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第四章 -2

「じゃあ、何か……欠点みたいなのはありましたか?」

 僕は訊ねながら、何気なく衣桜の様子をちらっと確認すると、膝の上に父さんの手記を広げた状態で、僕と小野さんのやり取りを聞いていた。

「欠点? そうねえ、そそっかしかったところかな」

「そそっかしい、ですか」

「ヌケてるっていうかさ。財布とかケータイよく失くしてた気がするし──あと、これは同棲してた時の話なんだけど」

「同棲……?」

「そう。陽代ちゃんとさ、大学卒業後に同棲してたんだけど、広垣くんが陽代ちゃんのお気に入りだったコップを割っちゃって大喧嘩してたなあ、って」

 要するに、ドジ。あと、母さんとは同棲をしていたらしい。手記には「あの時は、こんな性悪の女がいるもんかと本気で慄いていた」なんて書いてあったけど、どうやって知りあったのだろう。

「陽代ちゃんは後から私達と遊ぶようになったんだよ、確か」

 訊ねてみると、小野さんは頬を指で突きながら言った。

「広垣くんが連れて来てさ。なんか彼の地元のレンタルビデオ屋に、広垣くんがすごい気に入ってる映画が一本だけあってよく借りてたらしいんだけど、ある日目の前で別の人に持って行かれちゃったんだって」

「それを持って行ったのが、僕の母さんだったんですか?」

「そういうことね。で、なんかそれで喧嘩になって」

 小野さんは「喧嘩ばっか」と言って笑う。

「結局、それを一緒に観たんだって。広垣くん家で」

「……映画みたいな話ですね」

「本当にね。それで、観終わったら解釈が割れてまた喧嘩。後は機会を見つけては喧嘩、喧嘩、喧嘩。気づいたら付き合ってたって、冗談みたいな話なの」

 小野さんは、また軽快な笑い声をあげた。僕もつられて笑ってしまう。今までの父さんの情報からは、喧嘩なんてするような気配は感じなかっただけに、ここまで来るとコミカルですらある。

 ふと、はらり、とページのめくれる音がした。

 衣桜が手記のページを進めたのだ。当然のことだが、ページを進めるということは、そのページはもう読めたということだ。読めるようになった、ということだ。緊張で僕の手が強張る。

 小野さんは衣桜の変化に気付くことなく、話を続けた。

「それでたまたま大学一緒だったから、私達のグループに合流して……ああ、でもすぐ大学卒業だったっけ。陽代ちゃんは大学院入ったけど私達はみんな就職だったから、遊ぶこともなくなって」

「なるほど……父さんは雑誌記者ですよね」

「そうそう。新聞記者やりたかったけど全滅したから、雑誌社に入ったって。書くの好きな人だったからね。……そういえば、小学生の時に作った新聞で何かの特賞もらったとか、言ってたような」

 衣桜がページをめくった。僕は自分の心臓が早く脈打つのを感じる。

「母さんは大学院に」

「うん、変わってる人だったからねえ。でも、院出て就職するって聞いた時びっくりしちゃった。てっきり、学問の方を極めるかと思ってたんだけど、ふらっと受けた会社に採用されたから働くって……あの時もう、結婚のことを考えてたんでしょうね」

 小野さんは感慨深そうに言った。結婚のこと──ようやく、僕という姿が像を結び始める。

「父さん達はいつ頃、どうして媛倉市にやってきたんですか?」

「さあ……ごめんなさいね、大学卒業した後のことはあまり詳しくないの」

「あ……そうでした、すいません」

 僕は勢いづいて質問を重ねたことを反省した。なんとなく、このまま僕の誕生まで駒を進められそうな気がしてしまったのだ。

 でも、そんなことは不可能なのだ。小野さんが知るはずもない。僕が両親と接触できたのは十七年前の一瞬間だけで、誰もその光景を見ていないのだから。

 ただ、父さんを除いては。父さんの手記を除いては。

 小野さんが麦茶を口にする間、沈黙が生まれた。

「良い友達だったのに……残念だった」

 それから、小野さんはぽつりと言った。その胸中に渦巻く感情を、僕はとても想像できない。

 ただ、僕はその憂いに満ちた表情を見て、どうしても訊いてみたくなった。

「あの事件の真相……知りたいと思いますか?」

 小野さんは静かに、コップをテーブルに戻した。

「さあ……私はもうどっちでも良いかな。亡くなった人が、帰ってくるわけでもないからね。それよりもむしろ、忘れたい──あの時の痛みとか、悲しさとか、そういうのを身に沁みないようにして欲しい。もちろん、忘れちゃいけなくて、そういう痛みの先で生きなきゃいけないって、わかってるんだけどね」

 知ってもどうしようもない。亡くなった人が帰ってくるわけでもない。

 当たり前の話だけど、ポストプロテスの人達はこのどうしようもなさに、どう対処しているのだろうか。ある意味、篠園さんのように真理と信頼に執着できるのは幸せなことかも知れない。

 ……もう引き際だろう、と僕は判断した。

「何か訊きたいことある?」

 僕は小野さんの言ったことを書き留めてから、衣桜に訊いた。一応、形式的な確認として訊いたつもりだったんだけど、衣桜は手記から目を上げると、事前に準備してきたような淀みなさで、小野さんに質問した。

「むすびきょうごって人、知っていますか?」

 僕は一瞬、それが人の名前だということが呑み込めなかった。

 そんな名前、見たことも、聞いたこともなかったが、小野さんは相好を崩して、

「ああ、結くんね。知ってるも何も、大学で遊んでたグループのうちの一人。広垣くんと仲が良かったみたい」

「ビリヤードうまいんですか?」

「うん、そうそう! すっごい上手で、広垣くんが、唯一あいつにだけは勝てないってぼやいてたの覚えてる」

「じゃあ一緒の人だ。えっと、結さんってどんな人なんですか?」

 衣桜のざっくりとした質問に、小野さんは困ったように少し黙り込むと、やがて懐かしむように言った。

「明るくて、面白い人だった。彼も……媛倉事件で亡くなったの」

 新しい謎の人物の登場に、僕は全くついていけなかった。


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