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山茶花の嫁  作者: 櫻木サヱ
同じ日

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25/25

夜

朝から風が強かった。


雨のあとの庭は乾き始めていたが、まだところどころに水の跡が残っていた。山茶花の枝には、昨日の雨を含んだ葉が重たそうに揺れている。


紗夜は縁側に出ると、軒下に置いていた小さな籠を持ち上げた。


中には、干していた布が入っている。


風が強くなる前に取り込んでおいたほうがいい。


そう思っただけだった。


布を一枚ずつ畳む。


端を合わせる。


皺を伸ばす。


その作業をしていると、屋敷の奥から久遠が出てきた。


「それ、まだ乾いていない」


紗夜は布を広げた。


「少し湿っていますね」


「無理に畳むと、あとで匂う」


「では、もう少し干しておきます」


久遠は頷いた。


それだけで、話は終わった。


紗夜は布を元の場所へ戻す。


久遠は庭へ下りた。


何をするのかと思っていると、山茶花の枝に手を伸ばした。


折れていた枝が一本あった。


昨日の雨のせいかもしれない。


久遠はそれを切り落とした。


紗夜はその様子を縁側から見ていた。


「そこも」


紗夜が言った。


久遠が振り向く。


紗夜は少し離れた枝を指した。


「枯れています」


久遠はそちらを見る。


「これか」


「はい」


久遠が枝を切る。


落ちた枝を拾う。


紗夜は籠を持って庭へ下りた。


二人で、落ちた枝を集める。


それは特別な作業ではなかった。


庭を掃くときにも、冬支度をするときにも、同じようにすることだった。


けれど、いつからか、どちらが何をするかを決めなくても済むようになっていた。


久遠が太い枝を持つ。


紗夜が細い枝を拾う。


久遠が先に歩く。


紗夜が後からついていく。


そんな決まりを、二人とも作った覚えはない。


それでも、そうなっていた。


庭を一周すると、籠がいっぱいになった。


久遠が持ち上げる。


「置いておく」


「そこに?」


「薪の横」


「濡れませんか」


「午後には乾く」


紗夜は頷いた。


籠を置く。


その横に、昨日落ちた山茶花の花がいくつか残っていた。


久遠がそれを見る。


「拾わないのか」


紗夜は花を見た。


「……今日は、そのままにします」


「そうか」


それ以上、何も言わなかった。


屋敷へ戻る。


廊下には朝の冷気が残っていた。


紗夜が障子を閉める。


久遠が火鉢の灰を整える。


それぞれが、それぞれのことをしている。


けれど、どちらか一人だけでは屋敷の朝が始まらないような気がした。


昼前になると、紗夜は台所へ入った。


米を研ぐ。


鍋を火にかける。


野菜を切る。


包丁の音が続く。


ときどき、外から風の音が聞こえた。


久遠は台所には入ってこない。


ただ、戸口に置かれた薪が少なくなっていることに気づくと、何も言わずに補充していた。


紗夜が振り返ったときには、もういなかった。


薪を見る。


それから、火を見る。


何も言わない。


食事の時間になった。


二人は向かい合って座った。


以前よりも、食事の時間は長くなっていた。


話すからではない。


食べ終わったあとも、すぐには立たなくなったからだった。


紗夜が湯呑みに手を伸ばす。


久遠が急須を持つ。


「入れる」


「お願いします」


湯を注ぐ。


紗夜の湯呑みが満ちる。


久遠が自分の分を注ぐ。


その順番に、誰も何も思わない。


食事が終わる。


紗夜が膳を下げようとすると、久遠が先に立ち上がった。


「それは置いておけ」


「でも」


「今日は俺がやる」


紗夜は手を止めた。


「……分かりました」


膳を渡す。


久遠が持っていく。


紗夜はその背中を見ていた。


以前なら、何か手伝おうとしたかもしれない。


けれど今日は座ったままだった。


久遠が戻ってくる。


「茶、飲むか」


「はい」


久遠が湯を沸かす。


紗夜は湯呑みを二つ出す。


それだけだった。


午後になると、風が少し弱くなった。


紗夜は朝の布を取り込んだ。


乾いている。


一枚ずつ畳む。


その途中で、久遠の着物が一枚混じっていることに気づいた。


洗濯物の籠を分けるときに間違えたらしい。


紗夜はそれを持って、廊下を歩いた。


久遠の部屋の前で立ち止まる。


戸は閉まっていた。


「久遠さん」


返事はない。


もう一度呼ぼうとして、やめる。


少し待つ。


中から紙をめくる音がした。


「入る」


「はい」


戸を開ける。


久遠は文机の前に座っていた。


紗夜は着物を差し出した。


「混ざっていました」


「ありがとう」


受け取る。


紗夜は戻ろうとした。


「紗夜」


呼ばれて、振り返る。


「明日の朝、少し早く出る」


「どちらへ?」


「町まで」


「分かりました」


「帰りは昼過ぎになる」


「では、昼は軽くしておきます」


久遠が顔を上げる。


「そうしてくれ」


「はい」


それだけで話は終わった。


紗夜は戸を閉めた。


廊下へ出る。


足音が一つずつ遠ざかる。


明日の予定を伝える。


昼食の量を変える。


それだけの会話だった。


けれど、それが生活だった。


夜。


風はすっかり止んでいた。


二人は縁側に座っていた。


庭は暗い。


山茶花の姿も、輪郭しか分からない。


紗夜の隣には、湯気の立つ湯呑みがある。


久遠の手元にも同じものがある。


「寒くないか」


「大丈夫です」


「そうか」


久遠はそれ以上、何も言わなかった。


しばらくして、紗夜の湯呑みが空になった。


久遠が気づいた。


「もう一杯いるか」


紗夜は少し考えた。


「お願いします」


久遠が立つ。


屋敷の中へ入る。


すぐに戻ってくる。


湯呑みを置く。


紗夜は両手で包む。


「熱い」


「冷めるまで待て」


「はい」


二人は庭を見る。


山茶花の花が一つ、暗闇の中で白く浮いていた。


紗夜はそれを見ていた。


久遠も見ていた。


どちらも何も言わない。


やがて久遠が立ち上がる。


「もう入るか」


紗夜も立つ。


「はい」


廊下へ入る。


久遠が先に歩く。


紗夜が後ろを歩く。


角を曲がるところで、久遠が足を止めた。


紗夜も止まる。


「明日の朝、冷えるらしい」


「では、外套を出しておきます」


「頼む」


「はい」


また歩き出す。


それぞれの部屋へ向かう。


少し進んだところで、久遠が振り返った。


「おやすみ」


紗夜も振り返る。


「おやすみなさい」


戸が閉まる。


灯りが一つ消える。


もう一つ消える。


屋敷の中から音がなくなっていく。


眠る前に、紗夜は明日の外套を出しておいた。


自分のものと、もう一枚。


畳んで、同じ場所に置く。


それから灯りを消した。


夜の庭では、山茶花が風もないのに一度だけ揺れた。


翌朝になれば、久遠は町へ出る。


紗夜は朝餉を用意する。


帰ってくる時間に合わせて、火を起こす。


それだけのことだった。


それだけのことが、いつの間にか一日の形になっていた。

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