第四十八睡 天使の親分
「大……天使……?」
テスティニアと名乗る女性は、バサリと遠くまで飛んでいくと機嫌良さそうに俺を見た。確かに純白のローブと羽根、そして頭のあの……輪っかみたいなので、パッと見で天使だってのは分かるけどさ。大天使って……?
「大天使はね、天使たちの親分みたいなもの。私はもう三千年近くもこの肩書きを背負っているわ」
表情から察したのだろうか、テスティニア……さん? いや、癪だな。いくら大天使とか言う聞くからに偉いっぽい身分でも、いきなり相手にストンピングを決めるような非常識で乱暴な相手に敬意を払う理由もなし。向こうだって俺のこと死人って呼んでくるし。俺が疑問に思っていることに答えてくれた。なんで聞きたがってることが分かったのか。
「へえ、あんた偉いんだなババア――――っぶね! ちょちょちょちょちょ……」
俺の元へ光る矢が何十本も同時に飛んできた。俺は足をバタバタ動かしてそれらを避ける。
「さっきからダラダラとうるさいわね。色々と腹の立つ箇所はあるけれど、まず言っておきたいことは………私はババアじゃないわ。生きてる時間が長いだけよ……覚えておきなさい、死人」
いつの間にやら巨大な弓を構えていたテスティニアは、俺の方に“天使の真っ黒スマイル~季節の殺気を添えて~”を向けていた。ふええ、怖いよお……。
つか、気のせいかな。このババア、さっきから俺の……。
バシュンと音がしたと思えば、弓が目前に迫っていた。俺は咄嗟にイナバウアーをして回避を試みる。弓は腹のスレスレを通っていった。何で咄嗟にイナバウアー出来るんだろう、俺。
「だぁぁぁから、ババアじゃないって言ってるでしょう? し・び・と?」
「……危ないっての……」
そしてやっぱり思った通りだった。この女、俺の語りを……
「やっと気付いたの? ご名答よ。私はあんたの心が読める。だから心の中で私に失礼にあたる事を思っても、全て筒抜けってワケよ」
最悪だ。思ったことを好き勝手言える俺の聖域が、こんなババ………この世のものとは思えないほど見事な美貌と色気を兼ね備えた、思わず見惚れてしまうような、まさに神ががって美しいBBAに踏み荒らされ……
「最終的にババアなんかい!!」
「ごふっ……!」
超高速で飛んできたテスティニア……様は、俺の顔を鷲掴みにして、思い切り地面に叩きつけた。キツい、ツッコミがキツいわ。
にしても心が読まれる、か……。なんか監視されてるみたいで嫌だな。せめてここでは自由に喋りたいのに。様づけしなくちゃいけないなんて。
「そう、私は大天使。言葉でも、そして心でも、私を崇めるのよ! ババア呼ばわりや呼び捨てなんて、もってのほか! ちゃんと“様”をつけ奉り申し上げなさい!」
古典の授業が終わった後の十分休憩で早速習った敬語使ってはしゃぐバカ生徒みたいなこと言い出した。
「さっきからちっとも話が進んでねぇやな。そろそろ本題に行こうぜ」
「うっ……うるさいわね! あんたみたいな死人に言われなくても、そうするつもりだったわよ!」
「そうそれ、そのことを聞こうとしてたんだよ」
俺はテスティニア様にビシッと指を差した。
「さっきから俺のこと死人って呼んでるけどさ。俺ってマジで死んだんだよな?」
「ええ、あんたは死んだわ。正確には殺された……他でもない、アイリにね」
変な感じだ。自分が本当に死んだかどうかを、誰かに確認しているなんて。
「“死んだわ”じゃねぇっつの。俺を殺したのが天使のタラ子なら、その親分である大天使のあんたにも少なからず責任があるってことだろ?」
「知らないわよ。天国は放任主義なんだから」
テスティニア様は爪をいじくりながらダルそうに言った。放任主義て……。
「それにね、あの子は……アイリは、他の天使とは違うのよ」
テスティニア様が俺の方を見ずに言う。他の天使とは違う……そんなの分かってる。天使が人を殺めてたまるかっての。
「そういうことじゃないわ。あの子は……アイリは“取り残された”天使なのよ」
「はぁ……?」
言っている意味が1ナノも分からなかった。
「そっ……そんなことはどうでもいいのよ!! とにかく、あんたは死んだの! ほんと、バカな死に方だわ。情けなすぎて、思い出すだけでこっちが泣けてくるわよ」
「待てよ。さっきから気になってたんだけど……あんた、俺が殺されたとか、どんな死に方だったとか、何で分かるんだ?」
小首を傾げて質問する。
「ん、いい質問だわ。存外バカでもないみたいね」
「なんだとこのババ……ロア食いたい」
「……まあいいわ。タネはこれよ」
テスティニア様は右ななめ上方向にバッと手を伸ばした。直後、大きなモニターのようなものが出現した。そこに映っていたのは……暗闇の中で目を見開いてショーケースにもたれかかり絶命している、俺の死体だった。
「どう、変な感じでしょ? 自分の死体を客観的に、生中継で見るのって。今ここにいるあんたは、魂だけの存在。体はそのまま、下界に留まり続けるわ」
「へえ、なるほど。こりゃ確かに絶景だね。あんたはこのモニターで、死にゆく俺のことを助けもせず、ただ眺めてたってわけだ。いい趣味してんな」
テスティニア様の隣に立ってモニターを見上げながら、十八番の皮肉を贅沢に使った台詞を吐き捨てる。
「あら、生に無頓着そうなあんたでも、自分の死体を目の当たりにしたら、気分を損ねるものなのね。そんなに怒らないでよ……私だってあんただけを常に見てあげられるほど暇じゃないの。私は天界から、あんた以外の色んな人間の行動を観察しとかなくちゃいけない。例えば……あんたの妹さんとかね」
体がピクリと反応した。
「杏菜に……何かあったのか……?」
「あんたの町を壊滅状態にさせるような超強い敵と正面衝突よ。可哀想にね」
俺はテスティニアの胸ぐらを思いっきり掴んだ。
「杏菜は……無事なのか……!?」
「あら、そんな目も出来るんじゃない。そっちの方が男らし」
「答えろ!!」
テスティニアは取り乱した俺を見て静かに笑った。
「……大丈夫よ。あなたがここに来る少し前に、私の腕利きの部下二人を向かわせたわ。いかんせん詰めが甘い子たちだから、止めは刺さなかったみたいだけどね。今はあんたの両親と五人で仲良く夕食タイム。なんにせよ、妹さんは無事。町も元に戻ったから安心していいわよ」
テスティニアは別の方向に手を伸ばし、モニターをつけた。そこには飽きるほど見てきたはずなのに、懐かしさに胸が締め付けられるような、俺の家のリビングが映し出された。父さんと母さん……そして黒い服の優しそうな男と黄緑髪の小さい女が、ニコニコと談笑しながら食卓を囲んでいる。良かった……五人とも仲が良さそうだ。テスティニアの部下とか言う二人も悪い奴には見えないし。
テスティニアの部下ってくらいだから、机ひっくり返すような野蛮人だったらどうしようと心配してたけど……微笑ましい光景だ。これは大丈夫そうだな。




