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12/06 Mon.-4

 社長室は、白い靄がかかっていた。


 スッパスッパスッパ。


 カイトが、とめどなくタバコをふかし続けているからだ。

 会社に来ると、途端にタバコの虫になってしまうのである。


 悪い空気が立ちこめた部屋の中で、彼は次々に書類をめくっていた。


 速読が出来るというよりも、ナナメ読みをしているのだ。


 ほとんどの書類を作成したのはシュウで、彼のサインの入っている書類に関しては、ノーチェック状態である。


 シュウがこの会社を乗っ取ろうともくろんだら、きっと1日もかからないだろう。


 今日のカイトは、そのナナメ読み度がいつもよりも高かった。


 気になることが、頭を占有しているからである。


 困ったことに、最近いつも占有しているのはただ一人。


 このタバコの原因でもあった。


 会社に来るとタバコを吸うというのは、ひっくり返せば、彼女から離れればタバコが吸いたくなるということである。


 その証拠に、家ではほとんど吸っていない。

 自覚はカイトにはなかったけれども。


 彼女が――メイが、おかしい態度を取ったのだ。


 起こす時もそうだし、朝食の時も、ネクタイの時も。


 問いつめようとしたけれども、大丈夫だと言い含められて追い出された。


 あんな真っ赤な顔をして。


 熱があるのを隠しているのではないかと思うと、気が気ではなくなるのだ。


 隠しそうな性格だからである。


 その上、カイトが仕事に出ている時に、ゆっくり寝るような性格でもない。


 絶対に、今頃掃除をしているに違いないのだ。


 イラッ。


 それを思うと、またタバコを深く吸い込む。

 身体に悪い精神安定剤である。


『社長…』


 ブツッという音が鳴った後、秘書の声がフォンから聞こえてきた。


『お電話が入っております』


 彼女は、呼ばれない限りは入ってこない。


 カイトも入るなと言っているし、向こうも入りたくもないようだ。


 お互いの利害が一致している。


「誰だ」


 くわえタバコのまま、余りはっきりしない発音で聞いた。


『M大の教授からですが…』


 秘書の声に、彼はぴたっと動きを止める。

 知っている名前の大学だったのだ。


 それもそのはず。


 カイトが中退し、ソウマやハルコやシュウが卒業した母校だった。


 忘れるはずがない。


 しかし、今更何の用なのか。


 ちゃんと中退手続きをしたかどうか、記憶が怪しかったところがあるので、その件についてだろうか。


「つなげ」


 不機嫌なまま書類を置いて、電話を取った。


「もしもし」


 タバコを、ほとんど隙間のない灰皿のフチに押しつけながら、深い息を吐いた。


『私だ…』


 ぴき。


 カイトは受話器を一度耳から離し、じっくり眺めてしまった。


 聞き覚えのある声だったのである。


 検索システムが頭の中を回り、余り嬉しくない相手の名前を引き出してきた。


『聞いているのか?』


 見つめた受話器から、またもあの声が流れる。

 ふぅっと息を吐きながら、カイトは耳に受話器を当てた。


「聞こえてるぜ」


 苦々しい声になるのは止められなかった。


 確かに相手はM大の教授だ。


 しかし、それは決して好きな相手ではないのだから。


 名前は。


『まさか、私を忘れたわけではあるまいな』


 こんなタカビーな声と古くさい言葉を使う教授は、おめーぐらいだよ、と内心で毒づく。


 名前は――アオイ教授。


 権威主義者の塊のような、次期学長候補間違いナシと言われている教授だ。


 本当になれるかどうか、ソウマが賭けようと言い出して、カイトは『寸前でダークホースにかっさらわれて、学長にはなれねー』という結果を出していた。


 まだ、次期学長を選出する事態にはなっていないので、賭の決着はついていない。


「何の用だ?」


 カイトの口調は、その次期学長様に向けるようなものではなかった。


 賭の対象にはしたけれども、彼にとっては鼻につくイヤなヤツでしかないのだ。


 何故、今更電話なんかしてくるのか、理解できなかった。


 シュウたちになら分かる。


 何しろ、彼らはちゃんと卒業しているのだ。


 しかし、中退の―― いわゆる、アオイにとっては挫折者扱いしてもおかしくない相手である自分に、電話がかかってきたのだ。


 同窓会のお知らせなんていう、トボケた内容でないことは分かっているが。


『会社の経営者ともあろうものが、そのような口のきき方をするなど! 世の中は、そんなに甘くないぞ!』


 またも、カイトは受話器から耳を離さなければならなくなる。


 電話であることを考えていない音量だったのだ。


「用がねぇなら切るぜ…会社の経営者は、教授みてーにヒマじゃねーからな」


 怒鳴らせっぱなしで終わるハズもなかった。


 昔からカイトは、彼を憤死寸前にまで追い込んでいた男だ。


 どうにも下賤なカイトに刃向かわれると、プライドに障るらしい。

 それがイヤなら、電話などかけてこなければいいのだ。


『せっかく、私がお前に素晴らしい見合い相手を紹介しようと思って電話したというのに、何ということだ!』


 わなわなと震えた声のアオイの声は、それで終わりだった。


 ガチャーン!!!!


