そんなとこだろうよ!」
「ええ、もちろん犯行後、一刻も早く現場から逃げなければならない――そんな焦りから偽装工作をし忘れるというミスを犯すことは十分に考えられます。だけど、こと鍵に関しては話は別なんですよ。何故なら201号室の鍵は本来部長にとって閉める必要がなかったはずのものなんですから」
「確かにそやな……。閉めんでよかったはずの鍵をわざわざ閉めて、そのせいで自分だけが疑われてるんじゃ、なんのために閉めたんか分かれへん……」
「そう、秋森さんの言う通りです。普通犯人は犯行後、自身に疑いが向かないように行動するものですが、この事件の犯人は、まるで自分が犯人だと主張するかのような矛盾した行動を取っているんです。では何故、犯人はこのような行動を取ったのか……その理由を考えた時、僕はある可能性に思い至りました」
一旦そこで言葉を区切り、視線を三嶋先輩へ、次いで八坂先輩へと移す。
「……『犯人』が201号室の鍵を閉めた理由、それは……部長に全ての罪を擦り付けるため、だったのではないでしょうか?」
「……は? え、ちょっと待って! それってつまり……僕か三嶋先輩が犯人だって疑ってるってこと……!?」
「いえ、そうは言っていません。さっきも言ったように、これはあくまで僕の推測、単なる可能性を述べているだけに過ぎないんですから」
「いやいや、いくら可能性つっても、お前……ミステリ脳も大概にしとけよ? そんな小説みたいなことが現実にあるわけが――」
「――その『小説みたいなこと』なら、もうとっくに起きている」
朝塚先輩の言葉を遮るようにして凛とした声がリビングに響いた。
予想外のことに驚いた僕は、声が聞こえた方へと目を向ける。
そこには珍しく表情を曇らせている三嶋先輩の姿があった。
「そして、君たち二人は……その事を誰よりも理解しているはず」
三嶋先輩は再び言葉を紡ぐ。
先ほどの言葉とは打って変わり、その言葉はポツリと静かに呟かれたものだったけど、だからこそより『ここに居ない』人のことを思い起こさせるのだろう。
朝塚先輩は『くそっ』と言葉を吐き捨てると、それきり俯いて黙り込んでしまった。
「ま、待ってください。今が僕たちの常識が通用しない異常事態だってことは認めますけど……それでどうして僕が疑われなきゃいけないんですか……! 僕が鈴原さんを……鈴原さんを殺したりするわけないじゃないですか……!」
絞り出すかのような声で八坂先輩はおのれの無実を主張する。
最後の方は意識しないと聞き逃しそうなほどの大きさの声だったけど、その声こそが僕の耳に残り、そして罪悪感という名の感情を僕の心に植え付けた。
「落ち着いて、八坂。加藤は私たちのどちらかが犯人だなんて一言も言っていない。そもそもの話、さっき加藤が述べた推測には大きな穴がある」
まぁ、さすがに三嶋先輩は気付いちゃうか……。
「え、春やん、大きな穴って何……?」
「えっと、その話をする前に……部長、これまで部長の代弁者として説明を続けてきたわけですけど、今までの話の中で何か補足しておきたい点なんかはありますか?」
「んー、そうだね、特にはないかな? ありがとう、加藤くん。僕の意見を完璧に代弁してくれていたよ」
部長からの礼を受け取った僕は、ひとまず安堵の息をもらす。
「じゃあ、ここからは部長の代弁者としてではなく、あくまで僕個人として話をさせてもらいますね」
「……やれやれ、お手柔らかに頼むよ?」
「そう言われても、僕は事実をありのままに話すだけですから」
「え、何? どゆこと?」
僕と部長の間に剣呑な雰囲気が漂い始めたのを敏感に感じとったのか、秋森さんは困惑した表情を浮かべながら僕と部長を交互に見やった。
「別に隠すつもりはなかったんですが、確かに先ほどの推測には大きな穴が存在します。先ほど僕は『犯人が201号室の鍵を閉めた理由』について言及しました……が、そもそもの話、201号室の鍵を閉めることが可能だった人物は、少なくとも現状では部長以外に存在しないんですよ」
「あ……そ、そうだよ! 合鍵を持っていない僕と三嶋先輩が201号室の鍵を閉められたはずがないんだ!」
「はい、故に議論は最初の結論に戻り、やはり現時点で最も怪しい人物は部長であるという事実に揺るぎはないことになります」
「なんだそりゃ!? 長々と話しておいて、結局はそれかよ!」
「――ただし、それはあくまで今回の事件において、何のトリックも使用されていなかった場合、の話になりますが」
その言葉を言い終えた直後、僕はこの場が張りつめた空気に支配されていくのを肌で感じた。
「ト、トリックって……お前、本気でそんなこと言ってんのか……?」
「ええ、もちろん本気で言っています。というか、本当は朝塚先輩もうすうす気付いていたんじゃないですか?」
図星だったのか、朝塚先輩は言葉に詰まる。
そして、それは朝塚先輩だけではなく、僕を含めた全員がそうだったのだろう。
何故ならその可能性は、この場にいる誰もが頭のどこかでを思い浮かべながら、しかしその非現実性ゆえに認めることができなかったものに違いないのだから。
だけど、この認めがたい現実から目を背けるのもそろそろ終わりにしないといけない。
そうしないと僕たちは、きっとここから一歩も動けないだろうから。
だから僕は言葉を紡ぐ。
ここから先へ……そう、一歩でも先へと進むために。
「トリック云々は置いておくとしても、そもそもこの事件には不可解な点が多すぎるんです。なのに、どうしてみんなその点について言及しないんですか? みんなで意見を出しあえば、やっぱり外部犯の犯行だったって可能性も出てくるかもしれないじゃないですか! たとえ仕方なく誰かを疑う必要があったとしても、僕たちはミステリー研究部のメンバーなんですよ! 憶測じゃなく、推理を重ね、議論を交わしたうえで疑いましょうよ! それが出来ないなら僕たちは黙って警察の到着を待つべきです!」
――僕の発言後、リビングには再び静寂が訪れる。
未だ降りしきる雨の音が耳朶を打ち、『これはやってしまったか?』、そんな言葉が脳裏を掠めたその時のことだった。
「……図らずも最有力容疑者になってしまった僕はもとからそのつもりだったけど、ミステリー研究部の名前を出されては部長である僕が引くわけにはいかないね。いいだろう、徹底的に議論しようじゃないか」
「それだけじゃ足りない。徹底的にやるなら、荷物検査と身体検査も行うべき」
部長と三嶋先輩が僕の意見に賛成してくれる。
「ウチも……何が出来るか分からへんけど、春やんに協力する……!」
「そ、そうだね……ろくに議論もしない内から犯人扱いされちゃ堪らないよ……」
次いで秋森さん、八坂先輩も賛成の意を示してくれた。
これで残りは一人になったわけだけど……。
その“最後の一人”にみんなの視線が集中する。
「……別に反対なんかしやしねーよ。何だってやってやる、それで優希の仇がとれるならな……!」
「っ、はい! 鈴原先輩の仇がとりましょう!」
――こうして、僕たちは真実へ辿り着くための一歩を踏み出すこととなった。
とはいえ、小説の中に登場するような名探偵ではなく、ただの学生にすぎない僕たちがどこまでやれるのかは分からない。
だけど今は信じよう。
根拠なんてないけれど、みんなが力を合わせればきっと、どんな真実にだって辿り着けるーーそう、信じよう。