12/04 Sat.-4
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メイが――床にはいつくばっていた。
それを見つけた瞬間のカイトの気持ちなんて、きっと誰も理解できないだろう。
ひとつに縛ってある黒髪からこぼれおちている数本が、床を舐めるくらいの距離で、彼女は懸命に床と格闘していた。
ドクン。
押し殺していた。
ドクン。
彼女への気持ちにキレツが入る。
イヤだ。
カイトが、初めて荒れ狂うほど好きになった女が。
床にはいつくばって。
メイの視線が止まる。
カイトの方で。
すこしずつ上がってくる茶色の目。
自分を映した。
イヤだ。
慌てて立ち上がる動作。
汚れた服。いや、汚れても平気な服だ。
カイトが、これまで見たこともない彼女の姿。
この服を。
メイは買ったのだ。
カイトが用意させた服よりも。
この服を、彼女が自分で選んだのだ。
メイが、自分で選ぶのは―― カイトではないのだと、叩きつけられたような衝撃。
雑巾を奪い取る。
投げつける。
怒鳴る。
引っ張る。
どうして。
どうして、ほんの少しでも彼女を思い通りに出来ないのか。
こんなに欲しくてしょうがない気持ちを、こんなに押さえつけているというのに、どうして洋服一つままならないのか。
薄汚れさせるために連れてきたのではない。
こんな掃除をさせるためでもないし、料理を作らせるためでもない。床にはいつくばらせるためでもないのだ。
カイトが用意したものに、全部彼女は横を向いてしまうのか。
イヤなのか。
何でイヤなんだよ。
廊下に出る、階段を上がる。また廊下を歩く。
ドアの前で足を止める。
ドアを開ける。中に引っ張り込む、ドアを閉めて振り返る。
そして言った。
「脱げ」
脱げ! んな服、とっとと脱げ!
心の中には、もっと強い悲鳴が隠されていた。
けれども、カイトはその炎の一部を、唇の内側からひらめかせただけに押さえた。
まだ身体のどこかが、メイにセーフティをかけているのだ。
忌々しいことに、彼女に嫌われたくないという気持ちの石が、胸の中で光っていたのである。
だから、そんな悲鳴を押し殺せた。
メイが、自分を見た。
何度か瞬きをしながら、でもじっと見つめるのだ。
一瞬、茶色の目の中が揺れた。
その次の瞬間、彼女は背中を向けて―― トレーナーに指をかけた。
カイトは、ばっと後ろを向いた。
その向いた先にあったものに気づく。
そこへ近寄って、許可もなく勝手に開けた。
普通なら、失礼どころの話ではない。
たとえ、ここが彼の家であって、彼女に貸しているだけの部屋であったとしても、かなり酷いことをしたのだ。
女性の――クローゼットを、勝手に開けたのである。
洋服がぶらさがっていた。
見たこともないのもあったが、多分、どれもハルコが買ってきたものに違いない。
カイトは、何でもいいから勝手に掴みだした。
どれとどれをどう組み合わせて着るかなんか知らないし、考えてもいない。
とにかく、手当たり次第に掴んだのだ。
あの忌々しい服は捨てて、彼女を綺麗にしたかった。
いや、いまのメイが綺麗じゃないというワケではない。
でも、イヤなのだ。
あの格好をしている限り、カイトの近寄れないバリアが張ってあるような気がした。
彼以外を選び続けるメイが、見えるような気がしたのだ。
適当に掴みだした服を持って―― しかし、カイトは彼女の方を見てしまった。
ちょうど。
すとん。
スリップを、床に落とすところだった。
彼女の身体をなぞるように、白い軌跡が視線を縦によぎっていく。
綺麗な白い背中。
上下の下着だけの、もうほとんど全裸と言っても過言ではないほどの、小さな下着が二つだけのメイの後ろ姿だ。
カイトは硬直した。
メイの指が。
その上の下着とやらについている、背中の留め金にかかったからである。
窮屈な角度で、でも指先は確実に任務を遂行しようとしていた。
ハッ!
カイトは頭の中の警報が聞こえた。
「バッ! バカ野郎! 誰がそこまで脱げっつった!」
ジャッッッ!
対メイ用セーフティの、大きなジッパーが一気に閉じられた合図だった。
キレていた時の怒りがすっ飛んで、彼女にそれ以上の行動を止めさせるという緊急用モードに変更されたのだ。
「え?」
止まった指。
肩越しに振り返るメイの目――と、ばちっと視線がぶつかってしまう。
カァっと血が巡った。
キレがすっ飛んでしまったカイトは、ようやく今が、とんでもない事態であることに気づいたのである。
彼女にその服を脱がせたかったとは言え、こんなところまで乗り込んで、脱げと命令した自分を、初めて一瞬だけ客観的に見てしまったのだ。
いわゆる。
我に返るというヤツである。
彼女のセミヌードを見るまで、頭に血が昇りきっていたのだ。
「き、着ろ!」
彼女の方に近付きながら、でも、見ないようにしながらカイトは服の山を押しつけた。
素肌の腕がそれを驚いたように受け取ったのを確認すると、足元に落ちている彼女が脱いだばかりのジーンズとトレーナーをひったくる。
すぐ側に、素肌の脚があるのが、イヤでも分かる。
見ないようにしても、気配でも分かるのだ。
クソッ!
忌々しい服をひったくるやいなや、カイトは、物凄い勢いでその部屋から逃げ出した。
あと一秒だって、同じ空間にはいられそうになかったのだ。
バタン!
後ろ手で、彼女の部屋のドアを閉ざす。
自分の肩が、カイトに許可なく上下する。気づいたら、かなりゼイゼイと息があがっていた。
何度心の中で自分をなじっても、全然心臓は落ち着かなかった。
本当にメイを前にすると、自分がどうなってしまうか分からないのだ。
今日だって、本当は危なかったのかもしれない。
心の中にセーフティのかけらが残っていたから、まだ良かったのだ。
あのかけらが、ぶっ壊れたら。
しかし、カイトは頭を左右に振った。
そんなことはねぇ、絶対ねぇ、と自分に言い聞かせたのだ。
彼女を失うことなんか、シミュレーションでも考えたくなかった。
カイトは、自分を奮い立たせるために、わざとドスドスと大きな足音を立てて、その部屋から離れた。
途中にあるゴミ箱の中に、あの洋服を突っ込んで。
「オレの…」
自分の部屋の中に入った。
ドアを閉ざす。
オレの言うことを――――クソッ!