見ようとしなかった道
その後私は、さらに2、3日の休養を余儀なくされた。左腕の感覚が戻ったとはいえ、体力の方はまだ完全に回復したとは言い切れず、十分な安静が必要だった。その間に、エルドリックの小さな屋敷の中を探索していたが、ここは貴族が邸宅として使うような、巨大な別荘とは違うことが分かった。うまい言葉が見つからないけど、一軒家と言えば、わかりやすいだろうか。まさしく市井の人々が使うような建物で、私が使わせてもらっている病室も、空き家の一つに過ぎないという。
使用人もクレスにエレノアにエルザのみで、エレノアに至ってはリビングのような主室で、あとから来たエルザもそこで寝ているらしい。
一軒家と言っても、5人が使うには広すぎる大きな邸宅だが、権力者らしい豪華な生活とは懸け離れた生活をしているようだ。ようやく歩くことできるようになった身にはありがたい大きさだ。懐かしい、と感じることもある。前世での自分も、もとは一般人だったのだから。まぁ、それなりに裕福な家庭に生まれはしたけれど、まさか第2の人生が、ここまで違うとは思ってもいなかったし、今でも、前世の癖が出てしまうことはあるものだ。
そんな中で、病人食から、普通の食事をとてもいいとお達しが出た時、その献立に心が弾んだのだ。
「これは、お米!?」
「コメ?クルルアーン周辺のごく限られた地域で栽培されている黄金の種と呼ばれる穀物ですよ。是非とも召し上がってください。」
エレノアが持ってきてくれた食事は、ホカホカに炊かれた白米が皿に盛られていたのだ。コメの形は前世日本よりも、やや小太りしているように見えるが、スプーン掬ったときの感触はまさしく白米のそれだった。
付け合わせとして出てきたのは、酢につけられた根菜の漬物。それからコンソメに似た塩気の在る汁物。この国においてはかなり質素な食事だが、これほどうれしい食事は、この世界で初めてだったかもしれない。箸や醤油が恋しくなった。
思わぬ幸福を感じた朝食を済ませ、私はエルドリックの元へ向かった。相変わらず彼の私室は埃っぽいというか、羊皮紙まみれだった。彼の気質がこういう形で表れているのだとしたら、かなり腑に落ちるというものだ。
「おはようございます。エルドリック。」
「ああ、来たか。ロウ殿。ようやく、と言ったところか。体は大丈夫か?」
「はい。おかげさまで、どうにか回復することが出来ました。」
まだ、いろいろと以前のように戻っていない部分もあるが、無理をしても問題ない程度には回復できたのだ。これでようやく、本来の目的に戻ることが出来る。だが、あれから大きく時間が過ぎてしまったため、状況はかなり変わってしまっているだろう。私一人が、無暗に奔走したところで、解決できるはずもなく、入念に策を練らなければならないだろう。そのためにも・・・、
「エルドリック、私はあなたの元へ付きます。」
「ふむ、随分潔いな。今まで勢いに任せて進撃し続けていただろうに。今回の負傷が、よほど堪えたと見えるな。」
「志は今でも変わっていません。私が出来ることならば、どんな苦難であれ、歩みを止めることはしません。ただ・・・。」
私は完璧な存在ではない。全てにおいて優れているわけではない。私一人で解決できる問題は、それほど多くない。それを思い知らされたのだ。弱気になっていると言われればその通りだ。私ならできる、という確信が消え、自分の力に疑念を抱いてしまったのだ。
「・・・ただ、私は合理的に、貴方と共に行動したほうが、確実に事を成せると、そう考えただけです。」
そういう言い訳をすることで、自分を納得させている。それくらいに私の心情は傷つき、疲弊してしまったのだ。
「いいだろう。どの道、また同じようね状況になって、九死に一生を彷徨われても困る。何度でもいうが、君のような人材を失うわけにはいかなんだ。」
彼も彼とて、自身の弱みをよく理解している。そう、エルドリックも自身の力だけで問題を解決できるわけではないことわかっている。だから彼は、従士の力を借り、慎重に事を運んでいる。あのアルハイゼンの死から始まっているであろうこの事態を、遠くない未来に解決することを決めているからだ。
エルドリックが、帝国のためと言っているのであれば、私もそれに準じる他ない。
「あなたがそのように私を評価してくださるなら、私も可能な限り力を振るう所存です。」
「はぁ、出来ることなら、このまま縁談の話も検討してくれるとありがたいんだがな。」
「は!?そ、それは・・・その・・・。」
「いや、いいんだ。こうもあからさまに持ち掛けているのに、一切靡かないのであれば、俺も強要するつもりはない。帝国のため、なんていう誘い文句を使うのも、客観的に見て気持ち悪い。」
別に気持ち悪いとは思わないが、今縁談話に注視するのは難しいというだけで。彼の行いに何か嫌悪感を抱いているわけではない。何より私は、彼のことを、まだよく知らないのだ。
つまりはそこがネックになっているのだろう。私にとっては、政略結婚が卑しい行いに見えている。だからと言って、愛ある結婚を望んでいるかというと、そういうわけではないが、アルハイゼンとの時間を経験してしまったために、私は中途半端な縁談を望んではいない。
・・・だが、エルドリックの申し出を受けることによって、彼の信頼を勝ち取れるのであれば、今は嘘でも、彼の考えに従うべきかもしれない。
「・・・・・・今すぐ約束することはできません。ですが、ここで借りの約束をし、後ほど父に話を通すという形でよろしければ、その縁談、お受けいたします。」
私がいかにも厳粛な態度でそう言うと、彼は初めて表情を歪ませた。
「その申し出はありがたいが、らしくない返答だな。君は政略結婚は望んではいないのではないか?」
「だからと言って、愛ある結婚に焦がれているわけでもありません。」
「そうではない。君は、現状を打開するためのつまらぬ関係を築くようなことはしないだろう?」
「・・・・・・。」
「俺は君のことを疑ったりしない。君への評価は、アルハイゼンが与えてくれたものだ。俺の中であいつの評価が下がらない限り、俺が君を信頼しない、という事態にはならない。そんなことをしなくとも・・・・。」
「それでも、お受けいたします。」
「・・・・・・。」
どうやら、彼は不服なようだった。これは主観だけど、彼は冷静な判断力を持っていて、合理的な判断と行動を行う人だと思っていた。だから、私が自身の立場を使ってでも信頼を勝ち取ろうとしたことに、僅かながら意義を感じてもらえると思ったのだが。どうやら裏目に出たらしい。
ここまで言って、やっぱりやめると言える訳もない。だが、私は本気で彼に嫁ぐつもりだ。
「二言はございません。」
「・・・わかった。君に申し出に感謝する。ロウ殿。この話は、また後程。今は今後の動きについて話し合おう。」
この選択が、吉と出るのか、凶と出るのか。今はまだ私にはわからない。ただ、夢の中であの人が教えてくれた、私が今まで遠ざけていた選択肢。見ようとしなかったこの道が活路となるのかは、天命のみが知ることになるだろう。
(アルハイゼン、どうか、見守っていてください。)