繋がる和
泉の階は、本来誰に許可を得ずとも、王城にある無数の階段を上っていけば、いずれつく。そこにあるのは、遥か高みから覗く帝国の姿と、青白い転送陣から、湯水のように湧き出てくる深水の噴水と水路しかない。だから、ここへくる物好きは、アイツくらいだろう。
そう思っていたのだが、階には先客がいたのだ。階の高台、その端から見える絶景を眺める女性がいた。真新しいドレスに身を包み、憂いの令嬢を演じているのだろうか。だが、残念なことに、彼女を評価する野次馬は、こんな帝国の最上層にはいない。
おもむろに近づくと、彼女は驚いてこちらを振り返った。
「失礼、邪魔をするつもりはなかったんだが、泉の階に用があるもので・・・。」
「いえ、お気遣いなく。わたくしは、ただ、この景色を眺めていただけですから。あなた様は?」
丁寧な言葉遣い。凛とした佇まいに、大人びた容姿。だが、背丈はそう高くはない。少なくとも自分よりは低いし、ロウと比べてもやや小さいくらいだ。
「少しばかり、深水を頂きに来ただけだ。」
「え?・・・深水を?・・・・あ、いえ、そうではなく・・・。」
「おっと、名乗るべきでしたな。エルドリック・アーステイル・エクシア。以後お見知りおきを。」
俺が名乗ると、彼女はようやく表情に変化を見せ、年相応の驚いたような表情になった。
「あ、あーす・・・。シャルリエ・ブレンデットと申します。お初にお目に掛かります。エルドリック閣下。」
「閣下はやめてくれ。俺は王子じゃない。アーステイル家だからと言って、敬う必要なんてない。」
ブレンデット、・・・ブレンデット・・・。どこかで聞いた名前だが、思い出せなかった。だが、貴族の令嬢であるのは間違いない。
「こんなところで、憂いの令嬢を演じているとは。何か考え事でも?」
「・・・今回の貴族会議が招集された経緯を聞いて、少しばかり自分を見つめなおしていただけです。」
・・・本当に憂えていたのか。胸の内をこうも素直に話すとは、駆け引きは苦手なのか。あるいは単純なのか。立ち居振る舞いはまさしく貴族の令嬢だが、この世界の人間にしては、少々お優しい性格をしているようだ。
「何か気になることでも?」
「・・・こんなとき、あの人ならばどうするのだろう、と。」
「あの人?」
「わたくしの憧れの人です。もうずっと会っていない。いえ、向こうはわたくしのことを露ほども知らないでしょうが。きっと、あの人ならば、この危機でさえも、平然と乗り越えてしまうのでしょうね。」
・・・もしかして、彼女のいう憧れの人というのは・・・。なんとなく察しがついた。それと、ブレンデットという家のことも少しばかり思い出せた。彼女は、敗北者だったのだ。
「君の言う、憧れの人物が、どんな人かは知らないが、所詮一人に人間にできることなどたかが知れている。どれだけ才覚のある人間だろうと、己の身一つで世の中を渡り歩いていけるわけではない。」
「ええ。わたくしもそう思います。でも・・・。」
どうやら、シャルリエには、よほどまぶしく見えたのだろう。確かに、アルハイゼンから聞かされていた、当時の彼女は、唯一無二の輝きを放っていただろう。今は少し、その輝きが鈍っている。そして、仄暗い闇を放つようになった。ある意味人間らしくなったというべきだが、間違いなく彼女は、変わったのだ。
「つまらないことを聞いたな。君にとっての憧れを穢すべきじゃなかった。」
「いえ、こちらこそ、つまらないことを語ってしまいました。」
「君は、これからどうするんだ?」
「はい?」
ブレンデット家として、どう動くか。敵になることはないだろうが、どれくらい戦力を国のために費やすか。単刀直入に聞いておきたかった。彼女の性格ならば、素直に答えてくれるだろうと踏んだが、どうやら想像していたよりも、深刻な返事が返ってきた。
「父は、今回の招集に応じませんでした。」
「!?なんだと?」
「ふふ、驚いて当然ですね。あの人は、ジエト陛下の申し出に応じる理由がないと啖呵を切りました。」
なんて無謀な・・・。まさか、本気でそう思っているのだろうか。ジエトが各貴族にどんな書面を送ったかは知らないが、応じなければ、罰でもなんでも与えると言われているだろうに。それとも、ブレンデット家は、既に敵側へ?
