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第二章 -5

 静歌はベッド脇の椅子に腰を下ろして、さっきから切り出したくてたまらなかった本題を口にする。

「それで、お話っていうのはまさに今言った、媛倉事件についてのことなのだけど、是非ともその調査に協力してもらいたいの」

「調査? わたしに? どうして?」

「それは、あなたが媛倉事件の被害者のひとりだから」

 衣桜はこの人は何を言っているのかわからない、というふうに僕の方を見た。どうも、自分がどんな目にあってきたのかがわかっていないらしい。多分、父さんの手記に書かれていたこともフィクションだと思ってるんじゃないか。

「静歌の言ってることは事実だよ。君はどうやら十七年前の事件の最中に冷凍庫の中に逃げ込んだらしくって、昨日ようやく目を覚ましたんだ」

 それから僕と静歌は懇切丁寧に媛倉事件の概要と、衣桜の身の上について説明した。ちなみに、静歌は衣桜の身元について既に調査依頼を出しており、軽くデータベースで調べた限りでも、日鞍性の人々は死者・行方不明者に一揃い載っていた。むろん、衣桜の名前も含まれている。つまり、衣桜には身寄りがいないのだけど、それについては当然、伏せておいた。

 いずれ、知ることにはなるのだけども、一応。

「遼喜、いまの話本当?」

 あらかた説明し終えたところで、衣桜は僕に確認を取ってきた。

「うん、全部本当のことだ」

「そうなんだ。なら、わかりました」

 衣桜はちょっとした伝言を預かったような気軽さで言った。僕と静歌は顔を見合わせる。まるで他人事、海の向こうの国の話を聞いたかのような反応に、僕達は困惑する。

「わかってくれたなら良いけど……」

 流石に静歌はプロなので、言葉を濁しながらも話を次に進めた。

「あなたは媛倉事件で実際に被害にあって、いま生き残っているほぼ唯一の証人です。あなた自身は……事件に遭った記憶はないかもしれないけど、あなたの身体には何らかの手がかりが残されている可能性がある。私達は、あなたを安全な施設で安全な検査を施すことによって、それを明らかにしたい」

 衣桜はぼうっとした表情で静歌の話を聞いていたが、

「わたしが調査されるの?」

「そう。まずは東京にある病院に移動してもらって、精密検査から心理テストまでの何ステップかの検査に──」

「『私達』って誰のこと?」

 流石プロ調査員の静歌だが、衣桜の流れの読まなさもなかなかに冴えている。静歌は面食らったように「えっと……」と言い淀んでから、

「弊社ポストプロテスのこと」

「わたしがわたしで、ポストプロテスが君。それで遼喜は第三者?」

「うん……そういうことになるかな」

「それじゃダメ!」

 衣桜は急に大きな声を出して、それを拒んだ。そして、唖然とする僕の腕をまたも引っ張り、ひしっと抱きついてくる。

「ダメ! わたしがわたしで、遼喜が君じゃないとダメ。そうじゃないと、わたしはわたしじゃないもの」

 それを聞いて僕は素直に嬉しかったが──、その強烈な依存心に疑問を抱かないでもなかった。いくらなんでも盲目的すぎやしないか? いくらなんでも無根拠すぎやしないか? 僕という人間は、君にとってそれほど安心できる存在なのか?

 僕は違うと思う。なぜなら僕だって僕自身に安心していないからだ。安住できていないからだ。

 それなのに、僕は衣桜といていいのだろうか?

 今まで散々、彼女を助けようとしていたクセに。そんなことを思ってしまう。

 僕は──僕も、 衣桜を拠り所にしたかっただけなのかも知れない。だからといって、何がどうなるというわけじゃないけど。全部僕の中での話だし。

 静歌はこめかみに指をあてて、どう説得したものかと考えあぐねていたが、やがて言葉を選びながら言う。

「……あのね、日鞍さん。媛倉事件っていうはね、三万人もの犠牲者を出した二十一世紀最大の──」

「そんなの知らないもん。わたしとは関係ない」

「関係ないってあなたね……」

 衣桜は聞く耳を一切持たず、つんと澄ましている。これには僕も呆れるほかない。

「これは後で言うつもりだったけど、あなたの家族や友人だって亡くなっているの。原因不明のヒステリーでね。あなたの助けで、また同じ悲劇を防げるの。だからお願い、協力して」

