11/29 Mon.-8
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コンピュータを置き去りに振り返る。
ベッドの方を、だ。
瞬間、先にベッドに入っていた彼女がぱっと動いた。
カイトの方を見ていたのだろうか。
慌てたような動きで、背中を向けられる。
彼を見ているのは黒い髪だけで。
まだ、ほとんど乾いていないままだった。
ドライヤー一つ貸してやれない唐変木な自分に、そこで初めて気がついた。
しかし、そんなことよりも重要なことが、カイトにはあったのである。
ベッドは―― 一つなのだ。
彼のベッドは、とにかく大きい。
二人の人間が離れて眠っても平気なくらいである。
触らなければ、いいのだ。
カイトは、自分にそう言い聞かせた。
触らなければ、さっきの手のように妙な感触につきまとわれて、イラ立つことなどないのである。
もう一度、二度、言い聞かせる。
そうしてベッドに向かった。
ざくざくと歩いて。
黒い髪がどんどん近づいてくる。
ベッドの端に膝をかけた。
こういう時のベッドのきしみは、イヤなくらい大きな音で聞こえる。
気にしないフリをしながら、毛布に手をかけた。
毛布は、一つしかないのだ。
分け合うしかない。
本当は、どこかを探せばもう一つ毛布を見つけることが出来るのだろうが、そのどこか、とやらを彼は知らないのだ。
家政婦か、相棒なら知っているのだろうが。
興味のないことには、とことん疎い生活をしているのである。
そうして――潜り込もうとした。
ベッドに完全に乗り上がるまでした。
彼が毛布をめくったことにより、メイの背中がわずかに露出する。
勿論、シャツの背中だ。
その背中が。
震えて、いた。
――!
カイトに、何かされると思っているのだ。
んなワケねーだろ!
内心で、カイトは彼女を責めた。
さわれねぇ、まで思った彼を捕まえて、ひどい濡れ衣を着せるものである。
理不尽な気分が、彼の回りを取り囲む。
ムスッ。
毛布の中に潜り込めずに、カイトは不機嫌な顔になった。
ここで。
『何にもしねーよ』
と言えればよかったのだ。
それだけでも、きっと何かが変わったハズなのに、カイトは言えなかった。
ただ、彼女の脅えに怒りを感じるだけなのだ。
何で、オレが、オレが……オレが!
焼け付くような衝動がわき上がった。
彼女の背中を、見つめているだけなのに。
何も言葉を交わしてもいないのに。
ただ、彼女の自分に対する扱いが、ひどく気に入らないのだ。
怖がんなよ!
何で、オレを怖がってばっかなんだよ!
怖がらせたいワケじゃないのだ、カイトは。
何もしてないのに――いや、衝動的に抱きしめてしまったのと腕を掴んだのと、確かにそのくらいはあったけれども、実質的には何もしていないに等しい。
それなのに、どうして彼女はカイトを怖がるのだ。
不安そうな目をして。
取って食われるとでも、思っているのだろうか。
取って。
ジリッ。
手が。
熱いような気がした。
まるで違う生き物だ。
触れた彼女の感触を、また彼は思い出してしまったのである。
手じゃなくて、腕もその感触を覚えたがっていた。
胸も――手から伝染していくかのように、熱い感触が伝わっていく。
分かった。
分かったら、愕然とした。
自分は。
カイトは――彼女に触れたいのだ。
あの場所に置いておくのがイヤなだけなら、金で解放してバイバイでいいハズだった。
なのに、連れて帰って来た。
持て余すことなど、最初から分かっているというのに。
手で触れるだけじゃなくって、身体中で彼女を抱きしめたいのだ。
ま……待て。
カイトは、狼狽した。
こんな感じは、自分の中にこれまで一度だってなかったものだ。
どこにあったかすら、知らなかったものである。
そんなものがいきなり首をもたげて、切れ味のいいカマで、彼の心臓を人質に取ったのだ。
そうして、たった今、自分に言ったのだ。
『女を寄越せ……さもなくば……』
さもなくば?
ズキンズキンと胸が痛い。
人質に取られているせいだ。
物凄い速度で鼓動を叩きつける。
ま、待て……。
誰も急いでいないというのに、カイトはもう一度自分に言った。
何を、考えてるんだ、オレは。
自分を落ちつかせようとした。
なのに、腕も胸も彼に逆らうような感じがするのだ。
このままベッドに入れば、たとえ離れていたとしても、自分が意思とは違う状態に追いつめられそうな気がする。
「クソッ!」
カイトは唸った。
ダメ、だ。
こいつには、さわれねー! さわっちゃいけねぇんだ!
バッと毛布を戻し、ベッドから降りた。
こんなところで眠れっか!
枕元からリモコンをひっつかむと、カイトはソファに向かった。
彼が、自分のプライドとかそういうものを守るためには、そこで眠るしかないのである。
ソファに飛び込む。
もう、何も考えたくなかった。
考れば考えるほど、自分の胸に当てられたカマが、深く食い込むような気がするからである。
飛び込むなり、リモコンの消灯を押す。
ウダウダ考えるのは大嫌いだった。
寝ちまえ!
そう自分に言って、カイトはリモコンを放り投げる。
なのに。
「あ……あのっ!」
ベッドの方から、驚いた声が飛んでくる。
かぁっと頭に血が昇った。
せっかく、彼女の存在を忘れようとしていたのに、それを無駄にされたからである。
「るせー……とっとと寝ろ!」
カイトは怒鳴った。
彼の身体から、メイを忘れさせて欲しかった。
二度と、手の熱が伝染したりしないように。
「え……でも……」
しかし、まだ食い下がる。
オロオロとした声で。
手が。
カイトは、顎に力を込めた。
そうして、くわっと開けた。
「でもも、ヘチマもねぇ! 寝ねーと犯すぞ!」
出来もしないことを怒鳴った。
いや、してはいけないことだ。
スレていない女なのだ、相手は。
何も知らないくせに、借金のカタにランパブである。
そんな女に何かするなら、カイトはヤクザや金貸しと同じ扱いになってしまうのだ。
彼の怒鳴りあってか、やっと静かになった。
それに、ふぅっと息を洩らす。
息を詰めていたらしいことに、そこで初めて気がついた。
カチカチと、どこかで時計の刻む小さな音だけが残っている。
慣れて気にならなくなっていた音なのに、カイトの耳につく。
るせー。
無意識に毒づく。
寝返りを打って、片方の耳をソファに押しつけるようにすると、今度は、まるでソファのスプリングの中に何かいるような音が聞こえる。
何もいるはずはないのだ。
ただ、耳をぴったりくっつけたせいで、小さな音まで拾ってしまっただけである。
るせーっつってんだよ!
頭の角度を変えて、耳だけはソファに直接押しつけないようにずらす。
少しはマシになった。
チクショウ……。
カイトは――無意識に、彼女に触れた手を押さえ込むように目を閉じた。
まだ、全然眠れそうになかった。