近すぎる距離
雪が止み、屋敷の庭には淡い朝の光が差し込んでいた。
紗夜は屋敷の裏手で、落ち葉を掃きながら朝の空気を吸う。
冷たく澄んだ風が頬を撫でる。
耳を澄ませば、雪解け水の滴る音だけが聞こえる。
「……奥様」
久遠の声に、紗夜は一瞬、箒を止めた。
振り返ると、久遠がすぐそこに立っていた。
距離は近い。
肩一つ分ほどしか離れていない。
「……庭の様子を見に」
声はいつもより柔らかい。
それでも、紗夜の胸は高鳴る。
「……はい」
言葉少なに応じる。
箒を握る手に力が入り、少し汗ばむのを感じる。
久遠はゆっくり歩み寄り、落ち葉を軽く踏む。
目は、紗夜の手元や箒ではなく、彼女自身を見ていた。
「落ち葉は、冬の名残だ」
紗夜は小さく笑う。
「春に向けて、掃き清めるのも仕事ですから」
その返答に、久遠は小さく頷いた。
その仕草だけで、心が触れそうなほど近くに感じる。
風が二人の間を吹き抜ける。
互いの息が、かすかに見える。
触れられそうで、触れられない距離。
「……奥様」
再び呼ばれ、紗夜は顔を上げる。
久遠の手が、落ち葉にかかる前で止まった。
ほんの一瞬、伸ばした指先が紗夜の手と重なるかと思う距離。
「……何か、困ったことは」
「……ありません」
紗夜は答える。
心の奥では、確かに期待しているのに、言葉にはできない。
久遠は、その答えに満足したかのように小さく息を吐く。
手を引き、少しだけ距離を置く。
「……そうか」
その一言に、すべてが含まれていた。
承認であり、距離の確認であり、微かな温もり。
紗夜は胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。
触れたくない、でも離れたくない。
不思議な感覚。
庭の山茶花が、まだ凍った枝に咲いている。
白と赤が、冷たい光の中で揺らめく。
「この距離も、悪くはないのかもしれません」
小さな呟きに、風が答えるように揺れる。
触れないけれど、確かに二人は近づいた朝。