 カイトが受話器を叩きつけたのである。


 くだらない内容どころではなかった。

 ふざけるにもホドがある。


 彼に、見合い相手を世話しようなどと思っていたのだ。あの頑固教授は。


 何度も言うが、シュウに話が来るなら分かる。


 まだ彼の方が、アオイには好かれていたハズだ。

 目立って刃向かいもしない男だった。


 決して、従属はしていなかったけれども。


 前に見たのは、ソウマとハルコの結婚式の時である。


 何で呼んだんだと、そりゃあもうカイトは新郎と新婦に詰め寄ったものだった。


『あら、そんなに毛嫌いするほど悪い人じゃないわよ』


 などと気楽なことを言われたが、それは素行がマシな人間にとっては、だろう。


 もしくは、アオイの言葉を笑って受け流せるかどうか。


 カイトは。


 いちいちカチンと来て、噛みついてしまうのである。


 大体、向こうが近付いてさえこなければ噛みつく労力もいらないのだが、わざわざあの結婚式の時でも近付いてきては、クドクドと説教たれたのである。


 結婚式から、速攻で逃亡した記憶しか残っていなかった。


 あれが最後だと信じて疑っていなかったというのに、また出てきたのだ。


 更にイライラして、またタバコに火をつけた。


 しかし、ダメだ。


 頭の中には、メイがあんな顔で残っているし、それを邪魔するように思い出したくもない教授の顔がチラつくのである。


 物凄い邪魔だった。


 カイトは席を立った。


 書類のチェックでは、決してその二つを払拭できないことを知っていたのだ。


「どちらへ?」


 ドアを出ると、たまにしか聞かない秘書の肉声を聞くことが出来る。


 別に聞きたくはないのだが。


「開発室だ」


 言葉はそれだけでよかった。


 もう、後方からは続けて言葉はこなかったし、答える気もない。


 大股で、カイトはオモチャ箱へと急いだのだった。


 ※


 日曜日のチョンボがあったせいで、ますますカイトは残業できない身体になってしまった。


 おまけに、今朝のメイの態度も意識に残ったまま。


 だが、そういう日に限って定時に帰れないのである。


 原因は、カイト自身にあった。


 今日中に片づけておいてくださいとシュウに言われた書類をけっ飛ばして、開発室にこもってしまったせいだ。


 原因をたどればアオイ教授のせいなのだが、そんな理屈があの副社長に通じるはずもなかった。


 ついつい開発に熱中してしまったのが、一番の敗因でもある。


 カイトは、社長室の書類の山をめくりながら、ケイタイを取った。


 …クソッ。


 自分らしくないのは百も承知だ。


 けれども、もうあんな顔は見たくないのである。


 針山になるのは、死んで地獄に堕ちてからだって遅くはないのだ。


 かけ慣れない番号を押す。


 思えば家に電話をかけることなど、ないに等しかった。

 だから、番号を押すのに違和感を感じるのである。


『はい、もしもし』


 しばらくコールがあった後、電話は取られた。


 分かっていながらも、ドキッとしてしまう。

 耳元から、彼女の声が聞こえてくるのだ。


 メイの声が。


『…もしもし?』


 カイトは、それに魂を持っていかれかけていた。


 だから、しゃべるのを忘れていたのだ。

 彼女の問いかけが怪訝になる。


「…オレだ」


 慌てて出した声は、不機嫌な音だった。


 いま、わざわざ電話をかけている自分が気に入らないのだ。


『あ……はい』


 電話の向こうもそれで気づいたのか、ほっとしたような、それでいて落ち着かないような声で応対した。


 彼女も、電話のカイトに慣れていないのだろう。


「今日は…遅くなる」


 ぼそっ、ぼそぼそっ。


 誰が聞いているワケではないのだが、どうにもこういう言葉を言うことに慣れていなかった。


 口が、彼に反抗しようとする。


『そうですか…あっ、何時くらいになりそうです?』


 一瞬、電話の声が暗く沈んだ。


 しかし、すぐに気を取り直したかのように声が投げられる。


 カイトは、机の上の書類をぱらっと指先でめくった。


 まだ、結構な量である。


 彼がデスクワークを嫌いだということを何度も主張するものだから、シュウが毎日少しずつではなく、急ぎのもの以外はまとめて10日に一度くらいに処理するようにしているせいだ。