「わたくしは、自分の意思で王城へ参りました。父の行為は、わたくしだけでなく、ブレンデット家に使える者たち全てを危険にさらすというのに、父はそんなことよりも、私の嫁ぎ先の方が大事だと言ったんです。」
シャルリエの目じりに、小さな雫が膨らんでいた。娘として喜ぶべきことなのか、それとも、自身の我欲に溺れた父親に悲しんでいるのか。良いか悪いかで言えば、悪いと考えるべきだろう。例え父親に、シャルリエを想う気持ちがあったとしても、招集に応じないことで、爵位を取られることもあるだろう。そうなれば、縁談どころではない。
「わたくしは、父の代理を名乗る権利を持ち合わせていません。だから、この貴族会議で、ブレンデット家としては参加できません。」
「なら、君がここへ来た理由は、憧れの人に触発されてか。」
「察しが良いですね。・・・いつの日からか、あの人ならば、どうするだろうと、考えるようになりました。はじめは悔しくて仕方がなかったのに。いつしかあの人が使う魔法や、生き方に、憧れを持つようになったのです。」
生き方ね。あの傲慢な女の生き方に憧れるとは、物好きなものだ。確かに自由で、何もかも規格外の存在かもしれないが。なにせ、彼女には、嫉妬したところで、決しては振り向いてはくれない。自分を見てほしければ、彼女の隣に立てるようになるしかないのだ。
ブレンデット家の内情は、客観的に見ても酷いものだ。父親はおそらく、娘と良き魔法特性を繋ぎ合わせるために、奔走しているのだろう。この国ではよくあることだ。そればかりが目的となり、道具のように子で弄ぶ。まぁ、全部推測だが。
ともかくシャルリエは、このまま会議に参加すれば、弾劾される可能性がある。彼女に憧れを持っているという割には、ブレンデットを名乗る勇気もないとは。・・・そうだ。名乗らせてみればいい。
「権利とは、なんだ?」
「え?」
「君はまぎれもなくブレンデット家の人間だ。父親の代行としてきたと言えばいい。」
「・・・しかし、父はそんなこと、お許しには、・・・」
「なぜ許しが必要なんだ?」
俺が彼女にそう言うと、泣きそうになっていた瞳がすっと影を取り戻した。そして、しばらく考え込んだあと、先ほどの凛とした佇まいに戻っていた。
「君が代行であることを名乗っても、陛下は君のお父君が来ることを望んでいた。だが、ここにいるブレンデット家の代表は君意外ありえない。嘘でもいい。世迷言でもいい。それを認めさせてやればいい。」
「・・・それは、なんと傲慢な行いでしょうか。」
「だが、かつて、・・・王子殿下や、奴の妃となるはずだった娘は、そうやって多くの人間を黙らせてきたぞ?ここはグランドレイブ帝国。実力で全てを手に入れることが出来る。君も、その気があるなら、彼らのように、勝ち取ってみるといい。」
「できるでしょうか、私に?」
「必要ならば、手を貸そう。」
焚きつけたからには、それなりに援助はするつもりだ。可能な限り。そしてなにより、彼女はこちら側の人間に違いない。味方は一人でも多い方がいい。どの道、シャルリエ自身が力量が試される。できなければ、それまでのものだったということだ。
「エルドリック様は、お優しいのですね。」
「君は素直にものを受け取り過ぎる。正直に言うが、俺は打算ありきで君をその気にさせているに過ぎないことを、理解すべきだ。」
「だとしても、なぜ?」
「簡単な話さ。君は彼女に憧れ、彼女の力になれるかもしれない人だからだ。」
「っ!?」
「君のいうように、君の憧れの人は、どんな状況でも前へ進もうとする。だが、そんな彼女も敗北を喫し、裏切られ、弱ることだってある。言っただろう?人は、己一人では生きてはいけない。一人で出来ることなど、たかが知れている。だからこそ、同じ志を持つ者が支えてやらなければならないんだ。」
シャルリエが、どんな思いを彼女に向けているか、それは俺にとっては意味のないものだ。だが、彼女が有用な存在ならば、俺はその崇高な憧れさえも利用する。それが、あの傲慢な令嬢の力になり、帝国の未来を守ることに繋がるならば。
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