 静歌も焦ってきて、衣桜の肉親のことまで口走ってしまっている。

 とはいえ、こう言われてしまえば普通の人は調査に協力すると思う。というか、もはや協力を拒める空気ではない。それだけ静歌の説明は真に迫っているし、何より究明への情熱は静歌の本心なんだろうと思う。

 しかし、衣桜は動じも沈みもしなかった。

「家族とか、友人なんて知らない。わたしが知っているのは遼喜のことだけだから」

 そして、相変わらず僕の腕をホールド。まるで、自分の輪郭を確かめるかのようにがっちりと。

 これだけ僕への依存をアピールされたら、矛先がこちらを向くのも当然のことで、静歌の視線が僕をぐい、ととらえた。

「じゃあ、遼喜。あなたが教えてあげて。日鞍衣桜は私達への協力を惜しむべきじゃない、って!」

 ここまで来るともはや暴論だ。真実を掬い上げ公正の光もとに曝す役目を持つ調査会社のはずが、これでは真実を巻き上げるだけの過去の悪しき強行捜査と変わらないじゃないか。

「お、落ち着いてよ……それじゃ、衣桜の意志に基づく『同意』じゃなくなる」

「うぐ。で、でも……」

 僕が指摘すると、静歌の勢いは一気に衰えた。

「ここで日鞍さんに協力してくれるって、言ってもらえないと……私、もう会社に連絡通しちゃったの。今日中に話をつけて、日鞍さんの身柄を預かるって」

「今日中? ってことは、もう迎えが来てるっていうこと?」

「うん……それもヘリで。全速力で」

「……衣桜、すごい嫌がるだろうな」

「そうするとちょっと私の立場が……アレしちゃうかも。同意もらってるので大丈夫です、ってもう言っちゃったし……」

「えええ! 何でそういうこと言っちゃうわけ!」

 それじゃあ、まるきり口先だけの営業マンだ。

「だって……そうでもしないと──」

 静歌は何かを言いかけて、押し黙る。そこから先は大人の事情というわけで、僕もあんまり聞きたくないことだった。

「って、言ってるけど……どう?」

 気まずい空気になりかけたので、僕は一応衣桜に意見を求めたものの、

「うん? 何が?」

 にべもない。その態度はあまりにも残酷過ぎる気がするが、衣桜にとってはどうでも良いんだろう。彼女にとって、静歌は本当に第三者でしかないらしい。

 ということは──この状況をどう打開するも僕次第ということになってしまった。いつの間に蚊帳の内側に引っ張りこまれていたんだろう。僕が衣桜に自らをサンプルとして提出しろ、と命令すれば衣桜は喜んでするだろうし、僕が衣桜はこう言ってるし諦めて、と言えば静歌は人生史にこの失態を刻みつけることになる。

 そもそもの話、衣桜もちゃんと「翻訳」してやれば僕以外の人とも普通に接せるようだし、ポストプロテスに引き渡しても僕がついていけば問題なさそうである。

 でも、と僕は思い直す。僕の今回の旅は、両親の足跡を辿る以上の意味がある。ある意味で僕を生んだ「媛倉事件」という事象を僕自身で実感して、何らかの答えを導き出すこと。そのためには、やっぱり媛倉という土地で過ごす必要があるのだ。

 それなら、衣桜と一緒がいいに決まっている。一緒に両親のことを調べて、一緒に知り、手記を翻訳してもらうのだ。調査の効率が悪いだなんて言わせない、僕にとってはたった一週間の猶予しか残されていないのだから、世間には一週間くらい待ってもらってもいいじゃないか。

「じゃあ、こうしようよ」

 僕は言った。

「僕が媛倉で滞在する一週間は、衣桜はここにいる。一週間が過ぎたらポストプロテスに衣桜は保護してもらう。それでいいでしょ?」

 まぁ、正確には一週間のうちの初日は昨日終わっているので、今日を含めた六日間だけど。

「一週間過ぎたら遼喜いなくなるの?」

 衣桜が真っ先に反応して、不安そうな表情を見せる。

「いや、いなくならないよ。僕もついていくから安心して」

「それなら……いいけど」

「それで、私の方は一週間、上がやってくるのを足止めしてろってことね」

 静歌が苦虫を噛み潰したように言ったので、僕は苦笑する。見切り発車した罰としては適当な重さだと思う。

「うん、よろしく」

「はぁ……わかった、出来る限り説得してみる。ちょっとくらい滞在が短くなっても恨まないでね」

 静歌は投げやりな調子で言った。



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