 それには、カイトの意見も入っているので、今更不満を言うワケにもいかなかった。


「遅くなる…先に食べて寝てろ」


 最後の方の言葉に、少し力を込めた。


 言わなければ、ご飯も食べずに起きて待っているような気がしたからだ。


 そんなことされた日には、彼は本当にまったく残業なんか出来ない身体に成り下がってしまうのである。


 書類日は、大した残業ではない。


 しかし、ゲームの納期近くはこんなものじゃないのだ。

 それを考えると、そんな厄介な身体になるワケにはいかない。


 既に、もう重傷に近かったが。


『あ…はい、分かりました…気をつけてくださいね』


 何に気をつけろと言っているのか、カイトは分からなかった。


 短く「ああ」とだけ答えて電話を切った。


 体調のことを言うのならば、最近の生活の方が、健全過ぎておかしくなりそうなくらいだった。


 食事もキチンと取る。かなり早く寝ているし。


 要するに、信じられない品行方正ぶりである。


 車に気をつけて、と言われる年齢はもう通り越したはずだった。


 何について気をつけろと言うのか。


 カイトは、ケイタイを持ったまま考え込んでしまった。


 多分、彼女はそんなに深い意味で言ったのではないのだろう。


 無意識に生まれたような言葉。


 まるで、家族が遅くなる時に反射的に出てしまう、そんな他愛ない――


 家族。


 ぼんっ、とカイトの頭は爆発した。



 何、考えてんだ…オレぁ。


 ムキになって追い払いながら、彼は書類をめくった。


 そっちに集中しようとしたのだ。


 自分にとって信じられないことをさせてくれた、忌まわしいケイタイを机の隅に放って、斜め読みに入るのだ。


『社長、副社長がお見えです』


 タイミングとしてはよかったのか―― 悪かったのか。


 少なくとも、電話の最中でなかったことだけは幸いだったか。


 カイトは、フォンの声に顔を上げた。


 ドアが開くところだった。


「お疲れさまです…」


 入ってきたシュウの手には、新しい書類の束。

 カイトはそれを見て、やる気ゲージをまた下げてしまった。


「今回は、これで最後です」


 副社長様とやらは、そうして机の上にその束を置く。


「今度から、メール決済にしろ」


 自分の目の前に積んである山を、げんなりと押しやりながら、カイトは唸った。


 これとネクタイ仕事さえなければ、社長をやっていても別に問題はないのに。


 いや、それでは一般開発社員と、何ら仕事が変わらなくなってしまうか。


「そんなことをしようものなら、自動チェックソフトを作って、それに決済させるに違いないでしょう」


 しかし、シュウはまったく取り合う様子もない。


 言っていることは極端にしても、外れていないことも確かである。


 カイトに社長仕事をさせるには、デジタルから引き剥がしてアナログの土俵に持ち込まなければいけないのだ。


 ムスッと黙り込んで、カイトは仕事をとにかく終わらせようとした。


 言い争っている間に、無駄な時間が費やされることに気づいてしまったのである。


 そんな彼を見やって―― しかし、シュウは出ていこうとしない。


「何だ?」


 ギロッと書類から睨み上げる。


 おとなしく書類仕事をしてやっているのだ。


 これ以上、機嫌を壊す真似をされたくなかった。


「実は…」


 シュウは、ふーっと息を吐きながら切り出そうとした。


「実は、アオイ教授から電話がありまして…」


 そこから先は、全部聞かなくても分かった。


「出てけ」


 にべもなく言った。


 彼の話は、もう一切したくなかったのである。


 忌々しい教授の名前も、ツラも思い出したくなかった。

 その上、何をフザケたか『見合い』と来たものだ。


 これ以上、カイトがキレない内に、おとなしく書類仕事をしている内に、出ていくのが得策だ。


「社長が、詳細も聞かれずに電話を切られたそうで、私の方に詳しい話が回って参りました。相手の方は…!」


 シャッッ!


 シュウは、黙らなかった。

 出てもいかなかった。


 その眼鏡の向こうの目が、驚いたのが分かった。


 当然だ。

 カイトは、一番上の書類をひっつかむなり、勢いよく二つに裂いたのだから。


「社長…」


 その所業に、シュウは眉を顰める。


 まだいやがる気か!


 シャッッ!


 カイトは二枚目の書類も裂いた。


 ようやく。


 シュウは、その件の話をするのが不可能だと分かったのだろう。


 ため息を一つついて、裂かれた書類を受け取ると、無言のまま出て行ったのだった。


 クソッ。


 残り全部裂いてしまえばよかったと思うくらいムカムカしながら、カイトはまず頭を冷やすことから始めなければならなかった。


 頭に来すぎて、全然書類の文字が目に入ってこないせいだ。


 何が見合いだ! 結婚だ!


 どいつもこいつもヌルい頭しやがって。


 シュウのロボットまで、何を言いやがる!



 おかげで―― 仕事は長引く一方だった。

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